5 愛すればこそ②
まだ日も高いというのに、永遠の夜から吹くような不吉な風がわき起こる。その風に白銀の髪をなびかせ、破壊神は鋼の刃のような、純粋な殺意に輝く目で言った。
「何度も言わせるな。俺はおまえに、そいつの身体から出ろと言ってるんだ。出たくねえんならそう言えよ、かまわんぞ。おまえがそいつを無事に返す気がねえってことはもうわかったしな、だったら気を使う必要もねえ。めんどくせえから器もろとも殺すまでだ」
「なんと、尊……!」
メイの身体に憑いたまま、老妖はどっと冷や汗に顔を濡らす。疑いようもなく破壊神は本気だった。青ざめるメイと楓の後ろで、ミコだけが小躍りしそうな顔になる。
老妖はおのが不明を嘆く声をあげた。
「これは……当方の心得違いにございました。なるほど、夜叉神様の中の夜叉神様が、人間の小娘ひとりの命を、さように惜しまれるはずがございませなんだなあ!」
「当たり前だろう。さあ、今死にてえのか、あとがいいのか、早く決めろ」
破壊神は眉ひとつ動かさずにせかす。むろん、老妖がかすかにでも攻撃の意志を見せるやいなや斬り殺すつもりに違いない。
だが老獪な水怪は攻撃するどころか、みるみるうちに土気色の顔色に変わった。絶対的な恐怖の表情に顔を塗りつぶして後ずさる。
「ひいっ、恐ろしや恐ろしや恐ろしや恐ろしや恐ろしや恐ろしや恐ろしや」
メイにさえどろりと、空気が粘って感じられたほど濃い恐怖に、破壊神が一瞬、ひるんだ。
すかさず、老妖は軽く地を踏む。
「!?」
どおっと、大地が跳ねあがった。
街灯がたわむほど激しい揺れが地を震わせ、楓が立っていられずへたりこむ。無人のドライブインの窓が砕け、壁がはがれ落ちた。波打つアスファルトを無数の地割れが走り、
「!!」
わああっ、とときの声をあげ、地の割れ目から水怪の軍勢が飛びだしてきた。
色とりどりの魚にカニやドジョウ、カエルの顔も見える。
みな鎌倉武士をほうふつとさせる鎧兜に身を固め、刀や槍をふりかざして決死の形相だ。
しかし全員、破壊神には目もくれず、ミコと楓めがけて殺到してくる。
「やるってのかいっ」
ミコが身構えたとたん、両手の爪が二十センチぐらい伸びた。
さすが化け猫、長い爪で刀をはじき、ひっかき、多数を相手に互角に渡り合う。
一方、普通の人である楓は、ふりまわされる武器をよけることしかできない。度胸も運動神経も抜群だったが、あぶなっかしくて見ていられない。
「のっ……野々宮さんっ!!」
悲鳴をあげるメイをどさくさにかすめ盗ろうとした魚怪の手を、破壊神がはねのけた。
「うるさいぞ虫っ、おまえまで不安がるなっ! どいつもこいつもくそ苦い……ええい、どこまでも陰険な泥かぶりのひねナマズめっ!」
ひねナマズとはメイの身体に憑いている老妖のことらしい。しかし駐車場の端、湖畔のフェンスの上に立つ相手はなおも、計算ずくの恐怖の感情を放ち続けて手が出せない。
破壊神は歯ぎしりしたが、その時、
「あっ」
楓がアスファルトの割れ目に足を取られ、しりもちをついた。
チャンスとばかり、緋おどしの鎧をまとった魚怪が一匹、白刃を頭上にふりかぶる。
(!)
メイは楓の整った顔に「しまったぁ」という表情が浮かぶのを見た。
その瞳にはまだ「この魚のオバケったらよく見るとマヌケな顔」とか考えているらしい気配があったが、かわしようがない。
白刃がやけにゆっくり、残像をひいてふりおろされていくように見えた。
楓の死を予感し、メイは声もなく凍りつく。
「!?」
ふり落とされそうな勢いで、破壊神が動いた。
魚怪がふりおろす刀よりも速く、魚怪の顔面を横殴りになぎ払う。
水っぽい破裂音とともに、魚怪の頭は兜ごと、脳漿をまき散らして吹っ飛んだ。
「おい虫っ、俺のそばでいちいちマメに絶望するなってんだろっ!」
凄まじい剣幕で怒鳴られながらメイは楓の無事を確認、心からホッとして、
「ごっ……ごめんなさい、つい……」
震える声で謝る。
視界の端に、頭を失った魚怪の死体が鎧ごとぱさりと、黒い塵になるのが映った。
死んだ妖怪の塵は、例によって磁石に引かれる砂鉄のように破壊神に向かって宙を流れ、あっという間にその肌に吸いこまれて消える。しかしそのとたん、
「……えっ?」
破壊神の顔色が変わった。
腐った物を食べた……いやほとんど毒でも飲んでしまったような苦悶の表情が浮かび、憤激のあまりこめかみに青筋が浮き出す。
「貴様らあ……やる気もねえのに俺のまわりをうろちょろするんじゃねえっ!!」
嵐のような怒号が殺気の突風となって爆発、水怪の軍勢を押しひしいだ。
しかしかえってさらに恐怖の気を呼び起こしてしまい、破壊神はますます顔色が悪くなる。
(そんな! こ、これって……)
メイは蛇女神が「尊は闘志をもって向かってくる相手しかお食べになれない、たいへんな偏食家でいらっしゃるの」と言っていたのを、ありありと思い出した。
ただの好き嫌いかと思っていた。
しかしこれはどう見ても、好みの問題ではない。ほんとうに身体が受けつけないのだ。
そのうえ、手をくだして殺した相手の塵は、自動的に吸収してしまうらしい。つまり、おびえている相手や逃げ腰の相手とは、うっかり戦うこともできないということだ。
破壊神がいつも念入りに相手を怒らせ、「やる気」の純度をあげさせていた理由がやっとわかった気がした。つまるところあれは、食べ物の毒抜きをしていたのである。
「もう……もういいです! 野々宮さん助けて逃げましょう!」
メイは思わず破壊神を見あげ、その髪にしがみついて叫んだ。
「なんだと? おまえ、身体に戻りたくねえのかよ」
言いながら破壊神はふたたび魚怪を一匹、誤って殺してしまい、食べられない塵を浴びて低くうめく。メイは申し訳なさのあまり泣きそうになった。
「い、いいんです、わたしのことなんか……そ、そんなことのために死んじゃったら……」
破壊神は、いったいこいつはなにを言ってるんだ? という目でメイを見る。
メイも、破壊神の言いたいことはよくわかっていた。
破壊神はメイを食べるため身体に戻そうとしているだけで、それ以上でも以下でもない。
そのメイの身体だって、いざとなれば憑いている老妖ごと殺して片づけ、メイは生き霊のまま食べてしまえばいい。そのていどの問題なのだ。
でもそれでもやはり、メイは自分のせいで誰かが苦しい思いをするのは嫌だった。
楓やミコがつまらないケガをするのも、戦う気もない水怪たちが破壊神に殺されてしまうのも、破壊神の具合が悪くなるのもみな嫌だ。
「スサノオ様っ、虫の言うとおりですっ、逃げちゃいましょう!」
ミコが、メイをかすめ取ろうとした魚怪の鼻面に、長い爪の一撃をくれて叫んだ。
もちろんメイを守るためではない。メイを奪われまいとして、破壊神がうっかり相手を殺して食ってしまわないための手助けだ。
「こいつらまともに戦う気なんかないんだ! 長居なさっちゃ、お身体にさわります」
破壊神は返事をしなかった。退く気にはなったらしいが、より有利な退き方を考えるようなたちの悪い目つきであたりを見まわす。そこへ、
「見ちゃあおれんっ、おんどりゃあ、なんちゅうあきれた礼儀知らずどもじゃあ!」
われ鐘のようながらがら声を轟かせ、みなの頭上に忽然と、大きな鬼が出現した。
年経た大猿のように枯れ草色の毛をなびかせ、毛のない顔と手足の先だけ赤い──昨日、公園で破壊神に食われたはずの鬼ではないか。
義憤の面もちで大きな拳を固め、水怪たちを手当たり次第に殴り飛ばし始めた。
「戦の神さん相手にどこまで無礼な真似ゅうしよるか! 去ね、去ね、去んでしまえ!」
刀も槍もものともせずへし折って暴れまわり、またたく間にまわりの水怪たちを追い払う。
楓は鬼の巨体を見あげ、血の気の失せた顔でメイを見た。
身ぶりで「この鬼、味方?」とたずねる。
メイは、わからない、と言う代わりに首をすくめ、ふるふると首をふった。
「なんだおまえ、残ってたのか」
破壊神は礼を言うどころか、食い残してたとは残念だ、と言いたげな顔をする。
メイは鬼が、仲間を殺された瞬間にあげた嘆きの声を覚えていた。それで、また襲いかかってくるのではと無意識に身体をこわばらせる。しかし、
「ワシゃあ、丈夫なんが一番の取り柄じゃけえ」
鬼はゴリラそっくりの猫背にがに股の、なんともしまらない姿勢で両拳を地につけた。そのまま、自分の半分もない小柄な破壊神に、角の生えた頭を深々と垂れる。
「せっかく拾った命じゃけえ、ハア、今すぐ二度めの手合わせはかんべんしてくだされ。うんと強うなるまで顔見せんつもりじゃったけど、ワシの大事なおババを食ったお人を、ナマズのじいさまごときに侮辱させるわけにはいかんけえ、お手伝いさせてください」
つまり、強くなったら再度挑戦するつもりであるが、大切な人を食べてしまった仇なればこそ、他の相手にいいようにさせるのは腹立たしい。ゆえにここは手伝わせて欲しいと、そう言うのである。しかもその声にも仕草にも、あふれんばかりの素朴な敬意が満ちていた。
あまりにズレた純情ぶりに、メイはくらくらしてくる。
「ふん。まあ、好きにしろ」
破壊神の無関心な許可に、鬼はぱあっと、ごつい顔を喜びに輝かせた。
メイの身体に憑いた老妖は、フェンスの上に仁王立ちになったまま肩を怒らせる。
「おのれ、しんら! 役に立たなんだばかりか、かんじんのところで裏切りおって!」
「裏切る? ワシゃあ今でも、世直しできたらええなあ思うとるけえ、あんたも早う謝ってその子の身体返したらええ。神さんに物たのむんならそれが順序ゆうもんじゃろが」
妙にまっとうなことを言う鬼をぼうっと見ていたメイは、いきなり破壊神にえり首をつまみあげられ仰天した。鬼に向かって放られてさらに肝をつぶす。
悲鳴をあげる間もなく、メイと同じぐらい驚いて目をまん丸にしている鬼の、家のようにごつい手に受け止められた。メイは、ずれた眼鏡を直しながらあわてて破壊神をふり向く。
「持ってろ」
破壊神は鬼に、そっけなく命じた。
「食うんじゃねえぞ! 食ったらおまえを食うからな」
「へ……へい、よがんす」
鬼は手の中の小さなメイを、おあずけをされた犬そっくりのもの悲しい目で見た。口もとにどっとよだれがあふれたが、かろうじて食い気をこらえる。
破壊神は、鬼のおかげで遠巻きにしりぞいた水怪の軍に向き直った。
「あっ、あの……」
なにをするつもりなんですか、と、破壊神の背に声をかけようとしたメイは、息をのむ。
深海の水圧にも似た、けたはずれの圧迫感が突如、場を支配した。
明るい湖面を死をはらんだ風がなで、立木が見る間にしおれてはらはらと枯れ葉を散らす。
居並ぶ水怪たちは色を失い、次々に腰を抜かしてへたりこんだ。
破壊神の、第三の瞳が開いたのだ。
「よう、ナマズ」
破壊神は、メイの身体に憑いた老妖に親しげに呼びかけた。
その腕からひややかな銀に輝く刃が、満月の縁を薄くそぎ取ったような弧を描き、ゆっくりと伸びていく。
「俺はおまえが気に入った。悪くねえ作戦だったぜ。それだけしたたかなら、作り物のその感情の下はきっとうまいに違いねえ。ためしに食ってみてやるから最後の悪知恵をしぼれ」
「!!」
破壊神が歩いてゆくにつれ、水怪たちは声もなくしりぞいて道を空けた。
逃げながら戦う、などという半端な選択を許さない、凄まじい気があたりを支配していた。
弱い者はますます弱く、強い者はいやましに強くせずにはおかない、そんな気だ。
見る間にプランターの草花の半分が枯れ、腐り落ちた。残り半分は目に見える速さでめきめき育ち、満開に花を咲かせて──寿命を使い切って枯れていく。
「建速の……素戔嗚尊……」
楓がまたたきも忘れてつぶやいた。
「あ……あだ名かなんかだと思ってたんだけど……まさか……本物?」
「当たり前じゃん」
ミコが、憧れと恐れのないまぜになった表情で、破壊神に見とれながら答える。
異様な場の力に蛮勇をかきたてられたか。
不意に、水怪の軍の中から数匹が、雄叫びをあげて破壊神に襲いかかった。
が、破壊神に指一本触れる間もなく空中でみじんに斬り刻まれ、血煙をあげて飛び散る。
そのとばっちりを浴びたカエルの妖怪が一匹、恐怖のあまり理性が消し飛んだらしい。鎧武者姿のままいきなり四つんばいになり、ぴょんぴょん跳ねて逃げ出した。
たちまちわっと総崩れになる軍勢をよそに、メイの身体に憑いた老妖はしかし、動かない。
青ざめ、飛び出しそうな目をして、必死に思慮をめぐらしていた。
第三眼を解放し、狩る気満々で向かってくる破壊神を前に、これ以上かりそめの恐怖をまとっていても無駄だ。といって、まともに戦って勝てる相手ではない。
「か、かくなるうえは……」
メイの身体の中で、年経たナマズの怪、雨膳は考えた。
逃げるが勝ちだ。
零課に入る前の若い霊能者の魂に術をかけ、手先として使う計画はあきらめるしかない。
とはいえ、自分が憑いて動かしている状態でも、人間たちはじゅうぶんだまされた。
生き霊が自然消滅するまで、あと少し逃げ切りさえすれば、破壊神ももはや、抜け殻にすぎない肉体になど興味を示すまい。
さわらぬ神に祟りなし、とことわざに語られるとおりだ。この身体だけ持って、逃げよう。
だが、いざ実行に移そうとした、瞬間。
「!?」
メイの身体に憑いた雨膳は、なにかにわしづかみにされたかのように立ちすくんだ。逃げるどころかふり返ることもできずに目をむく。
「わ……若君!?」
湖面がにわかに激しく波立ち、晴天に墨を流したような黒雲がわき起こった。
破壊神とは質の異なる、びりびりと感電しそうな憤怒の気配があたりに満ちる。
「ふん?」
破壊神は強烈な闘志を浴び、心地よさそうに目を細めた。
雨膳はメイの身体に憑いたまま見えない力に宙へ吊り上げられ、苦しげにのどもとをかきむしる。しわがれた嘆願の声をしぼり出した。
「おっ……お許しを若君! 我ら御ためを思えばこそ……」
真心からの言葉だったようだ。が、雷鳴のような大音声がその語尾を断ち切った。
「慮外者! 余に断りもなく人間と手を結び、はかりごとをもてあそんだまでは良しとしよう。だが戦神にいったん対峙しながら、大将みずから陣を捨てようとはなにごとか!」
「!!」
湖面にどっと巨大な水柱が立った。
飛びだしてきたまばゆい雷がじぐざぐに水面を走り、メイの身体を背から貫く。
(あっ……!)
美しい翡翠色に輝く龍の頭が、メイの胸から生えた。ほっそり優美な口が牙をむいて食らいついているのは、昔の中国の宰相のような服装の、ひげの長いナマズだ。
無造作にひと噛み、ふた噛み。
龍はナマズの妖怪を噛み殺して飲みくだすと、するっとメイの体内へひっこんでしまった。
不思議なことにメイの身体にも衣服にも、傷ひとつついていない。
「!」
湖は今や、特大の台風にみまわれたかのように逆巻き、しぶきをあげて荒れ狂っていた。
広がりゆく黒雲は轟然と雷鳴を響かせ、みるみるあたりが暗くなっていく。
メイの身体が、顔をあげた。
水と風、雷の気に包まれて、神々しいまでに誇り高い、涼やかなまなざしで破壊神を見る。
その口が、今度はよくとおる若者の声を放った。
「雨膳めの無礼、どうかお許しいただきたい。私はこの湖のぬし、壬生之守朝霞比古。代わって礼を尽くしに参上いたしました」
「気にするな。やつはちっとも無礼じゃなかったぞ。少しばかり陰険だっただけだ」
破壊神は上機嫌で、相手の力を値踏みしながら答える。
メイの身体に憑いた若々しい龍神は、生真面目に謝意をあらわし目礼した。
「素戔嗚尊、貴方のおっしゃるとおり、世に公平なことなどありません。零課は力がありすぎる。ひきかえ我らはあまりに非力……雨膳のたくらみもむなしき執着、しょせん勝ち目はないものとあきらめておりました。貴方を見るまでは、です」
第三眼を開いた破壊神の視線を、小揺るぎもせず受け止めたまま、龍神は右手をわきへ伸ばす。その手のひらに雷気の輝きが集まったかと思うと、見る間に、刃の部分だけでメイの身長ほどもある、大ぶりな剣と化した。
「御助勢いただけぬならそれもけっこう。ただし代わりに貴方の命の核、霊玉をたまわりたい」
龍神の言葉にメイはどきっとした。蛇女神の似たような発言を思い出したのだ。確かあの時は「貴方を殺して」「霊玉を味わってみたい」と言っていたような──。
(もしかして霊玉っていうものを取るには……相手を殺さなきゃいけないんじゃ……?)
はたして、この明白な殺意の表明を歓迎し、破壊神の気は嵐のように浮かれ立った。
「いい気合いだ! 俺にそんなことをぬかすやつに会うのは久しぶりだぜ!」
「……ひとつ、おたずねしてもよろしいか」
龍神はメイの身体に憑いたまま湖の上空へ、静かに浮きあがりながら剣を構える。
「よしよし、なんでも言ってみな」
破壊神も身構えながら、舌なめずりせんばかりの口調で応じた。
敵がメイの身体に憑いていることなど、もはや目にも入っていないようだ。
その完璧な無関心ぶりに、龍神は一瞬、メイの身体に憑いたまま戦うことを不利と感じた顔をした。しかし今さら身体から抜けようとすれば、それこそが致命的隙となる。
龍神は即座に覚悟を決め、メイの童顔に闘志をみなぎらせた。
殺戮の歓喜に輝く暴虐の神をまっすぐにらみおろし、口を開く。
「貴方の霊玉は、それを食した者を不死にすると言われていますが、ほんとうですか」
「さあな。取られたことがねえから知らねえな」
破壊神は殺気の閃光となって、飛んだ。
◆
鉛色に荒れる湖の上空、黒雲の中、ふた柱の神の斬り結ぶ光が稲妻のように乱れ飛ぶ。
「ち、ちょっとメイ! あ、あいつ……あんたの身体殺しちゃう気だよ!」
楓が、雨粒の混じりだした突風に身をかがめながら叫んだ。
メイは鬼の手の中でへたりこみ、ぼうぜんと暗い空を見あげたまま、つぶやく。
「……そうですね」
「そうですね!? こらーっ、あきらめるのはまだ早いぞっ! な、なんとかして止め……」
「あっは! 止められるもんなら止めてみな!」
ミコが勝ち誇って胸を張り、ふふん、と鼻を鳴らした。
「誰がなにしたって、天魔王様が一度始めた戦いをおやめになるもんか! あー、いー気味! ほらあっ、あんたは生き霊のまんま食われる覚悟でもしときなって」
赤い爪先で頭をこづかれ、メイは小さく「はい」とうなずいてしまう。
「こらメイっ、はいじゃないでしょはいじゃ! 猫さん、あんたもどーしてそこまで……」
憤慨する楓をよそに、しかしメイは、心のどこかでホッとしている自分に気づいていた。
あの雨膳というナマズの妖怪は、メイの身体をいわば、人質に使おうとした。
龍神も、ナマズの妖怪を始末するついでにメイの身体に入ったのは、少しでも有利に事を運ぼうとしたからに違いない。
しかし破壊神がいさいかまわず、平然と相手を殺しに行ってしまったのを見て……さすがに少し悲しかったが、不思議なことにメイはその何十倍も、何百倍も、ホッとしたのだった。
(ほんとうなら、わたし、あの最初の晩に名なしのまんまオバケに食べられてたか……そうでなくてももう、消えるところだったんだもの……)
なのに自分の素性も判明したし、楓という友だちにも出会えた。いろいろ怖かったけれど、楽しいこともあった。少しは空も飛べるようになったし、なにより最初のころよりずっと、自分の思っていること、言いたいことを、口に出して伝えられるようになった。
たった二日でここまでできるようになったのは、ひとえに破壊神とミコのおかげだ。
(お礼にちゃんと……こ、怖がらないでスサノオと戦わなきゃ! だいじょうぶ、スサノオはめちゃくちゃ速いから……きっと、い……痛いとか思う間もなく死ねるわ)
とは思うもののやはり怖くてたまらず、メイは鬼の手のひらの上で震えながら、ぎゅっと目をつぶってけんめいに祈る。
(勇気をください、どうかわたしに勇気をください、神さま仏さま……)
その時、鬼が「うおっ」とも「ぐごっ」ともつかない声を立て、急に動いた。
「?」
なんだろうと目を開くと、鬼がよけた足もとでなぜかアスファルトがぶくぶくと、沸騰したみたいに泡立っている。
散らばって主君の戦いを見あげていた武者姿の水怪たちも、あちこちで火に触れたように跳びあがった。その腕や顔が、たちまちガン細胞のように変形増殖、あるいは形を失って水のように溶け出すさまに、無事な仲間も恐怖の悲鳴をあげる。
立木まで突然、煙をあげくすぶりはじめた。枝も幹も、見る間に真っ黒に腐り落ちていく。
「!?」
荒れ狂う湖面に、絵の具を溶いてたらしたような鮮やかな赤がぽつん、と出現した。
ひとつ。
ふたつ。
さらにたくさん。
みるみるうちにその色が広がり、湖全体が真っ赤に染まっていく。
「どっ……どうして……」
神速の戦いに轟く空を見つめるミコの顔から、血の気がひいた。
それでメイも、なにが起きているかを理解する。
これは──破壊神の血が降っているのだ。
「…………」
頭が真っ白になり、メイは戦いを見あげる勇気もないまま震えだした。
信じられなかった。
龍神は確かに弱くはないだろう。でもどう考えても破壊神に勝てるほど強いとは思えない。
こんなことが起きるはずはない……!
しかし今この瞬間、もっともこの展開をいぶかっているのは、破壊神本人だった。
「ちっ」
いったい何度めか。またもかわしそこねた龍神の剣先がわきをかすめ、血が飛び散る。
わけがわからなかった。
若い龍神の剣術など、破壊神から見れば、隙だらけの未熟なしろものにすぎない。
本来なら斬り合うまでもなく、最初の一合で両断しやれるていどの腕前だ。
雷気が結晶した剣にしても、名剣とは言いがたかった。切れ味もたいしたことはないし、特別な術がかかっている気配もない。受け方ひとつで、素手でもたやすく砕けるはずだ。
なのに、気づいてみればいつの間にかこちらは傷だらけで、ひきかえ向こうは、かすり傷ひとつ負っていない。
なぜか身体の動きが鈍いのは感じていた。しかし、いくら考えても原因がはっきりしない。
「……!」
今度こそ首をはねてやれる絶好のタイミングですれ違ったのに、かえってのどもとを深くえぐられて、破壊神はつめたい銀の三つ目を細めた。
相変わらずこちらの刃に手応えはない。
勝てると思って踏みこんだ分だけ、不利になっているようだった。
なにか知らない術にはまっているのかもしれない。
原因はともかく……このままでは負ける。
そう判断するやいなや、破壊神はあっさり逃げることにした。
破壊神にとってすべての戦いは狩り、すなわち食事に過ぎない。
この場で勝つことにこだわる理由はなにもなかった。
正攻法で勝つ必要すらない。次は別の手を使って、逆にはめてやればいいだけのこと。
そう判断して身をひるがえそうとした瞬間、
「!」
轟然と、数十の落雷があたり一面に落ちくだり、退路をふさいだ。
同時にメイの身体に憑いた龍神が、大剣を大上段にふりかぶって突っこんできた。
まっぷたつにしてやりたくてうずうずするような、隙だらけの構えだった。
とはいえ、さっきからなぜか、反撃するとかえってまずいことになるのは身にしみている。
破壊神は仕方なく、ごく普通に刃を合わせて受け止めてやった。
全力で斬りかかって来たのだろうに、その勢いもたいしたことはなかった。
破壊神からすれば、子犬をじゃらすようなもの。
恐らく龍神も、力量の差は十二分に自覚していた。だからこそ、それでもあえて向かってくる闘志と殺意の甘さ、かぐわしさは極上の部類に属していた。
あまりのご馳走ぶりに、破壊神はとっさに相手の剣先をいなし、返す刃で胴をないでやりたいという猛烈な誘惑にかられる。
しかし、人の歴史より長い悠久の時を生き抜いてきた戦神は、自分の衝動に対してすら無情なまでに冷静だった。
さっきから似たようなことをくり返し、一度も成功していないことを思えば、ここはあくまで退くべきだ。
だが、メイの身体に憑いた龍神は、突き放そうとした破壊神の手をつかみ、ひきとめた。
「いいのですか」
ますます隙だらけになって無駄口をたたきながら、龍神は突如、勝利を確信した者の熟れた香りを放ち始める。
破壊神は思わず、考えた。いくらなんでも今なら、この相手の腕の一本を斬り落とすぐらいは、安全にできるのではないだろうか──?
しかしメイの身体に憑いた龍神は、身の危険に気づいたふうもなく、ささやく。
「貴方がお逃げになれば、私は残った者を皆殺しにしますよ」
そのとたん、どういうわけか破壊神は動けなくなった。
あまりにも意外で、一瞬、なにが起きているのかわからない──
瞬間、龍神はメイの身体に憑いたまま、素手のひと突きで破壊神の胸を貫いた。
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