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 バカだなあ。

 恥ずかしさと寂しさがごちゃまぜになって、胸がぱんぱんに張り裂けそうだ。

 本当のところは、分からない。私がそうだって思うだけだから。

 だけど渡真利先輩の反応を見れば、間違ってもいないだろう。少なくとも先輩と担任は、私に隠れて話くらいはしているはずだ。

 それなら私の名前を正しく知っている説明にもなったし、先輩が構う理由も分かりやすい。教師から頼まれれば、面倒な後輩の様子くらいは見るだろうから。

 先輩の前から逃げ出して、行き着いたのは空き教室だ。教卓の下にうずくまり、見えない何かにじっと耐えた。

 暗い場所で一人切りみたいに、寒い場所でただ立ち尽くすしかないみたいに。体を押し潰すような冷たさが、心細さと不安になって全身にしみ込むようだった。

「武谷」

 ぎくりとした。無意識に小さく体がはねる。

「中庭で、渡真利にキレたんだって?」

「……お説教ですか? 飯出先生」

 この声は、そうだと思う。

「うーん、あいつ女子にモテ過ぎだからなー。何て言うの? 良い気味?」

 先生だよね? そこにいるの。

 何をポップな口調でドロドロの本心をもらしているのかと、教卓の端から顔を出す。すると生徒用の席に座って、ひらひら手を振る黒メガネ。笑う担任と目が合った。

 教師って、こう言う感じでいいんだっけ?

 軽さに首をかしげていると、今度はあちらが問い掛けた。

「それで? 何がそんなに嫌だったんだ?」

「別に……いえ、そうですね。私だけ、バカみたいに何も知らずにいた事ですかね」

「何それ」

 その辺りに触れるのは気が進まないが、本当に分からないなら仕方ない。

 渡真利颯介に、私の様子を見ているように頼んだでしょう? そう問う事で、質問に返す。すると、きょとんとしていた黒メガネはきょとんとしたまま言い放った。

「バッカじゃねえの、武谷」

「仮にも昨日死に掛けた生徒に、その言い方はないと思います」

「いやー、でもさー。やっぱバカだわ。しっかりして見えるのになー、武谷。意外意外」

 何だろう。軽薄にバカにされ、話を聞く気がいっぺんに失せた。だが担任の話は勝手に続き、そして思いのほかに驚かされる。

「屋上から飛ぼうとした生徒をそのまま帰す訳ないじゃん。渡真利にも頼んだけど、俺も昨日は武谷の家まであとつけてたよ」

「見て下さい、先生。ジンマシンです」

「武谷、それは鳥肌だから。いや、変な意味じゃなくてね? 電車通学だし、線路にでも飛び込まれたら困るしさー。ちゃんと家に入るまで、ひやっひやしてた」

 ひやっひやどころではないような気がする。多分、これがバレたら処分される。先生的に物凄く、処分される。

 ……分からない。

「保護者に連絡するとかでしょう、普通」

 昨日、屋上で見付かった時点でそうなっているはずだった。面倒が嫌でうやむやにしたのかと思っていたが、今の話だと、もっと面倒な事になっている。

「武谷は、運が良いと思ったんだよ」

 飯出先生の顔が少し、嬉しそうにゆるむ。

「運、ですか?」

「気に入らない気持ちも解るよ。教師に言われて嫌々相手されてたとか、そう言う話だったりしたらさ。けど、違うから。あいつ、自分で言い出したから。そこだけよろしく」

「は?」

「何て言ったと思う?」

 その時の事を思い出したのか、黒ぶちメガネの奥で目が完全に笑っている。

「大丈夫なんですかねー、とか。渡真利もすっとぼけてるからさ。飛び降りようとしてるバカが大丈夫な訳ねーだろバカっつった訳。そしたらさ、じゃあ僕が何とかします。って」

 そう言ったのか? 本当に?

 一瞬にして血の気が引いた。

「バカですね!」

「だろー? もー本気でバカだから、逆に行けそうな気がしてさ。あんな奴が、他の誰でもなく、お前を助けたいって言ってるんだぞ。ほら、運が良いと思わないか?」

 何を考えているんだ、このバカメガネ。

「冗談じゃないですよ! もし私が帰ったあとで死のうとしてたら? 死んでたら? どうするつもりだったんですか!」

「いや、それも一応考えてたけど。渡真利がさ、武谷に明日の約束させたから大丈夫だって言うし。じゃー大丈夫かなーって」

 それはもしかして、パンの話か。……大丈夫な訳ねえだろ、この真正バカ!

 勝手に人生賭けるとか、本当やめて。

 もし私が死んでたら、バカ二人とも終わりでしょ? 取れない責任押し付けられて、まわりに死ぬほど責められたんでしょ?

 あー、死ななくてよかったー! と心の底から思うけど、セーフ! みたいな感じがするからこれは何だか違う気がする。

「武谷さー、何かスゲーバカにした顔してるけど、一番バカなのお前だからね」

「バカメガネとバカ男爵には勝てる気がしません」

「バカメガネって俺か」

 ついうっかり声にしてしまった悪態に、担任は「否定はしないけど」と言って笑った。

「自殺は罪悪だよ、武谷。知らなかっただろ」

「知ってますよ。間違ってもほめられた事じゃないってくらいは」

「て言うか、恩を仇で返しまくる死に方だから。自殺は人を傷付ける。大切に、愛してくれた人ほどズタズタに。その人の中に残った自分の全てが毒に変わって、名前を呼ぶのも思い出すのもその人に取っての苦痛になるんだ。自殺は罪悪だ。しかもその罪を償うのは自分ではなく、自分を苦しめた人ですらなく、自分を大事にしてくれた人なんだ」

 最悪だろ?

 そう言って、飯出先生は泣きそうに笑った。

「お前は昨日、自分だけじゃなく俺と渡真利も殺し掛けたよ。そしてそれと同じ理由で、自分だけじゃなくて俺と渡真利を生かしたんだ。だから、……ありがとう」

 ありがとう。――この言葉がこんなに重く、こんなに苦く響くとは知らなかった。

 自分が泣いていると分かったのは、誰かが私の顔にハンカチを押し付けたからだ。

 どれくらい時間が経ったのか、先生の姿はすでにない。代わりに、慌てたように驚いている渡真利颯介がそこにいた。

「何で泣いてんの? 痛いの? 悲しいの? 手首でも切ったの?」

「それ、ジョークですか。本気ですか」

「僕はいつでも本気の男だよ!」

 何だ、冗談か。よかった。本気なら殴ってやろうかと思ってた。

 渡されたハンカチでぐしぐしと顔を拭き、座り込んでいた教壇から立ち上がる。教室の中には私と先輩だけらしい。

「あの、先輩」

 呼び掛けて、自分には言葉がない事に気付く。ごめんなさい? ありがとう? もうしません、も違う気がする。

 と言うより、それは私が信じられない。

 もうしません。――本当に? だって昨日は、あんなに簡単に捨てようとした。命を自分を明日を全てを。

 自殺は罪悪だと、教えられたのはついさっきだ。その通りなのだろうと、胸が痛むほどしみ込んだ。

 だけど、分かったつもりでも。不安になる。

 もう大丈夫なんて事は、一生思えないような気がした。

「先輩」

「ん?」

「もしも私が……本当にダメになったら、逃げて下さい。今回みたいに賭けたりしないで、お願いですから、逃げて下さい」

 しぼり出せた言葉は、それだけだった。

 私には自信がない。私は私を信じられない。いつか、自分を含めた全てのものを裏切ってしまうような気がする。

 だから、逃げて欲しい。私の身勝手で、少しでも苦しめたりできないように。

 手首をつかまれた。つかんだのは、渡真利颯介だ。大きな手だと思った。

「知らない」

 怒ったように言って、先輩は歩き出した。私はぐいぐい腕を引っ張られるまま、その制服の背中を追い掛ける。

「ダメです。私は、ダメなんです」

「知らないよ。何で自分を駄目とか言うの」

「自分でそう思うからです」

「馬鹿なの? あ、ごめん。馬鹿だったよね」

 立ち止まり、振り返る。どのタイミングでも整った、渡真利先輩の顔があきれていた。

「自己評価なんて、担任にでも食わせなよ。ブサイクでもイケメンみたいな格好してればそれなりにモテるし、馬鹿でもメガネ掛ければ賢そうに見えるよ。自信がなくても、みんなそう言うフリしてんじゃないの?」

「え、先輩もイケメンのふりですか」

「僕は間違いなく本物ですけど!」

 言った瞬間怒られた。いや、今のは完全にそう言う流れだったはず。

 意味分かんない! と憤りながら、先輩は再び私の手を引いて歩き出す。

「武谷だって、何が悪いのか解んない。そりゃ馬鹿だけど、律儀で真面目で一言言ったら十個返してくるくらいの負けず嫌いなとこもあるよね。そう言うの、面白いと思うけど」

 ああ、そうだ。と。思い付いたと言うふうに、先輩が笑いを含んだ声で言う。

「じゃあさ、こうしようよ。僕を信じるの。武谷を悪くないって思ってる、僕の事を信じてみてよ」

 一瞬息の根が止まり掛けたが、考えてみれば渡真利颯介もバカの一種だったと思い出した。つめていた息をほっと吐く。

 イケメンって恐い。私みたいな人間に、信じろなんて言ったらダメだ。

 だけど、そうか。軽い言葉だと分かっていても、それでも救われたような気持ちになるから。私が一番バカなんだろう。

 引かれているのと逆の手で、涙を拭いて口を押える。そうしないと、どうしようもなく泣いていると気付かれてしまいそうだった。

 渡真利颯介は明日をくれる。

 私の世界に朝がくるのは、きっとこの人のためだけだ。そんな事を、思ってしまう。

 相変わらず、私に歩調を合わせるつもりはないらしい。すたすたと先に行く背中で、渡真利先輩は話し続けた。

「今、大変なんだからね。パンぶつけられたの僕なのに、武谷に何したんだって基也とかすごい怒るし。ほんと意味解んない。責任取って欲しいんだけど」

「すいません」

 謝ってから、思い当たる。では先輩は、あれから私を探していたのかも知れない。

「午後の授業をさぼらせましたね」

「別にいいよ。どうせ今日は寝てるつもりだったし。て言うか昨日、武谷の家の前でずっと張ってる方がキツかった。僕、刑事とか探偵とかには絶対なんない」

「……先輩。今の部分をもう一度」

「刑事とか探偵に」

「そう言うベタなのはいいです。私の家の前で、ずっと張ってたって何ですか」

「いや、大丈夫とは思っててもやっぱり心配じゃない? だから、ほら。張ってたよね。朝まで。朝イチで武谷が出てきた時には超ほっとした。て言うか何でまた泣いてんの?」

 立ち尽くし、両手の中に顔を伏せる。

 空き教室と準備室の扉ばかりが並ぶ廊下で、私はどっとふり注ぐ疲労感に打ちのめされた。

 とりあえず昨日、先輩からの電話が玄関入った瞬間に掛かってきた理由は分かった気がする。できれば、知りたくなかったが。

 担任が、私が帰宅するまであとをつけていたとは聞いていた。しかしそれに渡真利先輩が同行し、そしてうちの前で朝まで張っていたと言うのは初耳だ。

「見て下さい、先輩。ジンマシンです」

「武谷、それは鳥肌って言うんだと思うよ」

 自分の目の前にいる人が、ほんの数分前、僕を信じろと紛れもないイケメンのセリフを吐いたとはとても思えなくなっていた。

 リア充はホラーだ。私の理解を超えている。


   (了/Copyright(C) 2013 mikumo. All rights reserved.)

最後まで目を通して頂き、ありがとうございました。


本作品は他サイトにて2013年11月初出、2014年10月30日小説家になろうへ移植と言う形になります。

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