一ミリ(2)
それでも結局、いつの間にかまた食堂で釈来さんと会う日々が始まっていて。
腐れ縁とは的確すぎて、この言葉を作った人に感服する。
ある日、釈来さんは唐突にこんなことを言った。
「動物でも飼わないの? ハムスターとか……」
言いながら釈来さんは笑って続きを言えなくなる。
こういう笑顔と笑い声が、俺は──。
「失礼ですね、言いながら笑うなんて」
まだ釈来さんは笑っている。こんなに笑ってくれるのなら、いっそのこと飼育してみようか──なんて思っていたら。
「ごめんね。でも、似合わなさすぎて」
「飼いません」
「寂しくないの?」
ふと、頭に浮かんだ姿は──最期の姿で。
ああ、やっぱり駄目だと身内のような人を失ったときを思い出す。
「多分、俺……苦手ですから」
嘘も方便だ。
すると、釈来さんは想定外な物言いをした。
「まぁ……ハムスターはね。私も飼育しづらいかもしれないわ」
たとえが悪かったというように軽く謝られてしまった。
また別の日は、『言われる日がくるとは微塵も思ってもいなかった言葉』を再び言われた。
周囲には聞こえなかっただろうか──なんて考えられるほど、今回は冷静だ。だから、多少頭が動く。
「釈来さんがそう言う理由は、わかっています。ただ昔からの仲だからです。要は、いい意味でも悪い意味でも、俺は釈来さんを知っているからです」
「そうね、そうかもしれないわ」
肯定に、心がズキリとした。
しかし、一転。釈来さんは困ったように微笑む。
「駄目かしら?」
それはずるいと言いたくなる──が、そう言えはしないので、多少言葉を変換する。
「駄目ですね。俺に甘えようとするなんて」
最初からこう言えばよかったんだ。
答えは、何ともかんたんで、単純な発想でよかった。
なのに──。
「幸せになってください」
ポツリと本音がもれてしまって。
「俺で、妥協しようだなんて……思わないでください」
ポツリポツリと、こぼれてしまう。
このままでは、言ってはいけないことまで──そう思っていたら。
「酉惟さんって……」
ドキリとして、釈来さんに釘付けになる。すると──。
「いつまでも敬語、崩れないわよね」
よかった、というべきか。
よくなかった、と落胆を戒めるべきか。
心が揺れる。
「それは、釈来さんは俺にとって……」
俺にとって、釈来さんは──ハッとして、気を持ち直す。
「上司だったからです」
余計な発言をしなくてよかったと、出るだけの言葉を並べる。
「今まで長い間、俺と釈来さんの関係は、部下と上司でした。……これからも先輩と後輩という間柄は変わりません。ずっと……。だからそれ以上でも、それ以下でも、ありません」
そうだ。
いくら職位が並ぶとしても、上司と部下ではなくなっても、釈来さんが先輩であり、俺が後輩であることは──永遠に、変わらない。
変わらないのに、なぜか釈来さんが項垂れた。
「そこまで言われると……さすがに寂しいわ」
確かに、釈来さんには弟のように面倒をみてもらった時期もあった。けれど俺にとっては──『弟』と位置付けされるほど辛いものはない。
「酉惟さん」
寂しそうに呼ばれると、それはそれで辛いものもあるけれど、嫌なものは嫌で。俺にだって許容できない事柄もあるわけで。
それなのに、釈来さんときたら、
「今でも……悠李さんが、好きなの?」
こんな明後日の方向の言葉を投げかけてきて──まったく、どんな勘違いをしているんだいつまでもと、思わず返したくなる。
「そうですよ」
悠李さんは物心付く前から俺の面倒をみてきてくれた人で、母のようであり、姉のような存在──俺の中では。他の視点なんて持ち合わせないのに、悠畝前君主といい、釈来さんといい、どうして十五歳近くも年上の人に好意を持つと思うのだろう。
そうか、だから俺は悠畝前君主に敵視を向けられたのか。それこそ、息子のように、弟のように俺を悠李さんはかわいがっていたから。
「昔っから俺の好きな人は、ずっと悠畝前君主のことしか見ていない人です」
こう言ったところで、俺の気持ちは釈来さんには一ミリも届かない。
──のは、本当だと安心するような、呆れるようなできごとは、また後日に起って。
久しぶりに書類を届けに釈来さんの研究室に足を運べば、
「酉惟さんが、私じゃ妥協できないのよねぇ……」
こんな一言が聞こえて、思わず足が止まった。
「酉惟さんにね、配置換えが決まってから……『結婚しよっか』って何回か言ったんだけど、即答で断られるのよ」
身を隠してしまったが、一体誰と話しているんだろう。
「肉親がいないから、寂しいだろうと思ったんだけどね……」
ズキリと全身に突き刺さる。
やっぱり釈来さんにとって俺は、腐れ縁であって──。
「酉惟さんとお母さんって……」
話していたのは馨民ちゃんだったか──と納得していたら、
「違うの。弟っていう感じだったわね」
グサグサくる一言に、このまま書類を持ち帰ろうか──なんて考えてしまう。
俺は釈来さんにとって、恋愛対象にはなれない。
わかりきっていたし、もうそれでいいと思い知っていたし、もう言えない状態にまでなっているというのに──どうしてこんなに、苦しいんだろう。
「生き物の世話が苦手なのかなって昔から思っていたんだけど、馨民のこと、よく面倒みてくれたし……今でもみてくれているでしょう?」
「うん」
知ってほしいと、未だに心が疼いている。
「でも、小動物を飼ってマメに世話する酉惟さんって……想像すると何かおかしいでしょ?」
「ふふ……そうかも」
嫌われても、軽蔑されても──いいから。
「動物……飼えなかったんじゃないかしら」
でも、それは──俺が単に楽になりたいからじゃないのか。
「酉惟さんは、身近な人を幼すぎるときに……何人も亡くしたから」
釈来さんは本当に──ごく一部を除き、俺をわかってくれている。
だから余計に『一ミリも』なんて思ってしまうんだろう。
『一ミリでも』知ってほしいと、未だに願ってしまうんだろう。
言えないことが、俺の罪の重さで。言わないことが、俺の償いだ。
釈来さんからの提案がどんな理由であれ、到底首を縦に振ることなんかできやしない。
昔、職位が並べば──少しは釈来さんに並べるんじゃないかと、夢を見た。
『弟』から脱出できるかもしれないと、絵空事を描いた。
でももう職位を並べたいなんて望んでない。釈来さんが成果を出し続けるのが最優先で、その補助をする以外に望むことなんてない。
『まさか、隠して都合のいいようにそばにいよう……なんて思ってないよね?』──悠畝前君主の、言う通りだ。
今はただ、俺が何も結果を出さなければ──また釈来さんの助手に戻る理由が手に入ると想像している。




