二度目の恋の始まり<後編>
聞こえてきた声に捷羅は固まる。背後からの声は、そう、苦手とする者の声。
「沙稀!」
姫のかわいらしい声が歓喜を伝えてくる。捷羅は手をひっこめ立ち上がる。
護衛は大陸の雰囲気に合わせてか、祝いの席に合わせてか。軽装備の甲冑を解き、肩に黒いラインの二本入った白い詰襟のジャケットを着ていた。姫に笑顔を返していたが、次の瞬間、
「失礼します」
言ったと同時、捷羅の右腕はつかまれる。
ゆるく束ねられた長い髪から垂れる、鎖骨まで届く美しいリラの髪も去ることながら、腰にしっかりと持つ長剣に目がいく。
「恭姫に、何か御用でしたか?」
さすがというべきか、護衛の目は行き届いていたようだ。笑顔の沙稀に対し、捷羅の背筋は凍る。
「いえ……かわいらしい方ですので、ごあいさつに」
最高位の姫に別の人のことを聞こうとしたとは、口が裂けても言えない。
「そうでしたか。以前にもお伝えしたと思うのですが、恭姫には触れようとしないでいただきたい。大切なお方ですから」
二度目の忠告を受け捷羅の腕は解放されたが、もはや沙稀の顔は見たくない。捷羅は笑うフリをして目を閉じる。そうして場を持たせていると、
「あ~、もう!」
と、聞き慣れた低音が近寄って来た。救いに船とは、正にこのこと。双子の弟だ。
「申し訳ありませんでした。すぐに連れて行きます」
兄を恥と言わんばかりの言葉だが、捷羅は安堵する。護衛と弟は、仲がいいと知っているから。
弟は頭を下げ、捷羅の左腕を引っ張る。捷羅は懲りずに恭良に微笑み、弟に引きずられるように会場をあとにした。
「本っ当にああいうことは止めてくれよな、兄貴」
短気な弟のこういう態度はいつものこと。むしろ、城外な分、大人しい。
「羅凍、悪かった。……ほら、戻らない?」
まったく反省していない。弟には助けてもらった礼を言いたいくらいだが、一先ずはご機嫌取りだ。
羅凍は疑いの眼差しを送る。
「もう……しない?」
「はい」
待ってました! とばかりに捷羅は笑顔で即答。その様子に羅凍はため息をつく。
「戻ろ」
決して、兄を信じたわけではないだろう。反省を促すのが間違いだと思ったのか。羅凍は会場へと戻って行く。
弟は美形と名高い父によく似ている。いつからか、弟の方が背が高い。気を引き締めるように高く一本に結わかれた髪。艶やかな漆黒の髪と瞳は、女性が一目見て虜になる。顔に似つかない低音な声も、一声聞けば心地よさに囚われるのだろう。
双子なのに、気質もまるで違う。
捷羅は羅凍に駆け寄り、すこし屈んでのぞき込む。
「気になる女性がひとりいるんだ」
「珍しいね。ひとり、だなんて」
冷たい言葉に、捷羅はごまかすように笑う。
「恭良様の他にも、クロッカスの髪の方がいらしただろう?」
「ああ、凪裟のこと? そういえば兄貴は知らないんだっけ。鴻嫗城の研究術士。今は取締役で……」
「凪裟さん、か」
羅凍は、しまったと足を止める。引きつった表情が後悔を物語っている。一方の捷羅は満面の笑み。
「ありがとう」
先ほどの救済の礼も兼ねて。
捷羅はうれしさを隠さず、会場へと一足先に戻る。羅凍が自己嫌悪に苛まれているとは思わずに。
捷羅は『凪裟』を探す。他の女性たちにあいさつで軽く手を振りながらも、目的はひとり。
一瞬だったが、しっかり特徴と顔を覚えている。恭良よりも長いクロッカス髪。肩より下、腰よりは上。横髪の一部を下で束ねていた。
クロッカスの髪と瞳は高貴な血筋を継ぐ証。けれど、ドレス姿ではなく。白のジャケットとタイトなミニスカート姿だった。
羅凍が言っていた。彼女は宮城研究施設の取締役だと。研究術士として来ていて、姫としては生きていないのか。
ふと、捷羅は走る。二度と見失いたくなくて。
「凪裟さん、ですよね?」
突然知らぬ声に呼び止められたからか。彼女はグラスを落としそうになった。助けようと伸ばした手は一歩遅く、彼女は自力でグラスを持ち直す。
「あ、はい」
普段ならこの隙に手に触れただろう。しかし、留まる。
大きく見開かれたクロッカスの瞳に捷羅が映っている。戸惑う様子に捷羅は微笑んだ。
「初めまして。私は梓維大陸、羅暁城の捷羅と申します」
胸元に手をあて、ていねいに一礼する。下でまとめる漆黒の髪が、前に垂れる。
「あ……初めまして! 鴻嫗城、宮城研究術士の凪裟です」
グラスを両手で持つ凪裟のあいさつはぎこちない。慌てて頭を下げたと伝わる。整った服装と落ち着いた声に対し、凪裟の様子はどこか幼い。顔を上げた凪裟は、わたわたと口を開く。
「もしかして羅凍の、あ……羅凍様のお兄様、ですか?」
羅凍から凪裟の名を聞て来た。ふたりは仲がいいのかもしれない。鴻嫗城の姫の護衛と仲がいい羅凍だ。同じように凪裟と交流があってもおかしくない。
困惑気味の凪裟は、とてもかわいらしく見えて。口元がだらしなく緩むのを必死に抑える。
「はい。羅凍とは双子で、私が兄です」
声が弾む。しかし、凪裟の返答はない。呆然と遠くを見ていると思った矢先、彼女は上半身を右に傾けて笑った。
「あ」
手を振り始める。誰に向けたものかと捷羅は後方を見た。直後、目にしたのは、
「兄上……ここにいたんだ。探したよ」
苦笑いした羅凍。捷羅は凪裟に向き直し、
「凪裟さん、よろしければ一緒にいらしてくださいませんか?」
と誘う。そこへ、ふわりと真紅のマントが凪裟の姿を隠す。──羅凍だ。
「ごめんね。兄上って『いつも』こうなんだ」
羅凍越しに、凪裟のくすくす笑う声が聞こえる。
「いいよ。じゃ、またね。私、恭良様のところに戻らなくちゃ」
足音が聞こえ、捷羅は一目だけでもまたその姿を見ようと一歩下がる。
すると、凪裟は振り返った。目が合い、表情をやわらかくさせる。その気遣いに、捷羅は無理に追いかけようとは思えなかったのか。遠のく姿に笑顔で手を振る。
「凪裟さんって、かわいらしい方だね」
捷羅の振る手は止まらない。
羅凍はその光景を微笑ましく見れず、送る視線は冷たい。
「兄貴って、わかりやすいね」
呟く弟の声は通り抜け、残るはかわいらしい彼女の笑顔だけ。
捷羅は城に戻っても彼女の笑顔が残り、もう一度話がしたいと筆を取った。それが、一度目の手紙だった。




