第7話 ポジションコンバート
突如こちらへ向けられる矛先。
冤罪も甚だしい。僕は常日頃、できる限り誠実であろうと努力している人間だぞ。慎み深く生きているのだ。にもかかわらず濡れ衣を着せられては、流石に腹が立つ。
そもそも、この記録はどこぞの陸上部員のものなのでは?
僕はあくまで、事実を見抜いた探偵役のはず。
「兎和、一番下までスクロールしてみろ。なんて書いてある?」
「えっと、『走者・白石兎和』……あれ、これ僕の記録?」
呆れたような表情の永瀬コーチに促され、タブレットの画面をスクロールすると下部に自分の名前があった……よく思い返してみれば、二週間ほど前に部活で計測したデータと似ていなくもない。
僕はCチームのベンチメンバーを目指す『意識低い系サッカー部員』なので、重要度の低い数字なんて薄っすらとしか記憶に残っていなかった。
「これまでフィジカル測定の記録をいい方へ改ざんする輩はいたが、まさか手抜きしたものを公式に提出するとは。まったく動機がわからん」
「あ、いえ……その、手抜きしたわけじゃなくて……」
「今さっき自白してたじゃねーか」
違います、誤解なんです……確かに全力でトライしたかと問われれば、否と答えざるを得ない。すべて『トラウマ』のせいだ。
しかしどう弁解したらいいのかわからず、「あうあう」と言葉に詰まって余計に不信を煽る始末。
永瀬コーチの眉間のシワが事態の深刻さを物語っているようだ。探偵気分から一転して犯人気分である。
「失礼いたします。ご注文の品をお持ちしました」
僕が考えあぐねていると、店員さんがやってきて頼んだドリンクをテーブルへ並べていく。
願ってもないタイミング。おかげで話は途切れ、束の間ブレイクタイムが生まれた。この間にどうにか心を落ちつかせないと。
僕はひとまず「いただきます」と言って、湯気を立てるコーヒーカップに口をつけた。
ああ、美味しい……そういえば、コーヒーの香りにはリラックス効果があると聞く。ならば、怒りを沈静化させることも可能なのでは?
神園美月はホットミルクティーを頼んだが、永瀬コーチの前には都合よく同じホットコーヒーが置かれている。いわゆるアンガーマネジメント的な効果を期待しよう。
僕は手のひらで示しつつ言う。
「永瀬コーチ、まずはコーヒーをどうぞ」
「俺の奢りだろーが。言われなくても飲むっての」
なるほど。コーヒーで収まる程度の怒りではないということか……まずいな、もう他に打つ手なしだ。
状況はいきなり撤退戦さながら。こうなれば可能なかぎり相手を怒らせない言葉選びをして、被害を最小限に抑えつつこの場を切り抜けるしかあるまい。
「それで、手を抜いた理由は?」
「えっと、一応は自分なりにできる範囲で可能な限り頑張ったつもりのはずだったのですが……」
「あァ?」
ヤバっ、火に油を注いでしまったみたい。日本語って本当に難しい。この反応を見るに、言い訳をこねくり回すのではなくシンプルに回答すべきだった。
「あの、30メートル走の測定だけ一人だったから……それに、測定係も神園さんだったし」
「なんで一人だとタイムが良くなるんだ? 意味がわからん。聞いてやるから説明してみろ」
永瀬コーチに続きを促されたので、どうにか最小限のお怒りで済むよう、僕は必死に頭の中で言葉を整理する。
あの日は、関係最悪の白石(鷹昌)くんとペアを組まされた。そしてトラウマの影響で体が思うように動かず、一緒に行う種目では彼の動き出しを目視してからでないとスタートできなかった。
ところが、30メートル走の測定だけは一人ずつ実施された。さらに偶然の機材トラブルが重なって永瀬コーチがその場を離れ、代わりに神園美月が計測係を務め――驚いたことに、彼女の視線は僕のトラウマを刺激しなかった。
記憶する限り、僕が人前で全力疾走できたのは小学生の頃以来である。
「なるほどわからん。どうしてお前が、鷹昌に気を使わねばならんのだ」
「それは、別に白石くんだからというわけではなく……」
問題の根っこは、ジュニアユース時代に刻まれたトラウマにある。
当時所属していたチームでもフィジカル測定を度々実施しており、かつては僕も全力で取り組んでいた。しかし一緒にトライしたチームメンバーから、『ズルぼっち』だの『不正モブ』だの『ウソつきポンコツ』だのとバチボコに叩かれた。
もちろん僕はズルなんてしていない。だが、同様の『イジり』は執拗に繰り返された。以来、人の視線があると萎縮するようになり……周りの反応が怖くて、不可視の鎖で締め付けられたみたいに体の動きが鈍るのだ。
「よくわからんが、メンタルの問題ってわけか?」
トラウマに関しては両親にすら打ち明けていないので、可能なかぎりボカして伝えてみた。そのせいか、永瀬コーチは納得のいかなそうな表情を浮かべている。
「やっぱり計測ミスじゃなかったのね」
ここで、初めて神園美月が話に加わってきた。何やら得心したように笑みを浮かべている。
うっかり見惚れそうになるが、今はそんな場合ではない。僕はきゅっと唇を噛みながら気を引き締め直す。
「俺は機械の誤作動かと思っていたんだけどな。美月のお手柄だ」
永瀬コーチ曰く、僕のタイムに疑いを持ったのは彼女だったらしい。
どうして部外者がサッカー部の個人情報を閲覧可能だったのか、という問いに対しては本人自ら弁明を行った。
「私の祖父って、サッカーが大好きなの。贔屓チームのシーズンチケットを毎年かかさず購入するほどでね。今でも家族をつれて、頻繁にスタジアムへ足を運んでいるわ」
「あ、うん……うちの部のメインスポンサーになるくらいだから、かなり好きなんだろうね」
「そうなの。でね、実は祖父の影響で私もサッカーが好きになったのよ。だから、栄成サッカー部のフィジカル測定の結果にとても興味があって」
本人もサッカー好きのうえわりと詳しく、自分の学校のサッカー部、それも同級生の身体能力を知りたくなったそうだ。そこでPC操作が苦手な永瀬コーチに対し、データ整理のお手伝いを志願したらしい。
そういえば彼女、フィジカル測定の際もあっさりと測定係を任されていたっけ。謎の信頼関係を訝しく思ったが、親戚だと聞いて納得である。メインスポンサー孫娘でコーチの血縁ともなれば、まったくの部外者とはいい切れないだろう。
それにしても、サッカー好きの女子高生とは珍しい。僕としては、もっと同年代の女性サポーターが増えてほしいと切に願っている。その方が青春っぽいイベントの発生確率が上がりそうだし。
けれども今は、神園美月がサッカーに詳しかったばっかりに、と思わないでもない。
「それで本題だが……兎和、お前はクビだ!」
「そ、そんなっ!?」
お叱りをすっ飛ばしていきなりの退部勧告。
あまりの厳しい処罰に、僕は思わずコーヒーカップをひっくり返しそうになった。
トラウマのせいで部活をクビになりました……なんて両親に説明できるわけがない。どんな事情であれ、すごく悲しませてしまう。
しかも僕はサッカーを通して進学している身なので、学校生活自体に支障をきたす可能性大である。この先、校舎の片隅で小さくなって過ごすことを余儀なくされるのだ。
ああ、露と消えにし青春スクールライフ……絶望の高校三年間の幕開けだ。
「もう、イジワルな言い方しないで。白石くん、びっくりして声も出なくなってるじゃない」
「わはは、手抜きしたバツだ。焦ったか? 実はポジションのコンバートを検討している。だからクビになるのは、サッカー部じゃなくて『SB』の方な」
悲惨な学校生活の走馬灯を打ち破ってくれたのは、神園美月の声。
永瀬コーチは、してやったりといった表情でめちゃ嬉しそう……お願いだから、心臓に悪い冗談はやめてほしい。
それはさておき、本題は部活関連――コンバートについて。
僕の現在の主戦場は『SB』。自由にプレーするスペースの少ない現代サッカーにおいて、攻守両面で関与する重要な役割として近年存在感を増している。
そんなポジションからの転向……つまり、『戦力外通告』に他ならない。
「やっぱり、僕のプレーに不満があったんですね……」
ここにきて、ようやく永瀬コーチの視線の謎が解明された。あれは、お前に不満を抱いているぞ、というメッセージだったのだ。
緩慢な動作でコーヒーを口に含むと、舌の上にじんわり苦みが広がる。
僕はこの味を知っている……挫折の味だ。何度味わっても新鮮に感じるから嫌になる。
「……実力不足ならやむを得ないですね。次のポジションは『CB』とかですか?」
サッカー育成年代あるあるの一つ、前から後ろへのコンバート。
人気の高い『FW』や『MF』希望者も多く、敗北者が不人気のディフェンスへと回されていく。場合によってはGKを任されたりもする。
断っておくが、ディフェンダーはとても偉大だ。勝敗に直結するため責任は重く、評価は辛口。強靭なメンタルがなければとても務まらない。
中には素質を買われ、率先してディフェンダーを目指す選手もいる。ただし絶対数は少なく、前線から弾かれた選手が穴を埋めるように転向させられていくのが実態である。
つまりポジションコンバートには、劣等感を刺激する針が多量に含まれているのだ。順応できずに心折れる選手だっている。
かくいう僕も、最初はFWでプレーしていたクチだ。ジュニアユース時代にずるずる後ろに下げられ、今のSBを最後の牙城と位置づけてやってきた。
これより後ろとなればCBしか残っておらず、少し気弱な僕にはまず務まらない。
残すは『GKゴールキーパー』くらいのもの。しかし栄成サッカー部では高身長にのみ許されたエリートポジションなので、端から選択肢にない。
これで僕に務まるポジションは消滅。ゆえに、コーチの提案は遠回しの『戦力外通告』へと至るのだ。
胸が苦しい……僕はサッカーを諦めた人間なのだから、傷つくのはお門違いかもしれない。それでも、自分を否定されたようで耐え難い心地になる。
「いや、なんでCB? 兎和には前線を任せようと思ってるんだけど。基本は『SH』、場合によっては『WG』を兼ねてもらう」
「……え?」
暗い予想が外れ、僕は顔を跳ね上げた。
永瀬コーチから提示されたのは、人気の高い攻撃的なポジションだ。一口にMFといっても配置で役割が異なり、それぞれ特徴にあわせた名称で区別されている。
サイドアタッカーとも呼ばれ、現代サッカーにおいて攻撃の中核を担うことも珍しくない。同ポジションを主戦場とする世界的プレーヤーも多い。
「そもそもお前、ディフェンスに向いてないよ。声出して仲間とコミュニケーション取らないし、守備で大事なコーチングも下手だし。何より気の利いたプレーをしないだろ」
散々な評価だ……はっきり言ってディフェンダー失格である。
自分では無難にプレーにしてきたつもりだったけれど、これでよくセレクションに合格できたな。
「ああ、それな。豊原監督と、ブルースターのスタッフさんが長い付き合いなんだよ。それでどどうしてもってな」
ブルースター。僕が中学卒業まで所属していたチームのスタッフの一人が、栄成サッカー部の豊原監督と旧知の仲らしい。
どうやら僕は、コネ合格者だったようだ……あまり知りたくなかった事実である。
ここで永瀬コーチは一度コーヒーに口をつけ、話を本題へ戻す。
「サッカーは『流れ』のスポーツだ。点を決めるべきときに決めなければ負ける。そしてずば抜けたアジリティは、試合を決定づける切り札たりうる。だから兎和の才能はもっと前で、よりゴールに近い位置で発揮されるべきだと俺は判断した」
言葉が出てこない……代わりに涙が出てきそうだ。
両親以外で、こんな僕に高評価をくれた人は今までいなかった。耳に届くのはいつだってネガティブな言葉と決まっていて、段々と体から自由が奪われていく様を黙って見ていることしかできないでいた。
「ちなみに、コンバートしようと言いだしたのも美月だ。理由を聞いて俺もすぐに賛同したけどな」
「神園さんが……?」
「白石くんが走るところを見て、私すっごく興奮したの! もしかしたら、未来のJリーガーを発見したかもって。サムライブルーのユニフォームを着ている姿まで想像したわ!」
青い瞳を輝かせて力説する神園美月の姿は、いつかの両親を彷彿させる。
僕が日本代表のユニフォームを着用するとしたら、一人のサポーターとして以外ありえない。過大評価しすぎだ。彼女、ちょっと思い込みが激しいタイプなのかも。
「でも、データ整理を請け負ってみれば記録はチグハグ。どう考えてもおかしいでしょ? この目で見た30メートル走だけは突出しているのに、他種目は軒並み平凡なんて。しかも永瀬コーチに聞けば『影の薄いSB』とか言うじゃない」
好奇心を満たすべくデータ整理を手伝ってみれば、自分の記憶と数字が噛み合わない。一瞬で看破したそうだ、記録の方こそ疑うべきであると。
「何か理由があって力を隠しているのかな、とも考えた。けれど、このアジリティを腐らすなんて絶対に許せない。前線へ配置すれば最高の武器になる。そう思って提案してみたの」
まさかこんな超絶美少女の思考に、僕という存在が登場する日が来るなんて感無量である。願わくば、サッカーと無縁のところで関わりたかったけれども。
「まあ、俺も今すぐ決断を迫るつもりはない。コンバートは、改めてプレーを確認したうえで正式に決定する予定だから。とはいえ、できるだけ前向きに考えてほしい」
担当するDチームに関しては一定の裁量権を与えられている、と永瀬コーチは付言する。
栄成サッカー部は大所帯ゆえに4チーム編成となっており、豊原監督が直接指導するのはAチームのみ。他は担当コーチが指揮官も兼任する。
当然ながら、永瀬コーチも試合で采配を振る。その際、戦術上のキープレーヤーとして僕の起用を考えてくれているようだった。
「わかりました。どうするか、しっかり考えてみます」
本来なら二つ返事で承諾する場面だろう。だがこの身は、青春の求道者として歩み始めてしまっている。何より『トラウマ』が足を引っ張るのは確実……期待に答えられるか否か、しっかり検討しなくては。
それでも人から評価される喜びを抑えることができなくて、ぬるくなったコーヒーを飲んで持ち上がる口角を必死に隠す。
「ああ、そうだ。言い忘れていたけど、お前はフィジカル測定やり直しだから。今度は手抜きすんじゃねーぞ」
「あ、はい……」
僕はすんと真顔になって返事する。
それからまた少し経つと、この場はお開きとなった。
自転車での帰り道、コンバートの件が頭から離れなかった。待ちわびていた部活オフの放課後は、違った意味で『メモリアルデー』して記憶に刻まれたのだった。
そしてコンバートへの回答を告げる機会は、意外にも早く訪れることになる。




