第201話
いやいや、ぜんぜん準備できてないじゃん……三鷹駅前のコワーキングスペースの個室で、僕は軽く絶望していた。
夏のインターハイ・東京2次トーナメント、決勝戦――激闘を終えた翌日の月曜、僕の所属する栄成サッカー部のAチームは部活オフとなった。流石に疲労困憊なので助かった。
そこで、目前に迫る期末テスト対策の勉強会が実施された……のだが、春先からの部活三昧で消耗しまくりの僕は、相当やばいレベルで勉強に支障をきたしていた。
有り体にいえば、授業中の居眠りや課題忘れを連発。しぶしぶ教科書を開いてみても、問題どころかテスト範囲すら曖昧で……普段から美月にサポートしてもらっておいてなおこのザマ。
現状は間違いなく赤点コース。最悪、全体夏合宿に参加できなくなる……サヨナラ福島Jヴィレッジ。
「でも、こっちにだって言い分があるんだ。部活が本当に忙しくて……週末はほぼ試合で、週の半分以上は朝練があるだろ。しかもほら、僕って暑いのが苦手だから余計ヘロヘロでさ。正直、勉強にまで手が回らないっていうか……」
カタカタカタ、とテーブルを挟んでノートPCを操作する美月に言い訳を重ねる。
他の皆はどうやって部活と勉強を両立させているのか、とわりと真剣に悩む。時間と体力に余裕がないにもかかわらず、いかにやる気を維持しているのか。
「まあ、気持ちはわからないでもないわ。今の栄成サッカー部の活動は、近年で最もハードだしね。部のフォロー態勢の拡充も追いついてないように見えるし……いえ、兎和くんたちの活躍が予想以上なのよね。歴代最高を更新して余りある成果グラフよ」
言って、青い瞳をこちらへ向ける美月。やっとこっちを見てくれた。
確かに、今年はほぼ文句なしの実績を積み重ねてきている。それに昨晩、決勝戦の応援に駆けつけてくれた相馬先輩から『お前ら最強!』と嬉しいメッセージをもらっていた。
今のチームは、部のマネジメントを上回る活躍を披露している。その一員であることは、素直に誇らしい。
「……そう考えると、僕が勉強できないのは仕方ないのでは?」
「そんなわけないでしょ、まったく……私がちゃんとサポートするから、少しは集中して勉強しなさい。兎和くんは、やればできるアホの子なんだからね」
「そっか、うん。頑張る……いや、待て。やればできるけど、僕はやっぱりアホなのか?」
ふふふ、とイタズラが成功したみたいに笑う美月。
誰がアホだ……と否定したいところだけれど、心当たりが多すぎて何も言えないぜ。
仕方なく教科書へ視線を落とし、シャーペンを握り直す。しかしそのタイミングで個室のドアが開き、また意識が逸れる。
「おまたせ、飲み物を持ってきてあげたよ。私を崇めるがいい」
ずいずいっと個室へ入ってくる涼香さん。ストローを挿したグラス3つをテーブルへ置くなり、ドサッと美月の隣のソファに腰掛けた。
彼女は本日、見慣れた芋ジャージ姿ではなく、キリッとしたパンツスーツスタイルだ。こうしてみると、完全無欠のクールビューティーって感じ。
というか、勉強会の日はなぜかこの格好がお決まりだ。
「涼香さんって、スーツ好きなんですか? いや、もしや……ついに就職!?」
「そうそう。私もいい加減頑張って働こうかなって……とか言うと思ったかい? 甘いな、私は一生ニートするって固く決めているの。それに最近、面白いソシャゲが多くて大変でね。ガチャを引く計画を練っているときが人生で一番充実しているわ」
「だと思いました……でも、別にいつものジャージでよくないです?」
「これをたまに着ると、結月さんが喜んでお小遣いをくれるのよ」
結月さん――美月のお母さんには、躾に厳しいイメージを僕は抱いていた。けれど、甘いところもあるんだな。とても優しい人だから、そこまで意外でもないが。
それにしても、いい大人がお小遣いって……プライドとか後ろめたさとかないのだろうか。
「涼香さんはもう手遅れよ。それに、うちの兄に任せるって決まっているしね。逆に、今さら社会に放流した方が世間様にとって大迷惑だわ」
再びタイピングしながら、あんまりなことを言う美月。
まあ、涼香さんも「その通り!」と同意しているし、旭陽くんも一筋だからな。お似合い過ぎる二人でもあるので、僕もそれがいいと思う。
とにかく、テスト勉強に戻ろう。
今回は……否、今回も美月大先生お手製の予想問題集に僕はすべてを賭ける!
そういえば、玲音や拓海くんたちも欲しがっていたっけ。ゾンビみたいな顔で必死に頼まれたんだった。後で美月にお願いしてみるか。
しかしシャーペンを走らせて数分、またも手が止まる。
目の前の美月は、いつも通り凛とした顔でノートPCに向かっている……昨日の決勝戦、僕は負けてしまったけど悲しんでないだろうか?
鷲尾くんを応援する片桐彩香さんの切実な顔がチラついて、どうにも気になってしまう。
「なあ、美月。泣いてない?」
「どうしたの、急に。泣いてないけれど?」
「ほら。昨日の試合、負けたじゃん……せっかく応援してくれたのに、悲しませちゃったかなって」
美月が少し目を見開き、動きを止めた。
それからすぐ、「片桐さんの影響かしら」と合点のいったような反応を示す。おそらく、あのときの彼女の涙を思い出したのだろう。
「もちろん悔しさはあるわよ。でも、インターハイ出場は確定していたもの。それより、兎和くんが怪我しないことが一番だわ。私たちが目指すのは、まずはJリーガーなんだから」
その過程にインターハイや選手権がある。登るべき山だけれど、到達点ではない――そう言って、美月は柔らかく微笑む。
「だから、高校年代の間は兎和くんが試合に負けても、きっと泣かないと思う。感動することはたくさんあるけれどね。とにかく、怪我しないことを最優先に考えてほしいわ」
美月としては、ちょっとジレンマみたい。全力を尽くさなければプロになれないが、選手生命を考えると今のうちから無理はしてほしくないのだとか。
僕も同感。クセになるような怪我をしてキャリアが台無し、なんて可能性だってある。セーブすべきところはセーブして、そのうえで結果を残さなければ。もっとも、現状でも永瀬コーチたちに十分配慮してもらっている気がする。
「でも、よかった。美月が泣いてなくて」
「ふふ、心配ありがとう。兎和くんが精一杯頑張ったなら、どんな結果であろうと受け入れるし、絶対に誇りに思う。さあ、勉強に集中しましょう」
美月は気負うでもなく、まっすぐ見つめながら気持ちを言葉にしてくれた。
胸の奥がじんわりと熱を持ち、自然と笑みが浮かぶ――まいった。僕は彼女の、こういうところが大好きらしい。
「いやぁ、青春だねぇ~」
涼香さんのしみじみとした声を二人そろって無視し、教科書へ目を向ける。
とはいえ、だ。やっぱり僕は、あまり負けたくない。次がない試合は、ちょっと無理してでも勝ちにいこう。
美月のため、自分のため、チームのため。
いま以上に成長し、試合を決定づけられるエースにならなければ。
***
「トレーニング開始の前に、夏のインターハイへ向けて選抜した『特別編成チーム』のメンバー発表を行う」
美月との勉強会の翌日。
僕を含む栄成サッカー部の130名以上が、部室棟の前で整列していた。そしてコーチ陣と共に正面に立つ豊原監督が、夏のインターハイへ向けた『特別編成チーム』の発足を宣言した。
趣旨は、昨冬の選手権のときと同じ。過密日程で行われる大会にフォーカスしたチーム編成で、これ以降はまさに総力戦体制となる。
中心となる現Aチームをベースに戦力を補充し、チームの総合力アップを図る。さらに今回も、1年生から数名が選抜される。経験を積ませ、将来への布石とするのだ。
周囲には、どこか重苦しい空気が流れている。
わずかな間を置き、タブレット端末を持つ永瀬コーチが一歩前に進み出た――ここで進行役がバトンタッチ。まだ秘密だけれど、監督交代の人事を見据えての采配に違いない。
「今回は、まず1年生からいくぞ――久保寿輝、有村悠真、坂東理玖。以上の3名がトップチームに帯同する。サポートがメインになると思うが、先輩たちからよく学ぶように」
歓声と拍手が自然と巻き起こる中、「よっしゃあ!」という叫びが一際大きく響いた。
おめでとう、三人とも。とりわけ仲がいい寿輝くんへ、僕は目一杯祝福を送る。
続いては、順当にAチームの面々の名が読み上げられていく。僕もここに含まれており、ホッとした。もちろん左右に立つ玲音と拓海くんも一緒だ。密かにグータッチを交わす。
さらに嬉しいことに、終盤に差し掛かり――大桑優也くん、池谷晃成くん、小川大地くん、と特に仲良しの三人の名も呼ばれる。
今年の夏はますます楽しくなりそうだ、と僕は密かに喜びを噛み締めていた。すると、メンバー発表はいよいよラストの1人を残すのみとなる。
ぐっと高まる緊張感。それを知ってか知らずか、永瀬コーチはたっぷりもったいぶってから口を開いた。
「最後の1人は、白石――白石鷹昌!」
その名が呼ばれた瞬間、戸惑いのさざめきが広がった。
皆が、『聞き間違いじゃないか』といった様子で周囲をうかがっていた。しかし次の瞬間、「うおっ……」と思わず漏れ出たような声が場の感情を塗り替える。
「うおっ、うおぉぉおおおおおぉぉおおおおお――ッ!」
続けざまに、腹の底から絞り出したような雄叫びが爆発する。それはラストに名前を呼ばれた選手――すなわち、白石(鷹昌)くんの声だった。
彼は緑の人工芝に膝をつき、胸の前で両拳を固く握り、天を仰いでいた。その瞳からは、透明な雫が止めどなく溢れ出している。
泣いていた……常にエゴむき出しの白石鷹昌が、人目も憚らず号泣していた。
何かと因縁のある相手だ。けれど僕は、あの涙の重さを痛いほど知っている。だから今は、素直に祝福を送ろう。
ほぼ同時に誰からともなく拍手が沸き起こり、再び大歓声が周囲を包み込む。
永瀬コーチが次の指示を出すまで、白石くんは膝をついたまま嗚咽を漏らし続けていた。
おもしろい、続きが気になる、と少しでも思っていただけた方は『★評価・ブックマーク・レビュー・感想』などを是非お願いします。作者が泣いて喜びます。




