第196話
朝起きて真っ先に窓を少し開け、曇天の空を見上げた。
吹き込む風の湿り気を肌で感じながら、雨は降らないでほしいなあ、と心の中で小さく祈る。なにしろ、正午すぎに大事な試合が控えている。
本日は、6月のど真ん中の日曜。
夏のインターハイ・東京2次トーナメントの決勝が、いよいよ開催される。
対戦カードは、言わずもがな『栄成VS東帝』――ついに僕は、友人であり天才の呼び声高い黒瀬蓮くんと公式戦で激突する。
去年の夏合宿でのトレーニングマッチで初めて対戦し、文化祭での相馬先輩たちとのフットサル対決では共闘した。そして今回は、互いにガチで試合に臨む番だ。
部屋を出て、階段を下りながら僕は思わず笑みを浮かべてしまう。
思い返せば、蓮くんとのサッカーはいつだって楽しかった。敵味方にかかわらず、それだけはきっと変わらない。
決戦の舞台となるのは、東京都調布市に所在する『AGフィールド』。去年の夏、相馬先輩たちの夏が打ち砕かれた因縁の会場だ。奇しくも同じ対戦相手であり、しかも蓮くんの右足によって引導を渡された。
これはもう、運命めいた何かを感じざるを得ない。今回はすでに両チームともインターハイ出場を決めているが、やはり負けられない一戦である。
だが……正直、コンディションがあまりよくない。
原因は明白。準決勝を戦ったのは昨日で、疲労とダメージが抜けきっていないのだ。
大会日程の都合で決勝は連日開催となっており、昨晩から右の太腿の張りが治らない。そこまで酷くはないけれど、永瀬コーチからも『フル出場は難しいだろう』と釘を刺されている。
予選の優勝がかかった試合ではあるが、インターハイ本番前に怪我をしては元も子もない。
それでも、母が用意してくれた朝ごはんをもりもり平らげながら、じわじわ闘志を高めていく。ついでに妹の相手をする良き兄なのだ、僕は。
その後は、ほぼいつも通りのルーティン。
シャワーを浴び、栄成サッカー部のジャージに着替える。自室に戻り、フォームローラーで体を軽くほぐす。時間が来たら家族に見送られ、玄関を出て自転車に飛び乗った。
学校からはバス移動。目的地はほど近く、時間もさほどかからない。車内では、父が淹れてくれたコーヒーを飲んで過ごした。
会場に到着したらロッカールームで着替え、ピッチでアップを行う。気温が高く、汗の雫が次々と頬を滑り落ちていく。
スタンドには両チームの応援団がすでに陣取っており、大音量のチャントが響き渡っていた。フェンスには複数のバナーが括りつけられており、否が応でも気分が高まる。
「やはり観客が多いな。緊張して縮こまってないだろうな、相棒」
「大丈夫だよ、玲音。大体いつも緊張してるから、もう慣れっこだ。それに、ほら。頼もしい応援も駆けつけてくれているし」
アップを済ませ、玲音と雑談を交わしながらスタンドの一角を指差す。
そこには、昨日の準決勝で惜しくも敗れた鷲尾くんの姿があった。隣を片桐彩花さんがガッチリとキープしており、揃って手を振り返してくれた。
さらに栄成陣営の端には、相馬先輩、荻原先輩、本田先輩――昨年卒業したOB陣の顔も見える。決勝まで進んだら応援にいってやるよ、という約束を守ってくれたのだ。お調子者の大木戸先輩たちと絡んで、なんかわちゃわちゃやっている。
その少し離れた場所には、もちろん僕の大好きな人の姿も。本日は涼香さんと兄の旭陽くん、それにうちの妹の兎唯も一緒だ。最前列のベンチに腰を下ろし、弾けるような笑みを浮かべつつ声援を贈ってくれている。
「兎和くん、頑張って! でも、無理はしちゃダメ! 怪我だけは絶対にしないようにね!」
「兎和くーん、今日もぶち抜け! 栄成のエル・コネホ・ブランコ! 玲音くんも期待してるよ!」
微塵も負けを疑っていなさそうな美月。果たして僕は、あの魅力的な笑顔を守れるのだろうか。続く旭陽くんの声援には、サムズアップを返す。
それにしても、ちょっと気持ちが落ち着かない。先ほどから見知らぬ観客に指を向けられたりと、なんか異様に注目されているのだ……久々に不特定多数の視線が怖い。
「神園は本当にいつも元気だな。それに今日は旭陽くんも一緒か。これは、ますます負けられないな。情けないプレーは見せられん」
玲音は一緒に手を振り返しながら、不敵に唇の片端を持ち上げる。去年の夏のグランピング以降も仲良くしてくれている旭陽くんからの激励に、一層気合が入ったようだ。もちろん僕も同じ気持ち……だけれども、その前にひとつ気になることがありまして。
「玲音……なんか今日、観客が多くない?」
「ようやく気づいたか。今大会は準々決勝からの試合が動画配信サイトで公開されていて、高校サッカーにしてはなかなか再生数が伸びているらしい。特に昨日の試合はリアタイの視聴者が多かったという話だ」
昨日の準決勝も、両試合ともネットで生中継されていた。さらにアーカイブも公開されており、再生数が好調なのだとか。近年は高校サッカーへの注目度が高いとはいえ、個人的には少し驚きだ。
「その影響もあって、熱心なファンが観戦に来てくれているんだろう。お目当ては、もちろん黒瀬蓮だ」
「やっぱそうだよね。年代別の日本代表で活躍した選手だもん、納得だよ」
「うむ。そして、もう一人――白石兎和。この2人のプレーを、両チームに関係しない観客は見に来ている」
「ほえ……?」
蓮くんに続き自分の名前が飛び出してきて、思わずアホみたいな声が出た。対照的に玲音は、至って真面目な声音で「当然だろ」と諭すように言ってくる。
「昨冬の選手権を皮切りに関東大会連覇、インターハイ出場決定。俺たち栄成は、全国区の領域へ足を踏み込みつつある新星。そしてお前は、チームの絶対的エース――今の東京エリアでは、黒瀬蓮のライバルとして真っ先に白石兎和の名が上げられる」
「え、僕と蓮くんってライバルだったの……?」
怪しい情報だが、玲音はSNSでもそんな呟きを見たという。
まあ確かに、試合ともなれば誰もがライバルには違いない。けれど、イマイチ現実味がない。
ありがたいことに、サッカー専門のネットメディアで取り上げてもらったりはした。しかし自分が有力なプレーヤーだと認めてもらえるなんて、いまだに夢なんじゃないかと疑いたくなる。
「おいおい。しっかりしてくれ、相棒。お前は栄成の勝利の象徴なんだぞ。その右足にチームの命運がかかっていると自覚しろ」
相馬先輩の『#7』を受け継いでからは、なるべく強がるよう心がけている。自分はエース、チームを勝たせるためにプレーしているのだと。
だが、昨日目の当たりにした蓮くんのプレーを思い出すと、ちょっと自信がなくなってくる。
それでも、期待には全力で応えたい。僕はもう、たくさんの人が応援してくれていることを知っている。
先に行くよう玲音に伝えてから足を止め、スタンドを振り返る――青く輝くキレイな瞳と、自然と視線が結ばれた。
「――よう、兎和」
ハッと向き直る。カナリアイエローのユニフォームを纏った蓮くんが、不敵な笑みを携えそこに立っていた。
「ようやくガチで戦えるな。もちろん、俺たち東帝が勝つ。楽しみで仕方ねえ――さあ、兎和。サッカーしようぜ」
「うん、蓮くん。サッカーしよう。でも、勝つのは僕たちだ」
そうこなくっちゃ、と蓮くんは嬉しげに右拳を差し出してきた。僕も拳を握り、少し強めのグータッチとともに情熱を交わし合う。
これ以上の言葉はいらない。ちょうど堀先輩から集合の合図がかかったので、僕たちはそれぞれのベンチへ向けて歩き出した。
それから手短に最終のミーティングが行われ、豊原監督の合図で全員揃って気炎を上げた。
続いて両チームのイレブンがピッチに列を作り、観客が拍手と歓声で応える。青とカナリアイエローのユニフォームが、湿った風の中でたなびく――その様子を、僕はベンチから見守った。
案の定、本日はスタメンを外れていた。
結局は太腿の張りが取れず、予選全試合に帯同してくれているフィジカルコーチ(非常勤)のゴーサインがでなかったのだ。肉離れのリスクを考えて、出場するにしても時間を区切るようにと。
そして、東帝の列にも……蓮くんの姿はなかった。
あれ、さっきの熱いやり取りはなんだったの? 急に恥ずかしくなってきたよ。
とはいえ、温存の判断も理解できる。なにせ連日の試合だ。ここまでの道のりが過酷だったのはお互いさまで、疲労と肉体の負荷はピークに近い。
「――兎和、ベンチだからってぼうっとしてんなよ。展開によっては後半いくからな。無理させるつもりはないが、勝ちを捨てたつもりもない」
写真撮影など恒例のセレモニーをボケッと眺めていたら、永瀬コーチに耳打ちされた。危ない……うっかり気を抜いてしまうところだった。途中出場は試合に入りづらいから、しっかり準備しないと。
「やる気満々っす!」
「なんか軽いなあ……」
僕は両手でサムズアップを作りながら返事をする。けれど、永瀬コーチの反応は微妙で……なぜかアホを見るような目で見られた。気合を表現してみたけど、ちょっと違ったみたい。
このやり取りに遅れること数瞬。両チームの勝利を願う歌とともに、主審の吹くホイッスルの音が灰色の空へ吸い込まれていった。
おもしろい、続きが気になる、と少しでも思っていただけた方は『★評価・ブックマーク・レビュー・感想』などを是非お願いします。作者が泣いて喜びます。




