第14話 青春スタンプカード
「やっぱりダメそう?」
「うん……トレーニングのラストに紅白戦やったけど、ぜんぜん体が動かなかった」
僕は現在、ナイター光が照らす芝生の上でバドミントンに興じていた。
シャトルを交わす相手は、おしゃれなスポーツウェアを着こなす神園美月――美月だ。声が届くほどの距離を空け、ポコン、ポコン、と軽くラリーを続けている。
初めての左SHに戸惑いながらも部活を終え、部室でスマホをチェックしてみれば、例のごとく美月からの呼び出し通知が画面に表示されていた。そして昨晩も利用したスポーツセンターのグラウンドで合流するや、ラケットを渡されて今に至る。驚いたことにシャトルは発光仕様(LED)。
「トラウマってのは、浴室のカビと一緒さ。しつこいし簡単には取れない」
含蓄に富むコメントを発したのは、美月の親戚である吉野涼香さん。
外見はクールビューティー、中身は生粋のニート。激しく反発しそうな属性を合わせ持つこの女性は、今夜も芋ジャージを着用している。
こちらにはチラリとも目を向けず、彼女は近くに座り込んでソシャゲをプレイ中。それで僕と美月がシャトルと一緒に会話を交わしていると、時おり訳知り顔で口を挟んでくる。
保護者としての付き添いらしいが、こんな感じなので個人的には喋る置物くらいに思っている。
「というか、なんでバドミントン……?」
「兎和くんが昨日、バドミントンやりたいって言っていたから、よっ!」
美月が、語尾に合わせて華麗にスマッシュを放つ。
僕はバックハンドでレシーブしつつ、「そうだけどそうじゃない!」と言い返す。
確かに男女が公園でやる事といったら、バドミントンをおいて他にないだろう。けれどその場合、相手が重要だ。
素直な気持ちを申し上げますと、シャトルを交わすたびに近づく二人の心の距離、みたいな青春を堪能したいわけで……ところが、美月には恋愛対象と見ないよう釘を刺されており、個人マネージャー以上の関係に発展しようがない。
なんとも味気ないラリーだぜ、と。
僕がため息まじりにラケットを振ったそのとき、美月が不意に『ぱん』と手を打ち合わせる。
「……いや、なんの合図?」
「そこにボールがあるでしょ? 私が手を叩いたら、あっちのパイロンまでドリブルして戻ってくるの」
「ああ、そのために準備してあったのね」
近くに転がるサッカーボールと、20メートルほど先に設置してあるアジリティポール。視界にチラチラ映るこの2つの備品、何に使うのかとずっと疑問に思っていたのだ。
地面へ落下するシャトルを無視して指示の意図を問えば、「トラウマ克服のためのトレーニングよ」といった答えを得る。
「これから兎和くんには、私が手を叩いたら全速力でドリブルしてもらいます。寝ているときも、健やかなるときも、いついかなるときも、どんな状態でも」
「付随する条件から、ヤバそうなニオイがプンプンしやがる……それ、どんな意味があるんだ?」
「『パブロフの犬』は知ってる? いわゆる条件反射トレーニングね。ここでは、一定の条件下で無意識のうちに起こる反応や行動にフォーカスするわ。一度根付いたトラウマを除去するのは容易じゃない。だったら、瞬間的な反応だけでもずらしてしまおう、という発想よ」
曰く、『美月が手を叩いたらドリブル&スプリントする』という条件を繰り返し身体に覚え込ませ、トラウマ由来の萎縮する反応より、動き出す反射が先に出るよう調整するらしい。
トラウマの根治には通常多くの時間が必要になるから、まずは優先順位を変える……よくわからんが、実害を減らすための応急措置とのこと。
「学説によると、条件反射にはドーパミンが深く関係しているらしいの。だから、はいこれ」
美月が歩み寄ってきて、三つ折りのカードのようなモノを手渡される。上着のポケットに忍ばせていたようだ。
丈夫そうな厚紙製で、各面にモザイク調の碁盤格子が印刷されている。随所に月とウサギのキャラクターの透過イラストなども散りばめられ、全体的に可愛らしいデザインだ。
なにより目を引くのは、上部に配されたポップ調の文字――そこには、『青春スタンプカード』と記載されていた。
「青春スタンプカード……なにこれ?」
「ドーパミンは、脳の報酬系で重要な役割を担っている。快感や満足感によって分泌が増え、同じ報酬への欲求を強める。そこで、この青春スタンプカードを用意しました。あと私が使うスタンプもね」
美月は今回、この世界的に有名すぎるパブロフの犬の条件反射を『僕バージョン』にアレンジしたという。
彼女が手を叩く、僕はドリブル&スプリント、戻ってきたら報酬が貰える、といったフローである。
「兎和くんが走るたびに、このウサちゃんスタンプを一個ずつ贈呈します。それで、このスタンプカードが一杯になると……」
「なると……!?」
「なんと、素敵で素晴らしい青春イベントが発生します! 一生の思い出に残ること間違いなしのスペシャルプランよ。もちろん企画は私、大いに期待してちょうだい!」
「――う、うおぉぉおおおっ! すごい、天才かよ!」
僕は堪らず惜しみない喝采を送る。
サッカーと青春の両立という課題に対し、これぞ美月の導きだした答え。
トラウマを条件反射で上塗りし、優先的に望む行動を取らせる。
なんというか、オレグラッセみたいな理屈だ。比重の異なる液体を順番に注いで層を作り、上澄みだけを堪能する。トラウマが顔を出せない状態に到達すれば完成。
次なる目標も設定済みで、成果を確認でき次第ステップアップするという。
成功体験を積み重ねた暁には、トラウマの完全払拭も夢じゃない……さすが敏腕マネージャー。こうも具体的なプランニングを提示されては、もうやる気満々だ。
説得力ありすぎる説明を受けてから、改めて美月の合図でドリブルを行う。ポールでターンをして戻ってくれば、記念すべき初スタンプの獲得の瞬間がくる。
「す、スタンプくれっ!」
「はい、はじめの一個ね。おめでとう」
「ありがとう、やった……!」
返却されたカードを広げ、僕はまじまじと眺める。目標への進捗が視認できるというのはデカい。一歩でも進んでいることが実感できて、達成感がすごいのだ。
今からスタンプを一杯にした時のことが楽しみで仕方ないぜ。どんな青春イベントを用意してくれているのだろう……想像するだけで脳汁がどぱーっと溢れてくる。
「適当に走ったりしたらスタンプはおあずけよ。スピードを意識してドリブルすること。本気でやらないと体に染み込まないからね」
「はいっ、全力で頑張ります!」
美月からの指摘を受け、再びバドミントンに興じる。
実際にやってみて、『不意を突く形の方が学習効率も高そう』という着想を得たらしい。ラリーの回転数を上げるべく、座り込んでソシャゲをプレーしていた吉野さんもラケットを手に取り参戦。
個性的すぎる性格の影響か、幸い彼女はトラウマ発動対象外だった。
まさかのニート参戦により、ダブルス対ソロの構図となる。そして相手が思いのほか上手く、シャトルの応酬は白熱した。
涼香さんは無駄に高スペックだから、と美月は呆れ気味に笑う。
かくいう美月自身のフットワークも優れている。そんな女性陣に対抗するため、深い集中と多くの思考リソースを要求された。
真剣にフットワークを刻んでいたら、まるでこちらの心理を見透かしたようなタイミングで『ぱん』と手が打ち鳴らされる。そのたびに僕はラケットを放りだし、全力のドリブルでポール間を往復した。
「ぬるいっ、兎和くん! そんな反応では、熟練のソシャゲプレーヤーたる私のウルトラスマッシュは止められませんよ!」
「いけ、涼香さん!」
「せいッ!」
ノリノリの吉野さんがとにかく厄介だった。
いくら発光シャトルとはいえ、夜のグランドではわりと見えづらい。にもかかわらず、全力でジャンピングスマッシュをかましてくるのだ。それも、美月がトスしたシャトルを。
なんでそっちだけバレーボールみたいなルールなのか……おまけに、こちらが手を抜けばスタンプ没収と脅されており、全力で食らいつくより他はない。
ますます回転数を上げる本気のラリーに加えて、短距離とはいえ何度もトップスピードのドリブルを繰り返す。正直なところ、部活のスタミナ系トレーニングばりにハードだった。
謎の盛り上がりをみせる夜のバドミントンは、グラウンドの消灯時間ギリギリまで行われた。撤収する頃には三人とも汗だくである。
個人的には、スタンプをたくさん押してもらえて大満足。車で帰宅する美月たちと別れた僕は、ニンマリしながら夜道を自転車で駆ける。
***
「どうした、兎和。ずいぶんとお疲れじゃん……ちょっと顔コケてない?」
いよいよ明日からゴールデンウィーク突入とあって、昼休みを迎えた教室にはどこか浮ついた空気が漂っていた。そんな中、いつものようにお弁当を食べようと慎がやってくる。続けて覗き込むように顔色を確認され、体調を気遣うようなお言葉をいただく。
「ちょっとバドミントンがハードでね……」
「なんでバドミントン? サッカー部の練習がキツイとかじゃないのか、普通は」
拝借した椅子に腰を落ち着けつつ、首を傾げる慎。
自分で言っておいてなんだが、確かに意味不明な返答だ……ポジションコンバート以降、僕は一日も欠かさず美月考案の『トラウマ克服トレーニング』を継続している。
これに加え、近頃は部活の通常トレーニングの他に、永瀬コーチ監修の『プロのプレー動画』をチェックするタスクが加算された。初の公式戦へ向け、戦術イメージを共有するためだ。
動画は編集済みで、注目プレーや連動すべきポイント、選手のベクトル、習得推奨のポジショニング、などがとても丁寧に解説されている。おまけに作戦ボードを使った視覚的な指導つき。
各自スマホやタブレットでの視聴が義務付けられており、通常トレーニングもその内容を前提に進むから絶対にサボれない。
しかも吉野さん――もとい『涼香さん』が、負荷をぐっと押し上げてくれている。呼称は、本人に『美月ちゃんと一緒でいいよ』と言われて改めた。
それはさておき、本題の涼香さん。なぜかバドミントンをいたくお気に召したようで、『最近肥えてきたからちょうどいい運動になる。燃やせ脂肪!』と、それはもう熱心にラケットを振り回している。
普段の腐れニートっぷりが嘘のようね、と美月も驚愕していた。
そのせいで、美月・涼香さんペアで大会に出場したらいいのに、と思うくらいにはハイスピードなラリーが連夜展開されている。
つまるところ、ハードな部活の後にヘビーなバドミントンを敢行するという、二部練習に匹敵する負荷が体にかかっているのだ。そこへ動画視聴による睡眠不足が追い打ちかける。
ただし、『青春スタンプ』のたまり具合は予想以上。こればっかりは文句なしの朗報だ。僕のげっそり顔はその代償。
良き友人の慎には事情を打ち明けてもいい気もする。けれど、いまだに美月との屋上ランチのウワサが尾を引いており……学内トップ美少女への接近をやっかむ声ばかりが聞こえ、メンタルも摩耗気味。
そのうえ自分のトラウマまで公開しなくてはならないとなると、どうしても踏ん切りがつかない。心苦しいが、打ち明けるのはもう少し待ってほしい。
そんなわけで、弁当を食べ始めつつこちらから話題を変えた。
「ところで、三浦さん遅いね。何かあったのかな?」
「ああ、千紗は今日こっち来ないって。ほら、ゴールデンウィークにカラオケいくだろ? そのときに誘う友達とランチするってさ」
ほほう……珍しく慎の彼女さんが現れないと思って尋ねてみれば、素晴らしい情報を得た。
目前に迫る、高校へ進学して最初の大型連休。僕たちは部活で忙しい中、予定を合わせてカラオケに行く約束をしていた。
そこで三浦さんが、参加メンバーとして『女友達』をお誘いくださるのだとか。本当に涙が出るほど尊いお方です。
あくまでカラオケ会と冠してはいるが、もはや合コンの様相を呈している……我が妹から、ゴールデンウィークに遊んだ女子とは7割の確率でお付き合いに発展する、との知恵を授かっている。
突如として、僕のスクールライフに吹き始めた変革の青い風。
止めるわけにはいかない。カラオケも絶対に盛り上げて見せる――不肖この白石兎和、全裸になることも厭わぬ覚悟。
「ふと思ったんだけど、慎はなに系歌うの?」
「俺は普通に、『ヨネズ』とか『ヒゲダン』とか」
「え、普通……それが普通なの!?」
慎の口から出てきたのは、どちらもティーンから圧倒的な人気を博すミュージシャンの名前である。ただ、素人が歌うには難しい曲が多いと評判だ。なのに、彼は『普通』といい切った。
ヤバい……僕のレパートリーはやや古い。歌いやすくはあるが、令和を彩る名曲たちと比べたらだいぶインパクトに欠ける。全裸ごときでは覆せそうもない。
くそっ、家族としかカラオケへ行ったことがないゆえの弊害だ。が、夢の青春スクールライフへ並々ならぬ情熱を燃やす僕である。
言うまでもないが、座して待つ気などさらさらない。
歌えないなら、歌えるようになればいいだけのこと。幸いにも、相談するにうってつけの敏腕マネージャーに心あたりがある。
待っていろ、カラオケ合コン。
必ずや、僕のスウィートな歌声を響かせまくってやる!
さて、美月にメッセージを……。
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