第12話 コンバート承諾と山田ペドロ玲音
神園美月、改め美月と結んだ個人的なマネジメント契約。それは、刺激と発見に満ちる素晴らしい時間をもたらした。
そして翌日。僕は普段どおり授業を受け、放課後になればリュックを肩にさげて部活へ向かう。いつもより心なし軽い足取りで、サッカー部専用グラウンドと通じる渡り廊下を歩く。
本来なら部室へ直行するところだが、これから向かう先は監督室。まずは永瀬コーチに会い、ポジションコンバートの件を承諾するつもりだ。
たった一日とはいえ、美月には大変お世話になってしまった。ならば、こちらも要望に応えねば不義理というもの。
ただし、トラウマに関しては依然として未解決のまま。昨夜は我ながら上々のパフォーマンスを披露できたと思うが、あれは特定環境下においての事例である。
この先どうにか解決すればいいけれど……なんて僕は軽く考え込みながらピッチ脇を通過し、到着した監督室の扉をノックして開く。
「失礼します」
「おう、白石兎和。なんだ、やっと決断してくれたのか?」
「あ、はい。ちょっと頑張ってみようかと」
ステンレスの書類棚やデスクが並ぶ雑多な印象の監督室。お目当ての永瀬コーチは隅の席に座り、PCのモニター越しに顔をのぞかせている。
数人いる他の指導陣も同様に作業中のようだ。唯一、栄成サッカー部のトップである豊原監督の姿だけはなかった。
続いて「こっちへ来い」と手招きをされたので、永瀬コーチのもとへ足を進める。
「こんちわっす。あれ、永瀬コーチってPC苦手なんじゃ?」
だから、美月が代わりにデータ整理を買って出た。サッカー部のフィジカル測定の記録を閲覧する、という目的を果たすための手段として。ひいては僕の記録に対して違和感を抱くキッカケとなり、コンバート案が持ち上がった。
「まあな。でも、まったく使えないわけじゃない。それに、どっかの誰かさんが手抜きした記録を提出しやがったからな。暫定とはいえ、訂正しとかないとな」
「故意じゃないんですけど……なんか、お手間をかけてすみません」
モニターに目を向ける。表計算ソフトでデータ整理を行っているらしく、僕の名前と昨夜の記録が入力されていた。
美月はずいぶんと仕事がはやいタイプのようだ。計測したばかりのデータがもう永瀬コーチの手元へ落ちているとは思わなかった。
対象的に、仕事の遅そうなタイプの僕は平謝りに徹する。
「コンバートを受ける気になったようだから許してやろう。兎和の『サイドアタッカー適性』も想像以上だったしな。感謝するがいい」
「はい、永瀬コーチの寛大なご配慮に心から感謝申しあげます……今後はこのようなことがないよう、一層の努力を重ねてまいります」
「歴戦のサラリーマンみたいな謝罪だな。そんじゃ、今日のトレーニングからそのつもりでやっていくぞ」
「あ、まだ『メンタルの件』が未解決でして……」
僕はトラウマについて改めて伝えた。他人の視線や反応が怖くて無意識に力をセーブしてしまうこと、不可視の鎖の戒めによりまともにプレーできないこと。
だが、意外にも永瀬コーチの反応は「大丈夫」といったポジティブなもの。
「聞いたぞ、美月が協力してくれるんだろ? なら問題ない。あいつに任せておけば大概のことは上手くいく」
「すさまじい信頼感ですね」
「神園の本家の娘だからか、めちゃくちゃ優秀なんだよ。おまけに目的達成のためには手段を選ばず、やると決めたら一切の躊躇なく貫き通す。そういう血筋なんだ」
本人には内緒な、と念を押してからちょっとしたエピソードを披露する永瀬コーチ。
曰く、美月は可愛いものが大好きで、夢の国のテーマパーク大ファンらしい。
本題は、小学生のころまで遡る。何を思ったか、美月は毎日テーマパークに行きたいとダダを捏ねた。もちろん両親はわがままを言わないよう宥めたが、本人は絶対に諦めなかった。
そこで、溜めこんでいたお小遣いとお年玉を全賭けして株のデイトレードを開始。しかも一年ほどかけて大金を手にした。
挙句テーマパーク併設ホテルを一週間にわたり予約したうえ、勝手に学校を休んで泊まりに行ってしまう。
両親が美月の奇行に気づいたのは、警察の連絡を受けてから。大金を握る子供がホテルのフロントカウンターに訪れたので、訝しんだ従業員が通報を入れたそうだ。
「後になって、デイトレやらに関しては『涼香』の手を借りたと白状した。兎和も昨日、あのゴクツブシと会ったんだろ? それでも、ちょっと小学生離れした行動力だよな」
「あ、はい。でも小学生で株って、なかなか想像つきませんね……」
僕が子供の頃であれば、カブと聞いても食べ物の方の『蕪』しか思いつかなかったはず。
それと、吉野さん。アナタはいったい何をしているのでしょうか……クールビューティーにして生粋のニートたる女性の姿が脳裏に浮かぶ。もちろんソシャゲをやっていた。
「本家の兄妹はどっちも優秀だが、特に美月は完遂能力が尋常じゃない。そんなあいつが引き受けたんだ。兎和のメンタル問題もきっと近いうち解決するだろ」
永瀬コーチや吉野さんは、美月の実家を『本家』と呼んでいるそうだ。理由は、大手オーナー系企業を創業した一族の嫡流筋だから……いや、なんだ嫡流って。戦国武将か?
そして華麗なる一族のお嬢様は、聡明かつバイタリティに満ち溢れた超絶美少女。
急に心配になってきた。僕のようなボンクラが、ぶっ飛びエピソード持ちのマネージャーについていけるのだろうか。
「とにかく、兎和は今日から『SH・WG』の選手としてトレーニングに取り組むこと。今日はA・Bチームが『外部グラウンド』の使用日だから、Dチームはラストに紅白戦をやる。そこでいったんプレーを確認するぞ。いきなりのお披露目になるが、できる範囲で頑張ってみてくれ」
高校サッカー界は、ゴールデンウィークの訪れに伴ってインシーズンを迎える。
上級生はすでに公式戦で奮闘しているが、1年生で結成されるDチームにおいても『ユニティリーグ東京(協会提携の公式扱いリーグ)』のキックオフが目前に迫ってきている。
そのため近頃の栄成サッカー部では、ゲーム形式のトレーニング、並びにフィニッシュゾーンでゴールを奪うための連携強化、ゾーンディフェンスの理論と習得、などに比重が置かれている。
フィジカル強化(タフな筋トレとハードな走り込み)も並行して進められており、部員たちはかなりのハードワーク状態。
しかしながら、我が部は大所帯。いくら2面もの人工芝ピッチを有するとはいえ、全チームがゲーム形式のトレーニングを展開できるほどのスペースは存在しない。
そこで学校からほど近い市営グラウンドなど(高品質の人工芝)をレンタルし、足りないスペースを補っている。
今日は『A・Bチーム』が外部グラウンドでの練習日。なので、残る『C・Dチーム』は学内ピッチを存分に使用できるというわけだ。
ともかく、いきなりのSHデビュー……僕にとって早くも試練の時である。
意識した途端、不安からずんと胸が重くなる。とはいえ、小心者ゆえ発言を撤回することも難しく、極めて自信なさげに返事をするしかなかった。
***
永瀬コーチとの話が終わったら、部室でトレーニングウェアに着替える。それから外へ出てピッチの隅で体をほぐしていると、すぐに集合の号令がかかった。
新入生のみで編成されたDチームの面々はサブピッチへ移動し、アップ開始。
まずは軽くジョギング。終わり次第、ダイナミックストレッチで体幹に刺激を与えていく。主に股関節やハムストリングに効くメニューで構成されている。
続いては、マーカーコーン(皿コーン)やポールなどを利用したステップワーク。サイド、バック、クロス、他数種。
どれもジュニアユース時代に体験済みで、個人的には馴染みやすい内容だ。
以降は、永瀬コーチが主導する形でトレーニングが進められた。
「だいぶ慣れてきたと思うが、改めて伝えておく! ユース(高校)年代からはあらゆる面で要求水準が高まる。特にシンキングのスピードはガンガン要求していくぞ。ラストは紅白戦を予定している。では、始めよう!」
『はいっ!』
皆で声を合わせて返事をしたら、マネージャーさんからボールを受け取ってタッチラインに並ぶ。まずは歩きながらのリフティング、ボールを落としたらスクワットのペナルティつきだ。
今度はボールコーディネーションへ移る。ライフキネティック、いわゆる脳トレの要素を組み込んだメニューで、通常より小さい三号球を使ってリズミカルにボールを動かしながらピッチを横断していく。
足裏通し、アウトプッシュ、プルプッシュ、シザース、インアウト、連続エラシコ、ジンガ……バリエーションは豊富で、リズミカルかつ左右交互、戻りは後ろ向きでこなすことを求められる。
まるでダンスのようなトレーニングだ。当初は失敗多発だったが、今は皆ある程度慣れたようで順調にこなしていく。
それが終わると、五号球に戻してパス交換。ぼっちな僕はパートナー探しに戸惑うも、たまたま隣にいたメンバーが声をかけてくれた。
「やろうぜ、白石兎和」
「あ、うん……誘ってくれてありがとう」
誘ってくれたのは、松村康夫くん。焦げ茶色のミディアムヘアに、あっさりとした顔立ちの同級生だ。やや小柄ながらも引き締まった体格をしている。
性格はよく知らないけれど、立ち尽くしていた僕にわざわざ声をかけてくれたのだ。きっと優しい人に違いない。
僕は足取りも軽く所定の位置に移動する。その途中、松村くんが親しげに肩を組んできた。
「ところで、白石。あの神園美月とランチしたんだって? 本当に仲いいの? 実際のとこどうなの?」
「あ、いや……ちょっと話したことあるくらいで」
くそ、やっぱり神園……改め、美月が目的か。最近その質問とやっかみしかない。
しかしコンバートや個人マネジメントの件は内緒にする方針なので、曖昧な返答でやりすごす。いくらしつこく聞いても無駄だよ……ついに部の友人ができるかもと、ちょっと期待していたから悲しい。
パス交換の次は『ロンド(5対2)』。オフェンスとディフェンスに分かれた指定グリッド内でのパス回しだ。
「声出せよ!」「あいだ通せ!」「中、中当てろ!」「後ろ来てる、動け!」
「ルックアップ、ルックアップ」「カバー入れっ、ナイス!」
「ゴーゴーゴーゴー!」「寄せろ!」
熱気と活気に満ちるサブピッチ。
僕も控えめに声を出しながら、迷惑をかけないよう無難にプレーした。ディフェンスが一人追加されて難度が上がった頃には全員汗びっしょり。
栄成のトレーニングはとにかくハードで、なんてことないメニューでも必ず負荷が積み上がるよう工夫されている。そのうえどれも実戦想定。
さらにいくつかの種目を経て、体幹と下半身を鍛える筋トレへ。自重中心ながら強度は高く、じわじわと体が悲鳴を上げ始める。
「じゃあ最後、紅白戦やるぞ!」
気づけば照明が灯る時間帯となっており、永瀬コーチの合図でラストメニューへ突入だ。
フルピッチ、20分を3セット。Dチームは総勢50名を超えるため、人によっては2回出場となる。キーパー志望の三人はローテーション。
チーム分けとポジションはコーチ陣があらかじめ決めており、作戦ボードで掲示された。
僕の出番は、2・3試合目。ピッチサイドの指定の観戦場所であぐらをかき、のんびりと観戦モードに入る。
小休憩を挟み、いよいよ紅白戦が始まる。
最初の出場メンバーがマネージャーさんからビブスを受け取り、ピッチへ散っていく。
「白石くん、頑張ってね! 応援してるよ!」
熱をおびた黄色い声援が聞こえてくる。僕へ向けたものである……はずもなく。エールを送っているのは、マネージャーの小池恵美さん。ブラウンのショートボブと愛嬌のある顔立ちが特徴的な小動物系女子だ。そして相手は、言わずもがなもう一人の白石(鷹昌)くん。
「見とけよ、俺がチームを勝たせてやる!」
ビブスを受け取り、自信満々な台詞を返す白石くん。少し離れた場所で展開される青春のヒトコマを目撃し、嫉妬のあまり血ヘドを吐きそうになる僕。
「おいおい、鷹昌だけかよ!」
「イケメンはずりーな!」
すかさず周囲にいたメンバーたちがツッコミを入れた。
早くも白石くんを中心としたグループ――白石くん派閥が部内で形成されており、『一軍男子の陽キャです』といった振る舞いを披露してくれている。
「よっしゃ。お前ら、いくぞ!」
『おうッ!』
公式戦さながらの気迫でピッチへ散っていく面々……いや、ちょっと意気込みすぎじゃない? これってただの紅白戦だよね?
「ふむ、やはり皆も気づいているか」
「え……?」
振り向けば、なにやら訳知り顔のメンバーがすぐそばにいた。立膝座りで、只者じゃないオーラをガンガンに漂わせている。超能力とか持っていそうな雰囲気だ。
「白石よ。お前は気づいていないのか?」
なに言ってんだこいつ……遠慮なく意味深な問いを投げかけてくる男の名は、山田ペドロ玲音。南米にルーツを持つ同級生だ。たしかクラスはC組だったような気がする。
それにしても……山田くんを間近で見て思ったが、めちゃくちゃイケメンだな。
ウェーブしたミディアムヘアと、彫りの深い顔立ちがとてもよくマッチしている。すらっとした体型も相まり、まるでラテン系の映画俳優みたいな容姿だ。
そんな彼は、謎の迫力を放ちながら告げる。
「理解できていないようだから、教えてやろう……この試合、ただのチームマッチではない。今後の序列を定めるための試練だ」
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