2.転生女神と山田さん(2)
何とかかんとか転生者をおだてて褒めそやして女神を代わってもらって、異世界への門を潜る。
「俺が……女神……!?」とか言っていたがもうこの際性別とか気にしていられなかった。ダイバーシティが叫ばれて久しい昨今、男の女神がいたっていいだろう。
男の子だってプ〇キュアにも女神にもなれるんだよ。
オタク賢者の家を訪れてお母さんに過剰な歓待を受け――「ンまぁ!! あの子ったら女の子を連れてくるなんて!! まぁまぁ、ちょっとお母さん買い物行ってこようかしら!?」と浮足立つのを必死で引き留めて誤解を解いた――早々に賢者の「相談」を聞くことにした。
相談のためにまずは見せたいものがあると言われ、賢者の後ろを着いていく。
家を出て街に出て、大通りを歩く。その足取りには迷いがない。
気弱そうな見た目に反して、人の話を聞かないというか……強引なところがある男だ。
久しぶりに、前任の女神のことを思い出す。最近はめっきり思い出さなくなっていた、彼女のことを。
この世界の人間は皆どこか、あの女神を思い起こさせるところがあった。
ああ、この賢者本当に、現地人なのか。
何となくそう思った。
連れてこられた先は、半地下のような場所にある……小さなハコ。酒場にちょっとしたステージが付随した、アングラっぽい場所だった。
現代日本風に言えば、ライブハウスが近いだろうか。
吟遊詩人しかり、酒場で歌や演奏を聴く文化はこの世界にもある。
王都には少ないが、昔ながらの地域には酒場に踊り子がいる地方もある。
だが、セイラたんのような「アイドル」の文化はなかった。
私とセイラたんが、この世界に輸入した概念だ。私たちがトレンドの一番先頭を走っていて、そして――他の誰も、まだ追いついていない。
そう、思っていた。
ドアをくぐるなり、狭いハコを揺らす熱気が、むわりと顔にぶち当たる。
この場にいる誰もがざわめきながら、今か今かと「その時」を待ちわびているのが伝わってきた。
キィンと、マイクのハウる音。途端に、水を打ったかのように静まり返る観客。
その一瞬後に、地鳴りのような歓声が響く。
その歓声は、袖からステージに現れた女の子に注がれていた。
セーラー服に、ボブカットの黒髪。気だるげにマイクを持って立っている女の子。
小柄ながらも、長い手足を余らせるようにそこに立っている彼女は――どこか、雰囲気がある。
私はその女の子に、見覚えがあった。
「山田さんじゃん!!」
「おお、ご存知でしたか! さすがは女神氏、お目が高い」
ていうか山田さんだった。
私の叫びに、オタク賢者が嬉しそうな声を上げた。
ご存知どころか私が彼女をこの世界に送り込んだ張本人でなのだが、山田さんがこんなところでステージに立っているというのは寡聞にして知らなかった。
いや、知ろうと思えばいくらでも調べられたが、特に興味を持っていなかったというのが正しいかもしれない。
山田さん、魔法使いになるとか何とか言ってませんでしたっけ?
隣で喋る賢者のオタク特有の早口によると、最近我らがトップアイドル勇者ことセイラたんの台頭を受け、あちこちの酒場でこうして女の子が歌って踊るのが流行っているのだとか。
そりゃあ酒場の主要な客層のおじさん連中はは吟遊詩人よりも若くてカワイイ女の子が歌って踊った方が喜ぶだろうが、どちらかというとそれはコンカフェでは?
だが現代日本にはそういうお店発のアイドルもいるし、紙一重か……?
一人でうんうん唸っていると、前説も前振りもなく、いきなり音楽が始まった。
音楽は……あそこに見えているのは、スマホか? それを魔法スピーカーに繋いで流しているようだ。
スマホ、この世界に持ち込めるのか? 夢の世界で見せるのが限界だと思っていた。
もしくは、この世界で似たようなものが発明されている……? 魔法CDでも、この国有数の魔法使いがかかりっきりで開発したのに?
そんなことを考え始めた私の思考は、一瞬でかき消された。
マイクを手にした山田さんの吐息が、声が、マイクを通して鼓膜を揺らしたその瞬間――ぶわりと、鳥肌が立つ。
視線が、思考が、山田さんから離せない。
まるで頭を殴られたかのような衝撃だった。
甘くて少し掠れた声に、私の意志とは関係なく、意識がすべて持っていかれる。
ライトに照らされて、ステージに立つ山田さん。
それが網膜に焼きついて、脳内で火花が散る。鼓膜と脳みそが揺さぶられる。
勝手にアドレナリンが出て、心が湧きたつ。
山田さんがステージにいる。
それだけで――山田さんのことしか、考えられない。
すごい、歌がうますぎる。
狭い箱を震わせるような、抜群の歌唱力。
だが、それだけではない。
ただ立っているだけでどこか雰囲気のあるルックス。
気だるげなのにセンスを感じさせるダンス。
全てが目を惹く、惹きつけられる。スポットライトの下があまりにも似合いすぎる。
歌もダンスもパフォーマンスも完成されていて、まるでよくできた芝居を見ているかのような。これがまるで、総合芸術だとでもいうような。
見る者の目を奪って、魅了して、引き込んで、離さない。
山田さんの一挙手一投足に意味を見出して、考察したくなるような。
それはまさに、天才。
努力型の、応援したくなるアイドルのセイラたんとは、そもそもジャンルが違う。
そこに立っているだけで、アイドル。存在そのものが、どこまでもアイドル。
もはや生まれながらにしてアイドルと言うべき存在だと、そのオーラが告げていた。
「いいでしょう、まりあん」
「うん、いい」
賢者の言葉に、頷く。
山田さんの名前、そういえばそんな感じだっけ。
いい。すっごい、いい。
こういうダウナー系で、カリスマ性あって、かっこよくて。
強くて高い女って感じで、特に女の子にウケそうな女性アイドル。
掛け値なしに色眼鏡なしに、最高。
……だが。
そう思う一方で、両手放しではいられないものを感じていた。
「でも……少し……」
「そうなのです。分かりますか」
何と表現したものかと口ごもった私の言葉を引き取って、賢者が言う。
「この歌、泣いているのです」
「やかましいなぁ!」
本当に異世界人? この人。
だが、オタク賢者の言いたいことは何となくわかった。
泣いている、というか……何だか寂しそうな気がしたのだ。
まるでこの世界に自分一人だけしかいないと、そう歌っているみたいだ。
「パフォーマンスは最高なのに、どうにもそれが気になりまして。ぜひアイドルに明るい女神氏にご助言をいただければと」
オタク賢者に言われて、うーんと首を捻る。
確かに、気がかりではある。
歌もダンスも最高で、それなら言うことなんてないんじゃないかと思う、ものの。
だが、ステージから感じられるものすべてが、アイドルとしてのパフォーマンスだ。
だから、よくない。
よくないと思う。
だって、アイドルだよ?
可愛い系でも、かっこいい系でも……アイドルは、偶像だから。
我々群衆は求めてしまうのだ。あなたがアイドルでいることの、意味というやつを。
アイドルでいてくれることが、あなたにもたらす意味というものを。
だって、偶像だから。
向いてても、向いてなくても。アイドルが手段でも、目的でも。
ステージに立っているその瞬間だけは……アイドルが天職だって、こんないい仕事他にないって、思っててほしいじゃん。
崇拝されるのを嫌がる偶像相手には、宗教は存在し得ない。
そんな神はきっと人類を、救済しないから。
「あー、女神様じゃん」
気付くと、ライブが終わって客はすでに捌けていた。
残っているのは、私とオタク賢者だけ。
そんな私に――山田さんは、声を掛けた。
ファンとアイドルたちを隔てる、ステージ。
この高さがあるからこそ遠くの席からだって見えるし、遠くの客席まで見渡せる。
だけど近づけば近づくほど、どこまでも別の世界であることを感じさせるくらいに、高い隔たり。
それを軽々と気安く飛び降りて、山田さんはこちらに歩み寄ってきた。
「どーだったー? 結構人気ぽいよー、あたし」
「山田さん」
「あんまやる気なかったけど、なーんか、割と適性? あったみたいでー」
山田さんが気だるげに、間延びした話し方で言う。
だらりと下ろした腕を上げて、うーんと伸びをした。
隣でオタク賢者が口元に手を添えて「はわわわ」とはわついているのが横目によぎったが、すぐにそんなもの気にならなくなった。
そのくらい雰囲気のある子だ。
前に女神を代わってもらった時から、それは変わらない……いや、むしろもっとオーラのようなものが増しているような気すらする。
「てきとーに歌って、踊って? たまに手振ったり、笑ったり? そしたら喜ぶんだもん。何か神らしーよ、あたし。ウケるよね」
くつくつと喉の奥で笑う山田さん。
白い肌と黒いセーラー服、そして赤い唇のコントラストが、眩しい。
「真面目じゃないしー、一生懸命じゃないしー。手抜いてるし、気も抜いてるしー。それでも神で、ヤバくて、最高なんだってさ」
さっきまでフロアを満たしていた観客たちのことを思い出す。
隣にいたオタク賢者も、他の観客も。
みんな山田さんに熱狂していた。山田さんという熱に浮かされていた。
口々に「やばい」とか「むり」とか「しんどい」とか「とうとみのかたまり」とか言っているのが聞こえてきた。うるさいなオタク。
だからきっと、山田さんの認識は本当に、その通りなんだろう。
そのぐらいに素晴らしいパフォーマンスだったのは間違いない。
だが山田さんは……ひどく退屈そうな顔で。
確かに熱狂を感じていたはずなのに、そんなもの見えていなかったかのように言う。
「なんか、騙されちゃって馬鹿だよねー。あたしが何考えてるかなんか分かんないのに、最高とか言っちゃって。でもまー、こんな楽勝ならいいかーって。覇権? 無双? 案外簡単なんだなーって」
「山田さん」
山田さんの言葉を遮るように、彼女の名前を呼んだ。
覚えやすくて呼びやすくて左右対称な、いい名前だ。
すぅ、と息を吸って、山田さんをまっすぐに見据える。
「山田さん、今日ほんとすっごいよかった」
「そ?」
「歌うと声ちょっと低くなるのマジでメロがり奏でてるし歌うまいしビジュがとにかく大優勝してて手足ちょっと長すぎて余ってるみたいなスタンス広めのダンスも拍取らなくてもバチコーンタイミング当ててるとこも激しく踊っても歌ブレないのも高音まじで喉からCD音源でてんのかってくらいブチ当ててるのもしんどい完全リアコ製造機だった」
「うわめっちゃ喋る」
「とにかく、すっごい、よかった」
ほとんど一息に言いきって、そして。
「でもね」
そう、逆説の接続詞を口にする。
目の前の山田さんの眉が、かすかに動いた。
「今のままだと、山田さんは……絶対セイラたんには勝てません」
「……は?」
「覇権、取れませんよ。それはセイラたんのものだから」
まっすぐに、山田さんと対峙する。
アイドルが簡単で、楽勝で。
それこそが、山田さんに才能があるということの証左だ。
きっとアイドルになるべくして生まれた人だ。
だけど、だけどね。
私のアイドルの方が、輝いてるんだよ。
……当たり前だけど。
「は。何ムキになってんの。ダサ」
「ムキになってるわけじゃない。ただの事実です」
山田さんが、ふんと鼻を鳴らす。
その仕草はいかにもつまらなそうで、くだらないと言いたげで。
――私の予想を、裏付ける。
「来週のミニライブ、来てみてください」
彼女に背を向けて、私はライブハウスの出口へと歩み出した。
ちらりと後ろを振り返って、不敵に笑う。
「本当のアイドルってやつを、お見せしますよ」




