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ズボラ男子の限界ごはん ~社畜に料理は難しい~  作者: 岡崎マサムネ


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2.秋刀魚の塩焼き・たぬきやっこ

「これ、実家から送ってきたかぼす。良かったらどうぞ」


 職場で向かいの席の女子社員が何やらビニール袋を持ってうろうろしていると思ったら、その言葉とともにデスクに球体が転がされた。

 ころんとした深緑のそれは、かぼすと聞いて思い浮かべたものよりいくぶん大振りだ。


「ご実家、どちらなんですか」

「大分です。向こうだと焼き魚だけじゃなく、お味噌汁とかうどんとか、結構なんでも入れちゃうんですよ」

「へぇ」


 そう言われたが、大分に縁もゆかりもない自分にとっては味噌汁に柑橘類はややハードルが高い。ラインとしては柚子胡椒がギリギリだ。


 かぼすと言われて頭に思い浮かぶのはやはり焼き魚、それも秋刀魚だった。

 大根おろしにちょろっと醤油を垂らして、強めに塩をした秋刀魚にかぼすをキュッと絞って……

 想像しただけで涎が出てきた。


 ちょうど季節もいい頃で、旬の秋刀魚がスーパーに並び始めている時期だ。

 今日は絶対に秋刀魚だ。


 デスクにちょんと乗っかったかぼすを眺めながら、すっかり秋刀魚の口になって午後の仕事に取り掛かった。



 のだが。

 退勤してスーパーに向かってみれば、秋刀魚の「さ」の字もなかった。


 いや、痕跡はある。ここにおそらく秋刀魚が入ったパックが並べられていたのだろうなという、冷蔵ケースの不自然な空白。いわば秋刀魚跡地。

 つまりは売り切れである。


 まだ閉店間際というわけでもないのに、夕飯時をわずかにすぎただけで完全に出遅れ扱い。なんたることか。

 仕事帰りにスーパーに寄るような人間には秋刀魚は必要ないだろうと、そういう経営方針なのか。


 いや、食品ロス対策、大いに結構。廃棄される可哀相な秋刀魚がいないなら、それでいいではないか。

 動物園の熊のようにのそのそとスーパーの売り場をうろつくが、秋刀魚がないというショックでもう何を見ても食指が動かない。


 もう嫌だ。秋刀魚以外何も食べたくない。

 こうなると食へのモチベーションがとことんまで落ち込んでしまう。まぁ、いいか。腹が満たせれば、何でも。


 適当な半額の総菜をカゴに放り込む。

 彼らもこんなふうにおざなりに消費されるために生まれたわけではないだろうに。すまん、総菜たちよ。


 ◆ ◆ ◆


「ねぇ冷蔵庫になんか、魚入ってるんだけど」

「あ、僕の秋刀魚です」

「山本くんの!?」


 課長がフロア全体の空間に向かって誰に聞くでもなく尋ねたので、手を挙げる。

 すると課長は驚いた様子で目を見開いた。やや声が大きかったので、他の社員の視線が気になる。


 昼休みが終わったらあまり冷蔵庫に用事がある人もいないだろうと油断していた。

 そういえば課長はいそいそとシュークリームだのエクレアだのを買い込んで、夕方あたりにぱくついているのを見る気がする。


 まさか見つかるとは、そして指摘されるとは思っていなかったので、気まずさに頭を掻きながらも、言い訳を重ねた。


「すみません。みなさんお弁当出された後なので、いいかと」

「いやまぁ、別にいいけど……何で秋刀魚?」

「仕事終わりにスーパー行っても売っていなくて。昼休みに買ってきました」

「あ、そうなんだ」


 課長も特に咎めるつもりはなかったようで、俺の言葉にあっさりと頷いた。

 パックに入ったものをさらにビニールで包んであるのだから、においも液も漏れることはない。それで咎められたらたまったものではないが。


「山本くん魚とか焼くんだ。あれだ、今流行りの、料理男子だね」

「あー、いえ、そんなんでは、はは」


 そう言われてしまって、もう乾いた笑いしか出てこない。


 世間のイメージする「料理男子」と自分の食生活は大きくかけ離れている気がする。

 おそらく今はやりの料理男子とやらは、賞味期限切れの生もやしをしがんで「まだ食えるな」とか言ったりしないだろう。


「秋刀魚、いいねぇ。今年まだ食べてないなぁ」


 自席に戻ってそうつぶやく課長。


 俺も今シーズン初秋刀魚である。

 寝て起きて仕事して、の毎日なのだから、たまにはこうして季節のものでも食べないと世間から置いて行かれてしまう。

 帰りに忘れて帰らないようにと、モニターに「冷蔵庫」と書いた付箋を張り付けた。


 ◆ ◆ ◆


 魚焼きグリル、前に使ったのはいったいいつだったか。アパートのキッチンにかろうじてビルトインされているものの、完全に持ち腐れている。

 恐る恐る開いてみるが、きちんと掃除してあった。


 よかった、前回使ったまま洗うのを忘れていたとかの大惨事が発生していなくて。そうしたら一度不貞寝を挟まないと何もする気にならないところだった。

 とはいえいつ使ったか分からないので、軽く網を水で流す。下のトレイに水を張った。


 確かここを掃除しなくても済むホイルとかそういうものが売っているのは知っているが、我が家にはそんなものは実装されていない。

 買ってもさらに持ち腐れるアイテムが増えるだけなので、もうそれなら潔く、洗う。

 洗えばいいんだろ、洗えば。


 余熱なる仕組みがあることも知っているし、網に油を塗ると皮がくっつかないことも知っている。

 知っていることと実行することは、まったく別の事象だ。


 持ち帰って冷蔵庫に安置していた秋刀魚を取り出して、グリルに斜めに設置する。最も長い対角線を利用して、ギリギリ一尾がまるごと収まった。

 たぶん火をつけたらしっぽは真っ黒焦げになるだろうくらいの配置だが、切るくらいなら焦げてもらって構わない。

 生魚切ったあとのまな板洗うとか絶対嫌だ。グリルだけでおなかいっぱいである。


 塩を振ってからグリルの扉を閉めて、中火で火をつける。焼いている間に冷凍してあった米をレンジに突っ込んだ。

 電気ケトルでお湯を沸かして、インスタントの味噌汁を準備する。あとは冷ややっこでも、……野菜がなさすぎるか、さすがに。


 インスタントの味噌汁から路線変更して、味噌汁を作ることにする。

 片手鍋にごま油を適当に垂らして、そこに冷蔵庫から取り出したもやしを投入する。水に浸してあったし、しがんだらまだイケそうだった。まぁ炒めたら大丈夫。変なにおいとかしないし。


 冷凍庫を開けると、にらを発見する。にらは冷凍しても煮てしまえば大して食感が変わらないところがいい。

 適当ににらを鍋に突っ込んで炒め、ケトルで沸きかけたお湯を片手鍋に移し替えた。そこに鶏がらスープの素を振り入れて沸騰させる。

 ぼこぼこしているところに溶いた卵を入れて火を弱め、最後に味噌を入れれば完成だ。食べるときに七味を振ってもいいな。


 卵はもやしが入っていたタッパーで溶いたし、味噌はパウチから直行する。そして片手鍋ごと食べる。

 グリルと鍋を洗うのだからこのくらいの楽はさせてほしい。


 グリルを一度開けてみると、皮に焦げ目がついて、一部爆ぜている。たぶん焼けていると信じて裏返し、再びグリルを閉めた。


 あとは大根下ろしだ。しっぽの方から半分買ってきた大根の皮をピーラーで適当に5センチ分くらい剥いて、しっぽ側からおろし金ですりおろす。

 先端は大根おろしにするもんだと思って生きてきたから、何かの時に調べて「辛みが強いので大根おろしには中間を使いましょう」みたいなのを見て仰天した覚えがある。

 仰天した結果無視している。


 皮をむいたところまで下ろしたらなんか3人前くらいある気がしてきた。軽くしぼって、半分は冷凍しておこう。

 今日の分の大根おろしを秋刀魚用の皿にスタンバイする。


 大根おろしを受けるのに使った器に3個パックの豆腐を1つ出して、めんつゆ、しょうがチューブ、冷凍の薬味ネギを振りかけ、冷ややっこはこれで完成だ。


 残りの大根は下ろしたところを薄くスライスして――むろんこれから秋刀魚を載せる予定の皿の上でやる。まな板を洗いたくないのだ――、残りはぴっちりとラップで断面を覆って包み、野菜室に戻す。


 大根は常温でいいと聞くが、もう食べ物はすべて冷蔵庫に入れたいのだ。

 複数個所に分かれると管理に思考リソースが割かれて腐らせるリスクが上がる気がする。あとこの家普通に虫も湿気も多いし。

 スライスした部分は適当に刻んで味噌汁に放り込んだ。エコロジー。


 グリルを開いて、やや焼きすぎかと思って火を止めた。焼き魚、特に丸のままだと焼き加減がイマイチよく分からない。

 まぁ生だったらチンすればいいだけなのだが。せっかくグリルを使った情緒的なものが失われる気がする。


 我が家には焼き魚用の皿などという洒落たものは存在しないので、一番大きな皿のど真ん中に秋刀魚を横たえる。

 皿がでかい。余白がすごい。いや、高級料理みたい、と言っておこう。


 皿の隅でもらってきたかぼすを半分に切る。

 大根おろしを添えて、冷ややっこの器とレンチンした米、味噌汁を鍋ごと運搬したら完成だ。


 いただきますと手を合わせて、食事を開始する。


 何はともあれ、まずは秋刀魚だ。今日はこれのための食事と言っても過言ではない。

 かぼすをきゅっと絞って箸を入れると、皮がぱりぱりと小気味よく破れていく。少し焼きすぎたのも香ばしさがあってかえってよいくらいだ。皮とともに、箸で身をつまんだ。


 白くふわふわした身からは湯気が立っていた。ちゃんと火が通っていて一安心だ。

 まずはそのまま口に運ぶ。


 うまい。

 焼き魚、うまい。

 え、焼き魚ってこんなうまかったか?

 染み渡るうまさだ。


 塩気と酸味、そして魚の脂と身のうまみが心身をじんわり癒していく。これが「滋味」というやつか。

 昔は焼き魚なんてメニューにあっても選ばなかった。何なら実家でおかずが焼き魚だとテンションが下がっていた。

 それがどうだ、今やわざわざ秋刀魚を買ってきて焼くまでになっている。これが年を取るということか。


 続けて味噌汁を一口すする。

 ごま油の風味と中華だし、そして出汁入り味噌が調和して、和風と中華風の中間ぐらいの味付けだ。

 普通の味噌汁よりもややパンチがあって、米が進む。卵も固くなりすぎずふわふわしていていい具合だ。もやしとニラ、そして申し訳程度の大根が「野菜を食べましたよ」感を演出してくれている。


 米をかきこんで、再び秋刀魚に向き直る。

 今度は大根おろしに醤油を垂らして、それと一緒に身を口に運んだ。


 ああ、これこれ。秋刀魚と言えばこれだよなぁ。

 望んでいた通りの味と食感に思わず頬が緩む。いや、皮目の香ばしさとか搾りたてのかぼすの香りと風味とか、望んでいたよりもちょっと贅沢な味わいだ。

 こういう贅沢が日々を生きる糧になる。やっぱグリルで焼いて正解だし、かぼすもうまいわ。


 塩だけでそのまま食べても十分うまかったが、醤油と大根おろしが加わると途端に「ご飯の友」に進化する。白米が進む、進む。

 内臓の苦みもいいアクセントだ。これがおいしく感じるようになったのも、大人になったってことなんだろうな。


 あっという間に半身食べ終えて、骨を外してもう半分に取り掛かる。

 ここで忘れていた冷ややっこに箸を伸ばした。

 めんつゆと生姜、そして豆腐のやさしい甘味。

 ……でもちょっと、物足りない気がする。


 席を立って、冷蔵庫から天かすを持ってきて振りかける。冷奴がたぬき奴にグレードアップした。

 ざくざくした天かすにめんつゆがしみてじゅわっと柔らかくなる。この過程も楽しい。

 他が「丁寧な暮らし」みたいなメニューなんだから、ここくらいちょっとジャンクだっていいだろう。丁寧な暮らしの人は鍋から直にもやしを啜ったりしないと思うが。


 もやしも結構かさがあったし、秋刀魚だって奮発してかなり脂ののったものを買ってきたのに、不思議とするすると食べられてしまう。

 これが和食。大人の胃腸にもやさしい。

 頭と黒焦げのしっぽ、そして大きな骨を残して食べ終えて、両手を合わせる。


 うまかった。本当に。

 たまには季節を味わうというのもいいものだ。


 ◆ ◆ ◆


 翌日、ビニールに突っ込んだ生ごみが想像よりにおいを発していなかったことで、夏よりもずいぶん気温が下がったのだと実感した。

 秋だなぁ。

 秋もこんなことで感じられたくないだろうけど。


 まぁ、諸々コミコミにして、秋刀魚で秋を感じた、ということにしておこう。






東京の人はたぬきやっこ、あんまりやらないと聞きました。本当ですか?

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