麦の穂の一族 ・
視察団が帰国してしばらくしたある日、王宮から国民に向けて発表があった。我がロマーン王国と隣国ホランド王国の間に相互不可侵条約が締結されたのだ。
アレクサンドル様によると、ここに至るまでには紆余曲折があったらしいが、陛下の最後の偉大な功績として歴史に残ることになるのは間違いない。
民衆は喜んだ。戦争で主に命が失われるのは常に前線にいる平民出身の兵隊だったからだ。
とりあえず隣国との間には戦争がないという安心感はとんでもなく大きかった。浮かれた空気はお財布の紐をゆるくする。
ええ、売れていますよ、ポニー。
その浮かれた空気の中、第一王子グリード様と侯爵家令嬢ハルベリー・トワイス様の結婚式が行われた。
道の両側に詰めかけた民衆たちの祝福の中、華麗な馬車に乗った二人は眩しく輝いていた。
私は十六歳になった。この国では成人だ。
大人向けデザインのドレスを着た私は、アレクサンドル様と共に馬車を王宮で見送った。
また馬車が戻ってくる間に晩餐会に向けて着替えたり諸外国の要人と会話したりと慌ただしい。
馬車が去り、集まった人々がバラけた街中には、色んな色の個人所有の自動走行機が走っている。
一年かけてポニー製造に関する下請けの工場は三つになり、今ではずいぶん洗練されたデザインのポニーが売り出されている。
座席付きの四人乗りの大型自動走行機もちらほら見られるが、そちらはまだ貴族や裕福な商人たちのものだ。
ホランド国でもポニーは売り出され、さらに現地生産の準備も順調に進められている。
十六歳の私はと言うと、慣れないコルセットに締め付けられたおなかが苦しくて、空腹なのに何も食べることができず甘くしたホットミルクを飲んでしのいでいる。
「マリアンヌ、コルセットを付けて夜会に出なかったツケだわね、それ」
カタリナお姉さまが涼しい顔でサンドイッチをつまみながら私を見て苦笑している。
「お姉さま、よく食べられますね。私、ひと口だって無理だわ。次は女性がコルセット無しでも美しく見えるドレスを発明したい気分よ。女性だけがこんな苦しみを我慢するなんて理不尽すぎます」
「ああ、それいいわね。楽で美しく見えるドレス。絶対に売れるわよ」
笑顔が少々令嬢らしくない。
そんなお姉さまの隣にいるのは視察団の副団長をしていた男性だ。
視察の時、普段は静かな雰囲気なのに現物を前にすると鋭い眼差しで色々質問をしていた販売担当の人、ピーターさんだ。
ホランド国の現地生産が決まり頻繁に両国を行き来して打ち合わせをしているうちに、意気投合して婚約の運びとなった。
いずれは実家の伯爵家に婿入りしてくれるそうだけど、お姉さまは結婚しても商売から手を引く気はないらしい。むしろ我が国とホランド国の両方を相手に商売の手を広げる気満々だ。
お父様が私の隣に来た。そっと私の頭に手を乗せ、窓の外の王宮の庭を眺めながらしんみりしている。
「次はマリアンヌの結婚式だな」
アレクサンドル様は私との来年の結婚と同時に王位継承権を持ったまま公爵になることが決まった。
□ □ □ □ □
グリード様の結婚式から十年が過ぎた。私は二十六歳、夫のアレクサンドル様は三十一歳になった。
国王陛下は体調不良から先日自ら退位され、グリード様はこの国の王様になられた。
残念なことにグリード様たちには十年を経てお子様が生まれない。第二夫人を、とハルベリー王妃は自ら願い出たけれど、グリード様はその願いを受けなかった。グリード様はハルベリー王妃様以外は不要だ、と拒否されたのだ。
しかし、王宮にも国内にも憂いは少ない。なぜなら、公爵家の長男が次の国王になる気満々で、議会も国民もそれを支持しているからだ。
「お母さま、ただいま帰りました! まだ読書されてたんですか! お母さまもニコも昼に僕が出かけた時と全く同じ場所で同じ姿勢なんですが!」
長男のハロルドは六歳だ。剣の鍛錬から帰るなり私に小言を言う口調がカタリナお姉さまにそっくりなのはなぜだろう。
前の国王様譲りの茶色に見える濃い金髪が汗で額に張り付いている。湯浴みをさせなくては。風邪をひかせたら彼を溺愛している前国王様が大騒ぎなさるに違いない。
ちなみに私が読んでいた本のタイトルは「麦穂の一族」という題でホランド国で出版されたものだ。自由と発明を愛した一人の天才の一生の実話だ。最後の章には一族の一人として私のことも書いてある。
次男のニコラスは三歳で、私の足元でしゃがみ込んでいる。ニコは蟻たちの戦争を眺めているのだ。
黒い蟻が赤茶色の蟻の巣を襲い、卵や蛹を奪って巣に持ち帰っているのから目が離せないそうだ。金髪に翡翠の瞳。中も外も私に似ている。
私の椅子の隣、ゆりかごの中で眠っているフローラは私の母から名前をもらった女の子で、黒髪黒目で綺麗な顔立ちは旦那様にそっくりだ。
「今日の鍛錬はどうでしたか?」
「先生にとても誉められました!ホランド語も上手だって語学の先生にも誉められました!」
一度、旦那様が心配して「国王様に子供が生まれればハロルドは王様にはなれない。二番手として生きることになるんだ。それでも国王になるための努力をしていく覚悟があるかい?」と聞いたことがあるそうだ。
その時五歳だったハロルドは迷うことなく「その時はカタリナ伯母様の会社を継ぎなさいと言われていますから心配いりません!」と答えたらしい。
カタリナお姉さま……幼児相手にいつの間にそんな密約を交わしたのですか。
我が家には新世代の小型自動走行機が三台と、同じく新世代の大型自動走行機が二台ある。どちらもガスが燃料だ。
街には色とりどりのポニーが走り回り、石畳の整備された街道であれば、ペガサスも街から街へと走っている。
そろそろ旦那様が帰ってくる頃だ。旦那様はロマーン公爵でありアレックス商会の会頭であり、ランドフーリア自動走行機株式会社の役員でもある。
カタリナお姉さま曰く旦那様は大器晩成型、だそうだ。いや、学園の同級生とは言えちょっと失礼ではないかその言い方。
「ただいま、マリー」
「おかえりなさい、アレックス。お仕事お疲れ様でした」
「君のデザインした一人乗り専用のポニーは大好評だ。来週からの販売だっていうのに既に予約が殺到だ」
「それなんですが、全ての街と街を繋ぐ街道を効率的に整備する良い方法を思いついたんです。そしたらポニーでどこまでも…」
「……」
アレクサンドル様が私を見つめているのに気づいてハッとした。
「あっ、ごめんなさい!お疲れのところに仕事の話をしてしまって」
「違うよ。生き生きした顔に見とれたんだ。君は……どんどんきれいになっていくんだな」
「なっ!」
ハロルドが私たちを見上げている。
「お父さま、お母さま、食事の時間ですよ。せっかくの料理が冷めてしまいます」
息子にしかめ面で注意されてしまった。
私は読んでいた本をそっと閉じて屋敷に向かった。
子供の頃読んだ物語には、後妻の産んだ娘が悪役令嬢になって成敗されるお話が書いてあったけれど、私は今、たくさんの幸せに包まれて自由を手にして生きている。
この続きは『公爵夫人マリアンヌの、優雅ではない日常』です。
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