107話
〝こんな俺を褒めてくれたのは、君で2人目なんだ。〟
2人目…。
では、1人目は誰なのだろうか。
そんな素朴な疑問を感じていると、一旦落ち着いたエーミールが突然ハッと何かに気付き、今度はアワアワと慌てだした。
『す、すみません…!お、お俺、なんか調子に乗って、君に失礼なことを言っちゃって…!!すみません…!!』
敬語に戻ったエーミールは、私にペコペコと頭を下げてきた。
『別に気にしていないわ。……あんなことがあった後だもの。平常心でいられる人の方が少ないわ。』
『で、ですが…!』
まだ何か言おうとしてくるエーミールの額を指で軽く小突く。すると、エーミールは「あぅ。」と情けない声を出した。
『それと、敬語じゃなくて、さっきみたいな砕けた話し方で構わないわ。歳もそんなに変わらないと思うし。』
私の提案にエーミールは、考えあぐねるようにして、しばらくオロオロと視線をさまよわせていたが、最後にはぎこちなく頷いてくれた。それを見て、内心安堵する。正直な話し、同年代の異性に敬語で話されるとユリウスの顔がチラつくのだ。
『…どうか、した…?』
私の心の揺れを敏感に察したエーミールは、不安げにこちらの様子を伺ってきた。私は咄嗟に笑みを貼り付ける。
『何でもないわ。…さ、もう休みましょう。これで、貴方の体調が悪化でもしたら私がビアンカに怒られてしまうわ。』
上体を起こしたままのエーミールの肩を軽く押して、入眠を促す。エーミールは特に抵抗することなく、素直にそのまま横になってくれた。
安心させるように、できるだけ優しい声音で『おやすみ、エーミール。』と言った私は、しっかりとエーミールに布団を被せる。すると、彼は何か言いたげに口元をモゴモゴと動かした。
『…まだ何か気になることがあるの?』
気になって彼に疑問を投げかければ、エーミールは言うか言わまいか、迷った様子を見せたのち、恐る恐る口を開いた。
『……き、君のこと、ずっと、怖い人だと思っていた。』
『……。』
……やはり、怖がられていたようだ。
彼の様子から何となく察してはいたのだが…本人の口から改めて言われると、胸に刺さるものがある。
『ずっと俺のこと睨んでたし………あ、い、今は違うよ…!こんな気持ち悪い俺に優しくしてくれる君は、良い人だ。へへ。』
『あ、あれは、貴方を睨んでいたんじゃなくて…』
『君は、俺の友達に少し似ている…気がする。』
『え?』
『………。』
『エーミール?』
返事の代わりに返ってきたのは、穏やかな寝息だった。
彼は当然異国の地で襲われて、右も左も分からない森をあてもなく、力尽きるまで歩き続けていたのだから、寝てしまうのも無理はない。
私は、エーミールを起こさないように、こっそりと彼の寝顔を盗み見た。
相変わらずワカメのような長い前髪のせいで顔を拝むことは出来ないが、かろうじて見える頬や唇の血色は悪くない。呼吸も穏やかで、これなら心配はいらないだろう。
襲われた記憶がフラッシュバックして不眠に至る可能性も考えていたので、こうして穏やかに眠りについたエーミールに、ホッと安堵の息をついた。
エーミールの容態に安心した私が次に気になったのが、彼の素顔である。こうして頑なに隠されていると、逆に気になってしまうのが人間のさがというもの。ついつい好奇心に駆られ、エーミールの前髪に触れようとして―――やめた。
彼は、自分の意思で顔を隠している。それを他者が勝手に暴いてしまったら、彼は酷く傷付くだろう。そして、私は彼からの信用を失うのだ。
―それは……嫌だな…。
彼がこれ以上傷付くことも、彼に嫌われることも。
私は何もせずに、しばらくの間、静かに眠るエーミールを見守り続けた。
*****
穏やかに晴れた冬の朝。
新たにエーミールを加え、賑やかな朝食を過ごした私たちは、談笑をしつつ食後のお茶を待っていた。
「…あっ!」
お茶を入れようとしていたベルが、陶器の茶葉入れの蓋を開けた瞬間、声を上げた。
「ベル、どうしたの?」
「申し訳ありません、お嬢様。カモミールティーの茶葉が無くなってしまいました…。」
「あら、そうなの。」
ろくに準備もせずに、逃げるように帝都を飛び出して来てしまったのが原因だ。
ここに来て1週間が過ぎ、茶葉以外の消耗品も底を尽きようとしていた。
「ぺチャパイちゃん。キッチンの棚にアールグレイがあるから、それ使っていいわよ。」
「ぺチャパイじゃなくて、ベルです!…遠慮なく、使わせて頂きますぅー。」
ぷりぷりとしながら、ベルはキッチンの方へと消えていった。
『さて、そろそろ本題に入りましょうか。』
デューデン語で話し始めたビアンカに、私とエーミールは頷いた。
『ワカメちゃん。これからどうするの?』
ビアンカの言う〝ワカメちゃん〟とは、お察しの通りエーミールのことである。
彼女は、変な愛称で呼ばないと死んでしまうような呪いにでもかかっているのだろうか。
『す、すみません…。まだ、どうするか決まっていなくて…。』
今のエーミールは、一文無しだ。
目的の帝都に向かうか、それともデューデンへと帰るのか。どちらにせよ、お金が必要である。だが、私には自由に使えるお金がない。
『ねぇ、ビアンカ。エーミールにお金を貸すことって、できないかしら。』
『できないわ。アタシ、お金の貸し借りはしない主義なの。』
ぴしゃりと言われてしまえば、世間知らずの私は黙るしかない。食べ物や衣服を分け与えるのとは、訳が違うのだ。
『でも、稼ぐ方法はあるわ。』
『ほ、本当ですか…!』
エーミールが縋るようにビアンカの方を見れば、彼女はニヤリと人の悪い顔をした。
『その若い身体でね♡』
『ひぇ…』
『ビアンカ!!』
『んもー。冗談よぉ~!じょ・う・だ・ん♡そんなに怖い顔をしないで頂戴。』
正直、彼女の話は何処からが本気なのか分からない。
「食後の紅茶をお持ちしました。」
実にならない会話をしていると、キッチンからベルが帰ってきた。
ベルガモットの落ち着きのある芳香が、鼻先を掠める。
ちなみに、ノルデンではハーブティーよりも紅茶の方が好まれているのだ。
ベルが入れてくれた紅茶の飲み、ほっと一息をつく。爽やかな柑橘系の香りに包まれて、気持ちがスッキリとしてきた。たまには紅茶を頂くのもいいかもしれない。
だが、飲めないとわかると、途端にカモミールティーが恋しくなる。
―……あ、そうだわ。
ふいに、ひとつの名案が頭に浮かんだ。
『ねぇ、エーミール。』
『な、なに?』
『私、帝都に行く用事が出来たの。』
『え……?』
『エーミールも一緒にどうかしら。』
第6章「不完全な羽化」完




