38:終わる世界は明日も続く
体を綺麗にして、服を着替えて。
まるで眠っているかの様に、彼女はそこに横たわっていた。
家族が拭いた後、小森ともう一人の看護師の処置が終わったので、家族を呼びに行ったのを見計らって、カグヤは部屋に入った。。
部屋にはカグヤと富岡だけだった。
「富岡」
カグヤは声をかけた。
もう、返事はないのはわかっている。
涙が溢れてしまわないように、深呼吸をした。
「あなたはとても口が悪かったけれど。でも、富岡」
もう一度、深呼吸をする。
「ありがとう。あなたと話すのは、嫌いじゃなかったわ」
そして、富岡の体に触れた。
冷たくひんやりとしていて、もう誰もいない抜け殻。
でも、カグヤには、小さく返事が聞こえた気がした。
カグヤの目から、涙が零れた。
富岡の葬儀は、しめやかに営まれた。
多くの人が葬儀に来ていて、生前人徳があったらしいことを伺わせた。
そうして次の日、火葬場で荼毘に付された。
骨になるまでの時間は、思ったよりも短い。
それでも、待つ者にとってはとても長く思えた。
骨を拾い、骨壺に入れていく。
これは足の骨、これは鎖骨。
係の人が言うのを聞きながら、家族で箸を回していく。
最後に小さな箒とちりとりで、細かな骨も骨壺に入れられた。
その帰り道、タクシーを降りたコウキは、家族の一番後ろを歩いていた。
カグヤは、その後ろ姿を追いかける。
声をかけようと思ったけれど、なかなか一人にならなかったから。
どう声をかけていいのか、迷いながらもカグヤは後ろからコウキを追いかけた。
大通りから少し入った所に実家はあるようだ。
角を曲がって、脇道に入っていく。
それは、一瞬の事だった。
角を曲がろうとしていたコウキは、次の瞬間宙を舞った。
わき道から猛スピードで出てきた自転車がぶつかったのだ。
自転車も衝撃で激しい音を立てて倒れた。
「コウキ、コウキ!」
カグヤはすぐに実体化して、飛ばされたコウキに駆け寄る。
動かないコウキ体の状態を確認して、すぐにカグヤは力を使った。
コウキの家族も音で引き返してきたようだ。
妹が駆け寄ってくるのが見えた。
「いってぇ……」
自転車を運転していた男が立ち上がった。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
妹が叫びながらコウキを揺らした。
「揺らしてはだめよ」
カグヤが妹の腕を掴む。視線を合わせてゆっくりと言った。
「救急車を呼んで。大丈夫、助かるわ」
その声に、力を乗せる。妹は少し落ち着いたように頷いた。
救急車が来て、コウキの状態を確認している間に、妹がカグヤに頭を下げた。
「あの、ありがとうございました!」
「いえ、いいのよ。彼とは知り合いだったから、これは何かの縁だったのかも。さあ、行って」
「知り合い……? あの、お名前は」
「カグヤ、と。それでわかるわ」
その時、救急隊員が出発します! と声をかけた。
妹が一礼して乗り込むと、ドアが閉められる。
そして、サイレンを鳴らしながらその場を去った。
警察も来ており、父親と自転車運転手に話を聞いていた。
カグヤはゆっくりと消えるようにその場を離れた。
病院に搬送されたコウキは脳震盪と診断され、経過観察のために入院となった。
その夜。カグヤは病室が無人なのを確認して実体化した。
診察していた時は意識が戻っていたが、今は穏やかに眠っている。
カグヤはそっと、その頬に手を当てた。
ピクリと瞼が震える。
目を開けたコウキは、ぼんやりとこちらを見ていた。
「あれ、カグヤさん?」
「おはよう、コウキ。体の調子はどうかしら?」
「なんか、体は痛いっすけど、大丈夫っぽいです」
「そう、良かったわ」
少しの間、二人の間に沈黙が落ちる。
「なんで、来てくれなかったんすか」
コウキはじっとカグヤを見つめた。
「あなたが気づかなかっただけ。富岡とはお別れを済ませたわ」
「そうっすか……」
カグヤは一息つくと、コウキを見つめた。
「今は自分の事だけ考えなさい。体を、大切にするのよ」
「なんか、カグヤさんに言われると変な気分っすね」
「私からのたまのお願いくらい、聞きなさい」
「わかりましたよ。お願いは、たまにじゃないとは思いますけど」
「……あなた、富岡に似てきたわね」
コウキはそうっすか? と笑った。
「孫、ですからね」
涙と共に。
しばらく、二人で泣いて、笑った。
「元気で過ごすのよ」
カグヤはそう言って、病室を後にした。
それから先、コウキがカグヤを呼んでも、彼女が現れることは一度もなかった。
〇 〇 〇
閑静な住宅街にあるとある家。
その一室には、老いた一人の男がいた。
体はうまく動かず、起き上がるのも人の助けがいる。
近いうちにやってくるであろう終焉を、ただ彼は待っていた。
ベッドに横になっていると、美しい黒髪の、黒いワンピースを着た少女が部屋に入ってきた。
その眼差しは、深く穏やかに彼を見ていた。
彼は一言、話しかけた。
彼女はゆっくりと頷いた。
彼女も一言、彼に話しかけた。
彼はそれに首を振る。
そして、自分の人生を語りだした。
結婚したこと、子どもができたこと、孫もできて、それがとても可愛い女の子だと言うこと。その孫ももう就職して、忙しくしていること。
楽しい人生だったか、と尋ねられたので、満面の笑みを浮かべて、ゆっくりと頷いた。
彼女は満足げに、何かを呟いた。
彼が語り終わって、しばらくして。
午後の日差しが部屋に差し込む頃。
美しい光の雨を浴びながら、彼はゆっくりと目を閉じた。
〇 〇 〇
「一回だけの、約束だった」
カグヤはシムルに呟いた。
「彼はもう、死んでいた。でも、諦めきれなかった。これは私のエゴよ。彼が理から外れて、この世界で生きていけなくても、私は彼を助けたかった」
シムルは黙ってカグヤの言うことを聞いていた。
「だって、これからだったじゃない。彼が人生を輝かせると、決めたばかりだった。だから、私は父に許しを請いに行った。そして、一度だけだと許可をもらった。彼は、私を成長させてくれたから、その人生に一度だけ、続きを与えていいと。代わりに、私は彼と接触することを禁じられた。その人生の幕が下りる、その時まで」
しばらくの間、沈黙が降りる。
シムルはゆっくりと、カグヤを見上げた。
「だから今回は賭けだった。彼の命が尽きるその直前だけ。少しだけ、下りそうになる幕の隙間から、彼と話しができるかも、と」
シムルは頷いた。
「話ができて、良かったなぁ」
「ええ、本当に……本当に、良かったわ。ずっと見ているだけだった。彼と話したくても、話せばその瞬間に彼は死んでしまうから、待ち続けた。彼は生物としての寿命を全うしたから、待つのは一瞬の様でとても長かったわ」
カグヤは、もういない人を思って虚空を見上げた。
「あなたの人生は、本当にキラキラしてたわ、コウキ」
あなたの世界は終わっても、世界はずっと続いている。
それが悲しくて、寂しくて、切なくて。
だから、私の心の中で、あなたの世界は続いてほしい。
「忘れない。ずっと、ずっと」
これまでお読みいただき、ありがとうございました。




