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36:お花見

 シムルには先に中庭に行ってもらう。

 コウキが看護師を呼び、富岡が車いすへ移された。

 コウキがゆっくりと車いすを押し、それに合わせるように廊下を進む。


「そういえば、俺、家族に会ったんっす」


 コウキが話し始める。

 富岡もカグヤも黙って聞いていた。


「どんな顔して会えばって思ってたけど……妹なんか、あんなに小っちゃかったのに、いっちょ前にでかくなってて。くっそ生意気になってました」


 コウキはにかむように笑って、続けた。


「親父には、一発殴られました。で、母さんと揃って泣かれました」


 参っちゃいましたよ、と穏やかな声で呟いた。


「突然飛び出して行って、それなりに家族めちゃめちゃにしたと思ってたのに、こんな風に迎え入れてもらえること、あるんですね」

「それは、おまえがちゃんと筋を通してたからさ」


 富岡が言った。


「息子からも話は聞いたけどね。おまえはあと一歩で、こちら側に帰ってこれないところまで行ってたんだ。それを踏みとどまるってのは、並大抵じゃない。親としてはそういう時ほど頼ってほしかっただろうがね。それを乗り越えたのはおまえの強さだ。もちろん、私も含めた家族が、おまえが出ていったことで被った色んなことを忘れちゃいけない。でもね、おまえが出ていくほど追い詰めたのもこちら側だ。良く帰ってきてくれた、と珍しく殊勝なことを言ってたよ」


 エレベータがやってくる。

 先客がおり、小さな箱の中は沈黙に包まれた。




 中庭へ到着した。

 一面が桃色で埋め尽くされていた。

 うわー、とコウキが声をあげる。


「いい、景色だね」


 富岡が呟いた。

 ベッドからは見ることの叶わない、満開の桜。


「本当に、満開っすね! 晴れて良かった!」


 にこにこと笑うコウキと、富岡が良く座っていたベンチへ向かう。

 ベンチの上ではシムルが丸くなっていた。周りには誰も人がいない。


「あなた、器用なことができるようになったのね」

「まあな」


 どうやらシムルが人除けの力を使ったらしい。カグヤの一部だと認識したとはいえ、その進歩に驚きながら、ベンチの横へ富岡の車いすを止めた。


 目の前には、いつかのカグヤが座っていた、大きな桜の木が、零れ落ちそうに花を咲かせていた。

 おおー、とコウキがスマホで写真を撮りに行っている。


「あなたと会ったのは、ここだったわね」

「ああ、そうだったね。まったく、最初は死神かと思ったが、まだそこそこましなもんで良かったよ」

「……相変わらず、歯に衣着せぬ物言いね」

「この性格でうん十年生きてんだ。今更変えられやしないさ」

「そういうものかしらね。まあ、私も人のことは言えないわ」

「そういうもんだよ。おまえも私くらい老成したら、わかるだろうさ」

「私、あなたより年上のはずなんだけれど……」

「それなら熟成具合が足りなさすぎだね。今の五倍生きたらわかるんじゃないかい」


 ざあ、と風が吹き、無数の花びらが視界を埋める。


「私もおまえくらい寿命があれば、と思ったが、それだと自分よりも若いもんを見送っていかなきゃならん。それもまた辛い。長生きってのは、難しいね」

「そうね……」


 いつか見送らなければならないことを、カグヤは知っている。

 今までだって、カグヤが気に留めていなかっただけで、たくさんのヒトが生まれて死んでいくのを眺めてきた。


「ばあちゃん、かぐやさん、お待たせしました! つい綺麗で夢中になっちゃって」


 コウキが戻ってくる。写真を撮り終わったようだ。


「カグヤさん、お願いしてもいいですか?」

「いいわ。では、富岡。今からお散歩しましょうか」

「散歩? もう来てるじゃないか」


 カグヤは答えず、ゆっくりと二人が見える景色を変えていく。


 大きな桜の木が、ゆっくりと移動する。

 目の前の景色が見えやすくなるように、左へ。


 目の前には、暗い水を湛えた大きな湖。

 辺りは夜明け前のように薄暗い。


 その時、辺りがぼんやりと明るくなり始めた。

 光が満ちて、湖の向こうに山の輪郭が現れる。


 まもなくして、光が射した。

 山の冠雪が、光を反射してまばゆく光る。

 辺りがさらに明るくなり、桜の花びらが風に吹かれているのが見えた。


 富士山が、光を浴びながらそこに佇んでいた。




「あんた、これ、いったい」


 しばらく驚きからか声を発しなかった富岡が、ゆっくりと口を開く。


「コウキに、あなたに富士山を見せてほしいって頼まれたの。あなたの状態的に、連れてくるのは無理だから、あなたの網膜に直接この映像を映してるの。気に入ってもらえたかしら?」

「ばあちゃん、富士山好きだっただろ? だからカグヤさんにお願いしたら、引き受けてくれたんだ。こんなこともできるなんて、ほんと凄いよな」


 コウキが富岡の顔を覗き込むように笑った。

 それにつられてか、富岡の緊張した顔が少し緩む。


「景色は映像だけれど、この桜は本物よ」


 カグヤは舞い散る桜の花びらを一つつまむと、富岡に渡した。

 富岡の手のひらに、ひらりと花びらが落ちる。


「これは中庭の桜。でも、今はここの桜。少しの間だけれど、富士を見ながらお花見を楽しんで頂戴」


 そして、カグヤは一歩下がると、ベンチで丸くなるシムルの横に座った。

 富岡は手のひらの上にある桜の花びらをしばらく見つめた後、再び富士山に向き直った。


 桜の木が風に揺れてさらさらと音を立てる。

 風が吹いて花びらが舞い、富岡の頬を撫でていく。


 目を細めたその姿は、普段の彼女からは想像できないほど穏やかだった。





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