34:父の話
『さて、おまえも聞きたいことがたくさんあるかもしれないが、私だっておまえが旅で感じたことを知りたいんだ。次はおまえの番だよ。ああ、言葉になどしなくていい。おまえが感じたことを思い出すだけで良いのだ。やっていたことは全部知っているからね』
得体の知れない声に自分の全てを知られるのは抵抗があったが、声の言葉にカグヤの記憶が刺激され、するすると様々な思い出が脳裏をよぎる。
『……ふむふむ、なるほど。おまえはたくさんのことを学んだようだね。死とは何か、ヒトの生き様とは何か、も面白い。だがこれは、愛情、というものかな?実に興味深い。私には愛、というものはよくわからない。美しいものは好きだし、面白いものには興味をそそられるけれど、それが他のもっと美しいものを汚すなら躊躇なく塗りつぶしてしまえる。愛しいからと思いとどまることはしない。
私にとってヒトがどういう存在かって? あれは、興味の対象ではあるね。私の中では実にまれな存在ではある。おまえやそこの影はヒトの形にしてみたし、意思疎通するための言葉はヒトと同じにするくらいには興味深い。ああ、ちなみにおまえの名前は、おまえのいたニホンの古き時代のおとぎ話から取ったのだよ。ちょうどそれが都で話題になっていて、おまえのようだと思ったからね。
自分はヒトが誕生する前からあの世界を見ている? いや、それはおまえに埋め込まれた記憶だ。おまえは何度も窓を開け閉めしたし、地球の創成期から知っていると思っているかもしれんが、それは私の記録を基に創った記憶をおまえに移し、それをおまえが追体験しただけだ。だから、いつからあの場所にいるのか、はっきりとは思い出せないだろう?
ん? おまえがヒトを消滅させてしまったらどうしたかって?』
声は少し考えるように少し黙って、続けた。
『おまえの記憶には鍵がかかっていただろう。あれは、おまえに様々な制約をかけていた。星自体を破壊しようとは思わないこと、ヒトを消滅させようとした時はおまえの記憶を一度リセットすること。他にもあるが、もしリセットされればその猫はおまえの手を離れることになるから、消えてしまっただろう。……怒っているのかい? でもそれが実行に移されたわけではないのだから、いいじゃないか。
そもそもなぜ、おまえを創ったのか? それは、難しいね。私自身と隣の世界の要素を取り込んだらどうなるか、試してみたかったのもあるし、私以外の目で見る私の中を知りたかったのもある。私はおまえには見えないものまで見ることができるが、おまえはおまえで私とは違う見え方をするようだし、見るだけでなく、更にその内側にまで入り込んでそのものの思考を視ることができる。それだけじゃない。物質である限り逃れられない法則を無視することもできる。それは隣の世界の力だよ』
「あなただって」
カグヤはようやく掠れるように声を出した。
「私の思考を読んでいるわ」
『うーん、それは勘違いだ。私はおまえを前にしてようやく同調することができた。おまえには見えていないだろうが、私からおまえに同調のための糸が伸ばされている。私はこれがなければ、いくら自分自身から分離させたおまえとはいえ、思考を知ることはできないのだよ』
「……そうなの」
ようやくカグヤは一息ついた。
「不快だったわ。私自身を生み出したものとはいえ、こうペラペラと自分の思考を勝手に声に出されて、一方的に話し続けられるのは。私は会話することが大切だと知ったの。自分のことも言うけれど、相手の事もきちんと聞かなきゃ、会話にはならないわ」
『まさか』
「まさか? あなた、言ってたじゃない。私には隣の要素が残ったけど、あちらにはあなたの要素は弾かれたって。つまりはそういうことでしょ? あなたが自分で教えてくれたわ」
カグヤのすぐそばで、ブチリ、と音がした。
「あなたからの糸が見えなくても、あなたの糸が私に入り込む隙間を無くしてしまえばいい。あなたはあちらの要素と言っていたけれど、これはもう私の力よ」
目の前の黒い円が、少し震えた気がした。
カグヤは続ける。
「シムルだってそう。あなたは消せると言っていたけれど、本当に? シムルはすでにあなたの法則からは外れている。私が命を救った時点で。私の力が影響しているものに手は出せないのではないの?」
目の前の円が、より大きく震えだす。
カグヤは一歩下がり、身構える。
「恐れながら」
その場に調子の軽い声が割り込む。先ほど影、と言われていた黒い人型だ。
「すでにお嬢様との繋がりは絶たれているので、声を出さねば伝わらぬものと思われます」
途端に目の前の円から声があふれ出た。先ほど内側から聞こえていた声が、今度は耳を通して聞こえる。
「素晴らしい! 私自身であったものが、私を拒絶することもできるようになるとは、初めての経験だ。悪くない。おまえもその力を使いこなせるとは……そうか、ヒトだな。ヒトの知識を集めるようおまえにこっそり課していたのが功をそうしたか。あれらは想像力の塊だからな。おまえがその力を操る助けになったか。ああ、おまえが集めた知識や感情を私にも教えてほしい所だが、おまえともう同調することはできない。それだけは残念だが、素晴らしいことだよ」
黒い円は満足気だった。その表面は光を反射することなくのっぺりとしていて、顔さえもないものだったが、小刻みに揺れる様子はうんうん、と頷いているようだった。
「おや、その表情は意外だとでも言いたそうだね。言っただろう。私の中に面白いものが増えるのは大歓迎だと。全てがおまえのように私の手の届かないものになってしまうのは少し困るけれど、その時は、こうして眺めているだけでも面白いものだときっと思うだろう。いつかは私自身の意思さえも塗りつぶされてしまうことがあるかもしれない。それでも、私という存在は消えはしない。だって現におまえの中には私がいる。水とビー玉があってはじめて、おまえという存在を創り出しているのだから」
「……あなたは、自分の意思が消えてしまうことが恐ろしくはないの?」
「恐ろしい?」
少し考えこむように間が空く。
穏やかな風が吹き、カグヤの髪を揺らす。地面から砂が巻き上げられ、カグヤと円の間を舞った。
「おまえが言う恐ろしい、という感情を、私はまだ正確に理解はしていない。言っている意味はわかる。ヒトが死に向き合う感情もその一つだろう? だが、私は私自身を脅威にさらされたことがまだない。私と同列の存在が意思を失うのを見たこともなければ、そもそもそういった存在をまだ認識したこともない。だからもしかしたら、自分の意思が消えてしまうその瞬間まで、気づくこともないのかもしれない。……私のような存在にとっては難しい感情だ」
そうだね、と声は続ける。
「私はこの世界の根源となる存在ではある。だが、ヒトが自身の体全てを把握していないように、私も全ては把握していない。ヒトと違って、知りたいと思ったことはすぐに知ることはできる。だがそれは物質としての動きだけだ。その動きが何を意味するのかは、わからないことも多い。だからね、カグヤ」
初めて名前を呼ばれ、カグヤの体がピクリと震えた。
「私はおまえを創ったんだ。私であって、私でないもの。隣の世界に渦巻く美しいものを取り込んだ、私の娘。おまえに私自身を教えてほしくて、私はおまえを創ったのだよ。私に対する負の感情さえも、私にとっては新鮮で、心が湧きたつような不思議な感覚だ」
ヒトが子に色々教わる、と言うのも本当なんだね、と声は呟いた。




