表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/39

19:一生懸命生きるということ

「で、なんでそれを俺に聞くんっすか」

「わからないことは聞いてみるのもおもしろい、と最近学んだのよ」


 はあ、とコウキはため息をつく。

 今日はため息をよく聞く、とカグヤは思った。


 富岡は探しに来た看護師に散歩は三十分のお約束です、と怒られながら車いすで連れて行かれたらしい。

 明日も来るからね!と帰り際にどすの利いた声で言われちゃいましたよ、困っちゃいますね、と全く困ってない様子でコウキは笑っていた。


 そして、カグヤは工藤と保坂とのやり取りについて話し、先ほどとは打って変わって不機嫌顔のコウキを前にしている。


「だとしても、それってマスターの超プライベートな話じゃないっすか。そういうの、人に言うの、良くないと思いますよ」

「ああ、ヒトの間ではそうなのね」

「常識だと思います」


 何度も会っているせいだろうか。

 コウキはカグヤに対して、だんだん遠慮がなくなっているような気がする。


「でもまあ、聞いちゃった俺も同罪っすね。で、なんでカグヤさんが意地になったのかわからない、でしたっけ」

「そうよ。最近、私自身、自分のことがたまにわからなくなるの」

「いや、俺だってカグヤさんの事わかんないっすよ……。でも、今回に限っては、何となくわかります」


 コウキは顎に手を当て、考えながら話し始める。


「カグヤさん、色んな人が死ぬ時、その周りの人が悲しんでるのを見てたんでしょ? で、たくさん後悔してる様子を見てたと。もう、そのまんまじゃないっすか。マスターに後悔してほしくないんですよ。だって、マスターのお母さんが死んじゃったら、後悔しかできないですよね。でも今ならまだ生きてるから間に合うじゃない、もどかしいっ! て言う感じが、さっきの話ではしましたけど」

「もどかしい……?」

「……まさか、自覚なしっすか?」


 コウキが驚いた様子でカグヤを見る。


「知識はあるけれど『もどかしい』という思いをしたことがなかったの。だけど、ああ、これが『もどかしい』、ね。後悔するくらいならさっさと行きなさいと確かに思ったわ。そう、なぜそんなに意地を張るのってもどかしくて、じれったかった」


 納得、とカグヤは頷いた。

 わからなくてもやっとしていたことが、すっと晴れていく。


「ありがとう、コウキ。すっきりしたわ」

「そりゃ良かったっす」


 コウキはなんだか腑に落ちない様子でカグヤを見ている。


「なに? どうかしたかしら」

「いや……」


 少し言いづらそうに言葉を切ると、じっとカグヤを見つめた。


「こんなあっさり解決するとは思わなくて。カグヤさん、死について語った時はもっと時間がかかったんで、なんか物足りない感が……でも、それって俺にとってはいいことなんじゃ……」


 そして、うーん、と顎に手を当てたままうなっている。


「私も色々学んでいるのよ。コウキが色々教えてくれるし……そういえば、キラキラした人生、かもしれない人を見つけたわ」

「えっ? まじっすか? あんなのドラマだけかと……」


 コウキが目を瞬かせた。


「ええ、私も偶然見つけたのよ。川島と言ってね、ここの上で看護師をしてるんだけど」

「いやいや、ちょっと待った! 聞きたいけど、さすがに会うかもしれない他人の、しかも看護師さんのプライベートは言わないでください! 上ってことは、ばあちゃんが入院してるとこかもしんないし!」

「あら、そう? 確かに、川島は富岡……あなたの祖母が入院している病棟の看護師だわ」

「ほらやっぱり! だめっすよカグヤさん、他人のプライベートは口にしちゃだめですって!」


 手をぶんぶん振って慌てているコウキがおかしくて、カグヤは思わず笑った。


「ふふっ、あなたは本当に私を笑わせるのが得意ね。わかったわ。個人情報は言わないから、気づいたことを言わせて。あなたはキラキラした人生っていうのは、特別な何かがあるからだって言ってたわね?」

「まあ、なんかそんなこと言ったと思います」

「はっきりしないわね。まあいいわ。私、気づいたの。特別なものなんてない。自分が信じるものに向かって一生懸命で、そして、他人にも、自分自身にも一生懸命なヒト、それがキラキラした人生を生きてるヒトよ」

「……一生懸命生きてる人、ですか」

「そうよ。あの子、本当に一生懸命だから、ずっと見ていたくなるのよね……どうしたの? 神妙な顔をして」


 コウキが先程まで慌てていたのが嘘のように、真剣な顔になった。


「自分が信じるものがあっても、それを信じ続けられる人って少ないと思いますよ。その看護師さんが、特別な人なんじゃないですか。……一生懸命生きてても、キラキラなんてしなかった」


 最後は小さな声だったが、それが吐き捨てるように言われたのに、カグヤは気づいていた。

 うつむきかけているコウキの顔を覗き込む。


「コウキ、あなた、何を言ってるの? 自分が信じるものがある、その時点では、ヒトはそれを信じているのよ。信じ続けることは難しい? 当り前じゃない。信じ続けようとすることが大事なのよ。自分が信じるものが、本当に正しいかをいつも悩みながら。自分を信じて、他人ともきちんと向き合いながら前に進もうとしているのが、すごいのよ。信じてるふりをして、一生懸命さを装って、楽な方に流れていくのは、一生懸命とは言えないわ」

「そんなこと!」


 コウキが声を荒げる。


「そんなこと、わかってますよ!」


 コウキはぐっと手を握りしめた。


「でも、俺は必至で生きてました。親と喧嘩して、一人でこの街に来て、生きていくことの辛さを知りました。俺にとって、あの時は生きていくことに一生懸命だったんです。ただひたすら、生きるために、本当に色んなことをやりました。あんまり口に出せないことだって、やりました。スカウトの仕事だって、本当はやりたくなかった。でも、やらざるを得なかったし、それが普通になっていった。他人から搾取した金で、俺は生きてたんです。一生懸命、生きてたんです! 生きていかなきゃって、生きることが全てだって、ただそれだけを信じて! 信じてたんです! でも、あれはそんなキラキラしたものじゃなかった!」


 握りしめた手が、少し震えている。

 カグヤは突然のコウキの感情に、少し戸惑った。

 だが、その言葉を反芻していると、やがて笑みが堪えられなくなった。


「……何笑ってるんっすか。俺の言ったことって、笑えることですか」


 コウキが険しい顔でカグヤをにらみつける。


「いいえ……馬鹿なことなんて思わないわ。あなたも、川島と同じでいい経験してるじゃない」

「いい経験って……!」


 コウキの顔が更に険しくなる。


「だってそうでしょ?」


 カグヤはコウキをじっと見つめた。

 カグヤには、コウキが何をしたかったのか、何を望んだのか、そしてこれから何がしたいのか、全て見えていた。


「あなたのその悩みは全て過去のものだわ。もう前に向かって動き出してるじゃない。その経験があって、自分自身や他人と向き合えていないと悩んでいたからこそ、マスターという良き理解者に出会って、今のあなたがいるのでしょう? 自分の信じることが本当に正しいのか、悩んで、きちんと他人と向き合って、新たに信じることを見つけたのでしょう?」


 コウキは途中反論しようとしていた様子だったが、今は大人しくカグヤの言葉を聞いていた。


「あなたはちゃんと、自分の信じることにも、他人にも、自分自身にも、必死に向き合っているわ。一生懸命、前に進もうとしているじゃない」


 頷きもせず、コウキの顔は伏せられた。

 膝の上に置かれた拳は硬く握られたままだ。


「あなたはもう、キラキラした人生を歩み始めてるわ」


 そっと、コウキの拳に手を乗せる。


「あなたはちゃんと、私にも向き合ってくれた。誰かと向き合うことの大切さを、私はあなたからも学んでいるの。私は、あなたと知り合えたことを、とても嬉しく思うわ」


 ポタリ、とカグヤの手に雫が落ちた。

 コウキの俯いた顔から、涙がポタリ、とまた落ちた。


「そんなこと……」


 掠れた声が聞こえた。

 その肩は震えている。


「そんなこと言われたって、はいそうですね、なんて、言えるわけないじゃないっすか……」

「そう……。そうね。でも、それでもいいわ。私があなたの人生を見ていてあげる。最後にちゃんと教えてあげるわ。あなたの人生は、キラキラしてたって」

「そうですか……」


 しばらく、その場に沈黙が降りた。


 カグヤは自分が言った言葉を思い返した。

 自分は、コウキの最期を看取ることを考えていた。

 なぜ永遠の命を与えようと思えないのか。


 ……わかっている。川島と同じだ。

 自分はコウキにもキラキラした人生を歩んでほしい。

 永遠の命では叶わない、人生を。




 ふと、コウキが顔を上げた。


「カグヤさん……」

「なあに?」

「なんか、光ってるんですけど……」

「ああ」


 カグヤは頬を零れ落ちて霧散していく光の粒を見つめた。

 あなたといつかはお別れしなければならないのが辛い、とは言えない。


「……私、ヒトではないから、涙が光ってしまうのよ」

「やっぱり、人じゃなかったんっすね……」

「知ってたでしょ?」

「まあ、薄々は……」


 カグヤはまた笑った。


「大丈夫よ。どこかの幽霊みたいに呪ったり、祟ったりとかしないから。時々お話を聞けたらおもしろそう、というだけだから」

「なんかそれ、スト……いや、なんでもないっす」


 コウキは何か言葉を飲み込んで、そして笑った。


「ありがとうございました。変な話聞かせてすいませんでした」

「いいのよ。でも、やっぱり、あなたは笑ってる顔が一番いいわね」


 カグヤはコウキの手から自分の手を離した。

 川島の頬をつついたことを思い出す。

 あの時よりも長く、人に触れていた。


「離れがたくなるものなのね……」

「なんか言いました?」


 コウキが顔を覗き込んでくるが、カグヤは首を横に振った。


「いいえ、なんにも。私もそろそろお暇するわ。失礼するわね」

「あ、はい」


 返事が聞こえてすぐ、姿を消す。

 コウキが驚いたような顔をしてカグヤを呼んだが、気づかないふりをして屋上まで飛んだ。




 外はもう暗く、空には半月が出ている。

 今日は長い一日だった。

 思い返せば色々なことがあって、少し疲れたような気もする。

 また、泣いてしまった。

 人の死は、見届けたい、でも別れは寂しい。


「別れが後悔にならないように、なんて、工藤のことを言えないかもしれないわ」


 ぽつりと呟いた。


 シムルを思いっきり抱きしめたい。あの毛並みに癒されたい。

 けれど、もう少し我慢することにした。

 今はもっと、ヒトのことを知りたいと思っているから。


 先ほどまでコウキに触れていた手を眺める。


「これ以上、何を知りたいのかしらね。自分でもわからないわ」


 見上げた月は、柔らかな光でカグヤを照らすだけだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ