19:一生懸命生きるということ
「で、なんでそれを俺に聞くんっすか」
「わからないことは聞いてみるのもおもしろい、と最近学んだのよ」
はあ、とコウキはため息をつく。
今日はため息をよく聞く、とカグヤは思った。
富岡は探しに来た看護師に散歩は三十分のお約束です、と怒られながら車いすで連れて行かれたらしい。
明日も来るからね!と帰り際にどすの利いた声で言われちゃいましたよ、困っちゃいますね、と全く困ってない様子でコウキは笑っていた。
そして、カグヤは工藤と保坂とのやり取りについて話し、先ほどとは打って変わって不機嫌顔のコウキを前にしている。
「だとしても、それってマスターの超プライベートな話じゃないっすか。そういうの、人に言うの、良くないと思いますよ」
「ああ、ヒトの間ではそうなのね」
「常識だと思います」
何度も会っているせいだろうか。
コウキはカグヤに対して、だんだん遠慮がなくなっているような気がする。
「でもまあ、聞いちゃった俺も同罪っすね。で、なんでカグヤさんが意地になったのかわからない、でしたっけ」
「そうよ。最近、私自身、自分のことがたまにわからなくなるの」
「いや、俺だってカグヤさんの事わかんないっすよ……。でも、今回に限っては、何となくわかります」
コウキは顎に手を当て、考えながら話し始める。
「カグヤさん、色んな人が死ぬ時、その周りの人が悲しんでるのを見てたんでしょ? で、たくさん後悔してる様子を見てたと。もう、そのまんまじゃないっすか。マスターに後悔してほしくないんですよ。だって、マスターのお母さんが死んじゃったら、後悔しかできないですよね。でも今ならまだ生きてるから間に合うじゃない、もどかしいっ! て言う感じが、さっきの話ではしましたけど」
「もどかしい……?」
「……まさか、自覚なしっすか?」
コウキが驚いた様子でカグヤを見る。
「知識はあるけれど『もどかしい』という思いをしたことがなかったの。だけど、ああ、これが『もどかしい』、ね。後悔するくらいならさっさと行きなさいと確かに思ったわ。そう、なぜそんなに意地を張るのってもどかしくて、じれったかった」
納得、とカグヤは頷いた。
わからなくてもやっとしていたことが、すっと晴れていく。
「ありがとう、コウキ。すっきりしたわ」
「そりゃ良かったっす」
コウキはなんだか腑に落ちない様子でカグヤを見ている。
「なに? どうかしたかしら」
「いや……」
少し言いづらそうに言葉を切ると、じっとカグヤを見つめた。
「こんなあっさり解決するとは思わなくて。カグヤさん、死について語った時はもっと時間がかかったんで、なんか物足りない感が……でも、それって俺にとってはいいことなんじゃ……」
そして、うーん、と顎に手を当てたままうなっている。
「私も色々学んでいるのよ。コウキが色々教えてくれるし……そういえば、キラキラした人生、かもしれない人を見つけたわ」
「えっ? まじっすか? あんなのドラマだけかと……」
コウキが目を瞬かせた。
「ええ、私も偶然見つけたのよ。川島と言ってね、ここの上で看護師をしてるんだけど」
「いやいや、ちょっと待った! 聞きたいけど、さすがに会うかもしれない他人の、しかも看護師さんのプライベートは言わないでください! 上ってことは、ばあちゃんが入院してるとこかもしんないし!」
「あら、そう? 確かに、川島は富岡……あなたの祖母が入院している病棟の看護師だわ」
「ほらやっぱり! だめっすよカグヤさん、他人のプライベートは口にしちゃだめですって!」
手をぶんぶん振って慌てているコウキがおかしくて、カグヤは思わず笑った。
「ふふっ、あなたは本当に私を笑わせるのが得意ね。わかったわ。個人情報は言わないから、気づいたことを言わせて。あなたはキラキラした人生っていうのは、特別な何かがあるからだって言ってたわね?」
「まあ、なんかそんなこと言ったと思います」
「はっきりしないわね。まあいいわ。私、気づいたの。特別なものなんてない。自分が信じるものに向かって一生懸命で、そして、他人にも、自分自身にも一生懸命なヒト、それがキラキラした人生を生きてるヒトよ」
「……一生懸命生きてる人、ですか」
「そうよ。あの子、本当に一生懸命だから、ずっと見ていたくなるのよね……どうしたの? 神妙な顔をして」
コウキが先程まで慌てていたのが嘘のように、真剣な顔になった。
「自分が信じるものがあっても、それを信じ続けられる人って少ないと思いますよ。その看護師さんが、特別な人なんじゃないですか。……一生懸命生きてても、キラキラなんてしなかった」
最後は小さな声だったが、それが吐き捨てるように言われたのに、カグヤは気づいていた。
うつむきかけているコウキの顔を覗き込む。
「コウキ、あなた、何を言ってるの? 自分が信じるものがある、その時点では、ヒトはそれを信じているのよ。信じ続けることは難しい? 当り前じゃない。信じ続けようとすることが大事なのよ。自分が信じるものが、本当に正しいかをいつも悩みながら。自分を信じて、他人ともきちんと向き合いながら前に進もうとしているのが、すごいのよ。信じてるふりをして、一生懸命さを装って、楽な方に流れていくのは、一生懸命とは言えないわ」
「そんなこと!」
コウキが声を荒げる。
「そんなこと、わかってますよ!」
コウキはぐっと手を握りしめた。
「でも、俺は必至で生きてました。親と喧嘩して、一人でこの街に来て、生きていくことの辛さを知りました。俺にとって、あの時は生きていくことに一生懸命だったんです。ただひたすら、生きるために、本当に色んなことをやりました。あんまり口に出せないことだって、やりました。スカウトの仕事だって、本当はやりたくなかった。でも、やらざるを得なかったし、それが普通になっていった。他人から搾取した金で、俺は生きてたんです。一生懸命、生きてたんです! 生きていかなきゃって、生きることが全てだって、ただそれだけを信じて! 信じてたんです! でも、あれはそんなキラキラしたものじゃなかった!」
握りしめた手が、少し震えている。
カグヤは突然のコウキの感情に、少し戸惑った。
だが、その言葉を反芻していると、やがて笑みが堪えられなくなった。
「……何笑ってるんっすか。俺の言ったことって、笑えることですか」
コウキが険しい顔でカグヤをにらみつける。
「いいえ……馬鹿なことなんて思わないわ。あなたも、川島と同じでいい経験してるじゃない」
「いい経験って……!」
コウキの顔が更に険しくなる。
「だってそうでしょ?」
カグヤはコウキをじっと見つめた。
カグヤには、コウキが何をしたかったのか、何を望んだのか、そしてこれから何がしたいのか、全て見えていた。
「あなたのその悩みは全て過去のものだわ。もう前に向かって動き出してるじゃない。その経験があって、自分自身や他人と向き合えていないと悩んでいたからこそ、マスターという良き理解者に出会って、今のあなたがいるのでしょう? 自分の信じることが本当に正しいのか、悩んで、きちんと他人と向き合って、新たに信じることを見つけたのでしょう?」
コウキは途中反論しようとしていた様子だったが、今は大人しくカグヤの言葉を聞いていた。
「あなたはちゃんと、自分の信じることにも、他人にも、自分自身にも、必死に向き合っているわ。一生懸命、前に進もうとしているじゃない」
頷きもせず、コウキの顔は伏せられた。
膝の上に置かれた拳は硬く握られたままだ。
「あなたはもう、キラキラした人生を歩み始めてるわ」
そっと、コウキの拳に手を乗せる。
「あなたはちゃんと、私にも向き合ってくれた。誰かと向き合うことの大切さを、私はあなたからも学んでいるの。私は、あなたと知り合えたことを、とても嬉しく思うわ」
ポタリ、とカグヤの手に雫が落ちた。
コウキの俯いた顔から、涙がポタリ、とまた落ちた。
「そんなこと……」
掠れた声が聞こえた。
その肩は震えている。
「そんなこと言われたって、はいそうですね、なんて、言えるわけないじゃないっすか……」
「そう……。そうね。でも、それでもいいわ。私があなたの人生を見ていてあげる。最後にちゃんと教えてあげるわ。あなたの人生は、キラキラしてたって」
「そうですか……」
しばらく、その場に沈黙が降りた。
カグヤは自分が言った言葉を思い返した。
自分は、コウキの最期を看取ることを考えていた。
なぜ永遠の命を与えようと思えないのか。
……わかっている。川島と同じだ。
自分はコウキにもキラキラした人生を歩んでほしい。
永遠の命では叶わない、人生を。
ふと、コウキが顔を上げた。
「カグヤさん……」
「なあに?」
「なんか、光ってるんですけど……」
「ああ」
カグヤは頬を零れ落ちて霧散していく光の粒を見つめた。
あなたといつかはお別れしなければならないのが辛い、とは言えない。
「……私、ヒトではないから、涙が光ってしまうのよ」
「やっぱり、人じゃなかったんっすね……」
「知ってたでしょ?」
「まあ、薄々は……」
カグヤはまた笑った。
「大丈夫よ。どこかの幽霊みたいに呪ったり、祟ったりとかしないから。時々お話を聞けたらおもしろそう、というだけだから」
「なんかそれ、スト……いや、なんでもないっす」
コウキは何か言葉を飲み込んで、そして笑った。
「ありがとうございました。変な話聞かせてすいませんでした」
「いいのよ。でも、やっぱり、あなたは笑ってる顔が一番いいわね」
カグヤはコウキの手から自分の手を離した。
川島の頬をつついたことを思い出す。
あの時よりも長く、人に触れていた。
「離れがたくなるものなのね……」
「なんか言いました?」
コウキが顔を覗き込んでくるが、カグヤは首を横に振った。
「いいえ、なんにも。私もそろそろお暇するわ。失礼するわね」
「あ、はい」
返事が聞こえてすぐ、姿を消す。
コウキが驚いたような顔をしてカグヤを呼んだが、気づかないふりをして屋上まで飛んだ。
外はもう暗く、空には半月が出ている。
今日は長い一日だった。
思い返せば色々なことがあって、少し疲れたような気もする。
また、泣いてしまった。
人の死は、見届けたい、でも別れは寂しい。
「別れが後悔にならないように、なんて、工藤のことを言えないかもしれないわ」
ぽつりと呟いた。
シムルを思いっきり抱きしめたい。あの毛並みに癒されたい。
けれど、もう少し我慢することにした。
今はもっと、ヒトのことを知りたいと思っているから。
先ほどまでコウキに触れていた手を眺める。
「これ以上、何を知りたいのかしらね。自分でもわからないわ」
見上げた月は、柔らかな光でカグヤを照らすだけだった。




