二話
改めて事情を聴けば、この自称荒野少年は仕事の出張先で酔っ払いに絡まれたらしい。
「倒れかかってきたから、咄嗟に支えたらガブっと噛まれたんだぜ?」
少年は襟を伸ばして首筋を鴨居に見せた。
反らせた細い首には、確かに噛まれた様な痕が残っている。
幸い傷は塞がっていたが、それは紫色のアザに変色していた。
痛々しいそれに鴨居は思わず「うわ」と声を漏らす。
その反応に少年は、さっと襟を正した。
「それで、そのまま病院行ったらいきなり注射刺されて、気づいたらアニメなんかで見た様な手術台の上だぞ? 逃げるだろ普通」
同意を求める様に、じっと鴨居を見ながら少年は言う。
「……やっぱり、にわかには信じられないな」
鴨居は、その視線を避けると独り言の様に呟いた。
「俺も信じたくねぇよ」
目の前の少年は、そう吐き捨てると、頭を掻き始めた。
部屋に静寂が広がる。
しばらくして、なんとも言えない雰囲気に鴨居は立ち上がった。
少年は微かに不安そうな眼差しを向ける。
その視線にきまりの悪さを感じた鴨居は、深く息を吐いた。
「とりあえず、今日は泊まって良いよ。ご飯作るから」
「あっ、俺も手伝う」
慌てて立ち上がる少年に、鴨居は首を振った。
「正直、君が荒野だっていう絶対的な確証はない。誰かもわからない子に手伝いなんてお願いできないよ」
そう言いながら、鴨居は今家にある食材を頭の中で整理しながら、カレーでも作ろうと台所へ向かう。
少年の「そうじゃなくてだな」という声を気にする事なく、鴨居はルーの箱裏にある調理方法通りの材料を台に並べた。
野菜を洗い、まな板の上に置く。
玉ねぎを切るところで、少年が呆れた声を上げた。
「お前、人に振る舞うとなると途端に下手くそになるだろ、料理」
その言葉が終わらないうちに、包丁の刃が鴨居の手を擦った。
微かな傷から、じわりと線を引く様に血が染み出す。
――結局、カレーは少年が作った。
頭二つ分は小さい少年に、料理を譲らなかった分ついた傷に絆創膏を貼られた鴨居は顔を赤らめている。
「……だから言ったじゃん」
少年は、カレー鍋をかき混ぜながら、ぼやいた。
(この事は調理実習が一緒だった荒野か、同じグループの人間しか知らないはずなのに)
鴨居は指に巻かれた絆創膏を怪訝な顔で見つめる。
それに気づいた少年は、フフンと鼻で笑った。
「これで俺が荒野だって、納得したか?」
「ううん、そうだな。確かに料理で失敗するのは荒野か、クラスの人間しか知らない。三十荒野ポイントかな」
「ポイント制だったのか……」
「けど、見た目がどう見ても違うからマイナス百だね」
「信じられてねぇ」
カレーを盛った皿を食卓に並べながら、少年は唸った。
「……まぁいいや。君を荒野だと想定して話すけど、よくここまでたどり着いたね」
鴨居はグラスに牛乳を注ぐと少年に渡した。
「逃げる間際でスマホだけ回収できたんだよ。それでこの辺りで住んでるお前に連絡取ろうとしたんだけど、この声だからな。直接乗り込んだ方が早いだろ?」
礼を言いながら、少年はグラスを受け取る。
「まぁ、ねぇ」
(確かに、その声で連絡が来たら悪戯だと思うだろうな)
自分の牛乳をグラスに注ぎながら、鴨居は息を吐いた。
「あぁ、そうだ、スマホの充電させてくれ」
「いいよ。そっちに線あるから」
スプーンとグラスを持ち上げていた鴨居は、顎をその方向にクイッと向ける。
(妙に慣れてるんだよなぁ)
鴨居は充電をしに隣の部屋へ向かう少年の後ろ姿を見つめた。
会話のノリだったり、口調は荒野に間違いはない。けれど体が縮むなんて事はあり得るのだろうか?
そんな疑問を抱いた鴨居が食卓を整えた途端、タイミングを見計らうようにスマホが鳴った。
電話だ。
しかも、SNS経由ではない。
直接の電話。
「……もしもし?」
メール以外の連絡は久しぶりで鴨居は声が震えた。
「夜分遅くに申し訳ありません、こちら鴨居様の携帯電話でお間違えないでしょうか?」
「あ――はい。鴨居です」
電話口の丁寧な口調の女性に、鴨居は必死に心当たりを探る。しかし、いくら考えても全く身に覚えはなかった。
「◯◯病院のものですが……そちらに荒野様はいらっしゃいますか?」




