第12話 復讐は、愛の色彩を帯びて
病室の空気は、アキトが去った後も淀んだままだった。紫音が九条シキを救う決意を口にしたことで、少女たちの献身は、どこか焦燥感を含んだ「囲い込み」へと変質し始めていた。
「紫音くん、お薬の時間。……はい、鎮痛剤。ゆっくり飲んで。私が支えてあげるから」
琴音が、まるでおしゃぶりを与える母親のような慈愛に満ちた、けれど拒絶を許さない手つきでコップを差し出す。
その平穏を、再びのノックが打ち砕いた。
だが、今度のノックはアキトのような軽薄なものではなかった。
重く、威圧的で、まるで死刑宣告の鐘のような、一打。
「――失礼するよ。弟が随分と世話になったようだね」
扉が開くと同時に、病室の温度が数度下がったような錯覚に陥った。入ってきたのは、冷泉トオルによく似た面影を持ちながら、決定的な「格」の違いを感じさせる男。
冷泉家の長男、冷泉アラタ。
トオルが「知略の怪物」を演じる子供だとしたら、目の前の男は、家業の闇をすべてその背に負い、冷徹に「処理」を遂行する本物の執行者だった。彼の背後には、九条シキと同じ、あるいはそれ以上の気配を消した黒服たちが控えている。
「……トオルの兄?」
紫音がベッドの上で身を固める。
アイリが即座に紫音の前に立ち、レナは負傷した足を引きずりながらも、戦闘態勢を取った。琴音は無言で、救急箱の中に隠していたナイフの柄を握りしめる。
「トオルは甘すぎた。あんな『ゲーム』のようなやり方で朝霧紫音、君を弄ぼうとした結果、家命に泥を塗った。……一族の恥は、長男である私が拭わねばならない」
アラタは感情の失せた瞳で、紫音を見下ろした。その視線には、憎しみすら存在しない。ただ、道端に落ちているゴミを片付けるような、淡々とした事務的な意志だけがあった。
「今日、ここで君を『始末』する。……死因は心不全、あるいは出血多量。警察も病院も、すべて手配済みだ」
「……させるわけないでしょッ!!」
レナが叫び、アラタに向かって踏み出そうとした。だが、アラタの背後にいた黒服の一人が、目にも止まらぬ速さでレナの喉元に特殊な警棒を突きつけた。
「ッ……一体いつ動いたの……!?」
「動くな。……君たちがどれだけ抗おうと、国家の影で動く冷泉の『本物』には勝てない」
「……ふふ、あははは!!」
絶望的な状況の中、琴音が突如として笑い出した。彼女は紫音の首に腕を回し、愛おしそうにその髪を撫でながら、アラタをねめつける。
「『始末』? ……面白いこと言うね。紫音くんを殺すなら、私が先だよ。……他の誰にも、死んですら紫音くんを渡さない。……冷泉の長男さん、あなたを殺して、私も死ぬ。それで解決だね?」
琴音の瞳から光が消え、完全な「虚無」が宿る。アイリもまた、震える手でタブレットの緊急プロトコルを起動させていた。
「冷泉アラタ……。あなたの口座、関連企業の裏帳簿、すべてリアルタイムで世界中に拡散する準備ができているわ。……朝霧くんに指一本でも触れてみなさい。冷泉家という帝国ごと、心中させてあげる」
リュカは隅で、病室の全ネットワークをジャックし、アラタたちの会話を密かに録音・送信し始めていた。
彼女たちは知っていた。
まともな手段では、冷泉家の長男には勝てない。だからこそ、彼女たちは「道連れ」という最悪のカードを、躊躇なく切ったのだ。
「……待ってくれ。みんな、落ち着いて」
紫音が、震える声で制止した。
彼はアラタの瞳を、真っ直ぐに見つめ返す。
「冷泉アラタさん。……あなたは、トオルを『甘い』と言った。……なら、あなたは『合理的』だということですよね?」
「……何が言いたい」
「僕をここで殺せば、彼女たちは本当に冷泉家を道連れにする。……一族の恥を拭うために、一族そのものを滅ぼすのは、合理的ですか?」
紫音は、前世で読んだあらゆる「悪役」の心理をトレースし、言葉を紡ぐ。
「……僕には、九条シキの『洗脳』を解く鍵がある。……トオルが失敗したのは、彼女を道具としてしか扱えなかったからだ。……僕を殺さず、泳がせてみませんか? 九条シキが『本当の力』を取り戻し、あなたの強力な盾になる未来と、ここで僕を殺して泥沼の心中をする未来……どちらを選びますか?」
アラタの眉が、わずかに動いた。
沈黙が病室を支配する。雨音が窓を叩く音だけが、異様に大きく響く。
「……先程の男に吹き込まれたか。……面白い。トオルが執着した理由が、少しだけわかった気がするよ」
アラタはゆっくりと、黒服たちを下がらせた。
「期限は一週間だ。……それまでに九条シキを『完成』させて見せろ。……できなければ、君だけでなく、そこにいる愛犬たちもまとめて処分する」
アラタはそれだけ言い残し…




