第03話:チートスキル『並列存在(パラレル・イグジステンス)』
「あ゛あ゛あ゛ー! もう! なんで俺だけこんなに仕事が多いんだよ!」
金曜日の朝。
俺は営業第3課のオフィスで、情けない悲鳴を上げていた。
俺のデスクには、コピー待ちの資料が山と積まれ、PC画面には未処理のデータ入力リストが延々とスクロールしている。
おまけに、鬼塚課長が愛飲する(誰も銘柄を知りたがらない)激苦健康茶『地獄の苦み・極』のストックが切れており、俺はその買い出しまで命じられていた。
(鬼塚課長も泥川主任も……。俺ばっかり雑務を押し付けやがって!)
俺は心の中で毒づく。
「ちくしょう……体が三つくらいあれば、こんな雑務、瞬殺してやるのに。そしたら定時ダッシュで競馬場に直行して、一攫千金だって夢じゃないんだ……!」
俺が顔を上げると、いつの間にかデスクの横に、黒いスーツ姿の氷室先輩が立っていた。
先輩は赤い手帳を眺めながら、静かに告げる。
「凡田君、借金の催促なんだが、累計、51,300円だな。返済は出来そうなのか?」
氷室先輩は、一切の感情を声に乗せずに、赤い手帳を確認している。
「うっ……先輩! おはようございます! っていうか、聞いてくださいよ! 今、俺、手が三つでも足りないくらい忙しいんです! 体が三つあれば、競馬で一儲けして借金なんてすぐ返せるのに!」
「……体が三つか。そんなスキルがあったな」
氷室先輩は、赤い手帳をパラパラとめくった。
その指が、とあるページで止まる。
「『並列存在』。本来ひとつである魂と肉体を、並列世界に干渉させて複製する上位チートだ」
「パラレル・イグジステンス! めちゃくちゃ強そうじゃないですか!」
「ああ。思考も能力も完全な『本人』を複数作り出せる。ただし、自我が強すぎるのが玉に瑕だが……まあ、使う必要もないだろう」
氷室先輩は手帳を閉じたが、俺の目は、カッと見開かれていた。
***
「――というわけで、お願いします! 氷室先輩! その『並列存在』、貸してください!」
給湯室に場所を移し、俺は自動販売機に寄りかかる氷室先輩に向かって、必死に頭を下げていた。
「俺、これで雑務を光の速さで終わらせて、浮いた時間で一攫千金の研究をして、借金を返すための"努力"をしますから!」
「……ほう」
氷室先輩は、俺の「努力」という言葉に反応したのか、スッと赤い手帳を取り出した。
そして、1ページをビリ、と破り取った。
「チートスキル『並列存在』。君の影から、君と全く同じ能力――思考、体力、そして性格――を持つ分身体を2体作り出す。ただし、効果は本日定時までだぞ」
俺はゴクリと唾を飲んだ。
氷室先輩は、破ったページを俺に手渡しながら、いつもの警告を口にした。
「このスキルを悪用して被害が発生した場合の損害は、借金として計上する。ルールを守って正しく使うようにな」
「は、はい! ありがとうございます、氷室先輩!」
紙片を受け取った瞬間、それが光となって俺の体に吸い込まれていった。
***
営業第3課に戻った俺は、早速トイレの個室に駆け込んだ。
「出ろ!『並列存在』!」
俺の足元の影がドロリと黒く染まり、そこから俺と寸分違わぬ姿の人間が二人、ヌルリと這い出てきた。
「「「うわっ、俺がいっぱい!」」」
三人の俺は、まったく同じタイミングで、まったく同じ間の抜けた声を上げた。
「よし! お前ら、よく聞け!」
俺(本体)は、残り二人の肩を掴んで高圧的に命令した。
「お前は凡田A! お前はBだ! Aはコピーとデータ入力、Bは資料作成と鬼塚課長のお茶汲み&買い出し! いいな! 俺(本体)はデスクで、一攫千金のための重要なリサーチ(競馬予想)に集中する!」
俺は完璧な指示を出したつもりだった。
しかし。
(A)(B)「「嫌だ」」
二人の分身は、0.1秒で即答した。
「……は?」
(A)「なんで俺がコピーなんか取らなきゃなんないんだ。お前(本体)がやれよ」
(B)「そうだよ。俺は今、競馬の予想がしたい気分なんだ」
「なっ……! ふざけるな! 俺は本体だぞ! 優先権は俺にある!」
(A)「知るかよ。さっき氷室先輩が言ってただろ。『思考も能力も完全な本人』だって。つまり俺たちにもサボる権利がある!」
(B)「そうだそうだ! 多数決なら俺たち(分身)の勝ちだぞ!」
「ぐぬぬ……こいつら、マジで俺だ……!」
俺は戦慄した。
自分自身がここまでクズだとは計算外だった。
これじゃ仕事が終わらない!
「おい凡田! トイレで何ブツブツ言ってるんだ! 早く資料持ってこい!」
外から鬼塚課長の怒鳴り声が聞こえた。
「ひっ! やばい!」
三人同時に顔を見合わせる。
このままでは全員まとめて雷が落ちる。
「……じゃんけんだ」
俺(本体)は提案した。
「負けた奴が仕事。勝った奴が競馬予想。一発勝負だ」
(A)(B)「「いいだろう」」
「「「最初はグー! じゃんけん……」」」
「「「ポン!」」」
俺(本体)が出したのは、パー。
そしてAとBが出したのは……グー。
(A)(B)「「あ゛あ゛あ゛ー!!」」
分身たちが絶叫する。
「へっへっへ! 勝った! 俺の勝ちだ! 約束通り仕事しろよお前ら!」
俺(本体)は勝ち誇った。
実はほんの少し、コンマ1秒ほど出すのを遅らせたのだが、そんなことはこいつら(俺)にはバレていないはずだ!
(A)「くそっ……覚えてろよ本体ぇ……」
(B)「定時になったら絶対許さねぇ……」
AとBは、殺意に満ちた目で俺を睨みつけながら、しぶしぶ個室を出ていった。
***
その後、AとBの働きぶりは凄まじかった。
「くそっ! こんな仕事、速攻で終わらせてやる!」
という怒りのエネルギーで、Aはコピー機が煙を吹くほどの速度で書類を捌き、Bは鬼の形相でキーボードを叩き壊さんばかりに資料を作成した。
一方、俺(本体)はデスクで優雅にスポーツ新聞を広げていた。
「いやー、自分が優秀(に働くよう仕向けるのが上手)だと助かるなぁ」
競馬の予想も完璧。
仕事も順調。
最高の金曜日だ。
そして、17時58分。
「終わったぞ……本体……」
AとBがデスクに戻ってきた。
その姿はボロボロだった。
コピー用紙で指を切りまくり、データ入力で目は充血し、鬼塚課長の激苦茶を試飲させられたのか口元が緑色になっている。
「おお、ご苦労! おかげで助かったよ」
俺は余裕の笑みを向けた。
「じゃあ、定時だし、そろそろ戻ってもらおうかな」
――キーンコーンカーンコーン。
チャイムが鳴った瞬間、AとBがニヤリと笑った気がした。
(A)(B)「「ツケは……高いぞ?」」
二つの影が俺(本体)に吸い込まれる。
統合完了。
その瞬間。
「ぎゃあああああああ!!!」
俺はデスクから転げ落ちた。
全身の筋肉が断裂したかのような激痛!
眼球が焼き切れるような眼精疲労!
そして口いっぱいに広がる、あの地獄の苦み!
だが、それだけじゃなかった。
「ズルしやがって!」「許さん!」「殺す!」
AとBが仕事中に抱き続けていた、俺(本体)へのドス黒い殺意とストレスが、精神へのダイレクトアタックとして跳ね返ってきたのだ!
「あがっ……あぁ……心が……俺に……殺される……!」
床をのたうち回る俺を見下ろす影があった。
「スキルは、正しく使えたかな」
「ひ、氷室先輩……助け……」
氷室先輩は冷ややかに赤い手帳を開いた。
「スキル『並列存在』。他人に仕事を押し付けた結果、自分自身に復讐されるとはな。自業自得だ」
先輩は手帳をめくる。
「スキル『強制退社命令(定時退社ゲート)』発動。……君の家まで転送だ。週末は、自分自身(の殺意)と仲良く喧嘩でもして過ごすんだな」
「そ、そんあぁぁぁーーーー!!!」
俺の絶叫と共に、俺は自宅へ転送された。
自分自身への恨みで眠れない夜が始まるのだった。
■今回の収支
借金総額:51,300円(変動なし)
得たもの:自分自身(分身)から殺意を向けられるという稀有な体験
失ったもの:全身の筋肉(3人分)、眼精疲労(3人分)、週末の安眠
【作者あとがき】
お読みいただきありがとうございます!
分身しても凡田君は凡田君です。
指示した瞬間に揉めるのが凡田君クオリティです。
「ドンマイ!」と笑っていただけた方は、
ぜひ★★(星)とフォローで、凡田君への「差し入れ」をお願いします!
(次回、運動会で無双しようとして……またやらかします!)




