6.とりあえず寝る
そこは、石の壁の建物に入るまでの荒野とは、まるで違っていた。
まずアイリスの目に留まったのは、たくさんの建物だった。
それは、いろんな材料をつぎはぎしてこしらえた掘っ立て小屋みたいなものだったり、のっぺりしたよくわからない材質のみが外部を覆う建物だったり。
材質が違えば、形も違う。
ただ一つ、共通点があるとすれば、
「どれも、ボロボロなんですね……」
建物の良し悪しなど、アイリスはさして詳しくはない。
それでも、そうとわかる程度には、周りの建物の状態は悪かったのだ。
外壁が薄汚れているとか、窓が割れているとか、そういうものではない。むしろそれは、「当てはまらない方がおかしい」というほどにどの建物にも当てはまってしまっている。
ただ、それだけではない。
あるものはいくつかの部位が明らかに欠けており、またあるものはいつ倒壊してもおかしくないほどに所々が崩れていた。実際に崩れてがれきの山になってしまっているものもたまに見かける。
そんな建物で構成された街並みを行く人もまた、汚れたり擦り切れたりしている外套を羽織りながら疲れた表情をしており、足並みにも活気は乏しい。
『……それは、仕方ないこと』
そう答えたのは、ルイだ。
『この辺りは、<都市>の外周区だから。
中枢の手が入ることはなくて、建物は<大戦>前のままだし、治安も最悪。
ただ壁に囲まれてるだけマシなだけの場所なの』
「外周区、ですか……?」
聞き返すと、ん、と控えめな肯定が返ってくる。
『……後ろ、見てみて』
促され、バランスを崩して落ちないよう気を付けながら、自分たちが通ってきた背後を見て、
「壁……?」
それは、遥か遠くまで広がっていた。
それは、高く、首を真上にまで向けねばならないほどまで高くそびえたっていた。
重く、ただそこに在るだけでも押しつぶされそうなほどに存在感を放つ建造物。
まさしくそれは、"壁"だった。
――どういう、こと……?
その存在感に圧倒されながら、しかし自分たちが通ってきた道を目で辿ってみれば、ついさっき抜けてきた門が閉じようとしているのが見える。
「あれを、抜けてきたんですか……?」
『そう。
ここからだと見えないけど、あの壁はここだけじゃない、もっとずっと広くわたしたちを囲んでくれてる。
そんな壁に囲まれた街を、わたしたちは<都市>と呼んでるの』
『まあ、壁といってもここまで高い<都市>はここくらいだし、そもそも壁自体がない<都市>もあるがな』
オルビスの注釈も添えられたその説明。
対するアイリスはというと、
「え、あ、そう、なんですね……?」
分かったような分からないような、そもそも端に疑問符をつけている時点で理解がほぼ絶望的な答えしか返せなかった。
――すごい、ということはわかるんですけど……
それ以外の言葉が思い浮かばなかった。
それ以外に表現するすべを、アイリスは持っていなかった。
『まあ、その辺も後で話す。
とりあえず、壁際のここ、<都市>の外周区にはあまり寄らない方がいいってことは覚えておいてくれ』
「どうして、ですか?」
『……単純に、危ないから。
さっきも少し言ったけど、<都市>の行政はほとんど中心部の富裕区に集まっているの。
中枢から離れるほど、外壁に近いほどに、治安は悪くなる』
『だから、用事がない限りは俺もルイもここには来ないし、あんたが住む場所としてもおすすめしない。
まあ、行き場のなくなった連中の行きつく先でもあるから、あんた次第だろうがな』
「……わかりました」
そこで会話は打ちとめになり、しばらくは移動の時間が続く。
大通りを走るうちにどんどん外壁から遠ざかっていくが、なるほど、オルビスの言った通り、進むごとに区画は目に見えて整理され、人々の纏う衣もよいものになっていっているのがわかる。
行きかうものも、見たこともない動物に引かれて走る台車ばかりだったものが、【シトロン】に似た無機質な車両が混じるようになっていく。
「あの、これからどこに向かうんですか?」
そう尋ねたのは、崩れた建物が一軒も見えなくなってからのことで、
『俺たちが拠点にしている宿だ。そこに行けば、寝床もメシも出る。
しばらくはそこに留まるつもりだ』
「めし……」
返ってくる不愛想な言葉を反芻すると、ぐぅ、と反応した体が腹を鳴らす。
――最後に何かを食べたのは、いつだったでしょうか。
思い、これまでの日々を脳裏でたどりかけてすぐにやめる。
最後に食べたモノ――飲み物ではない、固形物の話である――を思い出してしまったからだ。
――何もなくて、地面に生えてた草や、土なんかを食べようとしたんでしたっけ……
あれは酷かった、とアイリスは内心で苦笑する。
見覚えのない場所で、周りに食物になりそうなものが無かったせいもあるだろうが、知識も無い身で近くにあった草葉を噛み、根をしゃぶったのだ。
口いっぱいに広がる苦味、えぐみに耐え切れず吐き出したが、しばらくは吐き気と頭痛に悩まされた。
毒に当たったりしなかっただけマシ、というものだろうが……それでも愚かだったと思う。
……というより、
――そもそも、何も飲まず食べずで、どうして生きてられたんでしょう……?
途中からは、それらも気にならなくなってしまったし。
考えれば考えるほど、知らないこと、謎なことは尽きない。
むしろ、どんどん増えていっているような気がする。
――まあ、それも含めて、後でオルビスさんに訊いてみますか。
そんな風に諸々を未来に丸投げして。
それからどれほど経っただろうか、ほら、とオルビスが呟いた。
『見えてきたぞ―――あれだ』
前方に座る硬質な頭部が顎で示した先にある建物。
それは、周りの建物とは違う、風変わりな外観をしていた。
まず、壁はほかの建物ならのっぺりと無機質なものが主であるところを、木材で構成されている。
装飾、というよりは薄汚れた外壁に落書き塗れの周りとは違い、年季を経たような質感こそあれどみすぼらしさなどなく、落書きはかけらも見当たらない。
似たような木造の家屋をアイリスは外周区にも見かけたが、それは素人にもわかるほど適当に拵えたような粗末な出来で、外観のきれいさなどは言うに及ばず、といった有様だった。
オルビスらはその建物の裏手に回ると、そこには【シトロン】がギリギリ通れそうな程度の小さな扉があり、そのわきには小さなボタンがある。
そこで【シトロン】を止め、オルビスだけが降りて扉の近くにあったボタンを軽く押しながら頭にかぶっていた面をとる。
しばらくして中から鍵を開けるような硬質な音がして扉が開き、出てきたのは一人の青年だった。
「はいはいはい、どちら様で……って、オルビスさんか」
小柄で、緩く着崩してはいるが傍目にも上等とわかるモノトーンの服を纏っているその青年は、最初こそ気だるそうな目をしていたが、呼び鈴の主を見て顔をほころばせた。
「おかえりなさい、オルビスさん、ルイちゃん。
マスターなら、"表"のカウンターにいますよ」
外壁での一件に続き、こちらでも"ちゃん"づけで呼ばれたことでルイが不満そうな視線を向けるが、それに気を留めることなくオルビスは青年に向かって話す。
「悪いが、こっちは移動で疲れてる。
依頼の件は後で報告するから、とりあえず中に入れてくれ」
「わかりました、マスターにはオレから伝えておきます。
部屋の掃除は終わってますんで、すぐ使ってもらって大丈夫です。
それと……」
言いながら、青年はアイリスの方に目を向ける。
何か言われるのだろうか、とアイリスは身をこわばらせたが、青年の方はさして咎めもせず、ただ頷いて、
「アイリスさんですね、壁門の方から話は聞いてます。
どうぞ、中へ」
「どうして、もう知って――」
「ほら、行くぞ。
俺はさっさと寝たい」
尋ねようとしたアイリスを遮り、淡々と言いたいことだけを言うと、オルビスはそのままずんずんと建物の奥へ進んでいく。
青年に機体の世話は任せるつもりなのか、【シトロン】は放置したままだ。
次いで、無言で座っていたルイが【シトロン】を降りてその背中を追っていく。
「あ、待っ……えっと、よろしく、お願いしますっ」
それを見たアイリスも、疑問を口にするのをやめ、青年に頭を下げると、よたよたと拙い仕草で続く。
足を引っ掛けて転ばないよう気を遣いながら【シトロン】を降りて、扉の向こうへと、建物の中へと入る。
二人の背中を追って、アイリスは建物へと入っていく。
彼女が扉のわきで迎える青年の脇を通り過ぎたとき、彼は小さく囁いた。
伝えたい相手、もの知らぬ異邦人へと辛うじて伝わるような、小さな声で、
「どうか、よい日々を」
直後、反応したアイリスが振り返った時には、青年の姿はなく。
彼が運んでいったのだろうか、裏口に止められていた【シトロン】の姿もなく、ただ、ぬかるんだ地面に轍だけが残されていた。




