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マスター・エレノア

 ギルド・フェンリス本部。

 高く聳える建物の最上階、そこにある一室に一人の女が佇んでいた。

 女の名はエレノア・スカーレット。

 アルテウル国内最大級の傭兵ギルドであり、最早軍としての役割すら果たすギルド・フェンリスのギルドマスターである。

 齢六十を超え、その髪は白く、顔には深い皺が刻まれている。

 しかし、その反面肉体はまだ衰えず、その目には爛々とした光が宿っているようにすら見えた。


「来たみたいだね。下がりな」


 椅子に座り足を組みながら、横に立つ兵士二人にそう命令する。


「は、ですが……」


 兵士はその言葉に戸惑うが、エレノアはすぐにそれを遮って言葉を放った。


「安心おし、相手は大英雄だよ。ここで婆の首を取って、何の意味があるんだい? それにもし万が一のことがあったとして……」


 笑いながら、武器を持ってそこに立つ守護者二名を見渡す。


「あんたらが役に立つと思うかい?」

「……いえ、失礼しました」


 敬礼をして、兵士二人はそそくさと部屋から出ていく。

 それと入れ違いになるように、銀色の髪をした長身の男が入ってきた。


「やぁ、やぁ、大英雄アレクシス殿。今回の件、ご協力感謝するよ」


 破顔し、現れた男を迎え入れる。

 大英雄アレクシス、アルテウルで知らぬものはいないとされる、英雄の中の英雄だった。

 鎧を纏い、剣を背負った偉丈夫は特に表情を変えることもなく、エレノアの前まで歩を進めていく。

 テーブルを挟んで二人は向かい合った。視線で着席を進めるが、アレクシスは首を横に振るだけだった。


「うちの奴等が世話になったね。直接お礼を言いたくて、ここに呼んだんだ。ご多忙な英雄殿には迷惑だったかな?」

「いや、問題ない。俺も丁度貴方に話をしておくことがあった」

「へぇ、何だい?」

「……気付いていると思うが、ここ数日間の魔物の発生件数は尋常ではない。それも奴等はこぞって、集団で行動をしている。貴方なら、その意味がわかるだろう?」

「……そうだねぇ。随分と懐かしい、まるであの時みたいだね」


 エレノアの視線が、この部屋の高い天井を向いた。

 思い起こすのはかつての大災害。魔王戦役と呼ばれる災厄の日々。

 その中でエレノアは戦い、そして力を手に入れた。戦後彼女はこうしてギルドを立ち上げて、今の地位を手に入れたのだった。


「俺はこれから王都に向かい、騎士団にこのことを伝えてくる。ギルド招集になることを覚悟しておいてくれ」

「……ふん。騎士団ねぇ。そいつら、本当に役に立つのかい?」

「民を護り戦うのが騎士の務めだ。それを疎かにする者達ではない」

「どうだか」


 アルテウル王国騎士団の力は、未だかつてないほどに弱まっている。魔王戦役以前は各地に駐屯し治安維持を行っていたのだが、今となってはそれも難しく、王都周辺に戦力を固めるのが精一杯とすら言われていた。


「ギルド招集になるとして、候補はどのぐらいになりそうだい? 木っ端共を集めても意味がないだろう。それならうちと、後はウィルフリードの小僧っ子のところのグシオンぐらいか? 戦力を提供するのはいいが、貰うもんはしっかりと貰わないとねぇ」

「貴方達ほどではないが、充分な戦力を持ったギルドは他にも存在している。一方的に負担を強いるようなことにはならないだろう……勿論、俺が決めることではないので確約はできないが」

「あぁ、それもそうだった。あんたは他の英雄達と違って真面目だから、ついつい勘違いしちまうよ」

「……褒め言葉と受け取っておく」

「さて、一応ここに金は用意してある。偶然の遭遇とはいえ、うちの奴等を助けてもらったんだから、受け取る権利はあるよ」


 先日、フェンリスの地方部隊が魔物の大群に襲われた。あわや全滅となったところで、そこに通りがかったアレクシスが魔物を殲滅し、救出してくれた。

 大英雄アレクシスが対価を要求するとは思えないが、フェンリスにも事情がある。その辺りの民草と同じように助けられっぱなしと言うわけにもいかなかった。


「必要ない」

「だと思ったよ。だったらあたしの代わりに寄付でもしてきておくれよ」

「……行く先が一緒なら、自分で行った方が評判に繋がると思うが?」

「はっ、冗談じゃない。エレノア・スカーレットがそんなことするかね!」


 アレクシスは金の入った袋を受け取って、それを懐にしまった。

 全ての用件が終わったと判断して、踵を返すアレクシス。

 そこに、エレノアが声を掛ける。


「そう言えば、この間面白い拾いもんをしたんだよ」

「……なんの話だ?」


 振り返り、アレクシスは怪訝そうな顔をする。


「アウローラ研究機関を覚えてるかい?」

「……忘れるはずもない」

「だろうねぇ」


 にやにやと嫌な笑いを浮かべながら、エレナは行儀悪く机の上に両足を投げ出す。


「そこで何が行われていたかは知ってるのかい?」

「……詳細は伝えられていない。俺の役目は……」

「あの場所あった全てのもの、あの場にいた全ての人間を殺せ」

「……そうだ」

「英雄殿が、そんな辛そうな顔をするんじゃないよ。実際あの場で行われていたのは余りにも非人道的な研究で、そして民意に反したその研究は潰された。馬鹿だねぇ、そこで造られたものが、将来自分達を護ってくれるかも知れなかったのに」

「……エレノア殿、この話には何の意味がある?」

「寂しい年寄りの戯言さ。もう少しばかり付き合っておくれよ」


 アレクシスが椅子を引いて、エレノアの正面に座る。

 同時にエレノアも投げ出していた足を引っ込めて、目の前にいる英雄の表情を正面から窺った。


「あの場所は人造兵を初めとして、そう言ったちょっと非合法な研究を行っていたんだ。魔王戦役が終わってから、そう言うものへの風当たりが強くなったのは知ってるだろ? タイミングが悪かった、ただでさえ失墜しつつある王家への信用が、これ以上下がって行くのは看過できなかったんだろうね。それとは別に、その王族自身が人間以外の生き物に嫌気がさしていた可能性もあるが」


 しかし、同時にそこには反政府運動を行う組織もそれらを手に入れようと兵を派遣していた。

 結局戦いは混戦となり、一刻も早く全ての証拠を隠滅したがった政府は英雄に出動要請を出した。

 その時にアウローラへ赴いたのが――。


「英雄殿、あの場所にいた連中は、命令通り皆殺しにしたのかい?」


 長い沈黙があった。

 アレクシスは瞠目して何も答えない。

 そしてそれが、エレノアにとってはこれ以上にないぐらいの回答となっていた。


「なるほど。冷徹に命令を実行する大英雄殿でも、その哀れな命を奪うことはできなかったってことかい」

「……そうだ。炎の中で俺を見上げる人造兵の目。年端もいかないまだ子供を手に掛けることができなかった」

「ははっ、人間としちゃ正しいが英雄失格だね」

「言い訳はできん。それに、俺ができたのはそこまでだ。その後の人生を、あの少年が生きていくことは難しいだろう」

「……まぁ、そうだろうね。つまりはあの研究所には生き残りがいたってことだ。しかも、今のあんたの言葉を信じるなら二人」

「……俺は一人しか見ていないが?」

「そうさね。あんたが助けたのが一人、そしてこっちで見つけたのが一人ってことじゃないか」

「……生き残りを保護できたのか?」


 その時のアレクシスの表情は、何とも言えないものであった。


「ああ、だが勿論うちにいるってことは、戦力としてだけどね。ただまぁ、あんまり有効利用はできなさそうだから、跳ねっ返りの小娘に貸してやってるところさ」

「危険ではないのか?」

「見逃したあんたに言われるとはね。危険かも知れないが、そのぐらいの方がこっちとしては都合がいい。何せ、慢性的な戦力不足なんだから、使えるものはなんでも使わないと」


 再びアレクシスは押し黙る。

 この件について命令を無視し、私情で彼等を見逃し、また責任も取らなかった彼が口を挟めることではない。


「必要ならばそれは俺が討伐する」


 だから、英雄と呼ばれる男が言えたことはただそれだけだった。


「どうぞご自由に」


 エレノアも笑ってそれを受け取る。

 話は終わったようだった。

 アレクシスは立ち上がって、出口へと向かって行く。

 今度はそれを呼び止める声はなかったが、代わりに一度だけ振り返って、英雄は年老いてなお不敵なギルドマスターへと問いかける。


「貴方は知っているのか?」

「何をだい?」

「あの場所で研究されていたこと、アウローラは何を目的としていたのかを」


 人造兵と呼ばれる者達は魔王戦役よりも前から研究されていた。それ自体は確かに迫害されてしまったが、多くの研究機関は差し止めを受けただけに留まっている。

 研究機関を全て葬るほどの何かが、アウローラにはあったということになる。


「もしそこで研究されていたのが単なる兵器や新たな魔法なのだとしたら、全てを焼き払う必要などない」


 兵器にしても魔法にしても、それらは少なからず危険なものだ。例え街一つを滅ぼす魔法であろうが、実際に振るわれなければその使い手が処罰されることはない。

 ならば、そこにあったのはもっと深い闇。禁忌にすら触れてしまいかねないものと言うことになる。


「あたしも実際に確かめたわけじゃない。あくまでも噂だし、正直半信半疑さ。研究成果を見た今でもね」

「それはなんだ?」


 一拍の呼吸の後、エレノアはその名を語る。

 その目は楽しげに笑い、まるでアレクシスの反応を楽しんでいるようですらあった。


「英雄と、魔王さ」

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