サンミナノ領
リリィは叫んだかと思えば、僕の手首を引っ張って荒野を走り出した。
予言書とやらを根拠としている夢見がちな美少女は、白髪で首輪をした僕を見て、現実味を帯びさせたのだろう。一番珍しいであろう『勇者適正』を持っていることをクリアしていることも、知らないだろうに。
しかし事実、条件は確かに合致している。
――僕が高位の魔物で、勇者どころか魔王になる可能性もあることを除けば、だけれども。
「リリィおねぇちゃん! 速いよ!」
もちろんそんなことは言えないし、か弱い少年であるアピールも忘れない。
「ごめんなさい! でも、急いでお父様に知らせなきゃ!」
気持ち、リリィはスピードを緩めてくれた。本当はステータスが《徴収》されたとはいえ、SPDはまだまだ僕の方が上だったが。
走っているおかげで、風景は変わってきた。荒野は終わり、木々が点々と生えた草原に入った。遠目には家々が見えている。遠目に見えるのはそこまで大きくない町のようだ、が。
――サンミナノ領? サンジミニャーノじゃなくて?
茶色いレンガの城壁、そしていくつか城壁を越えて見えるレンガ造りの塔。ヨーロッパの中世を思わせる――どころではない。まんまイタリアの小都市『サン・ジミニャーノ』の雰囲気だ。
僕が住んでいたのは日本のはずだが、地名まではっきりと知識が出てくるということは、前世の僕は旅行好きだったのか?
駆け足で走り続けて、中世風のレンガ造りの城壁に辿り着いた。
「はぁ、はぁ、着きましたよ……」
膝に両手を置いて、息を切らせるリリィが言う。僕は気にせず、息が切れる演技をすることさえ忘れて、見惚れていた。
「美しい、ね」
城壁の門から、土色のレンガで統一された町並みが見える。高さはまちまちで、厳かに立つ塔が見える。
門に立つ兵士のような二人が、リリィを見つけて駆け寄って来た。何やら話しているが、その内に門の扉を通り過ぎた。
すべてが同じ土色で統一されているわけじゃないし、塔や建物の高さだってまちまちだ。でもその景色には、独特に調和された美しさがあった。
前世でもきっと、僕は来たことがあるわけじゃない。それでも、前の僕がずっと来たかった場所なんだとわかった。
記憶が無いまま、知らないままに今の僕が感動している。道行く人々には、活気が感じられた。住人でない僕を見て、珍しいのか視線を止める人もいるが、忙しいのかすぐに通り過ぎる。
この道はドゥオーモ広場に続くのだろうか。あちらの道を行けば、チスケルナ広場に行けるのかもしれない。石畳の地面を見て、立ち尽くしていた。
「で、あの坊主は何なんです?」
後ろからの声で、ようやく我に返った。振り向けば、門番らしき二人が訝しげな目を僕に向けている。
「あ、そうです! その方のことでお父様に報告しなければ!」
無事を喜んでいたのであろう門番を置き去りに、リリィはまた僕の手首を掴んで走り出した。
十二歳の女の子にしては、体力あるよなぁと思う。僕も息を切らせる演技をしながら、美しい町並みを走り出す。
「あらお嬢様! おかえりなさい!」
「ただいま! 無事に帰ってきました!」
「《癒し手》様にはなれたのかい?」
「うん! おかげ様でです!」
町の人々がかける声に、顔を向けて答えながらリリィは走る。領民との距離は近く、かわいがられているようだ。
それに、リリィの夢についてもみんな知っているのだろう。
領主の娘のかわいらしい夢について、領民同士が話すのを想像してどこか、いいなと思った。
城門から走り出してそう間も無く、リリィは立ち止まった。あぁ、サンジミニャーノで一番高いグロッサの塔だ。
「はぁ、はぁ、さぁ着きましたよ! 私たちサンミナノの家、グロッサの塔です!」
塔の名前は同じらしい、サンミラノ家の住居へとリリィの後を続いた。
「ただい」
扉は豪奢なものではなかったが、開いた扉から金髪の豪奢な男が出て来た。
「おがえりぃぃぃいいいい!!!!」
金髪の背の高い男は、リリィが言い終わらないうちに高速で抱きついた。
リリィを押し倒してしまわないのが不思議なほどだったが、上手く膝を付いて勢いを殺していた。
「ただいまです、お兄様」
どうやらリリィの兄らしい男は、妹に似た秀麗な顔を歪めて頬ずりしていた。
「おがえりリリィ~! 危険なことはなかったかい!? 賊に襲われたりはしなかったかい?」
抱き付かれている妹の右頬は、頬ずりにより上下しているので話せなかったのだろう。兄の両肩を手で押しながら、お兄様、と落ち着かせた。
「山賊に襲われたのですが、そちらの方が助けてくれたのです」
そう言って視線を向けた妹に従い、金髪の青年は僕に視線を刺した。
のっそりと立ち上がり、僕の両肩に手を置いて
「ぁぁありがどううぅぅぅうう!!」
と泣きながら感謝を述べた。
愛に溢れた人なのだろうと、なるべく好意的な感想を込めてリリィを見ると、可憐な顔を苦笑いさせていた。これだけかわいい妹ならば、そうもなるのかもしれない。
ひとしきり泣いてヘッドバンキングしながら感謝をしていた兄は、ふっと立ち上がり、
「この少年をもてなしなさい! 風呂を沸かし、馳走を準備するのです!」
どこからか出て来た、黒いロングスカートの上に白いエプロンを身につけたメイド服数人が集まり、全員で僕を胴上げ準備のように持ち上げて走り出した。
何だか走ってばかりだ。リリィが愛されて育ってきたことだけはわかった。




