第五話「精和技研、動く」
受注の連絡が来たのは、客先訪問から四日後の朝だった。
匠がいつものように旋盤に向かっていると、デキルの電話が鳴った。匠は振り返らなかった。関係ない、と思おうとした。
「はい、精和技研、売買でございます。……はい。はい、ありがとうございます」
電話が終わった。
少し間があった。
「精巧さん」
「……なんだ」
「車精工業さん、正式発注いただきました。月産五百個、三ヶ月の試験導入です」
匠は手を止めなかった。止めたくなかった。
「わかった。仕様書を寄越せ」
「はい」
それだけだった。喜びもしない、驚きもしない。ただ仕様書を要求した。それが匠の流儀だった。
しかしデキルが事務所に戻ってから、匠は一度だけ目を閉じた。
五百個。三ヶ月。小さい。だが、最初の一歩だ。
技術は本物だった。やはり本物だった。
呑気に報告したのはデキルだった。
「社長、初受注です。車精工業さんから月産五百個いただきました」
呑気はお茶を飲みながら聞いていた。しばらく黙って、それからぽつりと言った。
「そう。よかったね」
それだけだった。大げさに喜ぶでもなく、立ち上がるでもなく、ただお茶をすすった。デキルは少し拍子抜けした顔をしたが、すぐに笑った。
匠はその様子を工場から見ていた。
呑気のあの顔は、驚いていないということだ。最初からわかっていたということだ。何を、とは匠にはわからない。ただあの目はいつも、何かを見通しているような気がした。
その夜、匠は一人工場に残った。
仕様書を広げて、生産ラインのシミュレーションをした。月産五百個。今の設備でギリギリ回せる。品質は絶対に落とさない。そのためには工程をどう組むか。治具はどう設計するか。
気づけば深夜一時を過ぎていた。
匠は缶コーヒーを一口飲んで、ふと思った。
デキルは今何をしているのか。
すぐにその考えを打ち消した。どうでもいい。あいつはあいつの仕事をする。俺は俺の仕事をする。それだけだ。
しかし次の瞬間、スマートフォンにメッセージが届いた。
デキルからだった。
「精巧さん、次の訪問先もう三件アポ取れました。来週また一緒に来てもらえますか。任せてください、必ず取ります」
匠は画面を見つめた。
深夜一時に、こいつは次の手を打っている。
返信はしなかった。しかしスマートフォンを置いてから、また仕様書に向かった。手が動いた。さっきより速く動いた。
認めるつもりはない。
ただ、悪くない夜だった。




