44 『血』
という訳で二章です。
一週間休むと言ったのに予定よりも遅れて大変申し訳ないです。ちょっと諸々の諸事情やら精神病やらが影響してしまいまして……。
また変な事が起きなければとりあえず毎日更新で行く予定です。
ぼろぼろな、スマホ片手に交差点。
きっと私は、信号を待っていた。
「……」
掌を返すように、呆気なく赤が青に変わるのを待っていた。車が単なるLEDに堰き止められ、社会が引いた規則の恩恵は白線と白線の間を跨ぐ度に感じられて、或いは全能にも似た感覚を得るのを。
私は、待っていた。
いつか、誰かに借りたイヤホン。真っ白な絡まったそれを解いて、端子をぶすりと、液晶の割れたスマホに刺した――そうするのと同じように、ただ一対であるだけのイヤピースを耳に刺した。
携帯電話の電源ボタンを押し、鈍くも青白く光った本体をスクロールしていき、まるで指のささくれた部分を剥き過ぎてしまったかのように、サムネの下部で直線に引かれた赤い線。
視聴済みを表すそれを、押した。
『――♪――』
軽はずみの曲調。
表現力の賜物か、強弱・緩急が分かりやすいような。
「――――」
乗りやすいリズムに、片足の先を上げては下ろして、上げては下ろしてとんとんとアスファルトを叩いた。
モーツァルトのトルコ行進曲。
「……」
私はきっと、クラシックが好きだ。
きっと、そうだ。
それが暗澹であり惨憺たる内心を沈静化させると理解している、それが私の心意気を下に向かせぬ揚力となる事を理解している、それが思考力の大半を奪い音色に人格を耽溺させると理解している。
とん、とん。と、と、とん。
そうやって、鍵盤楽器が思考を強姦した。
音階に惹かれるまま前を向けば、丁度人が轢かれていた。
手足の可動域は意外と自由ではなく、まるで背中が腹であり腹が背中であると言うように、裏返しの四つん這いになっており、空を向かい合った腹の裂け目からは腸が充電器の如く伸びている。
人を筆とし、画材とした、赤い抽象画。
軽トラの白いボディには、とある衣服と皮膚が血肉を接着剤として張り付かせ、それは治安の悪さを示すようなストリートアート、その特徴的なグラフィティにも似ていた。
前述の生者が、無数の車によって死者になった。
生物が死体となり、無数のゴム臭いタイヤがペーストを作り上げ、それを世界に広めようと引き摺り回す。
「……」
ループ再生、そのボタンを押した。
「……」
終わるのは寂しい。何事も。
「……」
追加投入された人は、プランクトンの彩りではなくその身に収めた血液をぶち撒けんと信号の赤に向かっては、軽自動車の力を借りてではあるけれど、紅海の波打ち際を作り出していく。
耳が、音に弾ける。
みんながみんな、アクセルを踏む。
人が死ぬ。
死んではまた飛び込んで、生きては死んでいく。
それは、曲の盛り上がりに同期しているような気がした。
「……」
交差点は無駄なく赤く染まっており、これ以上のレッドカーペットは無いような気がする。それでもまだ、横断歩道の白線は残ったままで、中々にしぶといな、と思う。
思ったのだと、思う。
だから、まるで自分が指揮者になったのだと錯覚して、それを現実の物にする為に、操り糸に引っ張られるままに指を前に、横断歩道の交互的な長方形の白いペイントを指し示した。
一斉に人が、横から見れば青信号、縦から見れば赤信号となっている道路に身を投げ込んでは、トラックやファミリー車、電気自動車やまだ試験段階の自動運転の車に跳ねられ、打ち上げられていく。
とん。とん。と、と、とん。
リズムはきっと、同じ物。
とん。とん。と、と、とん。
音の高さが、そのまま身体が打ち上げられる高さ。
とん。とん。と、と、とん。
死んでは血を流し、目的であった白線すら紅く染めた所で――、
「――――」
イヤホンを、外した。
「……」
ぐ、ちゃぁ。
聞こえたのは何の音か。
また誰かが交通量の多い所に身でも投げたのだろうか、ゆっくりと後ろを振り向いてみれば。
手。
視界を埋めた。
押し出された。
身体が揺らいだ。
「――――」
幻聴のラストスパート。
軽トラのタイヤが私を轢いた。
手足の可動域は意外と自由ではなく、まるで背中が腹であり腹が背中であると言うように、裏返しの四つん這いになっており、空を向かい合った腹の裂け目からは腸が充電器の如く伸びている。
人を筆とし、画材とした、赤い抽象画。
軽トラの白いボディには、とある衣服と皮膚が血肉を接着剤として張り付かせ、それは治安の悪さを示すようなストリートアート、その特徴的なグラフィティにも似ていた。
前述の生者が、無数の車によって死者になった。
生物が死体となり、無数のゴム臭いタイヤがペーストを作り上げ、それを世界に広めようと引き摺り回す。
「ぃ、っぶ……ぇ」
吐いた。
吐いて吐いて、また吐いて。それで、吐いて。
原型の無い頭蓋骨がまだしも液体を出せる事に安堵して、その事に吐き気を覚えた。
頭の中では、ずっと鳴り響いていた。
ピアノの音色が。
▼△▼△▼△▼
嫌だ。怖い、やだ。
「ぁ、っ、ぁ」
痛い。痛かった。
立てた刃、それが皮膚を浅く裂いた。
私の左手が、右手のそれを切った。
「ち、が」
カッターで切った場所は、始めこそただの浅い溝だった。
時間が立てばそこからは血が滲み、傷となった。
取り返しのつかない事をした気は無い。ただ、求めていた高揚などどこにもなく、錯乱と恐慌にも近い荒れっぷりを得ただけであり、巡り巡れば今の私は正気ではない。
理解している。自分が生きているのだと。
理解している。心的外傷が膿んでいると。
理解している。きっと、何もかもを。
「は――は――」
ああ、スマホが欲しい。
クラシックが聴きたい。
これに頼らずに済む、あの音色が恋しい。
リスカなんて、したことなかったのに。




