43 『おわりのはじまり』
西日に向かい、歩いている。
初めて五角銅貨一枚を払うまでには、確か左側から夕日を浴びていた。あの時はフィアと会話しながら頭を回す余裕も相当あったけれど、今はそうではない。
只管に、眩しいから。
借りていた宿の部屋、そのカーテンを開いた事はここに着てから三週間とちょっとの間では、一度も無い。人工の光――ばっきばきに割れたスマホ由来の光とかならまだマシだけれど、こういう自然光は苦手で。
「……あー」
スマホ、欲しいなあ。
クソみたいな生活でも、まるで寝付けなくとも、間に広告が幾ら挟まれようとも、名前すら覚えていない断続的なクラシックの詰め合わせは、大凡私の心を安らかにしてくれたから。
脳内再生では駄目だ。
記憶を辿る行為とは既知の経験を既知のまま持ってくる事に他ならなく、新しい発見も、変わりゆく万物の中で一部のみが同じ事である安堵も何も感じられないのなら、それには意味が無い。
少し現実を見てみれば、左右を包む木々。モーセが海でなく森を割ったかのように、備えられた仮設のような道。
「――――……」
そこに響く、少し調子の外れた口ずさみ。
平易であるようで、予想とは少しずつズレている曲調。優しくて、か細くて、一人でだと厚みの足りなさが浮き彫りになって、その印象こそが儚さと無常さを引き立てているかのような錯覚。
そんな感じの、ハミング。
「何。それ」
「讃美歌です。……多分」
私と彼女は荷物を持っていない。便利だから・使えるからという理由で《暴食》、《節制》それぞれによって造られているらしい『格納空間』とやらを使っているが、これはなんなのだろうか。
考えつつも、革手袋越しに繋いだ手を意識する。
「多分って何さ」
「だって、名前とか知らないですし」
興味が無いだけか、そうではない理由の所為なのか。
「信仰してる? ラトボニルの事」
「してました」
過去形なんだ。
「まあ、信仰は良い事だよ。それにさえ傾倒しておけば、あまり心を病む事は無いからね」
見下ろせば、いつもと変わらないワイシャツの上に着たスーツベスト、その下にある赤いネクタイ、どちらも黒の革手袋に革靴が視界に入る。
同じ物を着回している訳ではないけど、おんなじデザインの物。
「人間なんて誰だって、心に神を飼ってるからね。絵画とも言うけれど」
〝抽象〟を語る術を持たぬのであれば、『具体』で語るのみでしかなく……しかし、〝抽象〟を分割し選り分け解体した結果である『具体』というのは、往々にして多岐に渡る。
なんにせよ、文脈的には、
「何かを信じるのはとても良い事だよ。確固たる信頼は基盤を齎し、基盤の上には感受性が造られ、感受性は幸福を幻視させ、幸福とは『人生という名の絶望』から目を逸らす為の立派なモルヒネなんだからさ」
落日に目を灼かれ、崇高としての態度が死滅していく斜陽を、嘲笑うように目を細めた。
「だからさ、フィア」
やはり、陽光というのは――いつだって、眩しい。
「信じてよ、君の信じたい物を」
ああ、だけれど。
瞳の奥が痛いのに、それから眼を離せないのは、きっと――、
「盲信でも、狂信でも、いいからさ」
貶められた太陽が、復讐心を満たすからだ。
多分、きっと。
私は、そんな感じに捻くれていた。
▼△▼△▼△▼
「【発火】」
脳内で定めた地点に種火が生まれ、直ぐ様枯れ葉や乾燥した木の枝に燃え移って、まだまだ発展途上ではあるが『焚き火』となった。或いは篝火? まあ呼び方なんてなんでもいい。
私も彼女も野営の仕方なんて知らない。
だから夜になってどちらともなく『そろそろ準備しなきゃ不味い』と思い始めて、慌てて急いで準備を終えようとしているのが今。
何を準備すればいいのかも分からないんだけどね。
「いいんですかね、これで」
「いいんじゃない、これで」
地べたに座り込んで、フィアが色々と何かしらの準備を進めていくのを眺める。
焚き火を取り囲むように何かの骨組みを組み立てて、その上に金網を乗せて、それから鍋を乗せたりしてた。
「料理するの?」
「はい」
「携帯食料あるけど?」
言葉の証拠として〝口〟からぱっと取り出した小包みをひらひらー、と示すと、何故かすっごく呆れた顔をされる。
「……リーナさん、いっつもそれ食べようとしますよね」
「んー、だって真っ当なご飯食べるのって疲れない?」
美味しいは美味しいんだけどね。
でも疲れちゃうから。
「だからって、放置してたら全部携帯食料で済ませようとするじゃないですか」
目を逸らす。
そうやってそっぽ向いている間にも彼女はがたがたと音を立てて、準備を進めていく。
「で、何作るの?」
「シチューです。絶対美味しく作りますから」
腰に手を当てて、えっへんと胸を張る。
自信があるのかな。珍しいね、フィアにしては。
「楽しみに待ってるよ」
膝を曲げて腕で纏めて、湿った地面の上に体育座りしてからそう答えた。
▼△▼△▼△▼
固形のルーが無くともシチューというのは作れるらしい。
フィアと私のお金は半分半分で分けてる。依頼報酬とかなんか諸々の稼ぎ全ては半分こ。だってもしお金も与えずに放置しないといけなくなった時、フィアがご飯食べれなくなって死ぬだろうし。
今彼女を失う訳にはいかないし、そんなケアレスミスを起こすなんて羞恥の極みだし、何より自分の父親と同じ事はしたくない。
だから半分こ。お金だけ渡して放置ってのもどうかと思うけど。
でもフィアは私に全てを管理させようとする。
私としてはいっそ、そういう面倒な事は全部フィアに任せたいんだけど、まあいきなり距離を詰め過ぎるのもあれかなあって思って。
……いやあ、下着脱がせて生乳触った時点で距離感もクソも無いと思うんだけどね。でも、性的な含意とか意図は一切無かったから自分の中ではセーフ。フィアの中でどうなっているのかは知らない。
まあ、少なくとも押し倒してその先に行ったって、許されそうではあるけど。
そんな事をつらつらと考えながら、フィアがお玉で私の持つ木製の皿にシチューを盛り付けるのを眺めている。
「これで足ります?」
「もうちょっと欲しいかも」
今の私は幾らでも食べれる。経口でなく、経〝口〟でならだけど。普通に成人男性五十人分を単なる口で食べなければならなかったら、多分私は途中で断念していたんじゃないかな。
それだけ食べても《暴食》の説明文通り満腹感は得られない、だけれどそれは=で空腹に繋がるという訳でもないから、ちょっと戸惑っている。
《貪食》がなんでも消化するからか、食べる事で得られるエネルギー自体を『格納空間』で保存しているのか知らないが、普通に際限無く食べれるし、特に身体に異常はきたさないし。
異常をきたしていない事自体が異常ではあるけど。
思いながら。
木で出来た匙で今日の夕食を掬い取り、口の中に運んだ。
「どう、ですか?」
「んー……」
じゃがいもと人参はしっかりと芯まで火が通っててほくほくしてるし、鶏肉は固くもなく柔らかくもなく丁度いい塩梅で、噛めば噛むほど旨味が出てくるし、それらは輪郭の淡く優しい味で覆われていて――、
「ん、美味しいよ」
正直な感想を伝えたら、彼女はほっと胸を撫で下ろすように息を吐いた。
自信があるのか無いのかよく分からない。
「どこで教わったの?」
「教わった、というか……数をこなしたら出来るようになってたんですよ」
そう返答してから彼女もシチューを一口食べて、表情をふにゃふにゃと崩していく。焚き火以外に灯りが無くとも……いや、だからこそフィアの容姿や顔貌という物は酷く目立っていて。
一つ、息を吐く。
「たまにでいいからさ、作ってよ。シチュー」
告げると、フィアはごくんと口の中の物を飲み込んで。
「はい、明日にでも」
笑顔で、そう言った。
「……たまにでいいからね?」
呆れたように上を見上げると、月が青白くも輝いていた。
これにて一章は完結です。よろしければ評価やブクマなどをくださると、とても励みになります。次話は璃奈とフィアに関する設定まとめで、二章開始時期については一週間程度ストックを作ろうと思います。
ただ、私は気まぐれなので一週間の期間を空けずにそのまま二章を投稿する場合があります。




