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第一話 亡命王子は膝をつかない

 剣聖ロック・シャルディンは、道を残さない。


 足跡を消すわけではない。偽名を使うことも、行商人に身をやつすこともない。


 ただ、どこへ行くのかを誰にも告げず、必要がなくなれば、それまで歩いてきた道そのものを捨てる。


 だから、あの男を追う者は、足跡ではなく、ロック・シャルディンが何に足を止めるかを知らなければならなかった。


 滅びかけた村。


 誰も止めようとしない戦争。


 見どころのある剣士。


 そういうものを見つけると、シャルディンは黙って首を突っ込む。


 ひと月後には、その村の自警団が妙に強くなっていたり、戦争を始めた領主の首が城門に吊るされていたりする。


 本人は何も語らない。


 何事もなかったように、また別の土地へ消える。


 それがロック・シャルディンという男だった。


「灰色の鎧を着た、馬より大きな男?」


 クラウディア領北部へ続く街道脇で、羊飼いの老人が首を傾げた。


「ああ」


 タナトスは短く答えた。


「背に、人の背丈ほどの剣を負っている」


「そりゃあ見れば忘れねえな」


「見たのか」


「いや」


 老人は迷いなく否定した。


 タナトスは黙った。


「ただ、三月ほど前だったか。北から来た薬売りが、そんな男を見たと言っておった」


「どこで」


「クラウディアの東街道。古い石橋の近くだったかな」


「三月前か」


「四月だったかもしれん」


「どっちだ」


「羊の生まれた日は覚えておるんだが、人間の出入りはなあ」


 老人は悪びれずに笑った。


 タナトスはそれ以上聞かなかった。


 直近一年。


 ロック・シャルディンからの便りは途絶えている。


 初めのうちは、誰も気にしていなかった。


 シャルディンが少人数を連れ、各地を流浪することは珍しくない。傭兵団と居城はバク・ティクトが守っている。契約も、兵の訓練も、領地の運営も滞ってはいない。


 いずれ、何事もなかったように帰ってくる。


 幹部たちはそう考えていた。


 タナトスも同じだった。


 半年を過ぎるまでは。


「クラウディアか」


 街道の先には、半島中央部の盆地を囲む低い山々が連なっていた。


 雪原ではない。


 肥沃な大平原でもない。


 乾いた風が草を倒し、土と家畜の匂いを運んでくる。畜産と、亜人諸族との技術交流によって成り立つ、小さな選帝侯領だった。


 さらに遠く、城壁の上で大烏の旗が翻っている。


 クラウディア城。


 女選帝侯の家系が守ってきた古城である。


 老人の話が正しければ、シャルディンはあの城へ向かった可能性がある。


 もっとも、老人の記憶そのものが怪しい。


 タナトスが東街道へ進もうとした時だった。


 馬の嘶きが聞こえた。


 続いて、弩の弦が鳴る。


 一本ではない。


 間を置いて、二度。


 訓練された斉射だった。


 タナトスは足を止めた。


「師匠じゃないな」


 馬蹄の音が近づいてくる。


 追う側は二十を超えている。


 逃げる側は四人。


 うち二人は、すでにまともに馬を走らせられない。


 タナトスには関係のないことだった。


 街道を外れようとした時、若い男の声が響いた。


「殿下だけでも城へ!」


「置いていけるか!」


 木立の向こうから、栗毛の馬が飛び出した。


 馬上の青年は、王家の紋章を縫い込んだ外套をまとっていた。上等な布は泥と血で汚れ、片袖が大きく裂けている。


 青年の後ろには、三人。


 馬に乗った老従者。


 負傷した近衛。


 そして馬を失い、片足を引きずりながら走る、もう一人の近衛。


「右から来る!」


 青年が叫んだ。


 走っていた近衛も反応した。


 だが、遅い。


 木々の間から現れた騎兵が、馬上で長剣を振り上げる。


 逃げる相手の背へ、迷いなく刃を落とす一撃だった。


 タナトスは進路を変えた。


 刀を抜く必要もない。


 鞘ごと騎兵の剣を下から打ち上げる。


 刃が近衛の肩を外れ、空を斬った。


「何者だ!」


 騎兵が怒鳴る。


 タナトスは答えない。


 馬の轡を掴み、横へ捻った。


 突然進路を変えられた馬が大きく首を振る。騎兵の身体が鞍から浮いた。


 タナトスはその腕を掴み、地面へ引き落とす。


 鈍い音がした。


 騎兵は背中を打ち、そのまま息を詰まらせた。


 青年が馬を止めた。


「お前は……」


「行け」


「何?」


「城門が見えている」


「だが、追手が――」


「邪魔だ」


 タナトスは青年ではなく、その後方を見た。


 騎馬の群れが次々と木立から現れる。


 五騎。


 十騎。


 十五騎。


 さらに十騎。


 二十五騎。


 装備は統一されていた。


 馬上弩。


 軽騎兵用の短槍。


 片刃の長剣。


 ただ数を揃えた兵ではない。


 先頭の隊長が手を上げると同時に、騎兵たちは左右へ散開した。


 中央の部隊は逃亡者を押さえ、両翼はクラウディア城へ続く道を塞ぐ。


 最後尾の五騎だけは、戦列から距離を取っている。


 伝令役。


 全員が最後まで戦う前提ではない。


 王子の生け捕りと、逃亡先の特定。その両方を任された選抜追跡隊だった。


「王子は殺すな!」


 隊長が命じた。


「足を射抜け! 従者は斬って構わん!」


 弩兵が馬上で照準を合わせる。


 青年の近衛が前へ出ようとしたが、腕が上がらない。


「殿下、城へ!」


 老従者も声を張る。


 青年は歯を食いしばったまま、タナトスを見た。


「名を聞いてもいいか」


「今か」


「命を預ける相手の名くらいは知りたい」


「預かっていない」


「では、なぜ助けた」


 タナトスは、地面で呻く騎兵を一度だけ見下ろした。


「背中から斬るのが気に入らなかった」


「それだけか」


「十分だ」


 隊長の腕が上がる。


 弩兵八騎が三列に分かれた。


 一斉射ではない。


 最初の矢を防いだ直後に、次を射る配置だった。


「下がっていろ」


 タナトスが言った。


「一人で二十五騎を相手にするつもりか」


「二十五人だ」


「同じだろう」


「馬を斬る気はない」


 青年は、その意味を理解できなかった。


 タナトスの両手が腰へ下りる。


 二振りの刀。


 遠目には、日本刀に似た細身の長刀だった。


 だが、一般的な刀の滑らかな刃とは明らかに異なる。


 刀身の一部には、獣の歯を思わせる細かな凹凸が並んでいる。


 のこぎりと日本刀を掛け合わせたような、細身の刀二本。


 右の刀は、左より僅かに長い。


 切っ先へ向かうほど反りが深くなり、一度入った刃を引き抜く動きで傷を広げる形状をしている。


 左の刀はやや短い。


 鍔元に近い鋸歯が大きく、敵の剣や槍を受けた際に、滑らせず噛み止めるための作りだった。


 右で斬る。


 左で受ける。


 右で絡め、左で裂く。


 あるいは、その全てを逆にする。


 二本を一対として扱うことを前提に鍛えられた刀だった。


 風輪双刀。


 その姿だけは、持ち主の顔以上に大陸へ知られている。


 タナトスが鞘から抜き放つと、二本の刃が陽光を受けた。

挿絵(By みてみん)


 隊長の顔色が変わった。


「待て……」


 隣の騎兵が振り向く。


「隊長?」


「首斬りだ!」


 叫び声が街道へ響いた。


「首斬りタナトスだ!」


 騎兵たちに動揺が走る。


 一騎が反射的に馬を下げた。


 知らぬ者はいない。


 西方大陸の傭兵戦争。


 5か国を巻き込んだ5人の傭兵。


 その一人の黒髪の剣士。


 のこぎりの歯を持つ異形の双刀。


 敵陣深くへ入り込み、指揮官の首を奪って帰る男。


 首斬りタナトス。


 その異名は武勇伝というより、夜番の兵が眠気を失うために語る怪談に近かった。


 だが隊長は、恐怖に呑まれなかった。


 剣を抜き、兵たちへ突きつける。


「怯むな!」


 恐怖を消そうとしたのではない。


 恐怖を、功名心へ変えるための声だった。


「第四王子だけではないぞ!」


「首斬りを討てば、大陸中に名が轟く!」


 騎兵たちの目に、再び光が戻る。


「打ち取って名を上げろ!」


 隊長は続けて命じた。


「弩兵、三段!」


「短槍は左右から!」


「正面は入るな。双刀の間合いへ近づけるな!」


 速い。


 異名を聞いて混乱した直後に、部隊が再編される。


 手練れだった。


 弩兵は三騎、三騎、二騎に分かれた。


 第一射。


 三本の短矢が、胸、喉、右腿を狙う。


 タナトスは走らない。


 右の刀が胸への矢を横から叩く。


 左の刀の鋸歯が、喉への一本を噛み止める。


 右腿への矢だけを半歩ずれて外した。


「次!」


 第二射。


 最初の矢を弾いた腕が戻る前に、顔と左脇へ二本が迫る。


 タナトスは右刀を返さない。


 柄頭を落として一矢を叩き、もう一本は首を傾けて避ける。


 耳元で風が鳴った。


 その時には、左右から短槍が迫っていた。


 右は足。


 左は刀を持つ手。


 馬の速度を殺さず、交差するように突き込んでくる。


 タナトスの口元が僅かに上がった。


「悪くない」


 右から来た槍へ左刀を合わせる。


 刃の細かな歯が、槍の柄を噛んだ。


 捻る。


 騎兵の手首が外へ開く。


 そこへ右刀が走った。


 革手袋ごと、親指だけが宙へ飛ぶ。


「ぐあっ!」


 槍が落ちた。


 タナトスは振り向きざま、右刀を横へ払う。


 左から迫った騎兵の首筋へ、一本の傷口が開いた。


 赤い血が噴き出す。


 騎兵は恐怖に顔を歪め、馬上で首を押さえた。


 深さは指一本にも満たない。


 だが本人には分かる。


 あと僅かに深ければ、頸動脈を裂かれていた。


 馬から転げ落ちる。


 背後から三人目。


 片刃の剣を振り下ろす。


 タナトスは振り返らない。


 身体を僅かに沈めて刃を頭上へ通し、左刀を逆手へ持ち替える。


 短い音。


 騎兵の人差し指と中指が、剣の柄から離れて落ちた。


 悲鳴が続く。


 それでも死者はいない。


「距離を取れ!」


 隊長が即座に命じる。


「囲み直せ!」


 負傷した三騎の隙間を、後続が埋める。


 親指を失った兵を味方が引きずり、首を斬られた兵へ別の騎兵が止血布を投げる。


 仲間が倒れても陣形を崩さない。


 恐怖だけでは逃げない。


 第四王子を大陸中央部まで追い続けてきた選抜兵だった。


 隊長はタナトスの刃筋を見ていた。


 負傷者の傷も見ていた。


「奴は首を取っていない!」


 兵たちへ叫ぶ。


「殺せぬのではない!」


「殺していない!」


 その違いを正確に読んでいる。


「殺す気がないなら、踏み込める!」


「捨て身で押し潰せ!」


 兵たちの目が変わった。


 慈悲を期待したのではない。


 首斬りタナトスが、自ら何らかの制約を負っている。


 ならば、その制約を攻撃へ利用できる。


 手練れの兵ほど、敵の情けを好機と見る。


 タナトスは右の刀を下げた。


 紫色の目が、隊長を捉える。


「よく見ている」


 隊長が長剣を構える。


「光栄だな」


「だが」


 タナトスは一歩、前へ出た。


 二十五騎の包囲へ。


 逃げ道のない中心へ、自分から入る。


「勘違いするな」


 風輪双刀が左右へ開いた。


「殺さないのは、俺の都合だ」


 騎兵たちが一斉に馬を進める。


「お前たちの命が惜しいからじゃない」


 次の瞬間。


 クラウディア城壁の上から戦いを見ていたリーフェルには、タナトスの姿が消えたように見えた。


          ◇


 消えたのではない。


 一歩。


 ただ一歩、包囲の内側へ踏み込んだだけだった。


 だが、二十五騎が距離を詰める僅かな隙間を抜ける速度が、目で追える域を越えていた。


「中央へ入れ!」


 隊長が叫ぶ。


「囲んで潰せ!」


 四騎が同時に馬首を返す。


 正面から二本の短槍。


 左右から長剣。


 後方の弩兵は、味方を射抜かぬよう照準を上げたまま、タナトスが包囲を抜ける瞬間を待つ。


 よく訓練されていた。


 兵同士の距離も、馬の歩幅も、武器を振る順番も乱れない。


 タナトスは右から来る短槍へ左刀を合わせた。


 鋸歯が柄を噛む。


 そのまま捻り、騎兵の手首を開かせる。


 右刀が走る。


 今度は小指と薬指だけが、手袋ごと落ちた。


 槍が地面へ転がる。


 タナトスはそれを踏み、身体を回した。


 左から来た騎兵の足首を覆う革紐だけを裂く。


 鐙が外れる。


 騎兵は馬上から横へ投げ出され、肩から地面へ落ちた。


 その脇を、別の騎馬が駆け抜ける。


 長剣の狙いは頬。


 眼を奪い、捕縛するための軌道だった。


 タナトスは避けなかった。


 右刀の背を顔の前へ置く。


 敵の剣が触れる。


 通常の刀なら滑る。


 風輪刀の歯は逃がさない。


 馬の速度ごと剣を持っていかれ、騎兵の肩が開いた。


 左刀が脇の下へ差し込まれる。


 肉ではなく、鎧の留め革だけを切る。


 胸当てが地面へ落ちた。


 続いて右刀。


 露出した鎖骨の上、喉の横へ赤い線を引く。


「ひっ……」


 騎兵が息を呑む。


 首へ刃は届いていた。


 そのうえで、殺されなかった。


「止まるな!」


 隊長の怒号が飛ぶ。


「二本同時に受けるな!」


 三騎が間隔を空けて迫る。


 一騎目が上段。


 二騎目が胴。


 三騎目は動かず、タナトスが避ける方向を待つ。


 最初の二人は斬るためではない。


 逃げ道を三人目へ固定するための攻撃だ。


 タナトスは避けなかった。


 上段の剣へ右刀。


 胴の剣へ左刀。


 二振りを同時に受ける。


 風輪刀の凹凸が、二本の剣を噛み止めた。


 両腕が外へ開く。


 正面が空く。


 三騎目の短槍が、真っ直ぐ胸へ伸びた。


「もらった!」


 ラインが叫ぶ。


「首切り!」


 槍先が外套を貫く。


 城壁の兵がどよめいた。


 だが、手応えがない。


 タナトスは槍が届く寸前、身体を半身へ変えていた。


 穂先が裂いたのは外套だけ。


 彼は二本の剣を噛んだまま、左右の腕を交差させた。


 敵の剣同士が衝突する。


 一騎目と二騎目の手元が絡み、馬同士が接触した。


 タナトスは刀を離す。


 槍の柄へ肘を落とす。


 穂先が下がる。


 その上を右刀が走った。


 槍兵の人差し指だけが、爪の付け根から落ちた。


「ぐっ――!」


 左刀は既に別の場所へある。


 一騎目の手首。


 鎧の隙間へ浅く入る。


 腱は切らない。


 だが、剣を握れば傷口が開く。


 二騎目には柄頭。


 鼻梁を打ち、馬上で意識を奪った。


 三人が、ほぼ同時に崩れる。


 城壁のリーフェルは、息をすることさえ忘れていた。


 速い。


 だが、異常なのは速度ではない。


 右から来る槍。


 左から来る剣。


 後方の弩。


 馬の脚。


 味方同士の距離。


 それら全てを見ながら、一人ずつ傷を選んでいる。


 首へ刃を置きながら、動脈を外す。


 指を飛ばしながら、掌を残す。


 腱へ届く寸前で止める。


 生かすための傷ではない。


 戦うことを諦めさせる傷だった。


 騎乗すれば傷口が擦れる。


 武器を握れば血が流れる。


 再び戦場へ立てば、今度こそ死ぬ。


 負傷者自身に、それを理解させている。


(殺せなかったのではない)


 リーフェルの手が城壁の石を掴む。


(殺さない場所を、一人ずつ選んでいる)


「リーフ」


 隣に立つアリアが呼んだ。


 リーフェルは戦場を見たまま答える。


「はい」


「あの方を知っていますか」


「異名だけは」


「?」


「首切り。」


「随分と異名に似合わない戦い方ですね」


「違います」


 否定は即座だった。


「殺せないのではありません」


「一人ずつ、殺さない場所を選んでいます」


 アリアは戦場へ目を戻した。


「それほど違う?」


「まったく違います」


          ◇


 倒れた騎兵は十一。


 まだ十四騎が動ける。


 隊長は二騎を負傷者の回収へ回し、残る部隊を二つへ分けた。


「七騎で首斬りを囲め!」


「五騎は王子へ!」


 タナトスだけを倒すことに固執しない。


 任務を忘れていなかった。


 五騎が戦闘を迂回し、ラインたちへ向かう。


 負傷した近衛が剣を構えた。


「殿下をお守りしろ!」


 ラインも剣を抜く。


 手が震えている。


 立っているだけでも苦しいはずだった。


 それでも近衛の後ろへは隠れない。


 タナトスは五騎を見た。


 同時に、包囲の七騎が動く。


 王子を助けるため前へ出れば、背中を晒す。


 包囲へ対処すれば、五騎がラインへ届く。


 隊長が叫んだ。


「首斬り!」


「王子を救いたければ、双刀を捨てろ!」


「構うな!」


 ラインが怒鳴った。


「私は自分で戦う!」


 タナトスは一度だけラインを見た。


「無理だ」


「何だと」


「立っているのがやっとだろう」


「なら、私を置いていけ!」


「置いていけばいいのか」


 ラインは答えられない。


 自分を差し出せば、随員は助かるのか。


 保証はない。


 王子を捕らえた後、口封じに全員を殺すこともできる。


 自分が犠牲になれば全てが収まるほど、戦争は親切ではない。


「迷うな」


 タナトスが言った。


「剣を持っているなら、斬る相手だけ見ろ」


「お前はどうする」


「俺もそうする」


 タナトスは包囲する七騎へ背を向けた。


「今だ!」


 隊長の命令で、七騎が同時に踏み込む。


 タナトスは振り返らない。


 左右の双刀を逆手に持ち替えた。


 背後から来る短槍。


 音だけで位置を読む。


 左刀が肩越しに回り、槍の穂先を噛んだ。


 引く。


 騎兵の身体が前へ流れる。


 右刀が耳を半分だけ切り落とした。


 絶叫。


 二騎目の剣。


 前へ踏み込んで外す。


 鍔が手首へ当たり、骨が鳴る。


 三騎目と四騎目。


 同時。


 タナトスは二騎の間へ身体を沈めた。


 右刀が片方の馬具を切る。


 鞍がずれ、騎兵が落ちた。


 左刀はもう一人の剣を噛み、頭上へ跳ね上げる。


 脇が開く。


 上腕の内側へ刃を浅く入れた。


 血が散る。


 腕は残る。


 だが力が抜け、剣を持てない。


 五騎目が、馬で踏み潰そうとする。


 タナトスは地を蹴た。


 馬の首へ左手を置き、身体を横へ流す。


 すれ違いざま、右刀が騎兵の剣帯を切った。


 武器が鞘ごと落ちる。


 続く左刀は顎の下。


 皮膚へ薄い傷を刻む。


「動けば開く」


 騎兵は馬上で固まった。


 残る二騎が躊躇する。


 タナトスは二人を斬らない。


 ラインへ向かった五騎を追った。


「追え!」


 隊長が叫ぶ。


 だが二騎は動けなかった。


 これまで倒れた仲間の傷が、目に焼きついている。


 次に自分のどこが落ちるのか。


 想像してしまった。


 タナトスは五騎へ追いつく。


 先頭の槍がラインへ伸びた。


 ラインも剣を振る。


 刃と穂先がぶつかる。


 腕が痺れ、剣が落ちかけた。


 騎兵が槍を引き、二撃目へ移る。


 その手元を風輪刀が横切った。


 親指の付け根が裂け、槍が落ちる。


 タナトスがラインの前へ入った。


「下がれ」


「遅い」


「助けられた者の言葉じゃないな」


「頼んでいない」


「面倒だ」


「お前に言われたくない」


 残る四騎は止まらない。


 二騎はライン。


 一騎は負傷した近衛。


 最後の一騎は老従者へ向かう。


 タナトスは舌打ちし、左刀を投げた。


 風輪刀が回転しながら飛ぶ。


 老従者を狙った騎兵の長剣へ、刃の鋸歯が噛みつく。


 剣が手から弾かれた。


 風輪刀は地面へ突き立つ。


 タナトスは右刀だけで、ラインへ迫る二騎の間へ入った。


 一人目。


 剣を握る三本の指を、柄ごと切り落とす。


 二人目。


 首へ刃を置く。


 騎兵は馬を止めた。


 鋸歯が皮膚へ食い込んでいる。


 動けば自分で傷口を広げる。


「降りろ」


 騎兵は剣を捨て、馬から降りた。


 最後の一騎がタナトスへ背を向ける。


 逃げるのではない。


 地面へ刺さった左の風輪刀へ手を伸ばした。


「触るな!」


 ラインが叫ぶ。


 騎兵の指が柄へ近づく。


 タナトスの表情が変わった。


 それまでの無関心が、一瞬で消える。


 右刀を振りかぶり、投げた。


 刃は頭へ向かわない。


 伸びた右手へ飛ぶ。


 手首から先が、風輪刀の柄へ触れる寸前で切り離された。


 騎兵の絶叫が盆地へ響く。


 タナトスは歩み寄り、二本の刀を拾った。


 切断された手が足元へ落ちている。


 見向きもしない。


 刀身に付いた血だけを、倒れた兵の外套で拭った。


 ラインは、右手を失った騎兵を見る。


「そこまでする必要があったか」


「触るなと言った」


「聞こえる前だった」


「関係ない」


「その刀は何なのだ」


 タナトスは答えなかった。


 二本を鞘へ納める。


 乾いた音が重なった。


 その音を合図にしたように、隊長が叫んだ。


「離脱!」


 まだ動ける騎兵は七騎。


 隊長は三騎を前へ出し、自ら後衛へ回った。


「四騎は本部へ走れ!」


「第四王子がクラウディアへ向かったことを伝えろ!」


「首斬りタナトスが現れたこともだ!」


「隊長は?」


「負傷者を回収する!」


「任務だ、行け!」


 四騎が馬首を返した。


 クラウディアとは逆方向。


 北へ続く街道を駆けていく。


「逃がすな!」


 ラインの近衛が声を上げた。


 タナトスは動かない。


「追わないのか」


 ラインが尋ねる。


「理由がない」


「あの者たちが報告すれば、私の行方が本部へ知られる」


「そうだな」


「クラウディアも巻き込まれる」


「俺はクラウディアの人間じゃない」


「なら、なぜ私たちを助けた」


「目の前にいたからだ」


「それだけで二十五騎を相手にしたのか」


「師匠を探している」


 タナトスは遠くの城を見る。


「あの城に手掛かりがあるかもしれない」


「私とは関係がない?」


「ああ」


 ラインは、腹を立てるべきか、礼を言うべきか分からなかった。


 やがて剣を鞘へ戻す。


「私はライン・ネーヤだ」


「聞いた」


「神聖ネーヤ帝国第四王子」


「それも聞いた」


「お前はタナトス」


「…ドレイゴだ。ドレイゴのタナトス。」


「首斬りと呼ばれている」


「勝手に呼ばれているだけだ」


「では、今はそれでいい」


 ラインはクラウディア城へ向き直った。


「城へ行く」


「好きにしろ」


「お前も来るのだろう」


「師匠の手掛かりがあればな」


「なければ?」


「出ていく」


「本当に勝手な男だ」


「王子よりはましだ」


「どこが」


「俺は、自分が勝手だと知っている」


 ラインは一瞬黙り、疲れたように笑った。


「少しだけ、お前が嫌いになった」


「それでいい」


 地面には、二十人近い追討兵が倒れている。


 死者はいない。


 だが、すぐに武器を握れる者もいなかった。


 隊長は残った三騎とともに、負傷者を庇う位置へ馬を寄せる。


 タナトスへ剣を向けた。


「また会うぞ、首斬り」


「次は首が落ちる」


 隊長の顔が強張る。


 それでも剣を下ろさない。


「覚えておけ。俺は反乱軍北部追討隊――」


「名はいらない」


「何?」


「覚える気がない」


 隊長の目に怒りが浮かんだ。


 しかし追わない。


 勝てない時に死ぬほど、未熟な兵ではなかった。


 負傷者へ撤退を命じる。


 それが、彼らが手練れである最後の証明だった。


          ◇


 クラウディア城壁の上では、弓兵たちがまだ矢を番えていた。


 追討隊とタナトス、その双方へ向けている。


 どちらが味方か分からないからではない。


 どちらも味方ではないからだ。


「追討兵が退きます」


 見張り兵が報告した。


「四騎は北へ。残りは負傷者を回収しながら東街道へ戻ります」


「追わないでください」


 アリアが命じた。


「よろしいのですか」


「領外へ出た兵をこちらから攻撃すれば、クラウディアが戦端を開いたことになります」


「しかし、殿下の所在が」


「もう伝わります」


 アリアは遠ざかる四騎を見た。


 今から騎兵を出しても、全員を捕らえられる保証はない。


 一騎でも逃せば同じである。


「隠せませんね」


「ならば、隠すことを前提に決めるべきではありません」


 リーフェルは戦場から目を離さない。


「あの方を城へ入れるおつもりですか」


「まだ、お話を聞いていません」


「反乱軍は既に、第四王子がクラウディアへ向かったと知りました」


「ええ」


「門を開けば、推測が事実になります」


「門を閉ざし、殿下が目前で捕らえられても同じです」


「クラウディア家にとっては違います」


「殿下を見捨てれば、王家の生き残りを反乱軍へ差し出した選帝侯として名が残る」


「名より領民です」


「その通りです」


 アリアは即答した。


「ですから、名誉のために門を開けることはありません」


「では」


「価値があるなら開けます」


 リーフェルが主君を見る。


 横顔には、まだ少女らしさが残っている。


 だが赤い目は、門前の青年だけを見てはいなかった。


 王家の血。


 反乱軍が恐れる正統性。


 帝国を失った旧臣をまとめる旗。


 そして、辺境へ押し戻されたクラウディア家が、再び中央へ戻るための道。


「姫さま」


「それより」


 アリアがタナトスへ視線を移した。


「あの剣士を、どう見ますか」


「危険です」


「強いから?」


「強いだけなら対処できます」


「本当に?」


 リーフェルは僅かに黙った。


「姫さまの腕だけを落とすことも」


「目だけを奪うことも」


「喉へ傷を入れ、声を失わせることもできる」


 アリアは自分の喉へ指を当てた。


「怖いですね」


「分かっておられません」


「分かっています」


「なら、城へ入れてはなりません」


「王子殿下とは別に?」


「別です」


 リーフェルは断言した。


「殿下は政治的な危険です」


「あの男は、姫さま御自身への危険です」


 アリアは門へ近づいてくる一行を見た。


 ラインは負傷した近衛へ肩を貸している。


 老従者も足を引きずっていた。


 タナトスだけが傷を負っていない。


 彼は城壁の弓兵を見る。


 塔を見る。


 城門の蝶番を見る。


 最後に、リーフェルを見る。


 視線がアリアへ移った。


 ほんの一瞬。


 リーフェルが前へ出る。


 反射だった。


 自分でも意識するより早く、アリアとタナトスを結ぶ直線へ身体を入れている。


 タナトスの紫色の目が、僅かに細くなった。


 リーフェルには、それが笑ったように見えた。


「……穢らわしい」


「リーフ?」


「何でもありません」


 しかし、殺気は消えていなかった。


          ◇


 城門前へ到着すると、ラインは一人で立とうとした。


 近衛の肩を離す。


 膝が崩れかける。


 それでも、地面へはつかなかった。


 剣を石畳へ突き、杖の代わりにして身体を支える。


 城門は閉ざされている。


 城壁から無数の矢が向けられていた。


 ラインは顔を上げる。


「神聖ネーヤ帝国第四王子、ライン・ネーヤだ」


 声は掠れている。


「クラウディア侯へ、保護を求める」


 城壁の上へアリアが姿を見せた。


「証明できますか」


 ラインは懐へ手を入れる。


 リーフェルのボーガンが、即座に彼へ向いた。


「ゆっくりと」


「分かっている」


 ラインが取り出したのは、小さな金属板だった。


 蒼光神の光輪。


 その中央に翼を広げる、ネーヤ王家の紋章。


 血統を示す魔法文字が、ラインの手の中で青白く光っている。


 アリアは印璽を見た。


 次にライン本人を見る。


「本物のようですね」


「門を開けてくれ」


「理由を」


 ラインの眉が動いた。


「今、名乗った」


「名前は理由ではありません」


「反乱軍に追われている」


「見ていました」


「随員は負傷している」


「それも」


「なら、何が聞きたい」


 アリアは少し考えた。


「殿下は、クラウディアへ何を持ってきたのですか」


 ラインは問いの意味を測るように黙った。


「剣も兵もない」


「ええ」


「金もない」


「おそらく」


「あるのは王家の印璽だけだ」


「それだけですか」


「これ以上、何を持てという」


「御自身です」


 ラインの表情が強張る。


「私を売れと?」


「殿下が、御自身をどう評価しているか聞いています」


「王子だ」


「それは身分です」


「では、反乱軍が欲しがる首だ」


「それは敵から見た価格です」


「随分と失礼な女だな」


 ラインは城壁を睨んだ。


「私一人を、反乱軍へ引き渡してもいい」


 近衛たちが顔を上げる。


「殿下!」


「代わりに、この者たちを治療しろ」


 老従者が何か言おうとした。


 ラインは片手で制した。


「私を捕らえれば、反乱軍は少なくとも交渉には応じる」


「応じた後、随員を生かす保証は?」


「それは……」


「ありませんね」


「ならば、他に何ができる!」


 ラインの声が城壁へ響く。


 怒り。


 疲労。


 自分が王子であるために、周囲が傷ついていくことへの焦り。


 アリアは静かに受け止めた。


「殿下は、御自身を差し出せば責任を果たせるとお考えですか」


「この者たちを巻き込んだのは私だ」


「殿下の命令に逆らい、勝手についてきた者はいませんか」


 ラインは答えない。


 近衛たちの顔を見れば分かる。


 王子の命令だけで、ここまで来た者たちではない。


「ならば、殿下だけが決めることでもありません」


「私の臣下だ」


「だからこそです」


 アリアの口元に、小さな笑みが浮かぶ。


「殿下は、御自分を随分と安く売るのですね」


「何だと」


「王家の血を、負傷者三名の治療費と交換するおつもりですか」


「人の命を安いと言うのか!」


「逆です」


 アリアの声が冷える。


「殿下御自身を安く扱うなと申し上げています」


 ラインは言葉を失う。


「殿下が御可哀想だから迎えるつもりもありません」


  アリアは続けた。


「では、なぜ」


「殿下を迎えれば、クラウディア家は王家を保護した選帝侯になる」


「反乱軍から見れば、明確な敵だ」


「ええ」


「他の諸侯も、私を担ごうとする」


「ええ」


「帝国全土が、この城を見る」


「それを望んでいます」


 リーフェルが振り返る。


「姫さま」


 アリアはラインから目を逸らさない。


「かつてクラウディア家は、皇帝の選定に関わりました」


「今は半島中央部の小領主です」


「それが不満か」


「不満です」


 あまりにも率直な答えだった。


 ラインは怒ることさえ忘れ、アリアを見る。


「殿下を利用します」


 アリアは言った。


「殿下も、クラウディアを利用なさい」


「それで対等だと?」


「まだ違います」


「今の殿下には、選べる場所がここしかありませんから」


 ラインの目に屈辱が浮かんだ。


 それでも視線を逸らさない。


「なら、いずれ選べるようになった時」


 掠れた声で言う。


「私が先に、お前を捨てるかもしれない」


「その時は、捨てられないだけの価値を示します」


「傲慢だな」


「殿下ほどではありません」


 城壁の兵たちは、息を潜めて二人を見ていた。


 救いを求める王子と、救いを与える侯爵ではない。


 互いに相手の価値を測り、利用すると宣言する二人だった。


 アリアは右手を上げた。


「開門してください」


 リーフェルが一歩近づく。


「姫さま」


「殿下と随員を施療所へ」


「御決定ですか」


「ええ」


「逃げた騎兵は、間もなく反乱軍本部へ報告します」


「承知しています」


「門を開けば、後戻りはできません」


「だから開けるのです」


 リーフェルは唇を引き結んだ。


 主君の決断には従う。


 だが、もう一人いる。


 視線がタナトスへ移った。


「殿下をお迎えする御決断には従います」


「ありがとう」


「ですが」


 声が低くなる。


「あの男を、姫さまへ近づけることは認められません」


 門前まで届く声だった。


 タナトスが城壁を見上げる。


 アリアの前へ立つリーフェル。


主君を覆い隠すように、両者の間を塞いでいる。


「なら」


 タナトスは風輪双刀の柄へ片手を置いた。


「お前が止めろ」


 リーフェルの瞳に、雷のような光が走った。


 城門の内側で、巨大な閂が動き始める。


 古い鉄金具が軋んだ。


 大烏の旗が、盆地の風を受けて大きく広がる。


 王子を迎える門が開く。


 同時に。


 クラウディア家が、これまで閉ざしてきた戦争への門も、ゆっくりと開き始めていた。


 


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