プロローグ
私は神様を信じている。
だけどそれは、皆が思い描いているものとはきっと違う。
私が信じているのは、
残酷で。
底意地が悪くて。
えこ贔屓ばかりする。
――そんな神様だ。
世界の人口が約八十億人。
日本国の人口が約一億人。
一般的な人が、人生で出会う人数はどれくらいだろう。
千人?
一万人?
十万人……、は無いか。
いずれにしても、世界人口から比べれば微々たるものだ。
そんな広く、小さな世界で私たちは生きている――。
初めて、純然たる悪意を向けられたのは、中学一年生の時だった。
「渡良瀬さんてさあ……、口裂け女。みたいだよね」
遠慮がちに口にした彼女の眼は、私の心の中を探るように笑っていた。
周りの子たちは「そんな事言っちゃ悪いよ」とは言うものの、表情にはやはり、侮蔑の色が浮かんでいる。
胃の中から、急にせり上がる物を感じて、トイレに駆け込む。
吐けるだけのものを吐き出すと、今度は涙があふれてきた。
震えの収まらない右手で、顔を軽くなぞってみる。
指先に伝わる、ざらりとした違和感のある手触り。その正体は口許から右頬にかけて走る、一筋の醜い傷痕。
私が口裂け女と、そう呼ばれた理由がこれに他ならない。
分かっていた。
いつか、こんな日が来ること。
願っていた。
いつまでも、こんな日が来ないこと。
きっと誰かが口にするか、しないか、だけの違いだっただろう。
けれどその違いは大きかった。
その日から私の名は、
渡良瀬月子ではなく――。
口裂け女になった。
中学最後の秋、ちょうど文化祭が終わった頃。私は、知らない男子に体育館裏へ呼び出された。
嫌な予感はしていた。
断りたかったがその男子は私の返事も待たず、また振り返りもせずスタスタと歩いて行く。
……渋々後を追うしかなかった。
体育館裏に到着すると、彼はしばらく無言。
「渡良瀬のことが好きなんだ。俺と付き合ってくれよ」
唐突な、背中越しの告白。
ああ、なるほど。やはり、そういうことか。
話したこともない、男子。彼の人柄など私は全く知らない。彼もまた同じだろう。
一目惚れ。などということは断じてない。それは、私自身が重々承知している。
「ごめんなさい」
表情も変えずに、ただ一言。バッサリと切り捨てる。
自分を冷たい女だとは思わない。
彼の、いや彼らか。彼らの悪意に私は耐えなければならない。
自身を奮い立たせなければならない。
「は……、俺、振られちゃった?」
振られたとは思えない、おどけた口調だった。
その瞬間……、体育館の死角から姿の見えない男子たちの笑い声。
――そうだろうとも。
私の視線の先、夕日に照らされた影が折り重なるようにして、地面に映し出されていたのだから。
「騙したの……?」
「俺は人間だっての。何だよ、断りやがって! 恥かいたじゃねえか」
「ひどい!」
そう言って私は走り去る。さも、傷ついた様な態度で。
私だって人間だ! そう、言い返してやりたがったが、敢えて角が立つようなことはしない。
いつからか、私の落ち着ける居場所となったトイレに向かい、大きく息を吐く。
……まずまずだと思った。
若干の怒りを買ってしまっただろうが、うまく立ちまわれたと思う。
なんて皮肉だろう。私は女優になれるかもしれない。
そう思い、ひとり笑ってみる。
笑いながらも涙は流れた。
惨めなことに変わりはない。
噓の告白よりも、その対象となったことに腹が立つ。
あの女ならいいや。
あの女なら面白そうだ。
そんな、思いが透けて見えるような気がして。
後々面倒なことにはならないだろう。
そう、見下されているような気がして……。
いつの頃からだろう。
もう忘れてしまったけれど、人前で感情を出さなくなった。
笑えば傷痕が引き攣り、より醜くなる。
同情は嫌いだが、表立って嘲笑されるよりまだマシだった。
そんな人たちでさえ、一瞬顔が強張って――。
それから、慌てて何も無かったかのように取り繕う。
悪気がないのは分かっている。
だからこそ、辛い。
隠された本心を覗いているような。
そんな気がして、より惨めになる。
口裂け女と指差されれば、それらしく振舞えば楽になるのを知った。
やがて演技ではなく、私のあちこちに棲みついて。
私の中の何かが。形を無くすように、壊れていった。




