14. 女神エルプトラの誤算
「あああああ! やあああっっと出来たああああ!! オレの傑作! 渾身の力作! 神品! 実際作ったの人間じゃないんだけど。とにかく完成だ! 持ってけクソババア!」
ごちん! と小気味のよい音が鳴り、アルグレンの頭は石の作業台にめり込んだ。
ちょっと赤くなった手をヒラヒラさせて、女神エルプトラは不機嫌に曲げた童顔気味の面差しで罵る。
「誰がクソババアよ! あたしに冗談は通じないって、何度言ったら分かるの? アルグレン」
「別に冗談のつもりは……」
「余計悪い!」
何度も力を込めてようやく抜け出したアルグレンの頭は、再び台の中に埋没した。
エルプトラはふんっと鼻息荒く腕を組む。
ぱっちりとした大きな瞳に、小さな鼻と口。ゆるくウェーブがかった金色の髪を背中に流し、横髪は白とピンクの組紐で邪魔にならないようまとめている。
瞳は、世にも不思議な虹色だ。エルプトラは事あるごとに自分の瞳を指して、「あたしに創れない色はないのよ」と得意顔するのが癖だった。
彼女たちがいる東屋の周りには、淡い色に包まれた花畑が広がっている。鳥も蝶の影もなく、美しいがどこか無機質さを感じる風景だ。
ここが異界――女神エルプトラの"隠れ家"である。
「ご苦労さま、アルグレン。じゃ、これは僕が預かるよ」
東屋内のベンチで本を読んでいたマグナが、すたすたと歩いてくると完成したばかりの剣を手に取った。
目の前に掲げれば、銀色の刃がきらりと輝きを放つ。刀身の中央には細かな文様が一本の線のように彫り込まれ、赤色の"靄"を封じ込めた宝珠が、止めネジ代わりに柄頭に嵌め込まれている。
トーザが鋳、エルプトラが力を注ぎ、その力を最大限に発揮する装飾をアルグレンによって施された神器――その最後の一振り、神剣グラン・グラムだ。
同格の神槍ナーガルーナ、神盾ウ・ラバーカ、神弓レティセンシア、神玉エメリオは、既に完成し台座に据えられている。
あとはこれら五つの神器を、成長した祝福の子らに授けるだけ。それで二十年続いた殺戮の時代は一区切りを迎える。
二十年に渡る労役から解放されたアルグレンは、溜めに溜めた凝りをほぐすべく大きく背伸びした。自然と、その口から気の緩んだ息がこぼれた。
「たった二十年だってのに、数百年過ぎ去ったかのような感覚……長かったなぁ。これで晴れて自由の身と思うと感慨深いぜ」
「あはは、君はずっと異界に閉じ込められてたもんね。神器製作の手伝いで」
剣を鞘に戻しながら、マグナは愉快そうな声で笑う。アルグレンを異界に閉じ込め手伝わせた張本人は彼なのだが、完全に他人事である。アルグレンもわざわざ蒸し返そうとはしない。なぜなら、マグナ以上に精神的苦痛を追わせた犯人がすぐ傍にいるからだ。
アルグレンはエルプトラを横目で睨み、
「昼夜の感覚がない上に、横で煩いのがあーだこーだと注文つけてきますからね、ずっと。鬱陶しいったらありゃしねぇ」
「だってもっと格好良くしたいじゃない! ずばばーん! どがーん! ぐぎゃああ! って!」
「最後のぐぎゃあは何だよ」
「アルグレンの悲鳴」
「やられ役かよ! そんな仕打ち!? 散々こき使っといて!」
「何言ってるの。あなたたちの功績はあたしの功績よ?」
「あんたそんなんだから人間の前に絶対出るなって言われるんだよ!」
エルプトラとアルグレンの仲の良い言い争いを聞き流しながら、マグナは花畑の中央に備えられた台座にグラン・グラムを横たえる。
台座は全部で五つ。その全てに神器が安置されたことになる。
ここに来るまで、本当に長かった。
女神が祝福を授けた人間の子供は百人近くいたが、無事に成長したのはたったの五人。マグナが手を貸した上での、この数だ。生まれる前に母体が死んでしまったり、絶望した家族の手で殺されたりと、多くは幼い内に命を落とした。
その代わり、生き残った子らは本当に強い。肉体的にも精神的にも、神器を授けるに値する人材だ。
――と言っても。
「神器を使うのはあくまで人間だからね。女神の注文全部聞いてたら、複雑怪奇で人外にしか扱えない代物になってしまう。それじゃ本末転倒だ」
マグナの発言に、アルグレンが反応する。二の腕に噛み付いて離れないエルプトラの頭を、手で押さえつけながら。
「それ以前に、変形機構とか伸びるアンテナとか死体をミイラに変える機能とか、ツッコミどころが多すぎて取り合う気にもならねぇよ」
「適当なアイデアを詰め込もうとするのは、飽きてきた時の癖だね」
「まったく呑気な。こんな世の中になってしまったのは誰が原因だと」
「あっ、それは言わない約束でしょ! だって、はるか昔に捨てたゴミ屑が勝手に動き出して反逆するなんて、誰にも予想できないわよ。あなたたちだって想像してなかったでしょ?」
遠回しに責めるアルグレンに、エルプトラが真っ向から反論した。
それに関しては否定できないアルグレンである。
アル・エトを創った女神は、あらゆる生命の王でもある。まさか彼女に歯向かい、その地位を奪い取ろうとするものが現れるなど、考えたことすらなかった。
それに、何かあればマグナが未来視で教えてくれる。未来に起こる危機なんて、そもそも心配する必要がなかったのだ。
油断していたと言われればそれまでだが、予想できなかった理由はそれだけではない。
「女神の言う通り、魔物を予測しろというのは無理があるね。ただ、今だから言えることだけど、僕らも気をつけるべきだった。僕らの中の誰かが適切な処理をしていれば、こんなことにはならなかったかもしれない」
「…………」
魔物の正体。それは、女神が地下に長年廃棄し続けた魔力屑である。
女神エルプトラのみが使える創造魔法は、彫刻に似ている。彫り込む前の木や石が魔力で、彫り込むこと自体が創造魔法に当たり、それによって生じる不要物が魔力屑だ。
どんなに完成された設計図でも、不要な魔力が必ず出てくる。しかも、創造の意志が込められているため再利用もできないという、ちょっと厄介な代物だ。
女神はそれをまとめて地中深くに埋めた。元々は自分の身から出た魔力である。そのうち、世界中を巡る循環の中に戻っていくだろうと考えたのだ。
マグナが言ったように、もしも誰かに魔力屑を始末させていたら、魔物は生まれなかったのかもしれない。
しかしエルプトラはそこまで深く考えず、自分で滅することもしなかった。
正しくは、できなかったのだ。
なぜなら女神には、"壊す""消す"といった破壊能力が一切無いからだ。そういった力を創造物に与えることはできても、彼女にはできない。それが創造神であるエルプトラの、唯一の欠点だった。
なぜ魔力が魔物に生まれ変わったのか、その疑問は初めての出現から二十年経った今でも晴れていない。
何か極端で急激な変化があったことは確かなのだが、未来視が通らないことを考えると、過去視も同じく通用しない可能性が高いわけで、原因を知る術は今のところ無い。
ちなみに、フォルスは二十年間ずっと眠りこけたままである。眷属間では誰かの姿が見えないなんてしょっちゅうあることなので、マグナですら彼の存在をすっかり忘れてしまっていた。
ともあれ、今分かっているのは大まかに三つ。
魔物は人間のみを襲うこと。マグナとコトリも一度襲われたが、最近は眷属と人間との違いが分かってきたらしく、見ると逃げ出すようになった。大きくて強い個体ほどその傾向にあるようだ。
人間以外の動物を襲わない理由は、魔力の有無だろう。人間には魔力の器があるが、動物にはない。魔物には、人間を食って魔力を己のものとしてしまう能力がある。それが二つ目。
そして最後に、魔物の命はループすること。絶命すると黒い靄のような魔力を放出し、新しい肉体の素となる。あるいは、別の個体を強化することもある。
繁殖の必要がなく、死んでも生き返り、そのうえ人間から魔力を奪うことでどんどん強くなる。
このままでは、いずれ地上は魔物の魔力で汚染され尽くすだろう。世界が魔物に奪われてしまうのだ。
自分が奪うのは構わないが、奪われるのは大嫌いな女神が黙っていられるわけがない。
「過去のことをいくら言っても始まらないわよ。だからあたし考えたの。魔物に奪われるなら、奪い返せばいいじゃないってね!」
「単純」
「行きあたりばったり」
「それの何が悪いのよ!」
白けた顔で悪口を飛ばす二人に、エルプトラは目を吊り上げて怒る。
けれど、二人は何も愚策だと思ったわけではない。彼女の言うように、「奪われたら奪い返す」以外に方法はないのだ。
目をつけたのは、魔物の捕食対象である人間たちだった。
「人間が餌食にされてるのは、魔物より弱いからでしょ? だったら、魔物より強くなってしまえば返り討ちにできるのでは!?」
「脳筋」
「斬新な思いつき」
「いちいち悪口挟むのやめなさいよ! まったく、どうしてこんな子たちに育っちゃったのかしら」
ぶつくさと文句を言う女神を尻目に、マグナは最後の作業を開始した。
五つある台座には、一文字ずつ古代文字が彫ってある。それぞれの神器の核となる文字で、神器本体にも同じものが宝珠に刻まれている。
台座と神器の文字は繋がっている。たとえば神器が敵に奪われたとしてもその位置を追うことができるし、女神が力を送り続ける限り機能し、決して魔物の魔力には染まらない。
これらは"祝福の子"専用の武具だ。
"祝福の子"――人間の間では"神子"と呼ばれ、生まれつき特別な肉体と力を備えている。神に選ばれし者、奇跡を体現する者などと言われるが、実際は女神の気まぐれだった。
けれど、今回は神器の所有者候補として、大勢の赤子に祝福を与えた。作成できる神器の数には限りがあるので、全員が神器所有者となるわけではないが、どんな因果か、最終的に生き残った候補者と神器の数はピタリと一致した。正真正銘、"選ばれし者"である。
「最後にもう一回説明するけど、神器はただの武具じゃないよ。むしろ、武具としての役割を終えた後が本番だ。これには、魔物の魔力を女神の魔力に戻す機能を仕込んである。そして器の持ち主に還元することで、人間の枠を越えて強化できるんだ。いいかい、女神? あなたがサボったら、神器は機能を失うからね? 分かってるよね?」
「分かってるわよ! 何度も言わないで。子供じゃないんだからっ」
腰に手を当ててプンスカと腹を立てる姿には説得力がなく、マグナは小さく溜め息をついた。
「……こりゃ警戒しとく必要があるな」
「何か言った?」
「いいや、何も」
監視すると言えば絶対に反抗するだろうし、聞こえなかったのならば黙っておくのが吉だ。
気を取り直し、説明を続ける。
「ただ、神器に魔力の変換機能を付けるだけでは駄目だ。人間も変わらなければ意味がない」
「人間どものちっぽけな器じゃ、余分な魔力を受け止めきれない。デカイ器に変える必要がある」
「その通りだ、アルグレン。でもまだ足りない。魔物から魔力を奪う能力。これもまた必須な力。しかし……」
「二十年前の人間には無理だった。だが、今の人間ならできる」
「またまたその通りだ、アルグレン」
創造魔法では、既に完成したものを創り変えることはできない。けれど、本来の姿を変えない程度に、少しだけ付け足すことならできる。
今までよりも大きな魔力の器と、魔物の魔力を奪って貯めこむ能力。二十年前より後に生まれた人間には、その二つが備わっている。言わば新人類だ。やがて旧人類は死に絶え、完全に入れ替わるだろう。――誰も気づかない内に。
この二十年間、マグナたちは多くの人間を見捨ててきた。地上には人間が溢れかえっており、どのみち全員助けることはできない。だから敢えて切り捨てたのだ。"祝福の子"とその周囲を集中して保護するために。
神器と"祝福の子"らが上手く働いてくれれば、一方的な殺戮の時代は終わる。その後は次第に力が拮抗していき、人間の数も増えはじめるはずだ。二十年前と同じ様にはならないが、それなりの繁栄を築けるだろう。
世界が魔物のものとなる未来を、少なくとも遅らせることができる。
「けど、まだまだ不安はある。二十年前、北大陸に一瞬だけ現れた大型の魔物……。幸い、暴走したコトリが凍結させたことで、今は封印状態にあるけれど、またいつ動き出すか分からない。大型がアレ一体だけとも限らないし……」
「はあ!? あんなんが何体も出てきたら、人間じゃどうにもならんだろ。山くらいデカかったぞ」
「最悪、世界を破壊するしかないわねっ」
「オレらがな! あんたは見てるだけだろ」
横からなぜかやる気満々で口を挟んだエルプトラに、アルグレンは底なしの冷たさで斬って返す。数十年こき使われたことで、彼女に対し怨念のようなものが溜まっているらしい。
が、このくらいでへこむ女神ではないのだった。
「それでマグナ? 生き残ったのはどこの子たちだったかしら」
「龍人族が一人、森人族が一人、人族が三人。しめて五人。鬼族の子は、残念ながら全滅です。戦意の高さが仇になったかな」
「そう」
それだけ短く答えると、女神は二人に背を向けて異界の夕日を見やった。虹色の靄でかすんだオレンジ色の光は、いつまでも沈まずに地平線の境をたゆたっている。まるで誰かを待っているみたいに。
誰を待っているのか知っているマグナとアルグレンは、何も言わずに彼女の背中から目を逸らした。
ちょうど台座の作業も終わり、文字が輝きを放ちだす。その上に乗る神器も、それぞれの台座に対応した色で光りはじめた。
「接続は完了。女神、夢見にお告げを」
これでやっと終わる。長かった準備期間が。
安堵と期待、幾ばくかの緊張を孕んだ声で、マグナは女神に最後の仕上げを促す。しかし、何秒待っても彼女はこちらに背を向けたまま。
「女神」
「後にするわ。少し用事があるの」
「女神!」
「すぐに戻る」
にべもなく返し、女神は地上へ渡るための界道を開いた。何もかも吸い込みそうな分厚い暗闇が、美しい花畑を裂いて現れる。その裂け目の中へ、女神は躊躇いもなく飛び込んでいった。
マグナは咄嗟に彼女を追ったが、無情にも裂け目は眼前で閉じた。
しばし呆然とした後、彼は伸ばした手を己の額にやり、深い深い溜め息をつく。
「まったく、強情な。二人が二人とも関わったら、何も視えやしない」
諦め顔で愚痴を零しながら、マグナは沈まない夕日に目を向けた。