9. 日は哀しみの底に沈む
襲撃者を殴り殺した後、ゴノムはしばし呆然と自分の拳を見つめていた。初めて明確な意志で行った殺しに気が動転しているのかと思ったが、そうではないようだ。
次にゴノムは辺りの白さに息を呑み、氷に閉じ込められたプーケたちの遺体を見つけてもう一度ハッとした。
彼がプーケに会ったのはたった一度だけ。それも今日の朝だ。森で採れたたくさんの果物を、巨人族にお裾分けしに来てくれたのだ。
たったそれだけの付き合い。
けれど、この先もっと長く続いていく関係の、最初の一歩となるはずだった。
それがまさか、こんなことになるなんて……。
ゴノムは大きな掌で両目を覆い、小刻みに肩を震わせた。
コトリは彼からそっと目を離す。
妖精たちを助けると約束したのに、守れなかった。
魔法を感知した時、もしもう少し彼らの近くにいれば、間に合ったかもしれない。少なくともプーケだけは助けられただろう。
約束を破ってしまったことへの負い目か、友達を守れなかったことの後悔からか、まともにゴノムの顔を見ることができない。
だがコトリは、意を決して顔を上げた。
「――ゴノム」
振り返ったゴノムが、びくりと表情を強張らせる。何か恐ろしいものでも見たかのように。
敢えて彼の反応には触れずに、コトリは抑揚のない声音で尋ねる。
「どうしてここに来たの。スピカは」
「……スピカのことは村の皆に頼んだよ。すごく傷ついていたから……心も体も……。今はそっとしておく方がいいと思って。それからコトリのことが気になって、追いかけてきたんだ」
しかし、彼女がどこにいるかなんて分からなかったはずだ。巨人族の里からここまでの距離を考えると、コトリを探し回る時間はほとんどなかったに違いない。一直線に、それもかなり急がないと追いつくのは無理がある。
「僕が彼を連れてきたんだよ。コトリ、君に会うついでにね」
疑問に答えたのは、ゴノムではなく別の声だった。
コトリはそちらに顔を向けて――目を丸くし、ぽかんと口を開ける。
にっこりと笑う、オレンジ髪の少女――の格好をした少年がそこに立っていた。
「マグナさ……ま? え? マグナ……様?」
「うんそう。僕だよー。ああそっか。前は普通のカッコだったもんね。どうも改めまして、新生マグナちゃんです」
「…………」
ふらりと体が傾ぎ、危うく倒れそうになった。
彼女の知るマグナは、二十歳前後の涼し気な青年か、力を封印されて小さな男の子になってしまった姿だった。
だが、目の前にいるのはどこからどう見ても、それっぽいポーズを決めた女の子。オレンジ色の髪、黒い瞳、何より顔つきはマグナそのものなのだが。
「なぜ、女装を……?」
「似合うからさ! フォルスにも見せたんだよ。悪夢って言われたけど」
「…………」
陽気に笑うマグナを前に、コトリはとても遠い目をした。
もしかしなくても、フォルスが氷の奥に閉じこもってしまったのはこの奇行が原因なのでは……。思わぬところで火種を見つけてしまい、どんな顔をすればいいやら。兄の氷を溶かしてと頼んでも断られるわけだ――と、納得したコトリであった。
「おっと、こりゃすごい。コトリ、君って力使うの苦手じゃなかったっけ?」
凍った草地を踏みしめて、マグナが近づいてくる。
コトリの力はただ物を凍らせただけではない。時をも止めていた。そのことにコトリは、マグナに言われて初めて気がついた。無我夢中だったので、どうやったのかもう覚えていない。とりあえず魔力を散らそうとしたのだが上手く行かず、「あれ? あれ?」と戸惑った後、泣きそうな目で彼に訴えた。
「あ、あの……も、元にもどせません」
「ありゃりゃ」
情けなさと恥ずかしさで、顔が真っ赤になってしまった。
マグナに失態を見せるのは、フォルスの時と違って何よりも申し訳なさが先に立つ。眷属なのに不甲斐なくてごめんなさい、だ。
しかしマグナは気にすることなく、けらけらと笑う。
「いいよいいよ。君の場合、力の使い方を忘れちゃってるだけだからね。そのうち思い出すさー」
そうだろうか……。
と、しょぼくれている間に、マグナはパッパッとコトリの魔力を散らした。アルグレンも同じ芸当をしてみせたが、他人の魔力を消し去ることができるのは実力差がある証拠だ。それが悔しい。もっとも、マグナ相手だと比べるのも馬鹿馬鹿しいくらいなのだけど。
ともあれ、森を覆っていた氷が砂絵のように掻き消え、もとの美しい大樹が姿を現した。串刺しにされた妖精たち、そしてプーケの姿も。
「プーケ……」
プーケはやっぱり微笑んでいた。痛かっただろうに。苦しかっただろうに。最後にコトリの姿を見て、安堵したのだ。助けてくれると信じて。それとも、ただ単に嬉しかったのか。自分たちを助けに来てくれたことが……。
「ごめんね……ごめんね、プーケ、みんな……」
ぽろり、ぽろりと目から雫が落ちる。
一度感情が弾けると、今まで溜めていた分の涙が一気に溢れてくる。
気付けば、コトリは大声を上げて泣いていた。
底の見えないほど深い、昏い哀しみ。プーケと出会った日から今までの、すべての色が涙とともに洗い流されていく。楽しかった日々。美味しかった思い出。
いくら泣いても、哀しみは尽きることがなかった。
+++
それからコトリたちは、大樹の根本に妖精たちの墓を作った。一人ひとりに穴を掘って遺体を埋め、その上を魔法の蔦で覆う。獣や他の悪いものが寄ってこないための結界だ。これで、墓参りをする者以外は近寄ることができないはず。五百年は保つだろう。
「友に永遠の安らぎを……」
隣でゴノムが手を組み、祈っている。
コトリも真似をして目を瞑った。
祈りの言葉なんて知らないので、心の中でみんなの姿を思い浮かべた。
(プーケ、みんな、死んでしまったの……。死ぬって、こういうこと?)
コトリは今までに何度も友との別れを経験してきた。けれどそれは知らぬ間に起きていた別れで、死に顔に会ったことはない。久しぶりに会いに行くと、彼らの子なり孫なりに「もういない。死んでしまった」と告げられるのがお定まりで、だからコトリは、死とは"いなくなる"ことなのだと理解していた。こんなにも、死ぬ方も残される方も苦しむものだとは思わなかった。
(わたしは、わたしは……)
言葉にできない罪悪感が、重石のようにのしかかる。
いなくなった友人たちは、死んでしまった友人たちだった。コトリは彼らの死を悼むこともなく、いや、死んだことにすら気付かず、"今"の友人と笑いあって楽しい時を過ごし、彼らがいなくなればまた別の友人を作った。
それを無情と責める者はいまい。なぜならコトリは女神の子で、人間よりもはるかに上位の存在だからだ。人間の感覚と違って当然。そんな風に思われても仕方がない。
じゃあなぜ、罪悪感を感じているのだろう。誰に対して悪いと思っているのだろう。このぐるぐるとした気持ち悪さの理由はなんだろう。
ゴノムはまだ祈っている。彼はいったい、誰のために祈っているのだろう。プーケたちはもうどこにもいないのに。それとも、死んだ先にも道が続いているのだろうか。
だとしたら、人間は死んだらどこへ行くんだろう。綺麗なところだろうか。静かで怖いところかもしれない。
自分はそこに行けない。
だって不死だから。
自分の力を恐れて使わないようにしていたからって、それで眷属を辞められるわけではない。
アルグレンは知っていたのだろう。この辛さや、やるせない気持ちを。だから警告してくれたのだ。
彼らを友と思うな、と。
あんまりな言い方だと改めて思うが、彼の言うことも選択肢の一つとして受け止めるべきかもしれない。
哀しみは心に残る。文字通り永遠に。その哀しみを乗り越える自信がないのなら、歩む道を変えるしかない。アルグレンはそうしたのだ。
(わたしはどうすればいいの?)
頬を涙で濡らしながら、花の下に眠るプーケたちに問いかける。
彼女たちは何も答えてはくれなかった。
「人魚族の方は海龍に頼んどくね。彼女らの流儀で弔ってあげた方がいいと思うからさ」
「はい……。ありがとうございます、マグナ様」
泣き出してしまったコトリに代わり、妖精族の弔いを主導してくれたのは彼だった。彼はコトリを慰めるためでも、墓を作るために来たのでもない。大事な用事があったに違いないのだ。それを後回しにしてまでプーケたちを弔ってくれたことに、コトリは深く感謝していた。
兄はマグナと馬が合わずしょっちゅう文句を言っているが、コトリは特に隔意など抱いていない。ただ、親戚の叔父さんのような距離感はあるけれども。
「それでね、僕が君に会いに来た理由だけど……今話しても大丈夫?」
「は、はい。だいじょうぶです。ごめんなさい……」
「いや、いいんだけどね」
反射的に謝るコトリに対して、なぜかマグナは微笑ましいものを見るように笑う。
「僕の妹たちは結構大人と言うか、割と成熟した精神の持ち主でね。君みたいに幼い眷属と話すのは新鮮で面白い」
「え、えっと」
「ああ、ごめん。貶してるわけじゃないんだ」
「それは、分かっています」
不意にマグナは空を見た。もうとうに正午は過ぎ、一日で一番暑い時間帯に足をつっ込んでいる。緯度が高いので、そんなに暑さは感じないが。
「ここにずっと留まるのはまずいから、移動しながら話そうか」
「はい」
「悪いね」
コトリはぶんぶんと首を横に振った。
ゴノムが心配そうにこちらを見ていた。今日の彼は心配しっぱなしだ。そのうち眉毛がぽろりと落ちてしまうんじゃないかというくらい下がっている。
コトリの視線に気付くとにこりと微笑むけれど、その顔にはやはり翳がある。
「ゴノム……」
「申し訳ないけど、彼とはここでお別れだ。大丈夫、当分危険はないからね。君もいいかな? 巨人くん」
表情は柔らかいが、有無を言わせぬ口調だ。
ゴノムは気圧されながら何度も頷くと、もう一度コトリを見やる。コトリは心配ないことを示すために、精一杯明るい声を出した。
「マグナ様が言うなら、安心だよ。わたしももうだいじょうぶ。スピカのこと、お願いするね」
「うん……」
「ただし、寄り道せず真っ直ぐお家に帰ること!」
「は、はい」
コトリより幼い女の子にしか見えない少年にウィンクされ、ゴノムは明らかに戸惑っていた。気持ちが分かるコトリも苦笑いだ。
ゴノムは最初、ちらちらとこちらを振り返っていた。何か言いたいことがあるのだろうか。マグナが近くにいるから言えないのだろうか。いや、スピカを託して分かれる時も、彼は物言いたげだった。
コトリも彼に言いたいことがたくさんあった。
気をつけて帰ってね、果物ありがとうね、ガーツから庇ってくれてありがとう、スピカのこと守ってあげてね、それから、来てくれてありがとう。
平和な日々が戻ってきたら、またたくさんお話しよう。そのためにきっと帰ってこよう。
そう思うのに、なぜだろう。涙がまた止まらない。
大きな背中が、少しずつコトリから離れていく。彼はもう振り返るのを止めていた。自分がいなくても、マグナがいるから大丈夫だと判断したのかもしれない。
そんなことない。
ゴノムはいつだってコトリのためを思ってくれていた。
元気がない時も。コトリを肩に乗せている時も。お腹を空かせている時も。ガーツに睨まれて震えた時だって、自分の身を顧みず前に立ってくれた。
いつだって――。
「――ゴノムっ」
ぱっと、彼が振り返った。梢が顔に当たり、ちょっと痛そうに顔をしかめる。その姿も滲んでよく見えない。
「ま、また、会いにいくからねっ。ぜったい! 待っててねっ」
ゴノムは泣いているコトリを不思議そうに窺い……ゆっくりと、笑って手を振った。
そして、今度こそ木々の向こうへと、彼の姿は見えなくなった。
しゃくりあげる声が、大樹の葉を揺らす。
これから友達とどう向き合えばいいのか、その答えはまだ出ない。
けれどゴノムが友達であることは、未来永劫変わらない。
その気付きに安心感と、一抹の不安を覚える。
いつか彼の道は途絶える。
永遠を生きる者と、時を移ろう生者とは、決して同じ道を歩めないのだ。
それでも友の傍に居続けたいと願うコトリの背後で。
マグナは顔を曇らせ、どこか別の空を視ていた。




