3. 『アーク』
聖遺物には、時に国力を大きく左右する可能性が秘められている。
セントーアがそれだ。トラン王国の大発明、魔力を貯めて様々な用途に活用できる蓄魔器技術は、セントーアを研究する過程で生まれた。本物は無限に魔力を生成する永久機関で、蓄魔器はいちいち魔力を貯めなければならないという違いはあるものの、聖遺物を再現しようとする試みの中では最も成功に近づいた事例だ。
今回新たに発見された聖遺物――まだ断定はされていないが――にも、大きな期待がかけられている。
もしかしたら、国が更に発展するかもしれない。誰もが魔物の脅威に怯えなくていい日が訪れるかもしれない。
そんな期待を抱いたとして、なんの罪があるだろうか。
五人は坂道を下っていく。大きな岩を乗り越えたと思ったら地面が陥没していたり、倒れた大木の下をくぐり抜ける必要があったりと、大変な悪路だ。
すでに緑樹の類はほとんど視界から消えていた。あっても、大きな石に押し潰されているか、根本から完全にへし折られているかのどちらかだ。
山の表層が大雨などによって滑り落ちたのではなく、上から石が降ってきたのだ。火山が噴火したわけでもない。まるで山よりも大きな巨人が拳を振り下ろして、滅茶苦茶にしてしまったかのような有様だった。
「妙な光景だな」
静寂に波紋を投げかけたジーンの一言は、前後を歩くアイーダとイオリの気持ちを完璧に代弁していた。
やがて、黄泉への旅路にも終わりが見えてくる。
一列に並んで歩いていた彼らの両脇には岩肌が壁のようにせり上がっていたのだが、それが突然途切れた。
急に開けた視界に映ったのは、一見何もないだだっ広い空間。
奥行きは数百メル、幅はその倍くらいはあるだろうか。
天井がある。首をいっぱいに曲げなければ見えないほどの高さに、辛うじて崩れずに残った山体が、屋根のように大きく頭上へ張り出している。
グラガ山を襲った何かは、山麓を斜め下に向かって掘り返したようだ。信じられないことだが、だからこのような地形が生まれたのだろう。
南の空から太陽が光を差し入れてくれるおかげで暗くはないものの、どことなく閉塞感が漂っている。今にも落ちてきそうな天井のせいだろうか。なんだか胃が落ち着かない。
「これまた妙なトコに出たね……」
「不可思議としか言いようがない光景だな。まず、土砂はどこへ行った? まるで山の表層だけが吹き飛び、元々あったこの場所が露わになったかのようではないか」
イオリの言うとおりだった。
崩落で生まれた場所にしては、ここは完成し過ぎている。
元々このような地形だったとしか思えないのだ。
「それになんだろう、この感じ……。よく知ってるような、知らないような」
「ああ、その感覚、たぶん正解よ。着いてきて」
そう言ってサラが歩き出した先には、数名の男女と二十名弱の王国騎士がいた。騎士たちはすでにこちらに気づいていたが、近づくと改めて会釈してくる。少し緊張が見られるのは、慣れない任務だからか、ジーンかイオリの顔を知っていたからか。
騎士たちに遅れて、輪になって何やら議論していた男女が振り向いた。
「あ、班長」
「やっほー、みんなただいま。お待ちかねの援軍を連れてきたわよ」
「はー、これでやっと調査を進められるんですね」
一人があからさまに安堵した顔で言う。他にも何人かは緩い表情を見せたが、中にはサラの後ろの三人に疑いの眼差しを向ける者もいた。極秘任務に部外者を入れることをよしとしない者だろう。だが護衛の増員はサラが求め、国王陛下が許可したことなので、一調査員に文句を言う資格はない。
サラはそのまま歩いて、アイーダたちを目的の場所に連れて行った。と言っても、そこは調査員たちが顔を寄せ合っていたところから数歩しか離れていない。だが確実にそこが目的地なのだと、見ただけですぐに分かった。
「ほら、あれが今回のお宝。私が光匣と名付けた聖遺物よ」
得意気なサラの顔。その横に立った三人は、驚いて言葉を失った。
眼下には、巨大なすり鉢状の穴が空いていた。彼女たちが立っているのはその縁だ。穴の底と上とを行き来しやすくするためだろうか、赤茶けた岩が剥き出しの斜面には杭が打ち込まれている。
が、見るべき箇所はそこではない。
直径二百メルはありそうな穴の中央に、明らかに人工物と分かる代物が存在した。
例えるなら城壁。ぐるりと円を囲うように、高さ五メルほどの石壁が粛然と佇んでいる。
厳か。そして、神聖だ。
見た目は何の変哲もないただの石壁なのに、存在感が凄まじい。
南から差し込む光を受けたその姿は、まるで苔むした体を大地に横たえる巨人のようだった。
それだけの光景なら、感嘆の息を漏らしたに違いない。たとえ聖遺物に興味ない者でも、この美しさを認めないわけにはいかないだろう。
そうならなかったのは、光匣の美しさをどす黒く塗りつぶしてしまうほど邪悪な存在が群がっていたからに他ならなかった。
敵、敵、敵……。
壁の外を埋め尽くさんとする魔物の数々。獣の姿をしたもの、人のような姿をしたもの、どちらでもないもの。姿かたち様々な魔物が、何十何百とアークの周りにひしめいていたのだ。そのせいで、せっかくの荘厳な見た目も黒い海に溺れて見える。
「うげ。何? この魔物ども……」
「これだけの数は見たことがないな。千年前の軍勢はこんなものではなかっただろうが。ジーン殿はどうだ?」
イオリの視線に、彼は無言で首を横に振った。
魔物とは、実在する、もしくは実在した生き物の形を模して現れることが多い。その際、能力や習性も元の生き物に寄せる。もちろん魔物であるため、完全に同じではない。身体能力は元の生き物よりはるかに上だし、魔法を使う魔物も珍しくない。
けれど、先に述べたように習性は似る。
群れをなすものは群れをなして。森に棲まうものは森に棲む。
これほど雑多な種が数百体まとまって行動するなんて話は、誰も聞いたことがなかった。
それに。
「すぐ近くに人間がいるというのに、見向きもしないな」
そう。魔物の興味は光匣にのみ注がれており、崖の上から見下ろす彼らのことを一切合切無視していた。
人間を襲う凶暴性は、どの魔物にも共通した本能だ。強い魔力の源が他にあれば、誘蛾灯のようにそちらへ引き寄せられることもあるが、魔物たちは壁の周りをうろついているだけ。
その上、この数。目先の人間に釣られる魔物が一匹もいないというのはかなり異常だ。
「気づいてないのかな?」
「いや。ここから一番近い魔物まで五十メルも離れていない。俺たちは姿も気配も隠していないし、気づかないことはないだろう」
「ジーン殿と同意見だ。あえて私たちを無視していると見た」
少々冷めた様子のイオリ。戦士として、討伐対象である魔物に見向きもされないのは屈辱であるらしい。すぐにでも消し去りたいという意志が、硬い表情から見て取れる。
「ま、ま。落ち着いて、イオリちゃん。――で、どうする? 軽く殺る?」
「うん。賛同する。殺っちゃおう」
イオリを宥める一方で、危ない光を目に宿すアイーダ。それにまたイオリが親指を立てたことで、間に挟まれたジーンは呆れて小さく溜息をついた。珍しい。
「……俺たちの仕事は護衛だ。討伐ではない」
「だから様子見だよ。危険がすぐそこにあるのだ。敵の数を減らすことは、依頼主を守ることになるだろう?」
「それにざっと見た感じ、敵は雑魚ばっかだし。魔物の強さと大きさは大体比例する。リビング・デッドでもない限りね。時間をかければいけるっしょ」
「護衛対象が一緒でなければ、な」
とジーンは付け加える。
騎士たちはともかく、調査員たちには身を守る術がない。
ただ敵を倒すための戦いと、人を守るための戦いとは違う。ましてや敵の数が多い今の状況では、確実にサラたちを無傷で守り通せると断言できない。
そこで彼は、さっきから無言でやりとりを聞いているサラに水を向けた。
「お前たちはアレをどうするつもりだ?」
「アレっていうのは、もちろん魔物のことよね。ええ、邪魔になるようなら、なるべく排してもらえると有り難いわ」
「迂遠な言い様だな。はっきりと指示してくれ。こちらも仕事なんだ」
サラは小さく笑う。馬鹿にした笑い方ではなく、少し困ったような仕草だった。自分でも回りくどいと思ったのかもしれない。
「そうね……。言葉で説明するより、見てもらった方が分かりやすいと思うわ。あなたたちのやり方で構わない。まずは好きなように、あの黒いのを叩きのめしてきて」
「よっしゃ!」
依頼主のお許しに、アイーダは拳を掌にぶつけて張り切る。好きなように、のところが特に気に入った。一方でジーンとイオリは、含みのある言い方に警戒を高めた。だが、他ならぬ依頼主の意向だ。警戒は払うものの文句はない。
「では、試してみるとするか」
ジーンは肩ベルトを外し、背中の大剣を手に握った。銅像のような重量が、ズシンと地面にのしかかる。
刃渡りはおよそ一.三メル。厚みがあり、幅も広い。パティッサと呼ばれる広刃の剣とよく似た形をしているが、大きさは段違い。剣先が丸く、重厚だ。小柄な魔物など簡単に両断できそうである。
アイーダも愛用のハルバードから穂鞘を取り外す。その白く煌めく刃を見て、サラが大きな目をさらに真ん丸に見開いた。
「それ、星銀製ね?」
「うん。刃だけだけどね」
「それでも十分凄いじゃない!」
他の調査員や騎士たちも「おおっ」と唸る。
星銀は魔力を含んだ鉱石、魔鉱石の一種だ。銀と呼ばれるのは、ランク分けのようなもの。星銀は、魔鉱石の中でも最高ランクに分類されている。もちろん、大変希少である。
そんなものを損傷しやすい武具に使うなんてもったいないように思えるが、魔鉱石は折れない・錆びない・曲がらないと、丈夫なことこの上ない。魔鉱石を傷つけられるのは、基本的に、同じ魔鉱石のみなのだ。
加工にも特別な工程を必要とし、腕利きの職人の中でも一握りしか触れることを許されない。
最高の武具には欠かせない素材。しかし、その希少性からもはや夢の類に数えられている。アイーダのハルバードを見つめる騎士たちの目が羨望に染まっていたのは、気のせいではないだろう。
戦闘準備を整える二人に対して、イオリは右手を腰に当てたまま動かなかった。長いポニーテールを風に靡かせて、澄んだ瞳で敵を見下ろしている。その横顔は凛として涼しく、性別関係なしに思わず見惚れてしまう美しさがあった。
「では行こうか」
桜色の唇が紡ぐ呼びかけに、ジーンとアイーダは無言で顎を引く。そして、二人は同時に崖の底へと飛び込んだ――。




