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とある魔物討伐クランの活動記録  作者: 良田めま
第三話 金の卵の捕物記録!
38/69

17. 発破

「ガッハッハ! ノアよ、どうやら良い友人が出来たようだな。重畳重畳!」


 大きな声でそう言って現れたのは、トランの英雄でノアの祖父、バルヘルムだった。ディーノの中では、〈千年氷柱〉で三番以内に強い人、という情報でインプットされている。

 昨日は真っ赤な甲冑に身を包んでいたが、今は貴族らしさを感じる平服姿だ。というよりも、聞くところによると鎧を着込むことの方が稀らしい。ジーンやアイーダもそうだが、防具らしい防具を身に着けないのがこのクランの常識なのか。強力な魔物の前には防具など無意味ということか。


 何はともあれ、バルヘルムを前にすると、ディーノはヒリヒリと焼き付くような緊張感を覚えるのだった。肩書の多さのせいでもあるが、本人から発せられる強者の気迫に圧倒されて、思わず「はい!」と言ってしまいそうになる。今も背筋が棒のようにピンと伸びている。

 自分の気が弱いせいかと思ったが、隣を見ると、フェリスも同様に棒人間と化していた。だからやはりバルヘルムの個性が原因なのだと結論づけようとして、彼女もまた気の弱い方だし当てにならないなと思い直した。


「……今、何か失礼なことを考えなかった?」

「え? 別に……」


 本当のことしか考えてない。フェリスはなおもジトっとした目でこちらを睨んでいたが、ディーノは顔を背けて知らないふりをした。


「昨日は頑張ったそうだな、お主たち。あの後も街を駆けずり回っていたし、いくらか体力が付いたのではないか?」


 と、バルヘルムはノアを見て笑う。

 デアレッドを捕まえても、ボムエッグは街に残る。そのため、手の空いたクラン員みんなで卵がありそうなところを探し回ったのだ。ロジェの木の精がとても役に立ってくれたが、それでも三時間ほどは休まず探していたと思う。

 ノアはその時のことを思い出したのか、どんよりと死んだ目をした。


「もう二度と走りたくないよ」

「ガッハッハ! お主は本当にモナそっくりだな! 外見といい、体力の無さといい」

「お祖父ちゃん」

「おっと、すまんすまん」


 モナというのは、バルヘルムの妻の名らしい。ノアにとっては父方の祖母だ。きっとノアと同じでしっかり者なんだろうなと、ディーノはバルヘルムの反応を見ながら考える。


「それはそうと――」


 唐突にバルヘルムと目が合った。ノアと同じ緑の目が、試すようにディーノを見下ろす。

 何か言われるかと思って身構えたが、バルヘルムは自慢の髭を撫でながら「フム」と頷いたきり黙ってしまった。


(な、なんなんだろう)


 心臓が地味にドクドク波打っている。

 相手は一流の戦士。緊張するなという方が無理だ。

 今まで訪れたクランにも「一流」を自称する人はいたが、大抵は余裕たっぷりにディーノを見下すばかりで、強さよりも怖さの方が勝った。

 けれどバルヘルムは彼らとは違い、弱いからと蔑んだ目でディーノを見ない。バルヘルムを前にしても劣等感を感じないのがその証拠だ。

 かと言って、この老戦士が何を考えているのかはさっぱり分からない。

 言いたいことがあるなら言ってほしい。

 判決を待つ囚人のような心持ちで微動だにせず立っていると、不意にバルヘルムがニカッと笑った。


「勇気と無謀を履き違えるなと人は言うが、その線引きをするのは自分だ。自分の運命を他者に握られてはいかんぞ、少年」


 ディーノは咄嗟に何も答えられなかった。後から考えれば、「はい」とか「分かりました」とか答えればよかったのかもしれなかった。だが、この時は口が開かなかったのだ。自分が目を逸らしていたことを、頭をがっと掴まれて無理やり直視させられた気分だった。


 彼の沈黙をどう受け取ったのか、バルヘルムは既に孫娘へと意識を向け、何やら二人で話をしている。「学校が」とか「そろそろ出席」といった言葉が聞こえてきたから、家のことだろう。


 学校というのは、たぶん魔術学校のことだ。字や簡単な計算などを学ばせる庶民向けの義塾があるけれど、貴族の場合は家庭教師を雇い、より高度な教育を受けるのが普通だ。

 貴族が学校へ通うのは、魔術に関して学んだり、魔術そのものを習得するのが目的である。貴族家、特に軍部に関わる家だと、魔術学は必須科目。自分で使うにしろ、使える人を使うにしろ、知識だけは必要なのだ。

 魔術と一口に言っても、文字魔術、宝石魔術、緑杖術、結界術……などなど多岐に渡るため、学校に通った方が効率的に学べる。

 ただし、庶民が魔術学校へ通うのはハードルが高い。最低限の教養と多額の学費、両方を差し出せるのは中流家庭でも上位の家くらいなものだ。

 ちなみにディーノは、亡き父から字を教わっていた。書くのは苦手だし難しい本などは読めないが、日常生活において支障はない。


「……ん?」


 ふと視界の端で何かが動いたので顔を向けてみると、デアレッドが立派な尾羽根をふりふり、小人たちを引き連れて歩いていた。

 卵を一日に十個も産むだけあって、デアレッドはとてもよい体格をしている。なので、列を組んで会場を練り歩く姿はとても目を惹いた。


「何してるんだろう、あれ」

「何かしらね?」


 なおも観察していると、それぞれのテーブルを回りつつ、クランの仲間から野菜やパンなどのおこぼれを頂戴しているのだった。大きなナッツをもらった小人が、きゃっきゃと嬉しそうにはしゃぐ。

 木の精も食事をするのかと思いきや、グリモロジェのところへ歩いていき、恭しくナッツを献上する。ロジェはそれを口にすると、「これは美味。これも美味。合格点をあげるのです」などと大きな態度で述べていた。


「……何あれ」

「……何かしらね」


 褒められた木の精たちは喜んでいるので、それはそれで意味のあるやりとりなのだろう……か?

 隣のテーブルに視線を移すと、クロムとシャムスが静かだが熾烈な闘いを繰り広げていた。


「ちゃんとトマトも食べてください、センセイ」

「食べたよ食べた。トマトもビーツもレタスも夏の素材全部食べた! なのになんで肉を遠ざけるの? イジメ? シャムスこれイジメだよね? 俺のことイジメて楽しんでるよね?」

「まあひどい。センセイったら。言いがかりです。わたくしは無実です。こんな純情な女を捕まえて、何を言うんですか。うえーん」

「純情な女は嘘泣きしない」

「……それにしても残念でしたね、センセイの奥様。せっかくのパーティに来られないなんて」

「これまた強引に話逸らしたな……」


 そして円形花壇を挟んだ向かいのテーブルでは、一人で酒を飲むジーンに酔ったアイーダが絡んでいた。どうやら酒の早飲み勝負を持ちかけているようだが、今の状況を見ればどちらに分があるかは明らかだ。

 肩に腕を回してぐいぐいジョッキを押し付けてくる彼女に対し、何も言わず無表情を貫き通すスルー力は素直に凄いと思うディーノだった。



「さて。だいぶ空も暗くなってきたな」


 氷漬けのカジキに跨り、尻尾からまる齧りしていたフォルスが口を開く。たいして大きな声ではなかったが、皆は魔法にかかったように一斉にそちらを振り向いた。無反応なのは、フォルスの足元でカジキの頭をガジガジ引っ掻いている黒猫だけだ。食べたいのに氷が固くて削れないらしい。


「ノーチス」

「はい。ここに」


 呼びかけに応じ、ノーチスが闇の中からスッと現れたことに、ディーノは少なからず驚いた。いつからそこにいたのか、全く気付かなかったのだ。ひ弱そうな見た目から非戦闘員だと決めつけていたが、実は隠れた凄腕戦士――ということもあるかもしれない。サブマスターなのだし。不思議ではないだろう。

 フォルスは集まったメンバーを見回すと、満足気に頷いた。


「うむうむ。イオリ以外は全員集まっているな」

「マスター。コトリがいませーん」

「え? あ。あー、あー。そうだったな。うむ、イオリとコトリ以外、全員だ」


 フォルスはぎこちなく視線をずらし、訂正した。


 その二人とマスターを除き、十一名。コックであるマカロフは含んでいないが、この場にはいる。

 王国最強と言われるクランにしては少なすぎる数。少人数でも討伐数は他クランの倍以上を叩き出し、依頼数は平均より僅かに少ない程度。その分、高難易度の仕事が次々と舞い込んでくる。それだけ国民の〈千年氷柱〉に対する信頼が厚いということだ。

 だが……。


「我がクランの名声を生んだのは、過去の戦士たちだ。百年前には既に、〈千年氷柱〉は他に並ぶもののない魔物討伐の専門家として有名になっていた」


 迷宮探索専門の方もそうだが、この業界は流動が激しい。英雄を目指す若者が後を絶たない一方で、怪我や加齢で引退したり、死んでしまう者も多い。そうすればクランとしての実力も上がり下がりする。

 それに普通は、クランが大きくなるといくつもの分派が生まれるものだ。そうして古いクランは衰退し、新しいクランが台頭する――といった流れがお決まりになっている。


 そんな中で、〈千年氷柱〉だけは長きに渡りひとつの同じ名を冠してきた。

 その年月は、実に三百年。

 理由はもちろん、フォルスという絶対的かつ特異な支配者の存在だ。

 変わらぬ姿。強い力。

 彼は自分の力を誇示することはないが、わざわざ隠したりもしない。そして姿は隠しようがない。ただ存在するだけで周囲は勝手に彼を特殊だと見做す。その認識は正しい。それが一周回って、人々はフォルスという異質な存在を日常の一つに溶かし込んでしまっていた。近所に住む老人や大人や子供にとって、フォルスは何年経っても「ただの」知人だ。そう思わないのは他クランの上位者、それと特権階級の一部くらいだろうか。


 頭は変わらず、団員の顔触れだけが変わっていく。新しいメンバーを取り入れて、去りゆく仲間を見送って。

 他クランよりもゆったりとした変化ではあるが、時の流れは止められない。

 それなりの時間をかけて、〈千年氷柱〉の戦士たちは力を蓄え、実績を積み上げていった。

 その結果が「王国最強の老舗クラン」である。

 今の〈千年氷柱〉は、半分くらいは過去の戦士たちによって支えられているのだ。


 しかし、とフォルスは言う。


「かつて活躍した戦士たちと比べても、お前たちの力量は遜色ないと思っている。まだまだ時間がある分、あいつらよりも遥か先へ行けるだろう。だがな。それでは物足りんのだよ。俺がお前たちに求めるのは、人を超えた魔の如き強さだ」


 彼はすうっと目を細めた。

 しん、と空気が凍りつく。バルヘルムに見つめられた時とは違う、時が傷んでいく気配。

 まるで空気が奪われていくようで、ディーノは物凄い息苦しさを感じた。耐えきれず膝を折って胸を掴み、苦しみに藻掻く。

 へばり付くような視線の先に、フォルスがいた。重々しい黒い何かを纏って、皆を雁字搦めに縛り付けている。誰もが地に膝を突いていた。バルヘルムやジーンやアイーダでさえ。皆が皆、今にも血を吐いて倒れそうな顔をしていた。

 不意に視界が切り替わる。

 さっきまでと同じ場所に、同じ姿勢で全員いる。自分もだ。息苦しさは微塵も残っておらず、ちゃんと二本の足で立っている。――平然と。

 誰かがコクっと喉を鳴らした。


(錯覚……?)


 悪夢から目覚めた時のような解放感と焦燥感。こめかみを一筋の汗が伝う。

 フォルスはにこりと笑った。ディーノはその笑みを見て、悪魔だと確信した。


「ジーン、バルヘルム。期待しているぞ」


 何事もなかったかのような短い激励。

 ジーンは何も言わず、バルヘルムはやれやれと肩を竦める。その顔がどことなく疲れているのは気のせいだろうか。


「その期待が一番怖いわい」


 続いてアイーダ、シャムスへ。


「アイーダ、何も考えず突っ走れ。得意だろう? シャムスはそのまま長所を伸ばせばよい」

「へいへい」

「わたくしにできるのは、お人形さんと戯れることだけ。もとより承知しております」


 フォルスは微かに頷いて、次々と言葉を放った。


「クロムはもうちっと自信を持たんとな。ジラルト、お前は慎重さを身に着けよ。今のままでは身を滅ぼすぞ。フェリス、お前も焦る必要はない。求めるものはいずれ必ず得られる。ノアは……ま、心配ないか」


 茂みの近くで、ロジェがぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「マスター、マスター、わたしは? ロジェもなんかお言葉ほしいのです」

「ロジェ? ロジェか。お前は……うーん……。立派に育て、かな」

「わーい! 立派に育ちます!」


 そして、フォルスは最後にディーノへ顔を向けた。


「お前にかける言葉はまだない。とは言え安心せい。俺にとーってもよい考えがあるからな。次の修行めにゅーだ。期待して待つがよいぞ。ふっふっふ……」


 ディーノはぶるりと体を震わせる。なんだか嫌な予感がした。気のせいだと思いたいが。


「よいか、お前たち!」


 空気を叩くような朗々とした声が、辺りに響き渡る。

 フォルスはその場の誰よりも高い位置から、全員の顔を見下ろしていた。そう、氷漬けカジキの天辺から。


「強くなれ。どんな化け物と対峙しても生き残れるように。百の魔物を倒せば百の魔物の分だけ、千の魔物を倒せば千の魔物の分だけお前たちは強くなる。だが、俺がお前たちに求めるのはそれ以上の力だ。まだまだ足りないぞ。もっと上を目指せ。俺を超えるくらいにな」


 その瞬間、いくつかの闘気が膨れ上がった。目に見えてやる気を滾らせているのは、アイーダとジラルトだ。フォルスに向ける目つきがいつもと違う。

 敵視。恨みや憎しみのない純粋な敵意というものがあるならば、まさに今の彼らが抱いているものがそうだろう。

 強くなりたい。そんな強い思いが、見ているこちらをも燃やし尽くすかのようだった。

 チリチリと肌の焼けるような感覚に、ディーノは唾を飲み込む。

 その時だった。

 唐突に涼やかな声が割り込み、熱い闘気がぴたっと止まった。


「お話はもう終わりですか? フォルス様」

「ノーチスか。どうした。何か用か?」

「ええ、少々。私めの方からささやかな賄――ではなく、贈り物をばと思いまして」


 きらんと眼鏡を光らせて、猫背の男は脇へずれる。その後ろから、えっさこいさと数人の木の精が大きな木樽を運んでくるのだった。

 どうもこの家では、木の精を小間使いのごとく扱っているようだ。本人たちが楽しそうだから問題ないのだろうけれど。


 木樽がどすんと地面に置かれ、その拍子に透明の雫がたぷんと撥ねる。

 無味無臭。一見、何の変哲もないただの水。しかしフォルスは、瞬時にぱあっと顔を輝かせた。


「酒じゃー!」

「ニャニャニャー!」


 脇目も振らず樽に飛びつくマスター――と何故か子猫も――を見て、ノーチスはニヤリとほくそ笑む。


「ええ、そうです。そう。本日湧き出たばかりの新鮮な聖酒ですよ。知り合いの教会関係者に裏――ではなく真っ当な取引を持ちかけて……って聞いてます?」

「うむ! 聞いておるぞ。褒美に、お前にはとびきり面倒な仕事をくれてやろう!」

「え? いえ、あの、そうではなくて、できればお休みを……」

「んん? お前、面倒であれば面倒であるほど仕事好きだろう?」

「はいぃぃ!?」

「よし、決まりだ。後日詳細を伝えるから、楽しみに待っているがよい」

「あの、あの……。うぅぅ、ありがたく頂戴しますぅ……」


 ノーチスは滝のような嬉し涙を流して、その場に崩折れた。両手を突いて感謝するほど嬉しかったのかと、フォルスは感慨深げに頷いている。「さすがノーチスさん」「真面目だなぁ」という周囲の声が、一層ノーチスの背中にのしかかるのだった。


 何はともあれ、平穏な一日はこうして終わりを迎えた。

 ――数名の例外を残して。

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