18. もう一組の姉妹
砂粒のような星が散らばる夜空の下、入り組んだ路地裏をシャムスは一人で歩いていた。
宴の後、簡単な片付けを済ませたら、一同はすぐに解散した。家のある者は家に帰り、屋敷に間借りしている者は自分の部屋へと戻った。シャムスは後者だが、ちょっと用事があって屋敷を抜け出してきたのだった。別に門限があるわけでもないし、後ろめたいことは一つもないのだが、徹底して目立たない行動を取っていた。
大きな通りを横切り、細い路地を選んで歩く。まるで泥棒にでもなった気分だ。
真夜中でも衛兵はパトロールしており、みつかればおそらく職務質問される。所属のはっきりしているシャムスが犯罪を疑われることはないだろうが、約束があるので余計なことに時間を取られたくない。
巡回中の衛兵をやり過ごしたシャムスは、素早く動いて家と家の間に身を滑り込ませた。
「シャムスちゃん」
甘ったるい少女のような声が、彼女の名を呼ぶ。
視線を落とすと、若い女が膝を抱えて上目遣いにこちらを見上げていた。
ウェーブがかった金色の髪に、サファイアのような青い目。どこかのお姫様と張り合えそうな愛らしさ。
シャムスはそっと嘆息した。
彼女の名はミゼ。すでに三十路近いはずだが、十代後半と称しても十分通じる容姿の持ち主だ。シャムスも年齢不詳だとたまに言われるが、ミゼほどではない。
彼女は昔からこうだった。『家』を出た時と比べて背が伸びはしたが、それだけだ。
丸みを帯びた頬も、ふわふわとした豊かな金髪も、子供のように無邪気な瞳も。そして中身も。
変わらない。
そのことが少し羨ましくて、少し恨めしい。
ミゼは両方の拳を握りしめ、熱のこもった眼差しでシャムスに詰め寄った。
「で、どうだった? どうだった? シャムスちゃん」
急かすミゼに向けて、シャムスはもう一度ため息をつく。
「大丈夫そうでしたよ。わたくしの夜這いにも反応しませんでしたし。ものすごく動揺はしてましたが」
「夜這い!? そんなことしたの!? だめだよシャムスちゃん! 女の子なんだからもっと自分を大事にして! っていうか私のだーりんに何してくれちゃってんの!? いきなり過激すぎない!?」
「えー。だってお姉ちゃんがどんな手を使っても確かめろって」
「言ったけど! 浮気が不安だから探ってってお願いしたけど!」
くうーっと歯を噛みしめるミゼ。言いたいことは分かるが、こっちだってくだらないことに頭と時間を割きたくないのだと主張したいシャムスだった。だけど、そんなことを言ったらこの人は泣き出すに決まっている。
「心配しなくても、センセイは二度とお姉ちゃんを裏切りませんよ」
「うう、そうかなぁ?」
「そうですよ。以前のことだって、所詮酔った末の出来心でしょ。まあ、行きずりの女と前後不覚に陥るほど飲んだセンセイも悪いですけど。お姉ちゃんも結局許したわけだし」
「それはー、だってー、惚れた弱みと言うかー」
「じゃあ負けてくださいよ、大人しく」
呆れた目でミゼを見下ろすシャムス。人差し指同士をつんつんとくっ付けたり離したりしていたミゼは、容赦のない一言にウッと苦しむ様子を見せた。
惚れた弱みなどと言っているが、クロムの一夜の過ち事件があった際、夜叉のごとく怒り狂ったことをシャムスは知っている。怒りや憎悪とは無縁だったミゼが、夫の不倫には激しい嫉妬心を露わにした。当人には悪いが、シャムスにとっては大変興味深い事件であった。だが、こうも尾を引けば鬱陶しくもなる。クロムがどんな人間だろうが、ミゼの心はもう決まっているのだから。シャムスからすれば明らかなのに、ミゼが一番分かっていない。
夫婦の間に起きた出来事がシャムスに筒抜けになっていることを、クロムは知らない。
シャムスとミゼが知り合いだということすら、彼には内緒だ。
そのこともシャムスは不満だった。
「わたくしたちのこと、秘密にする必要あります? むしろ明かしてくれた方がこちらも楽なのですけど。お姉ちゃんと会うのにいちいち人目を気にしなくて済みますし」
屋敷を忍んで出てきたのも、誰かに悟られることを避けるためだった。そこからシャムスとミゼの関係に辿り着くのは数々の偶然を挟む必要があるが、ほんの僅かな隙間からでも漏れることを恐れたのだ。シャムスではなく、ミゼが。
「だって……私、嘘ついちゃったんだもん。本当は孤児なのに、とっても優しい家族がいるって、見栄張って」
「本当のことではないですか。とっても優しい妹がここにいますよ」
「え?」
一瞬真顔になるミゼ。
「……なんですか。その目は。反抗的ですね」
「いふぁいいふぁい、ほっへはふねららいれ」
しばらく頬をぐにぐにされた後、ミゼは解放された両頬を手で守りながら叫んだ。
「とにかく! まだ本当のことを打ち明ける覚悟ができないの。だから……」
「……まったくもう。分かりました。もうしばらく、わたくしたちのことはセンセイには黙っておきます」
「ありがと! 大好き、シャムスちゃん」
「センセイよりも?」
「うふふ。それは秘密」
あっさりと笑顔に戻ったところを見ると、シャムスが了承することを最初から予想していたのだろう。そういえばいつも最後には彼女の言うことを聞いていたなと、頭の片隅で思う。やられたという感覚はあったものの、今更どうしようもない。その代わりとばかりに、シャムスはベルトに嵌めたリングを取り外してミゼに手渡した。
「これ、お願いします」
「あ、シャムスちゃんのお人形さん。わー、ボロボロ……って、え? まさかこれ、私が直すの?」
「はい。わたくし、そっちは苦手なので」
「いや、でも、あの、それすっごい大変な作業……」
「頼みましたよ」
「……はい」
笑顔で脅迫すると、ミゼは青白い顔をして頷いた。
少し意地悪だっただろうかと、心の中で首を傾げる。もしクロムが人形を見れば、シャムスのものだと一目で分かってしまう。そうすると、今までの努力が水の泡だ。これから数日の間、ミゼは家の中でも常に注意を払わなくてはならなくなるだろう。
(ま、いっか)
どうせ困るのはお姉ちゃんですしーと、シャムスは良心の呵責を軽く振り払った。
だが、受け取った人形をしばらくじっと見ていたミゼは、パッと顔を上げると、シャムスの頭に手を伸ばして微笑むのだった。
「こんなになるまで頑張ったんだね、シャムスちゃん。えらいえらい」
「…………」
不意打ちだ。
じん、と目の奥が熱くなる。撫でられた箇所が懐かしさを帯び、胸に嬉しいむず痒さを覚えた。
――ああ、幸せだ。
絶望が過去にはあった。お姉ちゃんとも、一度は離れ離れになった。この街で再会できたのは、奇跡という他ない。もう二度と会えないことも覚悟していたのだから。
だけど、今はお姉ちゃんがいる。たとえどんな敵が立ちはだかろうとも、自分は絶対にお姉ちゃんの幸せを守り抜く。そのために生きている。
そして、いつかは彼らのことも――。
誰も知らない決意を胸に抱き、シャムスはそっと目を閉じた。




