4. 森人族のロジェ
交渉が終わった後、真っ先にジラルトが雄叫びを上げながら屋敷を飛び出していった。アイーダも続こうとしたが、その前にフォルスに引き止められ、ジーン共々何事か申し付けられる。アイーダは嫌そうな顔をしていたが、渋々頷いてディーノのところへやってきた。
「ごめんね、ディーノ。野暮用押し付けられちゃった。まあ、あたしがいなくても気楽にやりなよ。失敗しても死にやしないからさ」
「は、はい」
反射的に頷くが、頭の中ではまだノアに聞かされた雷霆騎士団の話がぐるぐると回っている。なんでも、街でたびたび騒ぎを起こす〈千年氷柱〉は彼らにマークされているとのこと。色々初耳で悪寒がしてくる。ついでに目眩と頭痛とネガティブ思考が襲ってきたせいで、アイーダが部屋を出て行ったことにも気付かなかった。
「なんか先行きが不安になってきました……」
「訓練から帰ってきて早々、この騒動は大変かもしれないわね」
「でも、先が無かった頃に比べれば全然平気です」
「そ、そう。えっと、が、頑張りなさい」
昔と今を比較して持ち直したのか、どんよりからシャキッと復活するディーノ。変わり身の速さに、フェリスはちょっとたじろいだ。
「それで、これから皆さんはどうするのです?」
「そうね。ここはやっぱり、わたしたち三人で手を組まない? アイーダやジラルトを出し抜くには一人じゃ厳しすぎるもの。お肉の優先権も気になるし」
「わたしはベジタリアンなので、お肉は興味ないのですー。だから今回はパスなのです」
ディーノは隣のノアに顔を向ける。
「そうなんですか?」
「え? 私はお肉もお魚も大好きだよ?」
「え? でも今ベジタリアンだって……」
その時カサッと木の葉が擦れる音がして、ディーノの視界の下から何かがせり上がってきた。
それは、こんもりとした小さな茂みのような風貌だった。背丈はディーノの胸の辺り。頭の上からつま先(?)まで、完璧に木の葉で覆われている。見た目はその辺の落ち葉をかき集めてできるアレだ。燃やせば盛大な落ち葉焚きが出来そうである。
「どうも、はじめましてなのです」
「茂みが喋った!?」
「きゃああ!?」
木の葉の奥から声が発せられると、フェリスが可愛らしい悲鳴を上げてノアの背後に回り込んだ。
大袈裟な反応のようにも思えるが、見た目は完全に木の葉のおばけだ。もし暗い夜道でばったり出くわしたら、ディーノも武器を向けない自信はない。
「大丈夫です。こう見えても皆さんと同じ、〈千年氷柱〉の戦士なのですよ」
「せ、戦士……」
「なのです」
茂みはえっへんと胸(?)を張ると、ちょこんと首(?)を傾げ、フェリスの顔を窺った。
「森人族を見るのは初めてですか? 仕方ないのです。わたしたちの多くは、生まれた森から離れないまま一生を終えますから。かく言うわたしも、今までの人生の半分以上は森で過ごしていました。ここでも大体引き篭もっていますので、フェリスさんとお会いするのも今日が初めてなのですね」
のんびりした喋り方に、ノアの背後から顔だけ出していたフェリスも警戒をやや解き、おずおずと会釈する。
見た目は奇抜だが優しそうな人だったので、ディーノは思い切って気になったことを尋ねてみた。
「あの、失礼ですけど、男性ですか? 女性ですか?」
「うふふ。こう見えて女の子なのです」
「失礼ついでに、年とか……」
「うーん? 数えてないので分からないです。たぶん60歳くらいかなぁ。でも、種族的にはまだ子供なのです。森人族は人族に比べて長生きですから」
「ろ、60……」
人生の大先輩だった。
落ち着いて見れば木の葉はマントのようにすっぽり被っているだけで、ちゃんと手も足もある。木の葉の下にスモーキーグリーンのコートを羽織り、大きな肩掛けカバンを斜めがけしているのは分かるのだが、顔は小さな口の辺りまでしか見えない。すごく気になるけれど、さすがにマジマジと観察するのは憚られる。
「あ。まだ名乗ってませんでしたね。わたし、グリモロジェと言います。ロジェって呼んでくださいな」
「おれはディーノです」
「わ、わたしはフェリス。フェリス・アドセイユよ」
「ふふふ、知っているのです。実は、お二人のことは密かに見ていたのです。茂みに隠れて」
「それは気づきませんでした。ロジェさんは隠れんぼが得意なんですね」
「ふっふっふ。そうなのです。特に森の中では無敵なのです。街中でも、道端でじっとしていれば誰もわたしに気がつきません」
それは避けられているのではとディーノは思ったが、口には出さなかった。ロジェはとても得意気だ。心なしか、影になった顔が明るく見える。
自己紹介が済んだところで、本来の用件へと話が移る。
「それで皆さん、どこから捜索をはじめるつもりなのですか?」
「脱走事件のこと、知っているんですね」
「もちろんです。さっきのマスターの話もちゃんと聞いていたのですよ」
そう言えば大きな観葉植物があった気がする。今部屋を見回しても見当たらないことから、たぶんそれがロジェだったのだろう。
彼女の質問に、ノアが人差し指を唇に当てながら、
「まずは近場で情報収集しようか。王都は広大だけど、そんなに遠くへは行けないはず。運が良ければ早い段階で捕まえられるかもしれない」
「ですね。デアレッドは飛べませんから。きっと目撃者がいるはずですよ」
「ただ、卵の問題もある」
「卵の問題?」
ディーノは首を捻る。フェリスも眉間に皺を寄せた。
話の読めない二人に向けて、ノアは唇に当てていた指を教鞭のように振り、
「デアレッドには普通のニワトリにはない特性がいくつかあるの。ひとつはさっきもマスターが言った『爆発する卵』。割ってしまえば大丈夫なんだけど、放置していると大半が半日で爆発する」
「えっと……なんで爆発するんですか?」
「試練」
「はい?」
「爆発しなかった卵だけが、雛へと孵ることができる――つまり、爆発から生き残れるかどうかが、デアレッドの種族に与えられる最初の試練なの。また、卵を狙う天敵に一矢報いるためという説もある。まさに命がけの反撃だね」
「命散らして反撃したところで、何も得られないんじゃないかしら」
「野生は過酷なんだよ、フェリス」
「わたし、人間に生まれてよかったわ……」
よく分からないが、とりあえず頷いておいた。
ノアの説明は続く。
「そしてもう一つ。デアレッドは一日に数個から十個の卵を産むの」
そこもまたニワトリと大きな違いだ。
「ニワトリは普通一個ですよね」
「そうなの?」
「はい。前うちで飼っていたニワトリは、ほぼ毎日一個の卵を産んでました」
「ますます生命力が強いのか弱いのか分からないわね。デアレッドたち……」
むむむと眉根を寄せるフェリスの横で、ノアは何かを思い出すように視線を天井に這わせる。
「そういえばマカ爺さんのデアレッドは、毎朝すごい唸り声と共に卵を産むっていう不思議な癖があるんだよね」
「どう考えても、今まで聞いた習性の方が何倍も不思議よ」
フェリスのツッコミをノアは華麗にスルーする。
「でも思い出して。マカ爺さん、今朝叫んでたよね。『静かなあある朝だあああ』って。あの時、デアレッドがいないことに気付いたんじゃないかな」
あ、とディーノは小さく声を上げた。
そのことならよく覚えている。
ちょうど中庭の近くをアイーダと通りがかったところで、例の声が聞こえたのだ。いや、聞こえたなんてものではなかった。音が壁を突き破ってしまうんじゃないかと思うくらいの破壊力を伴っていた。だからアイーダも思わず怒鳴り込み、マカロフの首を締め上げてしまったのだ。
たぶん、あの近くにデアレッドの小屋があるのだろう。
「私が覚えている限り、今までデアレッドが卵を産まなかった日はない」
「わたしも知らないのですー」
「ということは……」
「現在、王都に最多で十個のボムエッグが放置されている可能性が高い」
「わー……」
最悪だ。
すべて見つけてしまわなければ、半日後――つまり今日の夕方から夜にかけて、王都が悪臭に包まれることになる。地方なら被害は少なくて済むかもしれないが、王都はどこに行っても人や家屋が密集している状態である。多数の被害者が出るのは確実だ。そして、もしも都を混乱に陥れたのが〈千年氷柱〉だと知れたら――。
「三日くらいは牢屋暮らしを覚悟しなきゃだね」
「絶対イヤですよ!」
「わたしもよ!」
ディーノとフェリスが立て続けに悲鳴を上げた。
ロジェは落ち着き払いながらもしょんぼりしつつ、
「木の実の持ち込みは許してほしいのです」
牢屋で食べるものを心配していた。
「……まあ、バレなければいいんだよ。捕獲ついでに、卵も私たちで回収してしまおう」
「ノアさんって強気というか、肝座ってますね……」
「わ、私だってやる時はやるわよ!」
「なんで張り合ってるんです?」
こうして、ディーノたちの捕物劇がはじまった。