3. 脱走事件
むすっとしたフォルスの両脇には、二人の人物が控えていた。
一人はマカロフ。「マカ爺」と呼ばれ親しまれる、〈千年氷柱〉の専属コックだ。拠点の一室を借りて住んでおり、ディーノも初日に挨拶した。小柄な体躯に真っ白なヒゲがトレードマークの、ちょっと頑固な爺さんだ。
もう一人は、丸メガネをかけた痩せぎすの男性。上質の布を使ったベストにスラックスと、一目で戦士でないことが分かる格好をしている。猫背気味で眉が八の字に下がり、全身から薄幸感が滲み出ている。
名はノーチス、〈千年氷柱〉のサブマスターであり唯一の事務方だ。力で解決できない困ったことは、全て彼に持ち込まれる。ゆえに、尊敬と感謝の念をもって皆から「ノーチスさん」と呼ばれている。
フォルスはダイニングの面々を見回し、「全員はおらんな」と呟いた。
単独行動、多くても三人までの少人数で行動することの多い〈千年氷柱〉では、メンバー全員が拠点に揃うことは珍しい。常に誰かが魔物討伐に出向いている状態だからだ。フォルスたちに遅れてジーンも姿を現したが、全員集合にはまだ何人か足りない。
むむむ、とフォルスは眉間に皺を寄せた。
「シャムスはどこに行った? あいつがいればかなり楽になるのだが」
「マスター、彼女たちはエルブラン領で任務中ですよ。もうじき帰ってくる頃と思いますが」
「あ。そうだった、忘れてた」
そのとぼけた反応に、答えたノーチスを含めた全員が忘れるなよと思ったのは言うまでもない。
それにしても一体どうしたというのか。
代表してアイーダが、頬杖を突いた投げやりな姿勢で尋ねる。
「で、あたしらに何か用なの? マスター」
「うむ。近年、順調にメンバーが増えている。今年もすでにフェリスとディーノ、二人の新人を迎え入れた。そんなわけで、ここらで一つ親交を深めてもらおうとちょっとした宴を予定しているのだが」
すでに皆聞き及んでいる話だ。
前の年にはノアが、今年3月にはフェリスがクランの門を叩いた。そしてディーノ。それ以前も、ここ十年は大体一年から二年置きに新しい顔が加わってきた。他のクランに比べたら十分の一以下の数だが、〈千年氷柱〉にしてみればフォルスの言った通り順調そのもの。ただし全く増員のなかった時期が長かったこともあり、全体数は決して多くない。クランに持ち込まれる依頼規模に比べたら、むしろ少なすぎるくらいだ。
「まあ、遠くにいて都合のつかない者もいるし、宴と言っても毎年やっている節目の集まりと変わらん。大した意味はない」
「いや! ある! 大いにある!」
「…………」
突然力強い否定から入ったのはマカロフだ。
閉口したフォルスの視線を物ともせず、マカロフはぐっと拳を作って力説する。
「宴とは、料理人にとって大いなる意味を持つ! そう! 宴こそ、儂ら料理人が戦果を挙げられる主戦場なのだ! それを大した意味がないとは何事か、フォル坊!?」
「あー、はいはい。分かった分かった。分かったから面を近づけるな。身長差がないのが余計に腹立つのだ。……で、だ。話を戻すと、宴の」
「デアレッドだ! 逃げ出したのだ! 金網を食い破って、自由な外の世界へ羽ばたいたのだーっ!」
鼻息荒くマカロフが台詞をかっさらう。
彼の口から飛び出した聞き慣れない名詞に、ディーノは頭の上にハテナを浮かべた。
デアレッドなるものが逃げ出した――デアレッドとは?
そういった疑問を持ったのは自分だけだったらしい。そのこと自体は不思議ではないが、アイーダたちの反応が予想外だった。
「なんだって!? あたしの非常食が逃げたぁ!?」
「マジかよ。明日もし飢饉が襲ったらどうすんだよ。本当に逃げたのか? 足の一本でも落ちてないか?」
「貴様ら……儂の相棒をなんだと思っている?」
わなわなと震えるマカロフの全身からは、なんとなく黒いオーラが立ち昇って見えた。
その威圧感に体を固くしていると、ノアがこっそり耳打ちしてくれた。
「デアレッドというのは、マカ爺さんが長年飼っているニワトリ……のような生き物のこと。毎日美味しい卵を産んでくれるんだよ。それを使ったマカ爺さんのお料理はもう絶品で、お店が開けちゃうくらいなんだ」
「へぇー!」
「ディーノも楽しみにしてるといいよ。期待は裏切らないから」
「はい。あ、でも逃げ出したって……」
「あ。そ、そうだった」
ノアは照れたように頬を掻いた。余程デアレッドとやらの卵料理が好きなのか、大人しそうな見かけによらず話し方に熱が入っていたように思う。
(でも逃げちゃったのかぁ。ちょっと残念だな)
そんなことを思いつつ、何気なくフェリスの方に顔を向けると――絶望感溢るる様相でぺたんと床にへたりこむ彼女の姿があった。貧乏人が小銭でも落としかというくらい悲壮な空気だ。
(わぁ……こっちはこっちでなんか可哀想)
慰めた方がいいのだろうかと迷いつつ、貴族相手にかける言葉もみつからない。そんな感じで戸惑っていると、フォルスから改めて説明が入った。
「デアレッドはボムエッグの大事な供給源だ。ボムエッグとはな、まあ卵だ。他の卵と違うのは、産み落とされたものをそのまま放置しておくと爆発する点くらいで、なんてことはない、ごく普通の卵だ」
「普通ではない! 最高の食材だ! 爆発すると周囲に酷い臭いを撒き散らすが、あるハーブと合わせることで悪臭は完全に消すことができる。味はまさに極上! 蕩けるようなまろやかさとコクが合わさって深い味わいとなり、一口含めば生まれる前のヒヨコの気分を体感できることだろう!」
「だそうだ」
冷めたフォルスと熱いマカロフの対照的な姿勢のせいで、場には微妙な空気が漂っていた。どちらかと言えばフォルスの気持ちに近いのだろうが、話が見えないために賛同しづらいといったところだ。
そんな中、彫刻のようにぴくりとも動かず座っていたジーンが、はいと手を挙げた。
「なんだ、ジーン」
「とどのつまり、俺達に脱走したデアレッドを捕まえてこいという指令か」
「おお、そうだった! 目的を忘れておったわ」
忘れるなよ、と二度目のツッコミが皆の心の中で入った。
「ジーンの言った通りだ。お前たちにデアレッド捕獲を命じる! くれぐれも生け捕りで頼むぞ。死んでは卵が産めんからな。分かったな!」
「断る」
「うむ、よい返事――……なぬ? ジーン、今何と言った?」
「断ると言ったんだ」
「……ほう」
フォルスの目がつららのごとき鋭さを帯びる。対するジーンは、山のごとき不動の構え。この意志は固いと察したフォルスは、ひとまず頭に浮かんだ強硬手段を取り下げる。
「理由を聞こうか」
「理由か。簡単なことだ。それは……」
「それは?」
いつの間にか、全員がジーンの発言に注目している。基本的にマスターの命令には逆らわない彼が、いったいどんな理由で断るのかと気になったのだった。
注目されていることに気づいたジーンは、一瞬だけ言い淀む。だが、周囲の視線は無視することに決めたようだ。すぐにまた口を開いた。
「それは、今、大剣を整備に出しているからだ。なので手元に武器が無い」
淡々としたその言葉をしばし口の中で反芻し、理解した後、フォルスは難しい顔で額に手のひらを押し付けた。
「生け捕りだっつっとろうが……」
「俺はあの剣以外使うつもりがない。武器がなければ任務は遂行できない」
「だ、か、ら、武器は要らんっつーの! ああもう、よい! お前は庭で日向ぼっこでもしていろ!」
そして、キッと他の面々を睨みつける。
「お前たちはよいな? このままデアレッドを野放しにしておくと、どんな災禍を我がクランにもたらすか分からん。もし雷霆騎士団の目にでも留まったら、今度こそ王都を追い出されるかもしれんぞ」
しかし。
「えー。探しに行くのめんどくさい」
「あのニワトリは逃げたいから逃げたんだろ。今までじゅうぅぅぶん俺たちの役に立ってくれた。これからは好きに生きさせてやろうぜ!」
「今日はちょっと用事があるのです」
「お前たちなぁ……っ」
全くやる気のない彼女らに、フォルスの怒りのボルテージもぎゅんぎゅん上がる。
続いて始まったお小言を耳を塞いで凌ぐ先輩戦士たちを横目に、ディーノはこっそりノアに気になったことを尋ねた。ちなみにフェリスはまだ床に沈んでいる。
「雷霆騎士団ってなんですか? 王都を追い出されるって、本当ですか?」
「あー……いや、追い出されることはないと思うよ。たぶん」
ノアは「しまった」と言うような顔で答える。クランにとって不名誉な経緯でもあるのだろうか。ノアに尋ねるには重すぎる内容なのかもしれないと、ディーノはやや不安になった。
だが、そうではなかった。単に誰もが失念していたことに気付いただけだったのだ。
「基礎的すぎて、誰も説明してなかったんだね。雷霆騎士団は、街の治安維持を預かる人たちのこと」
「へぇ」
「というのは建前で、戦士による犯罪行為を取り締まるために特別に組織された騎士団なんだ」
「え」
ノアの笑わない眼差しが、真っ直ぐ逸れることなくディーノを直視する。戦士ならば知っておかなければならないことだと、その視線が物語っていた。
「戦士が、普通の人と違うのは分かるよね。一番の違いは、魔力で能力を強化してるってとこかな。もちろん魔物と戦うためにやってることだけど、その力は――私たちのこの力は、一般市民に対してだって振るうことができる。もし私たちが人を殺そうと思ったら、大した労力はかからない。ほんの数秒あれば、何人と殺せる。今ここにいる人だと、ジーンさんなんか一時間もあれば王都の人口を半分にできるだろうね。それって怖いと思わない?」
「……はい」
神妙に頷く。
もちろん、彼はそんなことをする人間ではない。けれど、その力は街を破壊することができる。彼のことを全く知らない人が彼の強さだけを知ったら、ジーン・クロイツは危険な人間だと思ってしまうかもしれない。
強者たる戦士を止めるには、同等かそれ以上の力が必要だ。
だから雷霆騎士は治安維持の他に、魔力強化のための魔物討伐を重視する。
魔物討伐で自己強化を図るのは他の騎士団もやっていることだが、雷霆騎士団の場合、「戦士よりも強く」という明確な目標がある。強さへの執着心は、下手な戦士よりはるかに上だ。
また、雷霆騎士団には経験豊富な戦士からの転身も多い。武に長け信頼できる人間ならば、引き抜きもあるらしい。
戦士の中には、そうした元戦士の雷霆騎士を「裏切り者」呼ばわりする者もいるという。
でも、それはおかしな話だ。雷霆騎士が取り締まるのは犯罪者である。犯罪者は戦士にとっても敵であるはず。いや、善良な市民全ての敵だ。雷霆騎士はいわば正義の味方であり、卑怯な裏切り者呼ばわりされる道理はない。
戦士の中にも騎士の中にも互いに敵意を抱く者がいるが、それは間違っている。敵意は魔物や犯罪者に向けるべきもの。
雷霆騎士団を嫌うのは個人の自由だが、それ以前の問題として、犯罪に手を染めないよう心がけなければならない。
とどのつまり、自分たちは、最初にフォルスに言われたことを守っていればいいのだ。
……というような話をノアから聞いた後、ディーノは「あれ?」と首を傾げた。
確かマスターがさっき「今度こそ」だの、「追い出される」だの言っていたような。
嫌な予感がした。
恐る恐るノアの顔を窺いながら、
「あの、もしかして〈千年氷柱〉って、雷霆騎士団に目をつけられているのでは……」
「よく分かったね。その通りだよ」
「いやいやいや」
よく分かったね、じゃないが。手を叩いて褒められても困るが。
爆発する卵のことを聞いた時は「都会ってすごいなぁ」としか思わなかったが、騎士団に目をつけられるなんてさすがに異常だ。
「いったい何をしたんですか? は、犯罪? 実は悪人!?」
「いやいや、まさかまさか。私たちは至極真っ当な討伐クランだよ。逮捕された人なんて一人もいないって。頭を冷やせと牢に入れられた人ならいるけど」
「その時点でなんかおかしいと思うのですが!」
「これくらい普通だってば。王都では一時期、戦士の間で牢屋参りが流行ったくらいなんだよ」
「牢屋参りって何!?」
大勢の戦士が「仲間を解放しろ」と鍋やフライパンをカンカン叩くイメージが、ディーノの脳裏を横切った。
なんにしろ、自分の知っている常識とはかけ離れている。ノアはにこにこと笑っているが、その笑顔が今は底知れなく感じる。
とそこで、絶望の縁を覗き込んでいたフェリスが、今はどこか恨みがましい目で二人をみつめていることに気が付いた。
「あなたたち……なんか楽しそうね」
彼女には何か別のものが見えているらしかった。
そしてテーブルの方からは、叩き売りする商人のようにヤケクソなフォルスの声が。
「ええい、ではデアレッドを捕獲した者には、一ヶ月報奨アップあんど赤月オーロックス肉最高級部位優先権をやる! これならばどうだ!」
「まだだよ! 優先権じゃ足りないね。独占権だ!」
「いいや、それは駄目だ。牛を仕留めたクロムたちに分前をやらねばならん。まさかタダ働きというわけにも行かんだろ」
「くっ、それなら仕方ないか。でも報奨アップは二ヶ月だ。それ以下は飲まないよ」
「よかろう。では決まったな」
どうやら向こうも決着がついたようだ。
こうして、騒がしい朝はひとまず終わりを迎えたのだった。
深刻な疲労をディーノに残して。




