2. 自己紹介
ディーノは〈千年氷柱〉に入団した二週間前に比べて、血色がかなり改善されていた。それ以外の変化はまだまだだが、強いて言えば姿勢が良くなった。田舎では力仕事をしていたため体力には多少は自信があったのだが、標準的な戦士に比べてもまだまだだということを訓練では思い知らされた。これからに期待、だ。
緊張した面持ちで自己紹介する年下の少年に、ノアは穏やかな微笑を向ける。
「はじめまして。ノア・ウィングラムです。この子はフェリス・アドセイユ。人見知りで最初はちょっと取っつきにくいかもしれないけど、そのうち慣れるから気にしないでね」
「そ、そんな、全然」
ぶんぶんと激しく首を振るディーノ。その様子から察するに、彼女たちが貴族だということは既に知っているようだ。黙っていても後々面倒なのでノアに隠す意図はなかったが、少年の反応には警戒の色が混じっているのをノアは敏感に感じ取った。
珍しいことではない。だが、ひとまず気が付かない振りをする。
「ほら、フェリスも挨拶して」
「え!? わたしも!?」
「当然でしょ」
呆れた眼差しを注ぐと、フェリスは不安そうな顔をしつつも立ち上がった。
ぎこちなく腰に手を置き、薄い胸を心持ち反らす。
「ふぇ、フェリスよ。ここでは呼び捨てして構わないわ。わたしもあなたのこと呼び捨てにするから」
ディーノは「はい」とも「いいえ」とも言えず、微妙な顔をした。
当然だろう。本人が許したとしても、身分は身分だ。簡単に呼び捨てにできるはずが――ないと言い切るには、アイーダの仕草が目に焼き付いて離れないけれども。
ともかく無茶を言うなあとノアが内心で苦笑いしていると、フェリスはびしっと人差し指を立てて更に言い足した。
「でもね、言っとくけど、わたしの方が年上なんだからね! その辺弁えなさいよね!」
「弁えるって、どういう風にですか?」
本当に分からなかったのだろう。演技でもなく首を傾げるディーノに、フェリスは「えっ」と戸惑ったような反応を返した。
「ど、どういうって、だから、たとえば、わたしの前を歩かないとか……」
ぶっ、と音を出してアイーダが吹き出した。ノアも釣られて俯きがちに肩を震わせ、フェリスは顔を真っ赤にする。
「なっ、何よ何よ! 何がおかしいのよっ」
「おれ前衛だから、もしフェリスさんと組むことになったら、前を歩かないってのはたぶん無理です」
「…………!」
「ちょ、フェリス、なるほどって顔しないで! ディーノも真面目に返さなくていいから! お腹痛い……!」
と、本当に痛そうに腹を抱えるアイーダ。
「そこまで笑う!?」
「どうやらツボに嵌っちゃったみたいですね」
「ああ、一度嵌ると長いヤツ……。あと、さん付け禁止ね」
「善処します」
笑われている本人とやけに冷静なもう一人は、机に突っ伏して笑うアイーダたちを若干引いた目で見ていた。
不意に、フェリスが何かに気付いたようにハッとした。
「こうなったら下手に刺激しない方がいいわ。あなた、イーサン・グレイブを知っているかしら? 百年前に実在した探検家よ」
「その人が何か……?」
「彼は密林の奥地で出会った先住民族に殺されたの。その部族には葬式を笑って過ごすという風習があってね。死者には悪魔が取り憑いていて、悲しみに暮れる人をあの世へ連れて行くっていう考え方。葬式の席で喜びや愉楽以外の感情を見せるのは、村にさらなる死を招きかねない行為とされていたのよ」
「は、はぁ……」
「だけど、それを理解できなかったイーサンは怒り狂って抗議したの。『同胞が死んだのに、なんと薄情な!』ってね。その結果、棺が二つに増えてしまったというわけ。村を守るために、ね。本に書いてあったわ。つまり何が言いたいかと言うと、これは何かの儀式かもしれない」
「その可能性はないと思いますけど……恐ろしい話ですね……」
「ええ、とても恐ろしい話よ。作り話だけどね」
そのやりとりが更にアイーダたちを苦しめるのだが、本人たちは気付かない。もう一つ加えて言えば、いつの間にかフェリスの人見知りが収まっていることにも誰も気付いていなかった。
そこへ、ドタドタと大きな足音がしたかと思うと、開け放ったままの扉から背の高い赤髪の男が姿を現した。
爬虫類のような金色の鋭い眼に、彫りの深い顔立ち。首や剥き出しの肩にはゴツゴツとした赤い鱗が残っており、やや尖った耳の上にコウモリの羽のような龍角が生えている。
ディーノが初めて〈千年氷柱〉を訪れた際、マカロフ爺と口論をしていた青年だ。
彼を目にしたディーノは、あっと声を上げた。
「お久しぶりです、ジラルトさん」
それに気付いた青年、ジラルトは、親しい者に向ける笑みを返した。
「お、ディーノだっけか。そういや昨夜帰ってきたんだったな。どうだった? 鬼女の稽古は?」
「ハハハハ」
「ははは、そうかそうか。命あっての物種だぞ。ヤバイと感じたら迷わず逃げろ。で、具体的にはどんな内容だったんだ?」
愉しそうに尋ねる。顔が子供のようにキラキラと輝いているのはなぜなのか。
「えっと、ずっと走ってましたね」
「走ってた? それだけか?」
「はい」
途端にジラルトはつまらなそうに閉口する。分かりやすい男だ。
しかし、ディーノの話には続きがあった。
「生まれたばかりの一角タイガーをアイーダさんが拐ってきて……来る日も来る日も母虎に追いかけられてました」
「ホーンタイガー?」
「標高のそこそこ高い山に生息する大型肉食獣です。とにかく足が早くて、隠れるのも上手くて、頭も良くて、何度も先回りされたり食べられそうになったり。目の前で大きな口が開いて息がぬっとりと顔にかかって……あれ? おれ、なんでまだ生きてるんだろう……?」
夢と現の境を彷徨うかのようなディーノから目を離し、ジラルトはアイーダへ咎めるような視線を送った。
「お前さあ、せめて弱い魔物を倒すところからはじめてやれよ。魔物じゃないなら倒しても浄化できねぇじゃん」
ようやくツボから復帰したアイーダが、笑いすぎて逆に感情の乏しくなった顔を上げて答える。
「あたしにはあたしのやり方があるの。それより、あんたにしちゃあ優しいじゃない。今日は機嫌いいの?」
「こいつは俺の野菜担当だからな。大事に育てるんだ」
「はあ?」
ジラルトはなぜか自慢げに答えた。
野菜担当というのは、初対面時「野菜は食えるか」と聞かれたのでディーノが「はい」と答えたら、勝手に任命された謎職だ。大体想像はつくが。
アイーダはじとっと半眼になる。二人とも赤髪で、目は濃さが異なるものの光の加減によっては似通って見える。しかも共に高身長なので、傍目には姉弟のようにも思えた。
「あんたね、好き嫌いせずに食べなさいよ。大きくなれないよ?」
「お前よりデカイっつーの。つーか、アイーダだって肉食だろうが」
「あたしは好き嫌いしないし」
「万事につけて大雑把だもんな。肉と野菜の区別がつかないんだろ」
「ああ? なんだって? トカゲ野郎」
「トカゲじゃねぇ龍だ鬼女」
座ったまま威圧するアイーダと、負けじと目に力を込めて睨み返すジラルト。二人の間に、バチバチと飛び散る火花が見えるかのようだ。近くにいると危ないと感じたのか、ノアがさりげなくフェリスの隣に避難する。
「ど、どうしましょう。これ」
「戦士同士の争いに無闇に首を突っ込んではいけないわ。怪我するわよ」
冷や汗を浮かべながら警告するフェリスに、ディーノは見れば分かります、と返したかったが、その前に別の声が割り込んだ。
「まったく。どうしてそう、お前たちはすぐ喧嘩をしたがるのだ。壁を迷宮製に作り変えてやろうか」
幼くも老成した響きのある、少年の声だった。