6. 邪教徒の試し
「魔神教ですって?」
シャムスは意外さを隠せず、愕然と呟いた。
もし少女の言うことが本当なら、相当厄介な人間と出くわしたことになる。
魔神教は、その名が示す通り魔神を崇拝するマイナー宗教だ。
魔神は魔物の王とも呼ばれ、千年前魔物を率いて世界を滅ぼそうとした元凶だと云われている。
が、シャムスが思うに眉唾だ。魔物と戦っていれば、奴らが誰かに統率されてなどいないことが分かるからだ。おそらく、誰かがはじめた作り話が、旅人や吟遊詩人によって広く伝播していったのだろう。
実際女神と違って魔神の存在は空想の域を出ず、女神信仰の総本山である五聖教会からも、大して警戒されていなかった。
――数年前までは。
自分もある形で関わることになった事件を思い出し、シャムスは内心にヒヤリとしたものを感じた。
その事件とは、都市ひとつを住民ごと生贄にした魔物召喚。
魔神教の異様さ、凶悪さを世に知らしめた大事件だった。
そんな魔神教徒がなぜ、自分の前に現れたのか。それも魔物討伐の真っ只中に。
嫌な予感が背筋を這う。
「今日はねー、この子たちの相手をキミにしてもらおうと思って来たんだよ」
「この子たち?」
「うん。ほらほら、出ておいで!」
ニコニコしながら、少女がシャムスの背後――海に向かって手を振った。
少女を警戒しながらも振り返ると、波に混じって何かが次々と磯に這い上がってくる。
一つ、二つ、……十、十一……まだ増える。
十を超えた頃には、最初に這い上がってきた者が立ち上がろうとしていた。
それらは青白い燐光を纏っている。おかげで姿形がよく見える。見たくないものまで、はっきりと。
動き出す死人。
死んだ人間に魔物の霊魂のようなものが取り憑き、一見生き返ったかのように見える現象。実際は死んだ人間が動いており、動かしているのは魔物である。
「馬鹿な……迷宮でもないのに、どうして!?」
そう、リビング・デッドは迷宮でのみ生まれる魔物。さらに言えば、より深い階層で起きやすい現象だ。地上で活動するリビング・デッドなんて見たことも聞いたこともない。
「そうか、迷宮から連れてきて……」
「いやいや、違うよー? もちろんそういうやり方もありだけどね?」
あっさりと否定する魔神教の少女。
「彼らはイビル・メロウに殺された子たちだよ。アイツの魔力に囚われて、うまく還れないみたいなんだ。だからちゃんと還してあげてほしいのと、ついでにおねーさんを試す材料になってもらおうかなって。一石二鳥でしょ?」
「ちょ、ちょっと待ってください。囚われる? 還す?」
言っていることの意味が全く分からない。まるで別次元の理を聞いているかのように。けれど、それ以上に――。
「イビル・メロウですって? まさか、今回の討伐対象……」
「あれ? 知らないで戦ってたの? まあ、海底の魔物だしねぇ。人族じゃ姿まで伝わってなくても無理ないか。……海龍のジジイも察知できなかったみたいだし。耄碌してんじゃないの、あのひと」
「……センセイ」
愕然とするシャムスは、少女のぼやきに気づかなかった。
イビル・メロウは大昔、海龍と渡り合った大物。そんなのと戦うなんて、無理を通り越して無茶苦茶だ。人間にしては無茶苦茶な方のジーンですら、海の中では勝てるかどうか分からない。
不安が膨れ上がるシャムスに、少女はクスクスと笑みを零す。
「大丈夫だよー。今のアイツは昔と比べてすっごく弱くなってるから。なんせ生まれ直したばっかだからね。キミたち戦士の感覚で言えば、一年目ってところ。ほら、勝てる気してきたでしょ」
「…………」
あっけらかんと言い放つ少女。だが、その言葉を素直に受け取るシャムスではない。
人を食ったような笑みを浮かべる鼻先へ、ルドアンが剣の切っ先を突きつけた。
閃きが見えないほど高速の剣捌きだったが、少女は余裕を崩さない。
「あなたは何が目的なのです。突然現れて、御託を並べて。わたくしを試すと言いましたね。そのようなことをして、あなた方に何の利があるのです?」
「悪いけど、その質問には答えられないかな。キミの相手をするのは、この子らだよっ」
次の瞬間、少女とルドアンの間に、逞しい一人の戦士が割り込んでいた。
戦士の槍を、ルドアンが二本の剣で受け止める。
火花が散るせめぎ合いの後、ルドアンが剣を一閃させ、戦士を槍ごと真っ二つにした。
愉快そうな幼い笑い声が響く。
見やれば、いつの間にか少女の姿は崖上にあった。
「あはは! やるじゃない。水龍人族のリビング・デッドを一撃なんて」
「わたくしを試したいなら、あなたが戦ったらどうです!?」
「死にたいの? 人形遣いさん。まあ別にそれでも構わないけど、うっかり殺すとキミたちのマスターを怒らせかねないからなぁ。今はこっちのリビング・デッドで我慢してよ」
「あの方を知っているの?」
「どうかなぁ。さあさあ、ぼんやりしてると囲まれちゃうよ」
いくつもの影が磯から上がり浜へと近づいてくる。
その動きは緩慢。
だが、本来のスピードではない。まさかとは思うが、あの少女が操っているのか。
シャムスは様々な気がかりを残しつつ、全ての人形に思念を通した。
少女から目の前の敵へ警戒を移した彼女の耳のすぐ近くで、からかいを含んだ声がする。
「さあ、見せてよ。〈千年氷柱〉の実力をさ」
怒号のないただの足音が、津波のように押し寄せてきた。
シャムスはティゴニアを前へ立たせ、スウィフドの矢を放射状に飛ばした。
だが、そんなものは牽制にもならない。
リビング・デッドの群れは、ある者は手にした武器で弾き返し、ある者は腕を飛ばされても物ともせず突き進んでくる。
それらには共通の特徴があった。
剥き出しになった肩に光る、青い鱗。さらには、尖った耳の上についているコウモリの羽のような飾り。飾りではなく、龍角という紛れもない角だ。
龍角は龍人族の証。そして青い鱗は、水龍人族の証である。
龍人族は強靭な種族だ。鬼族並の怪力に、人族を優に超える魔力。武器の扱いにも長けた、まさに戦うために生まれた種族。
少女は言っていた。彼らはイビル・メロウに殺された、と。
そしてこうも言っていた。今のイビル・メロウは昔に比べてとても弱い、と。
「海龍の眷属をこんなにも殺しておいて、何がすっごく弱いですか!」
シャムス、心の叫びだった。
指を広げ、魔力で撚った思念の糸を飛ばす。この見えない糸が、彼女の能力の生命線だ。もしこの糸が絶たれれば、シャムスは人形を操る術を失う。だからこそ、そう易易と切れるものではない。
「ティゴニア、前へ。メリアゴール、ルドアンはその後ろへ。スウィフドは崖上から矢を射かけ続けなさい」
声を発するのは、人形たちを道具から仲間へ昇華するため。
彼らはただの道具ではない。自我こそないが、仲間なのだ。
リビング・デッドの最前列が、ティゴニアの盾へ殺到した。
だが、塔の名を冠する守備力は伊達ではない。
打ちつけられる剣や槍、斧にビクともせず、不動を保っている。
十分敵を引きつけた後、ティゴニアが一気に両腕を開いた。
水龍人族たちが押し返され、ちょっとした雪崩が起きる。そこへ近接担当のメリアゴールとルドアンが突入した。
両手の剣を巧みに操り、竜巻のように敵をなぎ倒すルドアン。
アクロバティックな動きで敵を翻弄し、確実に強打を叩き込んでいくメリアゴール。
波間を縫うようなスウィフドの射撃も、着実に敵の勢いを削いでいく。
すべてシャムスが操っているだけに、連携は的確だ。倍以上の数の水龍人族を相手に一歩も引いていなかった。
倒した数で言えば、ティゴニアも近接組に負けていない。
防御型のティゴニアではあるが、重いタワーシールドを使った攻撃はかなり強力だ。
押し出せば敵がひしゃげて吹き飛び、地面に振り下ろせば骨ごと粉砕する。しかもそれらの攻撃で数人まとめて巻き込むので、彼の周りは異様な空気が取り巻いている。
人形たちの働きを、崖を背にし見守るシャムス。敵の数が多いため、護衛のティゴニアも攻撃に回さざるを得ないのが痛い。
彼女自身の戦闘能力は低いので、もし人形たちが突破されたら一気に形成が逆転するだろう。
そして、ついにシャムスと人形たちの隙間を埋めようとする者たちがやってきた。
人形三体への同時攻撃。一体につき最低三人は付いている。ティゴニア付近など、まるで砂糖に群がる蟻のような有様だった。
人形たちの足が止まったその隙に、二人の戦士がシャムスに迫る。
二人ともまだ10代前半と思しき若さだ。
魚が泳ぐようなスピードで浜を駆けてくる。
戦士として生きる以上、殺されることは想定の内。イビル・メロウにどのように殺されたのかは知らないが、誇り高い龍人族のこと、きっと背中を見せずに戦ったのだろう。そんな彼らにしてみれば、同情は侮辱に近いはず。〈千年氷柱〉にも龍人族の仲間がいるからなんとなく分かる。
それでも、哀れだと思ってしまう。
同じ戦士だから想像できるのだ。
思いを遂げられずに死ぬ、悔しさが。
「4番・死魔の墓標」
二人の剣の切っ先が、シャムスを貫こうとした寸前で止まった。
二人の体は不自然に硬直し、懸命に振りほどこうとするのが表情やかすかな動きで分かるものの、逃れる気配はまったくない。
ズズズ……と、砂浜の下から何かがゆっくりと頭を出す。
ボロボロのローブで全身を覆った、顔の見えない怪人。首には六角形の鏡をいくつも連ねたものをぶら下げており、キィン、と甲高い音を発していた。どうやらそれが金縛りの原因であるらしい。
「6番・優美なる暗殺者」
音もなく二人の背後に表れた影が、さっと彼らの首を薙いだ。
人間としてはすでに死んでいるため、血飛沫は出なかった。
どさっと地に落ちた水龍人族たちの傍に立つのは、黒いドレスを纏った華やかな女。メリアゴールと違い、顔には確かな造形がある。人間そっくりで、美女と言って差し支えない顔には微笑みが文字通り刻まれている。だが手指の先に伸びているのは、猛獣のように鋭い爪だ。
シャムスはにこりと微笑む。
「舞台裏は立入禁止です。一般客の皆様は、ご自分の席へお戻りください」
そう言うと、新たに現れた二体の人形を侍らせ、死んだ魔物に向かって丁寧に一礼するのだった。




