7. バッテリーとステータスアップ
ドームを支える壁の隙間から差し込む光が、やけに懐かしくまぶたを刺す。
迷宮で過ごしたのは三時間程度だが、日差しを浴びるのはとても久しぶりのことのように感じた。
必ず生きて帰ると決意したものの、ダスティ・スライムの大群に襲われて死にそうな目に遭った今、無事に戻れたことが奇跡に思える。
助けに来てくれたアイーダたちの気持ちが有り難くて、嬉しくて、滲む視界をゴシゴシと拭った。
「……あの、気になってたんですけど、どうしておれが迷宮にいるって分かったんですか?」
「勘かなー。クランに入団したがる子の大半は、迷宮探索が目的なんだよ。なぜかたまにうちにも来るんだよね。他所のクランに紹介された、みたいなこと言って。まあ断るんだけど」
「そ、そうなんですか」
まさにその口だったので、ディーノはやや俯く。
「キミは特に思い詰めてるみたいだったから、簡単に諦めるとは思えなくてさ。もしかしたらソロで潜ってる子なのかなって、案内所に問い合わせたわけ。そしたら今日通ったって言うじゃない。即行でうちらも通行証取って追いかけてきたんだよ。マスターも反対しなかったし」
「そ、そうでしたか。ご迷惑をおかけしてすみません……」
「あはは、なんで謝るの。元はと言えば、うちのマスターが適当に追い返したのが悪いんだから、謝るのはこっちの方だよ。それにしても、このカードみたいな通行証、面白いねー。どこまでクリアしたか分かるようになってるんだ。探索の補助というより、攻略クラン向けの機能っぽいけど」
二人の会話を黙って聞いていたフォルスは、先に階段を上がりながらつーんとそっぽを向いた。後ろにいて、それに気づかないアイーダではない。
「生意気な子でごめんね」
「こら、俺を子供扱いするなっ」
「見た目は子供でしょうよ」
やいのやいのと言い争う様子は、長年の親しみを感じさせる。ジーンも会話に参加こそしていないものの、やはりそこにいるのが当然といった体で歩いている。
素直に羨ましいと思った。
誰かと一緒にいることがこんなにも安心できるなんて、久しく忘れていた。
だからこそ、また一人になるのが怖い。孤独は心を凍てつかせる。人を信じられなくする。それでも構わないと言えるほど自分が強くないことを、ディーノは重々知っている。
階段を上りきると、そこはもう一つの建物の中だ。空洞の北側に設けられた迷宮案内所である。迷宮探索ギルドが管理をしている。利用するのは、当然ながら攻略クランの人間が多い。
最も混雑する時間はとうに過ぎているが、そこらかしこに金属や革の鎧を着た戦士の姿が見受けられた。
(き、気まずい……)
アイーダたちの後ろについて歩いているのだが、周囲から向けられる視線の多いこと、厳しいこと。
クランの事情に昏いディーノでも、〈千年氷柱〉が目立つ存在であることはさすがにもう感づいていた。思えば、〈黄金の果実〉の黒ひげがクランの名を口にする時も、嫌悪ではないがどこか憚るような物言いだった気がする。
単に迷宮探索専門と魔物討伐専門の違いから来る対立なのか、それとも別の理由があるのか、その辺りは判別できない。
(アイーダさんたちは平気なのかな)
周囲と目を合わせることが怖くて床を見つめていたディーノは、前を行く三人におずおずと意識を向けた。
「最近は肉ばかりで飽きた! そろそろ魚が食べたいぞ」
「ちょい待ち、マスター。それは許されないよ? 一日最低三食は肉を食わなきゃ、あたしの体が保たないの」
「魚なら釣ってくればいい。今度海に船を出そう」
「おう、絶対遭難するからやめとけ」
「ジーン。あんた、今度はどの大陸に行くつもりよ?」
平気どころか微妙な空気など意に介さず、呑気に食事の話をしていた。そのことも、周囲の剣呑さに拍車をかけているような気がする。
気づいていないのだろうか。それとも、気づいているけど敢えて無視をしているのだろうか。
ウンウンと悩んでいると、アイーダが振り返ってディーノに声をかけた。
「そうそう。ディーノくん魔物倒したでしょ。どうする? 換金する? それとも魔力強化に回す?」
「え……」
そうだった、と今更ながら思い出す。
迷宮でも迷宮外でも、魔物を倒すといくらかの魔力を体に吸収する。探索ではそうやって間接的に迷宮の魔力を奪い、魔物が地上に溢れ出す宮魔氾濫を防止するのだ。
そして、吸収した魔力は蓄魔器に充填することで、量に応じた金額を受け取ることができる。
近年では路面魔導車や巨大な都市間魔導列車が走るようになり、蓄魔器の需要は上がる一方なのだ。
加えて、魔力にはもう一つ使い途がある。
教会で『浄化』してもらい、完全に己のものとする。つまり、自分を強化できるのだ。浄化するまでは、吸収した魔力は真に自分の力ではないと言える。
魔力とは、一言で言えば万能の力だ。魔術の原動力にもなるし、筋力や、珍しいところでは視力、聴力などを高めることもできる。自分がどう成長するかは、それまでの戦い方や鍛え方によって違ってくるのだ。
思考からすっ飛んでいて動揺したディーノだが、答えはもう決めてある。
「えっと、全部――」
「浄化せい。金はどうとでもなる」
ディーノの言葉を遮ったのは、フォルスだった。彼は相変わらずディーノと目を合わせようとせず、ちょっと不貞腐れている。嫌われているのかもと思っていたディーノは、彼の真意が分からずきょとんとした。
(そういえば昨日は正気じゃなかったとか言ってたけど、どういう意味だろ?)
「ほら、マスター。言うことあるでしょ」
「うっ、分かっておるわ」
アイーダにつんつんと肘打ちされ――身長差のせいで肘が頭に当たっている――、フォルスはこほんと咳払いする。
「えー。昨日はぁ。私の不徳といたすところぉ。まことにぃ、申し訳ありませんであだっ。こらアイーダ、なぜ殴る!」
「分からないならもう一回殴ろうか?」
「ふん。小娘の打撃など俺には効かあだっ。こら! セリフは最後まで言わせんか!」
それを見ていたジーンがぼそりと、
「祖父と孫」
「聞こえたよ、ジーン。誰が誰の孫だって? ぶつよ!」
「遠慮する」
彼らの会話は、それほど大きな声で行われたわけではなかった。これが迷宮案内所でなく街中だったら、誰も気にかけることはなかっただろう。
しかしここは王都で一番血の気の多い戦士が集まる場所で、評判の良い〈千年氷柱〉を気に食わないと思う人間も一番多い場所だ。
必然的に耳目を集めていた。
「おいおい、王国最強と名高い〈千年氷柱〉の皆様じゃねぇか。お天道さんの下で華やかにご活躍中の皆様方が、この陰気な地底に何のご用で?」
フォルスたち三人が、一斉に声のした方を振り向いた。ディーノも遅れてそちらを見やる。
それなりに良い装備に身を包んだ三人組の男が、揶揄や挑発の色を浮かべて近づいてくるところだった。
一人は左右の腰に長さの違う剣を佩き、一人は斧、あとの一人はローブにメイス姿だ。三人とも腕に青地に十字が描かれた布を巻いていることから、同じクランに所属しているのが推察できた。
アイーダが見たことのない醒めた表情で彼らに答える。
「何それ。自虐?」
「いや何、珍しかったものでね。気に障ったなら申し訳ない」
「あっそ。じゃ、あたしらもう用は済んだから。バイバイ」
手をひらひらと振り、三人組の横を通り過ぎようとする。ところが、案の定と言うべきか、「待て待て」と形ばかり友好的な笑みを浮かべて双剣の男が立ち塞がった。
「気になるんだよ。あんたらみたいな有名な戦士がこんなところに何の用だったのか。教えてくれないか、お嬢さん」
お嬢さん、の媚びるような言い方に、アイーダはピクリと目元を引き攣らせる。
一方、「こんなところに」の部分では、周囲で聞き耳を立てていた戦士の一部が青筋を立てていた。しかし〈千年氷柱〉の動向が気になるのは同じなのか、抗議の声は飛んでこない。
「別に大した用じゃないよ」
「へえ! 大した用じゃない? ここはオレたちの大事な仕事場なんだがね。大した用じゃないか、へえ!」
男は大袈裟に反応し、周囲が色めき立つのを煽った。あちこちで〈千年氷柱〉を謗る声が上がる。
アイーダは面倒くさそうに顔をしかめ、フォルスとジーンは顔を見合わせた。
そこへ、騒ぎを聞きつけた案内所職員の男女二名が駆けつける。男はモノクルをかけた壮年で、女の方はまだ十代と思しき若さだ。入ったばかりの新人だろうか。顔に初々しいほどの焦りが見える。
モノクルの男が一同を順に見渡しつつ、口を開いた。
「何事ですか。案内所及び迷宮内でのクラン同士の衝突は、処罰の対象になりますよ」
「それなら心配ないぜ、職員さんよ。コイツらはギルドの人間じゃねぇからな」
「知っています。ですが、ギルドに加盟していようとなかろうと関係ありません。衝突自体が問題なのです」
「だから心配いらねぇって。ちっと騒がせちまったみたいだが、別に喧嘩をおっ始めようってつもりじゃない。コイツらに迷宮に来た目的を聞いただけだ」
そうだそうだ、と残りの二人も同意する。それに後押しされてか、双剣の戦士は尤もらしく言葉を並べる。
「考えてもみろよ。〈千年氷柱〉は討伐クランだぜ? そいつらがここに来たってことは、強力な魔物が出たのかもしれねぇじゃねぇか。だとすりゃ、オレたちの命にも関わる。話を聞く権利はあるだろう?」
今度は周囲の人垣からも同意する声が上がった。戦士の言い分にも一理ある。事情を知るディーノからすれば杞憂でしかないが、何も知らない人間にとっては見過ごせない点だろう。
しかし、モノクル職員は断固として頭を振る。
「そんな情報はギルドに入っていません。迷宮内に強大な魔物が発生した場合、真っ先に報告が上がるのは管理者たるギルドです。ギルドが動くより先に討伐クランが動くことはありません」
「んなこたぁオレたち一戦士には判断がつかねぇ。さっきも言ったが、オレたちはちょっと話を聞こうとしただけだぜ。大袈裟に騒ぎ過ぎなんじゃねぇか?」
どの口が言うか、とアイーダはしかめっ面をした。そもそも男らが突っかかってきたから見世物みたいになっているのだ。反論したくて堪らないが、騒ぎが長引いても困ると思いぐっと我慢する。
三人組の戦士とモノクル職員は、なおも押し問答を繰り返した。そこまで食い下がる理由がディーノには分からない。フォルスたちには分かっているのだろうかと横目で盗み見ると、彼は退屈そうに欠伸をしていた。
目が合う。
フォルスは訳知り顔でニヤリと笑った。
――分かっているのだ。
のっそりと、クランマスターが動き出す。




