8. ステータスダウン
「埒が明かんなぁ。これ以上ここにいても無意味だ。お前たち、さっさと帰るぞ」
フォルスのよく通る声が、戦士とモノクル職員のキリのないやりとりを断つ。剣呑な六つの目が、見た目10歳ほどの少年に集まった。それを受けてもフォルスは泰然としており、後方にいて視線とは無関係のディーノの方がヒヤッとした。
「ああ? なんだ、このガキ」
「ガキは黙ってろよ」
「さっさと帰って寝んな、坊や」
「ちょっ、あなた方――」
口々にフォルスを見下す戦士たちに、モノクル職員が目に見えて焦る。一見場違いな少年が〈千年氷柱〉のクランマスターであることを、彼だけは知っているのだ。
職員の狼狽をも楽しく観劇するかのように、フォルスはニコニコと笑いながら、
「構わん。何も知らんのはある意味幸せだ。が、時には教えてやらにゃならんこともある、か。おい、そこのお前」
「あん?」
フォルスが小さな指で示したのは、腰にメイスを提げたローブの男。聖職者風に首に十字のペンダントを掛けているが、態度はガラの悪いチンピラそのものだ。
隈の浮かんだ目で睨んでくる男に対し、フォルスはスッと全身に冷気を帯びる。その瞬間空気が変わったのを、その場にいた誰もが感じた。
フォルスの声が、鈴の音のように響き渡る。
「お前、浄化を怠っておるな? 随分とドス黒い淀みを抱えておるではないか。その分じゃと、そうよなぁ、一年。いや、半年も保つまいか? それなりの手練のようじゃが、引き際を弁えぬと呑み込まれてしまうぞ。――お前自身の魔物にな」
「な……っ」
年にそぐわぬ老成した口調。顔に似合わぬ酷薄な笑み。
だが、そんなことは気にならない。フォルスが口にした内容に比べれば。
「ほっ、本当ですか!? それはっ」
「違う! 嘘っぱちだ! ガキの言うことを信じるのか!」
逼迫した声で詰め寄るモノクル職員に、ローブの男は激しく首を振りつつ後退る。仲間の二人は動揺し、ぎこちなく視線を交わしあっている。
周囲のどよめきが増した。言っていることがバラバラで聞き取れないくらいで、皆の困惑が伝わってくる。
ディーノもその一人だ。が、どちらかと言えばその場の雰囲気に戸惑っているようである。アイーダとジーンは冷静だが、さっきよりも厳しい表情でローブの男を見据えていた。
――魔物に呑み込まれる。
その表現は比喩でも何でもない。魔物から奪った魔力を浄化せず身に宿し続けると、魔物の素とでも言うべきモノが、やがて人を魔物へと変えるのだ。
変貌はすぐには起きない。何年もかけて、じんわりと侵食していく。どこかで浄化すれば良い話なのだが、男のようにわざと溜め込む者がたまにいる。
その動機は、市場価格の高い時に魔力を売りたいとか、一度に大幅な自己強化を行いたいとかだったりする。後者は、一度に多くの魔力を取り込むとその分大きく成長するという迷信があるせいだ。
魔力は目に見えるものではない。放出して初めて限界が分かるものだ。まだ大丈夫と余裕ぶっていると、気づいた時には手遅れだったという事態が普通に起こる。
中には、浄化する手立てがないなどのどうしようもない場合もあるのだが。
「なんで俺が未浄化だってお前に分かるんだよ! 疑うなら証拠を出せっ」
ローブ男の反論に、それもそうだと周囲のどよめきが少し収まる。一度生まれた疑念はそうそう消えないが、反論としてこれ以上効果的なものもなく、ローブ男は笑みを取り戻した。
モノクル職員はそんな男とフォルスをじっと見つめている。
「へへ……っ。あるわけねぇよな。誰にも分かるわけねぇんだ。俺がどれだけ溜め込んでるかなんて――」
「ふむ。証拠か。なら、ほれ」
「へ?」
フォルスが軽く指を振る。
男が間の抜けた声を出すと同時に、彼の体から黒い靄のようなものが、
ぞわり、
と浮き上がった。
天井に吊り下げられたランプの明かりを遮って、それは集団の頭上へ雨雲のように広がる。
所内のあちこちで悲鳴が上がった。
正体は不明ながらも、黒い靄がよくないものであることを直感したのだ。日頃から魔物と戦う戦士たちだからこその素早い反応だ。
「あ、あ、ああああッ! 俺の、俺の力がああ!!」
「お前のではないわ」
フォルスは冷たく言い放ち、くるりと指で円を描く。
次の瞬間、黒い靄が凍りついた。
黒から蒼へ。
ただの氷ではない。透き通ったクリスタルに似た輝きが、恐慌に陥りかけていた人々の心を奪う。
美しい光景だった。
まるで、神話に聞く氷炎の時代を映し出したかのような。
「そらよ」
フォルスがぱちんと指を鳴らすと、氷は一斉に砕け散り、キラキラと魔導灯の明かりを反射しながら人々の上に降り注いだ。
破片は人々に触れる前に、ぽうっと淡く光って消える。
その全てが消滅した後、残ったのは元の石造りの味気ない部屋と、ぼけっと天井をみつめる大勢の戦士たちだった。
重い沈黙が落ちる。
一連の出来事を平然と眺めていたのは、〈千年氷柱〉の三人のみ。いや、フォルス以外の二人はさすがに少し呆れている。
「いつ見ても滅茶苦茶ね。うちのマスターは」
「自在に他人を魔力弱化できるとなると、相手にとっては恐怖だろうな」
二人のやり取りを耳にしたことで、ディーノはハッと我に返る。
「ステータスダウン?」
「あの男から出てきた黒い靄は、奴自身の魔力だ。フォルスは無理やりそれを抜き取り、消した」
「消した……? そんなことが出来るんですね」
感心した風に驚くディーノにアイーダは苦笑し、ジーンは小さく首を横に振る。
彼が浄化や魔力強化について知ったのは、王都に出てきてからだ。色んな知識を詰め込んだものの、まだまだ常識に疎いところがある。
「普通は出来ないよ。ま、マスターたちは次元が違うから」
たち?
また疑問が増えてしまった。が、それを聞こうとしたところで、突然の奇声が会話を遮った。
「ああ、ああああッ!! なんてことをしてくれたんだ! 俺の五年間の苦労がァ! バレないよう少しずつ貯めたんだぞ! どうしてくれる!?」
ローブの男が狂ったように目を剥き、全身を激しく震わせている。その怒りの矛先が向けられているのはフォルス。
大股で少年に詰め寄ろうとする男を、モノクル職員が止めようとする。だが、戦士でない彼に男を押し返す力はない。逆に突き飛ばされ、尻餅をついてしまった。新人の女性職員が慌てて駆け寄る。
男の目は真っ赤に血走っていた。
「貴様のようなガキには分からないだろう! 俺がどんな思いでアレを集めたか! 分からないんだ!」
「うるっさいのう。お前の考えなど興味ないわ。証拠を見せろと言われたから、見せてやったんじゃあないか。余計なものまで引き出してしまったがの。ククク」
「ッ!!」
突然、男の顔が真っ青に染まった。信じられないものを見るかのように目を見開き、ガクガクと激しく震えだす。
目の前の少年が常人でないことに、ようやく思い至ったのだ。気が昂ぶっていた時には気づけなかった強者のオーラが、今ははっきりと感じ取れる。
時既に遅し。
少年の言ったことは嘘ではない。自分の中から魔力がごっそりと抜き取られ、しかも元に戻らないことが男には理解できた。
長年の成果を「余計なもの」と言い切られたことは腹が立つが、それ以上に恐ろしい。
他人の魔力を操るなど、常軌を逸している。
コイツは、人の皮を被った化け物だ。
男は震える指を必死で持ち上げ、フォルスへ向けた。
「み、みんな……魔物だ、魔物がいる。ひ、人の形をした、化け物だ……!」
ダンッ!!
「ひぃっ!?」
悲鳴を発し、尻餅をつく男を見据えるのは――
「うちのマスターを魔物呼ばわりたぁ、いい度胸してるね?」
凶悪なハルバードを床に突き立てた鬼族の女と、
「力が欲しいなら訓練をつけてやる。いつでもかかってくるがいい」
刃のような双眸をした大剣使いの男。
強者たる二人の殺気に当てられ、力を失った男は泡を吹いて気絶した。
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「いやー、大変だったねー。まさか記念すべき初めての迷宮探索があんなことになるとは」
「正確には探索が終わった後、だがな」
〈千年氷柱〉本拠地の扉を開けるなり、アイーダが言葉とは裏腹のニコニコ笑顔で言った。彼女のセリフを几帳面に訂正したジーンは、大剣を背から外しカウンター席に陣取る。フォルスは途中の屋台で買った棒付きキャンディーをガリガリと齧りながら、ふかふかのソファにどっかりと寝そべった。
ディーノはと言えば、成り行きでここまでついてきたものの、完全に部外者のためドアの傍に所在無げに立ち尽くしている。
路面魔導車では赤髪と銀髪の目立つ二人に挟まれて、別の意味で縮こまる思いをしていた。外見もそうだが、二人とも持っている武器が背丈より大きいせいだ。本人たちは気づいていないのか全く意に介した様子がなかったが、かなり注目を集めていた。アイーダに話しかけられるたび、「あの一見普通そうな少年は何者だ?」という風な目を向けられ、ひたすら申し訳ない気持ちでいっぱいになったディーノである。
(すみません。ごく普通の田舎者です)
「あれ? ディーノくん、そんなとこで何してんの? ソファ座りなよ。こっちでもいいけど」
「はっ、はいっ」
アイーダが角瓶をカウンターの向こうから取り出しながら、親切にも声をかけてくれた。
心臓をバクバクさせ、ぎこちない動きでフォルスの向かい側に座る。少年マスターはなおもガリガリガリと飴を齧っていて、ディーノの方を気にする様子がない。
「ジーン、お茶淹れてよ。マカ爺、今日は夕方まで帰ってこないからさ」
「コーヒーしか淹れたことがない」
「じゃあそっちでいいよ。ディーノくん、お砂糖入れる?」
「えっ? はっ、はいっ」
田舎では砂糖など口にしたことはなかったが、勢いで頷いてしまう。頷いた後で、果たして甘えてよかったのだろうかと後悔の念がわくが、断る言葉も思いつかず、緊張の体で待ち続ける。
そんなディーノを、いつの間にかフォルスが胡乱な目で見ていた。
豆の香ばしい匂いが部屋に広がり始めた頃、ふう、とフォルスが溜息をついた。それが自分に向けられているような気がして、ディーノはびくりと体を強張らせる。
フォルスは起き上がり、にこりともしない顔を彼に向けた。
「さっきの連中はな、〈青十字〉というクランの者たちだ」
「は、はあ……」
「五聖教会お抱えのクランだ。と言っても聖職者ではないがな。教徒はいるだろうが」
「そうなんですか」
なぜそんな話題を初めたのか意図が読めず困惑するが、構わずにフォルスは続ける。
「五聖教会は俺たちに依頼してくることがちょくちょくあってな。大抵、連中の手に負えない強力な魔物の討伐依頼だ。〈青十字〉は攻略クランだからな。基本的に外には出ないのだよ」
「外、ですか?」
「おう。迷宮外のことを、この業界じゃあ単に外と呼ぶ。それくらいはお前も覚えておけ」
「は、はい」
よしよし、とフォルスは満足気に頷く。見た目は年下なのに不思議な人だなぁと、ディーノは目を瞬かせてそれをみつめる。
「〈青十字〉の連中は、それが気に食わないのさ。教会が自分たちよりも〈千年氷柱〉を重用しておると感じるのだろう。俺たちとしては教会に使われてやっとるつもりはないのだが。ともかく、運悪く奴らに遭遇するとああやってイチャモンをつけてくる」
「これが結構うざくてさー。あたしらの中でも特に目立つ人間に的を絞ってるみたい。つっても、ジーンやイオリちゃんみたいなヤバイのは避けるあたり、笑っちゃうよねー」
「俺も今日絡まれたが」
「あたしがいたからでしょうね。それに迷宮はあっちの縄張りだから、気がデカくなったんじゃない? はいディーノくん、お茶。じゃなくてコーヒー」
「あ。どうもありがとうございます。いただきます」
白磁のシンプルなカップを受け取り、ちょこんと頭を下げる。控えめに口をつけると、少し舌を焼くような熱さと共に、程よい酸味と苦味が口内に広がった。
死にかけた後初めて人心地がついたせいか、自然と吐息が零れる。
「美味しいです」
「そうか」
淡々としているが無愛想を感じさせないジーンの受け答えに、ディーノはふふっと笑った。
背は高いし無表情だし剣はデカイしで、無意識に警戒していたのが今はない。それはアイーダやフォルスに対しても同じだ。ディーノは自分と他者との間に溝を作り、決して越えてはならないものだと自分に暗示をかけていた。今も完全に解いたわけではないが、少なくとも彼らが敵ではないことを理解したようだった。
そうなると今度は別の疑問が湧いてくる。
ディーノは意を決して口を開いた。




