第一章 海賊船と軍艦.02
「船長、連れてきたっすよ」
面倒そうな声で『モヤシ』は少女を船長室に連れてきた。
モヤシというのはあだ名で、本名はラッセル。
若い操舵士ではあるが、若者らしい覇気もなく
いつも眠そうにしている青年である。
長身でひょろっとして日陰に生えてそうなので、
仲間内ではまんま『モヤシ』と呼ばれている。
「んー、ご苦労さん」
船長であるジーウィル=ポラリスは
髭をじょりじょりとなでながらおざなりに答えた。
ジーウィルはどうお世辞に言っても、腹の出た中年のおっさんである。
ずんぐりとした体格、そして何より目立つのが
まるで林かと見間違うくらいの黒い大きな髭。
遠い北の国では赤い服を来た白髭のおじいさんが
子供にプレゼントを配るというおとぎ話があるが、
そういった夢のある髭ではなく、
明らかに不摂生によるもじゃもじゃの髭である。
髪は程よく散髪しているのだから、
髭も手入れをした方がいいと誰しも思うだろう。
「ようこそ海賊船『オールド号』へ、お嬢さん」
身に纏っているのはほつれの目立つ黒いシャツ。
そして体を覆うのは少し仰々しいマント。
黄色帽子はツバが異様に大きい海賊帽子。
世間一般で想像される典型的な『海賊』のスタイルではあるが、
正直、こんな格好をしているのは海賊の流行らないこのご時勢、
ジーウィルくらいだった。
「……」
少女は特に何か言うこともなく、周囲を物珍しそうに見回していた。
どうやら船が気になるらしいが、海賊には興味もないらしい。
ジーウィルは視線で隣に立つメイツェンに「どう思う?」と尋ねると、
切れ目の副長メイツェンは肩を竦めるだけだった。
「お嬢さん、名前を聞いていいかな?」
少女は自分の名前を告げた。
「オーシャ」
ふむ、とジーウィルは考える。
オーシャと名乗った少女は歳で言うなら10代半ばといったところか。
ぼろぼろの身なりやボサボサの長い髪は、
漂流していたのだから判断材料にはならない。
(さて……)
小柄な体で、どちらかというと発育の悪い体つき。
少女を貴族か力のある商人の娘と考えるには無理があるだろう。
手持ちの物も一切なし、本当に身一つで流されていたようだ。
「オーシャ。姓は?」
「ないけど」
「生まれは?」
「知らない。けれどリーガ公国のネイスンで育った」
人の表情読むのが得意な副長メイツェンは
「嘘は言ってないようです」と頷いた。
予想はしていたが、リーガ公国民で姓がないということは平民だろう。
言い方と身なりから推測するに、孤児ということか。
それをどこかの家が小間使いとして使っている感じだろう。
どうやら、助けても特に一文の得にならない少女。
(しかし……)
少女は海賊に対しては関心はないようだが、
部屋の内装などは興味深そうに見回していた。
図太いのか、ただ状況を把握していない頭の悪い子なのか。
ジーウィルが気になるのは、妙に達観した態度。
大陸では珍しい燃えるような赤い髪と、なにより目を引くのが、少女の強い瞳。
ただそこにいるだけで不思議と、存在感がある。
神経質な副長メイツェンも彼女の態度を訝しげに見ていた。
まあ怪しむのは当然だろう。
いきなり少女が悪評名高い『海賊』の船に拾われたのだ。
普通であれば怯えるか、
あるいは過剰に警戒心をむき出しにするかのどちらかなのだから。
「エシア港で売ればどうすっか? 若いからデクスのとこなら買ってくれるでしょうよ。身代金とか助けてやった謝礼とか全く期待できんでしょうし」
モヤシがあくびを噛み殺しながら、提案してくるが
「えーワシさ。この子くらいの娘いるから、身売りに出すのはちょっと抵抗があるかなぁ」
ジーウィルは気乗りしない様子だった。
海賊船の船長だというのに、なんとも威厳のない物言いであるが、
これもいつものことだった。お人よしというか、暢気屋というか。
「っても、今回は獲物も取り逃しましたし、どうすんっすか? 大赤字じゃないっすよ。なら少しでも足しになるようにしないと」
彼の言っていることは間違ってはいない。
けれど、そこまで今は資金に困っていないのでジーウィルとしては
身売りとかは避けたいのだった。
さすがに自分の娘と同世代くらいの少女を売るのには抵抗がある。
海賊としてはお人よし過ぎるが。
その船長の態度をどう思ったのか、モヤシはポンッと手をうち
「あー、そういうことっすね? さすがにこの子の貧相な体つきじゃあさすがにデクスのところも買ってはくれないってことですか。まー、確かに俺でも全くそそらないっす」
ひらひらと手を振って言う。
オーシャが始めてモヤシに向き直った。
「ん? 事実っしょ?」
特に悪意があるわけでもない、単なる一言。
「ねえ、アンタさ」
少女がつまらなさそうに口を開く。
その後に起きたことは、海賊たちが全く想像できないことだった。
後々にジーウィルはこのことを振り返って語る。
――女性に、体つきのことを迂闊に軽んじてはいけない。
「貧相な体つきで悪かった……ね!」
キンッ。
「――っ!」
痛い音がした、モヤシの股間から。
容赦なくオーシャの足が蹴り上げられていたのだ。
「うわぁ」
ジーウィルはあまりの光景に、顔をしかめた。
言葉数が少ない副長メイツェンですら、「あー」と嫌そうな声が漏れていた。
男にとってそこはむき出しの内臓のようなモノ。
言葉にならない悲鳴が上がるのも無理のないことだった。
だが、オーシャがしたのは金的だけではなかった。
「……ふんっ!」
信じられないことに、華奢な腕でモヤシを抱えあげた。
いくら細見とはいえ大の大人を抱えるにはどれほどの怒りが必要なのか
「あっ……ちょっと、オーシャ君、何するつもりかな?」
恐る恐るジーウィルが尋ねると、オーシャはそこで初めて笑った。
「いいこと」
彼女は全力疾走をして、窓へ向かって走り出した。
咄嗟の判断力には定評のある副長メイツェンですら、
まるで反応ができなかった。
バリンッ!
「ぎぃああああああああああああああ!」
股間を押さえたまま動けないモヤシが、悲鳴を上げて窓から放り投げられた。
悲鳴が遠くなっていき、ドボンッと海に落ちた音が聞こえる。
甲板からは「誰か落ちたぞ!」「モヤシだ!」「やべぇあいつは海に落ちたら海藻と区別がつかねえぞ」「誰か早く拾いに行け!」という騒がしい声。
オーシャは何事もなかったかのように、先程の立ち位置に戻り、
「それで、私はどうなるの?」
船長に尋ねた。
あまりの出来事に、海賊船の船長であるジーウィルは
背中に流れる冷たい汗が流れているのが自分でもわかる。
その場で殺されてもおかしくない状況で、なんと大胆にして向こう見ずな蛮行。そして何より恐ろしいのは、海賊船のクルーを投げ捨てたというのに、
まるで海にゴミを捨てたくらいのことにしか思っていない、
少女の静かな目である。
怖いモノ知らず。色々と間違っている。
どうやら、オールド号は相当に面倒な拾い物をしてしまったらしい。
どんな時でも慌てない自信のある副長メイツェンも、
額に嫌な感じで汗が浮かんでいた。
「えーと、だね」
ジーウィルは、自分の娘はこんな乱暴者じゃないよなぁと思い出しつつ、
「とりあえず、エシア港まで送るけど、それでいい?」
海賊船の船長は、自分の娘くらいの少女に下手に出ていた。