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そして、八月二十五日。
慎吾は疲れ切っていた。
ひどく痛む頭の中をメチャクチャにかき回したい思いに駆られながら、慎吾は布団の上で、小刻みに震えていた。
今朝、出勤前の両親と朝食をとったときには、まだそうでもなかったのだが、やっと廃病院へ行けると安堵した瞬間から、急に全身が悪寒に包みこまれ、関節の痛みさえ出てきた足を、無理矢理に布団へと向けて、そのまま倒れ込んでしまった。
夏布団を上から被っても、まだ寒い。
突然、冬になってしまったのではないかというほどだった。
頭に続き、ノドにまで痛みが走る。
いて欲しくない時にずっといた両親が、いてほしいときに限って仕事という不運。それがなぜだかおかしくなってきて、無意識のうちに笑みがこぼれた。
しばらく震えながら、なにも考えることもできずにボウッとしていると、庭に面した掃き出し窓を、だれかがコンコンと叩く音が聞こえた。
布団から顔を出して壁掛け時計を見ると、すでに十二時を回っていた。
四時間以上も横になっていたのか、と思いながらふたたび窓を見ると、横並びの三つの人影が、引かれた水色のカーテン越しにくっきりと浮かび上がっていた。
朦朧としながらそれをボウッと眺めていると、左の人影がふたたび窓を叩き始めた。
夢か現かも分からないまま立ち上がり、重い体をようようのことで窓まで進めてカーテンをゆっくりと開けると、窓越しに直人、ワチコ、そして奈緒子の姿があった。
半ば予想しながらも、実際に目の前にその光景があると、逆にどうすればいいのか分からない。
慎吾は、違和感のあるノドを恨めしく思いながら、ひとつ咳払いをして窓を開いた。
「よお、チャー、なにやってんだよ?」
慎吾の様子を気にもかけずに、あっけらかんとたずねる直人。
「う、うん、ごめん。夏風邪ひいちゃったみたいでさ」
「大丈夫?」
夏風邪と聞いて、なぜか安堵したように吐息を漏らした奈緒子が、すぐに心配して労りの言葉をかけてくれた。
「でも四日も来ないなんて、どんだけひ弱なんだよ」
ワチコの、らしい言葉に胸が少しだけ温かくなる。
「ち、ちがうよ。夏風邪は今日、って言うか、さっきからだからね。昨日まではお父さんとお母さんが休みだったりして、行けなかったんだ」
「ふうん、まあいいけど」
興味もないといった様子の直人は、部屋の中を物色するようにのぞき込んだ。
「あの、花火の日さ、行けなくてごめんね」
気がかりでしょうがなかったことを詫びると、奈緒子が首を横に振って、
「いいよ、そんなこと気にしないで。それよりチャーの風邪のほうが心配だよ」
と心細げに微笑んだ。
「これからどこかに行くの?」
「ううん、べつにどこも行かないよ。チャーが四日も来ないから、ちょっと気になって来てみただけだから」
「そ、そう。ありがとう。でも今日も、ちょっと一緒に遊べなさそうだよ」
「うん、分かってる。早く治してね」
「うん」
「じゃあ、もう行こうぜ。デブに風邪をうつされるのもイヤだし」
「そうだな。じゃあ、早く風邪治せよ。チャーがいないと面白くないからさ」
「う、うん」
直人とワチコが庭を出て行っても、まだ奈緒子は目の前に立って、慎吾を心配そうに見上げていた。
「奈緒子も行きなよ。ホントに風邪うつしちゃうよ」
「……うん。無理しないでね」
そう言って庭を出て行った奈緒子の、バラの残り香が鼻をくすぐり、慎吾は大きなクシャミをした。
久々に会った三人が、自分の病状を気にかけてくれたことが嬉しかった。
あの日、行けなかった本当のワケを奈緒子に言うことはできなかったが、これで一応の赦しをえたのではないだろうか。
そう思って気を抜くと、すぐにまた全身を悪寒に覆われた。
慎吾はまた布団に戻り、奈緒子の笑顔を何度も頭の中に描いているうち、そのままゆっくりと深い眠りに落ちていった。




