表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ベルカ  作者: 柿内彦左衛門


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/9

序夜 プロローグ

初めての作品となります。

この物語を、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。

  プロローグ


 暖炉の火が、ぱちりと小さく爆ぜた。


 窓の外では、冬の風が屋敷の壁を撫でている。夜は深く、空には星が瞬いていた。けれど部屋の中はあたたかく、古びた椅子に腰かけた老婆の膝元には、まだ眠る気配のない子供たちが集まっていた。


「おばあさま、つづき」


「白い神さまのお話?」


「魔王が来たところから!」


 老婆は、くすりと笑った。


「そう急くでない。物語というものはの、急いで聞くと大事なものを取り落としてしまうものじゃ」


 そう言って、老婆は膝の上に置いた古い本を撫でた。


 擦り切れた表紙。色褪せた金の装丁。そこには、もう今の世では正しく読める者も少ない古い文字が刻まれていた。


 老婆はその本を開かず、まず暖炉の火を見つめた。


 揺れる火の奥に、遠い遠い昔を見るように。


「昔々のことじゃ」


 子供たちが、ぴたりと黙る。


「今よりずっと豊かな時代があった。人は星の海を渡り、空を自在に飛び、大地には輝かしい文明が花開いておった」


 老婆の声は静かだった。


 それは子守唄のようであり、祈りのようでもあった。


「夜でも街は昼のように明るく、遠く離れた者同士が顔を見て話し、病はたちどころに癒やされ、空を行く船が国と国を結んでおったという」


「空を行く船?」


「そうじゃ。大きな船が、雲の上を渡っておったそうな」


 子供たちが目を丸くする。


 老婆は微笑み、それから少しだけ声を落とした。


「それはそれは栄えた、夢のような時代じゃった。誰もが、明日も同じ朝が来ると信じておった」


 暖炉の火が、また爆ぜた。


「けれどある時、突然に夜が来た」


 部屋の空気が、ほんの少し冷えたように感じられた。


「大陸の中央、千年を祝う大きな式典の日じゃった。王も、貴族も、学者も、司祭も、多くの民も集まり、空には祝砲が上がり、都には歌が満ちておったという」


 老婆は、ゆっくりと本を閉じた。


 そこから先は、本を読んでいるのではない。


 語り継がれた言葉を、胸の奥から取り出すように語っていた。


「その時じゃ。空が裂けた」


 子供の一人が息を呑む。


「青かった空に、黒い傷が走った。はじめは細い線じゃった。それが、みるみる広がり、空そのものが割れていった。割れ目の向こうには、星も太陽もない。ただ赤黒い光と、底の知れぬ闇があったそうじゃ」


「そこから、魔王が来たの?」


 老婆は、ほんのわずかに間を置いた。


「そう伝わっておる」


 その声には、子供たちには分からない重みがあった。


「裂け目より現れたのは、異形の軍勢じゃった。角を持つ獣、翼ある蛇、鉄を喰らう虫、人の言葉を真似る影。見たこともない魔物どもが、雨のように降ってきた」


 老婆の声が低くなる。


「都の塔は折れ、街路は炎に沈み、空を飛ぶ船は黒い煙を引いて墜ちた。叫び声は鐘の音をかき消し、祈りは轟音に飲み込まれた。昨日まで市場で笑っていた者が、今日には瓦礫の下で名を呼び続けた」


 子供たちは、もう何も言わなかった。


「大陸の三分の一が業火に包まれた。海は赤く染まり、森は灰となり、夜になると地平線の向こうまで火の色に輝いたという。人々は嘆き、悲しみ、絶望の淵に立たされた」


 老婆は、膝の上の手を重ねる。


「神はどこへ行ったのかと、天に向かって叫んだ者もおった。なぜ我らを見捨てるのかと、涙を流した者もおった」


「神さまは、来てくれたの?」


 幼い声が問う。


 老婆は、静かに頷いた。


「その時じゃ」


 火が揺れた。


「創造神様が、一人の神を降臨させた」


 老婆の目が細められる。


「まだ幼い、白髪の神を」


 部屋に、沈黙が落ちた。


 子供たちは誰も動かない。


 まるでその白い神が、暖炉の火の向こうから現れるのを待っているかのようだった。


 老婆は小さく息を吐き、語りを続けた。


「じゃがの、最初から人々が救われたわけではない。白き神が現れてなお、戦は長く続いた。町は焼かれ、国は倒れ、勇士たちは幾度も敗れた。人はあまりに多くを失い、世界はあまりに深く傷ついた」


 そこで老婆は、初めて本を開いた。


 古い紙の匂いが、暖炉の熱に混じる。


「今宵は、その白き神が、最後の反撃に出た夜の話をしよう」


 子供たちが、身を乗り出す。


 老婆の声が、少しだけ変わった。


 遠い昔話の調子から、舞台の幕が上がる前のような響きへ。


「よく聞くのじゃ。ここから先は、ただの伝承ではない」


 老婆は、火を見つめた。


「世界が滅びかけた、その戦場にいた者たちの話じゃ」


     ◇


 暗転。


 遠く、砲声。


 赤い照明が、雲のような煙を照らす。


 舞台奥、傾いた戦術盤。光点の多くは消え、残ったものも明滅している。


 兵士たちは走る。伝令は叫ぶ。技師は血のついた手で端末を叩き続ける。


「第三防衛線、沈黙!」


「南部軌道砲、応答ありません!」


「敵性群、なおも増大! 門より第二波、第三波、連続して出現!」


「避難民収容区画、限界です!」


 怒号が重なる。


 誰かが祈り、誰かが罵声を吐き、誰かが声を失って膝をつく。


 舞台中央。


 少年が立っている。


 白い髪。


 赤い瞳。


 細い身体に、戦場の光が落ちている。


 その姿は幼い。


 けれど、誰も彼を子供として扱わない。


 彼の前に広がる戦術盤には、大陸の地図と、そこに刻まれた無数の赤い傷が映っていた。


「殿下」


 副官が声をかける。


 声は震えていない。震えないようにしている。


「各戦線、持ちません。現有戦力では、これ以上の遅滞は不可能です」


 少年は答えない。


 戦術盤を見ている。


 その目は、燃える都市を見ていた。墜ちていく艦を見ていた。逃げ遅れた民を見ていた。門の向こうから這い出る異形を見ていた。


「民間区の転送は」


「七割です」


「遅い」


「申し訳ありません」


「謝らなくていい。残りを三分で終わらせろ」


「三分……ですか」


「できる」


 少年は淡々と言った。


「俺が三分稼ぐ」


 その場にいた者たちが、一斉に顔を上げた。


 幕の外から、低い振動音。


 艦が動く音。


 舞台左右に、青白い光が走る。


「ミッドランド級、前へ!」


「ローランド級、砲門開け!」


「機動騎士隊、発進準備完了!」


「第一から第七まで、全隊出せ!」


 声が重なる。


 その中で、一人の老将が前へ出る。


 鎧の肩は砕け、額には血がにじんでいる。だが背筋は曲がっていない。


「殿下」


 ファーランド卿である。


 少年は、彼を見た。


「まだ出られるのか」


「無論にございます」


 ファーランド卿は笑おうとした。


 しかし、その顔は笑いにならなかった。


 彼の艦は傷だらけだった。主砲の半数は沈黙し、右舷装甲は裂け、艦内には負傷兵があふれている。それでもなお、艦は戦列に残っていた。


「我が艦はまだ沈んでおりません。ならば、戦えます」


「駄目だ」


 少年は即答した。


 その短い言葉に、周囲が凍る。


 ファーランド卿の表情が、わずかに歪んだ。


「殿下」


「お前には戻ってもらう」


「なぜです」


「命令だ」


 ファーランド卿は拳を握った。


 悔しさが、怒りよりも先に出ていた。


「我が身を惜しむと、お思いですか」


「思っていない」


「ならば、なぜ」


 少年は一歩、彼に近づいた。


 白い髪が、赤い警報灯に染まる。


「ファーランド」


「はっ」


「勝手を許す」


 その言葉は、静かだった。


 だが、戦場の喧騒の中で、不思議なほどはっきりと響いた。


 ファーランド卿は息を止める。


 勝手を許す。


 それは、主君が忠臣へ与える最大の信頼だった。


 同時に、戦列を離れることを許す言葉でもあった。


「……万一に備えよ、ということですな」


 ファーランド卿が低く言う。


 少年はすぐには答えなかった。


 ただ、まっすぐに老将を見ていた。


 そして、ほんの少しだけ目を伏せる。


「すまない」


「殿下?」


「お前に、死に場所を与えてやれない」


 ファーランド卿の顔が強張った。


 それは侮辱ではなかった。


 慰めでもなかった。


 この戦場で死ぬ覚悟をとうに済ませていた男に対し、その覚悟ごと抱えて生き残れと言う、あまりにも残酷な命令だった。


「お前には、生きて戻ってもらう。俺が帰らなかった時、残る者たちを頼む」


 ファーランド卿は、何かを言おうとした。


 だが言葉にならなかった。


 老将の拳が、かすかに震える。


「……娘には」


 絞り出すような声だった。


 その場の誰もが、息を止めた。


 ファーランド卿の娘。


 少年の婚約者。


 この戦場にいない、けれど誰よりもこの命令の意味を知ることになる少女。


「娘には、なんと伝えればよろしいのでしょうか」


 少年は、すぐには答えなかった。


 戦術盤の赤い光が、白い髪を染めている。


 やがて彼は、老将をまっすぐに見た。


「必ず戻る」


 それだけだった。


 慰めも、誓いの言葉も、飾りもない。


 ただ一つ。


 戻る、と。


 ファーランド卿は目を閉じた。


 その言葉が、どれほど重いものかを知っていた。


 この少年は、できぬ約束を軽々しく口にしない。


 だからこそ、それは希望であり、呪いでもあった。


「……承知いたしました」


 やがて彼は、深く、深く頭を下げた。


 無念がある。


 悔恨がある。


 それでも彼は命令に従う。


 なぜなら、それが託された者の役目だからだ。


「ファーランド艦、反転!」


「領地防衛航路へ移行!」


「負傷者を収容しろ、急げ!」


 傷ついた巨艦が、ゆっくりと戦列を離れる。


 その艦尾から、白い発光信号が三度放たれた。


 集結。護衛陣形へ移行。


 敗走ではない。託された者を連れて戻るための、任務転換だった。


 散っていた護衛艦が、煙を引きながら一隻、また一隻と針路を合わせる。


 最後に、艦橋灯が一度だけ白く瞬いた。


 それは戦場に残る少年へ向けた、言葉なき敬礼のようにも見えた。


 その背を、少年は見送る。


 副官が小さく問う。


「よろしかったのですか」


「いい」


「殿下は、何をお命じになったのです」


「帰れと言った」


 少年は戦術盤へ向き直った。


「ただ、それだけだ」


 轟音。


 門がさらに広がる。


 赤黒い光が舞台全体を染める。


「敵性巨大個体、出現!」


「門の中心部に反応! 相手側に維持装置らしき構造体を確認!」


「こちら側にも固定装置あり! 双方向から門を維持しています!」


 副官が叫ぶ。


「殿下!」


 少年は頷いた。


「全艦隊へ通達」


 通信士が姿勢を正す。


「これより反撃に移る」


 一瞬。


 戦場の音が止まったように見えた。


 次の瞬間、すべてが動き出す。


「機動騎士隊、突入準備!」


「ミッドランド級、主砲照準!」


「ローランド級、側面展開!」


「門内観測、安定しません!」


「構わない。道を作れ!」


 少年の声が響く。


「まず相手側の維持装置を壊す。機動騎士隊、俺に続け」


「御意!」


「白銀の御旗に続け!」


「殿下と共に!」


 舞台上、機動騎士たちの影が次々に浮かぶ。


 人の形をした鋼の群れ。


 その胸に、それぞれ小さな光が灯っている。


 門の向こうは赤い。


 空も、大地も、海さえも赤黒く濁っている。


 異形が群れを成し、門を守るように蠢いていた。


「突入!」


 少年の機動騎士が先頭を駆ける。


 その背に、数えきれぬ鋼の騎士が続いた。


 暗転。


 閃光。


 剣戟。


 爆炎。


 異世界側の戦場が、舞台いっぱいに広がる。


「第一中隊、消失!」


「第二、第三、前へ!」


「右側面、敵性群突破!」


「押し返せ!」


「維持装置まで、あと二千!」


 鋼の騎士が倒れる。


 また倒れる。


 それでも進む。


 一機が盾となり、後続を通す。


 一機が敵を抱えたまま爆ぜる。


 一機が脚を失いながらも砲を撃つ。


 少年の機体は、その最前線にいた。


 白銀の装甲は傷つき、片腕は砕け、背部推進器は火花を散らしている。


 それでも止まらない。


「殿下、前方!」


 巨大な構造体。


 門をこちらの世界へ縫い止める、醜悪な杭。


 その周囲を守る異形の群れへ、機動騎士たちが殺到する。


「装薬、全機接続!」


「固定完了!」


「殿下、離脱を!」


「全機、後退!」


 少年の声と同時に、最後の部隊が装置から離れる。


 離れきれなかった者もいた。


 それでも、誰も止めろとは言わなかった。


「起爆!」


 光。


 相手側の維持装置が、内側から崩壊した。


 門が震える。


 異世界の空が裂ける。


「相手側維持装置、破壊確認!」


「門、片側固定解除!」


「帰還路、不安定です!」


「戻るぞ!」


 残った機動騎士たちが、門へ向かって反転する。


 背後では、異世界が咆哮していた。


 逃がすまいとするように、赤黒い嵐が彼らを追う。


 一機、また一機と飲まれる。


 それでも、白銀の機体は門を抜けた。


 続いた者は、あまりに少なかった。


     ◇


「帰還確認!」


「機動騎士隊、残存機、集計不能!」


「門のこちら側維持装置、露出!」


「ミッドランド級、照準完了!」


 少年は息をついた。


 だが、休む間はない。


 正面には、こちら側の維持装置。


 それがまだ、門をこの世界へ繋ぎ止めている。


「撃て」


 少年が言った。


 ミッドランド級の主砲が火を噴く。


 白い砲光が、門の根元へ突き刺さる。


 こちら側の維持装置が砕けた。


 門は大きく揺らぎ、形を保てなくなる。


 だが同時に。


「アークライト、所定位置へ!」


「船体角度、直上!」


「重力制御、最大!」


 巨大な船が、門の上へ立った。


 まるで天から落ちた黒い柱のように。


 船体の周囲に、無数の光点が現れる。


 エーテル複合弾。


 一つひとつの弾体の周囲に、魔法陣が展開される。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 四枚。


 五枚。


 幾重にも重なった魔法陣が、夜空を埋め尽くした。


「複合弾、全弾展開!」


「魔法陣、重層固定!」


「門の向こう側へ照準接続!」


「まだ撃つな」


 少年は言った。


「完全に口を開かせてから叩き込む」


 その時だった。


 門の奥で、闇が動いた。


 異形の群れが退く。


 赤黒い光の中から、それが現れる。


 人ではない。


 獣でもない。


 神と呼ぶにはあまりに穢れ、魔王と呼ぶにはあまりに古い。


 それは門を押し広げるようにして、こちら側へ這い出てきた。


 戦場にいた全ての者が、声なき笑いを聞いた。


「敵性神格反応!」


「門より出現!」


「殿下!」


 少年は、操縦桿を握り直した。


「ここで決着をつける」


 白銀の機動騎士が前へ出る。


 邪神が腕を振るう。


 空間が曲がる。


 少年は避けた。


 速すぎた。


 彼の反応に、機体が追いつかない。


 鋼の関節が悲鳴を上げる。


 遅れた一瞬。


 邪神の一撃が、機動騎士の胸部を抉った。


 コクピット付近が大破する。


 警報。


 火花。


 血。


「殿下!」


 白銀の機体が地に落ちる。


 装甲が割れ、内部から赤い光が漏れる。


 誰もが息を呑んだ。


 だが、機体の胸部装甲が内側から押し開けられた。


 少年が出てくる。


 白い髪は血に濡れていた。


 片腕はだらりと下がり、脇腹からは赤いものが流れている。


 それでも、彼は立っていた。


 邪神が笑う。


 少年は右手を下げたまま、静かに息を吐いた。


「来い」


 空間が裂ける。


 黒い鞘。


 黒い柄。


 闇を凝らしたような妖刀が、少年の腰に現れる。


 少年は、その柄に手を添えた。


 邪神が動く。


 世界が軋む。


 時間が伸びる。


 その場にいた者たちは、少年が刀を抜く瞬間を見なかった。


 抜刀の音すらなかった。


 ただ、気がついた時には。


 黒い刃が、すでに鞘から抜かれていた。


「落とし前をつけてもらう」


 少年は、そう言った。


 邪神の理が断たれる。


 邪神の縁が断たれる。


 この世界との繋がり。


 向こうの世界との繋がり。


 存在を存在たらしめる全ての筋が、一本残らず斬られた。


 邪神は崩れなかった。


 爆ぜもしなかった。


 叫びもしなかった。


 ただ、最初から存在しなかったもののように、消えた。


 少年は血を吐きながら振り返る。


 そして、叫んだ。


「複合弾、全弾放て!!」


 夜空を埋め尽くしていた魔法陣が、一斉に輝いた。


 無数のエーテル複合弾が、門の向こうへ降り注ぐ。


 光の雨。


 星の逆流。


 それらは崩壊しかけた異世界の奥深くへ突き刺さり、連鎖し、膨れ上がり、世界そのものを内側から焼き尽くした。


     ◇


「命中!」


「敵性世界、連鎖崩壊!」


「門、閉鎖を開始!」


「殿下を回収しろ!」


 二機の機動騎士が飛び込む。


 大破した白銀の機体ごと少年を抱え上げる。


 医療班が駆け寄る。


 止血。


 固定。


 薬剤投与。


 だが、誰も十分な処置などできない。


 時間がない。


「作戦司令室へ!」


     ◇


 薄暗い作戦司令室。


 無数のモニター。


 黙々と働く部下たち。


 その中央に、血に濡れた少年が運び込まれる。


「殿下、意識は!」


「ある」


 少年は短く答えた。


 声は掠れていた。


 それでも、戦術盤を見た。


「門は」


「閉鎖中です。ただし、速度が足りません」


 副官の声が沈む。


「このままでは、向こう側の世界崩壊の余波がこちらへ漏れます。大陸規模で被害が出ます」


 少年は、目を閉じた。


 一秒。


 二秒。


 そして開く。


「アークライト前面にシールド展開」


「殿下」


「全出力で船体を押し付けろ。門に蓋をする」


 司令室が静まり返った。


 その命令が何を意味するのか、誰もが理解していた。


「……了解」


 副官が答える。


 声は震えていなかった。


 震えないようにしていた。


「全シールド、前面展開!」


「重力制御、最大!」


「船体固定!」


「門へ圧着します!」


 艦橋内のシールド制御盤に、青いゲージが走る。


 八十。


 九十。


 百。


 限界値。


 それでも針は止まらなかった。


 警告音が鳴り響く。


 制御盤の表示が赤く染まる。


『SHIELD OUTPUT LIMIT』


『LIMIT EXCEEDED』


『OVERRIDE MODE』


 ゲージは最大値を超えたまま、なお上がり続ける。


「シールド、規定値突破!」


「制御系、オーバーライドモードへ移行!」


「安全装置、全解除!」


「構わない!」


 副官が叫ぶ。


「押し込め!」


 巨大な船体が、門へ押し付けられる。


 青白いシールドが、崩壊の余波を受け止めた。


 空が白く焼ける。


 海が逆巻く。


 大地が震える。


 シールドは割れない。


 ひびひとつ入らない。


 ただ、その内側で船体が悲鳴を上げていた。


「船首表層、溶解開始!」


「外殻第一層、融解!」


「第二層、熱変形!」


「シールドは維持しています!」


「構造材が先に焼けています!」


 アークライトの先端部が、白い熱に包まれていく。


 表層装甲が溶け、流れ、光の中へ剥がれていく。


 それでも船は退かない。


 その時、門の周囲に影が現れた。


 巨大な翼。


 古き鱗。


 長い角。


 古竜たちだった。


「古竜群、出現!」


「門周辺に結界を展開しています!」


「被害を抑えるつもりです!」


 少年が目を見開く。


「やめろ」


 誰も答えない。


 古竜たちは結界を張る。


 幾重にも、幾重にも。


 崩壊の余波を受け止めるために。


「やめろ!」


 少年が叫ぶ。


「お前たちがやる必要はない! 下がれ!」


 その声に、一柱の古竜が振り返った。


 黄金の瞳が、司令室のモニター越しに少年を見る。


 声は聞こえなかった。


 けれど、その口が動いた。


 これぐらいのことは、させてもらおう。


 少年の顔が歪む。


「馬鹿野郎……!」


 古竜たちは退かなかった。


 門が閉じていく。


 アークライトのシールドが余波を受け止める。


 船体先端部が溶け落ちていく。


 古竜たちの結界が、一枚、また一枚と砕ける。


 一柱が光に呑まれた。


 また一柱。


 さらに一柱。


 それでも、古竜たちは退かない。


 強い閃光が世界を満たした。


 音が消える。


 色が消える。


 時間すら、そこで止まったように見えた。


 そして。


 門は閉じた。


 世界は守られた。


 だが、アークライトは消えていた。


 少年も。


 古竜たちの多くも。


 白い光の向こうへ、すべて飲み込まれた。


 後に残った古竜は、六柱だけだった。


     ◇


 老婆は、そこで語りを止めた。


 暖炉の火が静かに揺れている。


 子供たちは、誰も言葉を発しなかった。


 やがて、一番幼い子が小さく尋ねる。


「白い神さまは、死んじゃったの?」


 老婆はしばらく黙っていた。


 そして、ゆっくりと首を横に振る。


「さてのう」


「知らないの?」


「物語には、すぐに答えを言ってはならぬ夜もある」


 老婆は微笑んだ。


 その目は、少しだけ濡れているようにも見えた。


「今宵はここまでじゃ」


「ええー!」


「つづき!」


「明日の夜も!」


 子供たちが騒ぎ出す。


 老婆は笑い、ひとりひとりの頭を撫でた。


「よい子にしておったら、また話してやろう」


 子供たちは不満そうにしながらも、やがて使用人に連れられて部屋を出ていく。


 扉が閉まる。


 暖炉の前に、老婆だけが残された。


 彼女は膝の上の古い本を閉じる。


 表紙には、擦り切れた文字があった。


 もう誰も正しく読めない、古い時代の文字。


 老婆はそれを指先でなぞり、小さく呟いた。


「……あの夜、本当に何が起きたのか」


 火が揺れる。


「わしらが知るのは、きっとまだ、物語の影にすぎぬのじゃろうな」


 遠く、夜風が窓を叩いた。


 そして、世界を救った白き少年の物語は、静かに次の夜を待つ。

気合を入れて、設定もかなり盛り込んで書いてみました。

不定期更新になるかと思いますが、温かくお付き合いいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ