Ⅴ.隠された熱情
店の片付けをしようとすると、自然と人が集まってきた。
チラシを見て来てくれた親子、通りすがりの見物客、同じ並びで出店していた商売仲間達――みんなが、「手伝わせて」と声をかけてくれた。
領主の横暴に怒りを露にする人もいれば、ルドさんの登場にスカッとした!と笑う人。
なかには、彼の“死神姿”にときめいていた女性までいて――その人気っぷりに、なんだか胸の奥がちくりとした。
でも、それより何より――子供達の素直な声が、胸を温かくしてくれる。
「おねえさんのおかし、かわいくてすてきだったのに、ぜんぶ、ぐちゃぐちゃになっちゃったね」
「……うん、ごめんね。でも、ありがとう。また作ったら……食べてくれるかな?」
「うん!」
にこっと笑ったその顔が、無性に嬉しかった。
けれど、ぐちゃぐちゃに潰れてしまったお菓子の残骸を見ると、やっぱり切なくなる。
せっかくみんなに喜んでもらえたのに、もっと届けたかったのに。
「おねえさん……だいじょうぶ……?」
ふいに涙が零れそうになった時、後ろから肩を引かれる。
振り返ると、そこにはルドさんが立っていた。
彼はいつの間にか仮面をつけ直していて、けれど声は、うんと優しかった。
「お姉さんは、私が責任を持ってお家へ送り届けます。安心して。冥府には、連れていかないから」
冗談めかして笑う彼に、子供達は「へんなのー」と言いながら笑って手を振ってくれる。
ルドさんは衛兵に片付けを引き継ぐよう指示すると、そっと私の手を取って、店までの道を歩き出した。
「ルドさん……ごめんなさい」
「……何がですか?」
「せっかく、色々してくださったのに……全部ダメにしちゃって……」
「それは、あなたのせいではないでしょう。むしろ謝るべきは、私のほうですよ。もう少し早く駆けつけられたらよかった」
「そんなことないです! ルドさんは、たくさん私を助けてくれました。なのに……私、何も返せてなくて」
唇を噛み、ぐっと視線を落とす。
「本当は……ルドさんに食べて欲しかったんです。今日のために作ったお菓子。あなたに渡したかった。……ちゃんと、気持ちを返したかったのに」
その時、ルドさんがふと立ち止まり、こちらを振り返った。
「――トリック・オア・トリート」
「……えっ?」
思わず聞き返すと、仮面の奥から、柔らかな声が届いた。
「お菓子をもらえないなら、いたずらをする。……あれは、ハロウィンの掟ですよね?」
「え、えっと……いま手元にお菓子はなくて……。お店に戻ったら、すぐになにか――」
「だめです。今すぐください」
「えぇ!? え、今……?」
狼狽える私を前に、ルドさんはさらりと、とんでもないことを口にする。
「……あなたを、ください」
「っ……え?」
思考が一瞬で止まった。
「お菓子の代わりに言っているわけではありませんよ。あなたが私のために作ってくれたお菓子が食べられなかったのは、正直とても残念ですが――」
一拍の沈黙を挟み、彼は静かに告げる。
「……私は、あなたが欲しい。あなた自身を、私にください」
胸の奥で、鼓動が跳ね上がる。
「くれないのなら……そうですね」
仮面の奥で、確かに微笑んだ気配がした。
「――いたずら、するしかありませんね?」
「っ……!?」
冗談か本気か、判別がつかない。
けれど頬は熱くなり、言葉が出なかった。
ルドさんの声はいつだって静かで優しい。なのにどうして、こんなにも心をかき乱すのだろう。
――本能が「真に受けてはいけない」と警告を鳴らす。
少しでも平静を取り戻したくて、わざと突き放すように言ってしまった。
「……ルドさんでも、そんな冗談を言うんですね」
「え?」
「私を励まそうと、そんなことを言ってくれてるんですよね? ありがとうございます」
顔を見られないよう、先へ歩き出そうとした。
「ニーナさん」
「っ!」
次の瞬間、腕を引かれ、気付けば彼の胸の中にいた。
突然の抱擁に、心臓が壊れそうなほど跳ね上がる。
押し当てられた耳に、自分の鼓動がうるさいくらい響いた。
「……っ、ルドさん……?」
見上げれば、仮面越しでもわかるくらい真剣な眼差しが、真っ直ぐにこちらを射抜いてくる。
しばし言葉を紡がず、ただ私が逃げないか確かめるように、静かに腕を回される。
「……冗談に、しないでください」
掠れた低い声が耳を震わせた。
「私は、本気であなたが欲しいと思ってる」
耳元に落ちた囁きに、眩暈がするほど心が揺れる。
その言葉の真意を確かめたくて――
気付けば私は、彼の仮面へと手を伸ばしていた。
ルドさんは抵抗もせず、ただ静かに受け入れている。
本当は、赤く染まった自分の顔など見られたくなかった。
けれど――それ以上に、今はどうしても彼の顔が見たかった。
外した仮面の下に現れた瞳には、これまで一度も見たことのない熱が宿っていた。
演技や冗談などと切り捨てることは、到底できない。
「ルド、さん……」
「私はあなたに、嘘をついたことは一度もありません」
過去の記憶が一気に蘇る。
『私が“あなたを襲わない”保証は、どこにもありません』
『残念。あなたのケーキが毎日食べられるなら、それも悪くないと思ったのですが』
『……もっと危機感を持ってください。じゃないと、次は……こんなものじゃ済みませんよ』
『……私は、あなたが欲しい。あなた自身を、私にください』
すべて、本心だったのだとしたら――私は、自惚れてもいいのだろうか。
「……怖がらせたなら、離れます」
腕の力が緩んだ瞬間、反射的に指先が彼を掴んでいた。
離れてしまったら、もう二度とこの温もりに触れられない気がして。
「いや……じゃない、です」
小さな声が無意識にこぼれ、呼吸が止まる。
次の瞬間には、頬がさらに熱を帯びていた。
ルドさんは目を見開き、そしてふっと笑う。
「……いたずら、してもいいんですね?」
「へ!? いや、えっと……!」
からかう囁きに、火照りは限界を超える。
慌てて距離を取ろうとした私を、彼は逃がすまいと抱き寄せた。
仮面を外した彼の顔が、すぐ目の前にある。
息をするたびに、胸が痛いほど苦しい。
「ニーナさん……」
低い声が耳を震わせる。
唇が触れるか触れないかの距離で――ふっと髪に口づけが落ちた。
「ひゃ……っ」
思わず声がこぼれる。
耳元の囁きよりもずっと甘い感触に、全身が熱に染まっていく。
「これくらいのいたずらなら……許してもらえますか?」
いたずらなんて言葉で片付けられるはずがない。
頬に伝わる吐息も、肩越しに触れる唇も、あまりに真剣で――。
「……ずるいです、ルドさん」
涙が滲むほど胸がいっぱいになる。
でも、抗う気持ちはもうなかった。




