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第34章:正義の鞭


I. 海が秘めた切り札

激戦の数時間前――。

海岸を吹き抜ける潮風には、安らぎなど微塵もなかった。グループの肩には、あまりにも重い焦燥感がのしかかっていた。

「くそっ! このままだと到着が遅すぎる!」

ツバサはもどかしさに地団駄を踏んでいた。体長わずか三十五センチ、鶏の姿をした小さな鳳凰フェニックスは、言いようのない無力感に苛まれていた。小さな翼が空を叩く。

「で、どうするんだ、ツバサ?」ユカタが、絶望的に遠い水平線を見つめながら溜息をついた。

「空中輸送を考えたんだが……」小さな鳥は嘴を下げた。「この姿では力が足りない。二人を乗せて長距離を飛ぶなど、物理的に不可能だ」

キックが腕を組み、刻まれた皺の深い顔に暗い影を落とす。

「その通りだ。徒歩や通常の移動では、到着した時には戦いは終わっているだろう。……何か代案はあるのか?」

すると、彼らのすぐ頭上から、穏やかだが自信に満ちた声が降ってきた。

「まあ、俺がいるじゃないか。親父!」

ツバサが見上げると、そこにはホーネギョが立っていた。身長百六十センチの水の精霊は、三十五センチの「父」と並ぶと、なんとも滑稽な対比を成していた。白い長髪に縁取られた顔には水精特有の繊細な特徴があるが、その黄色い瞳と鋭い牙は、彼の野性味を裏切っていた。

「ん? 何か考えがあるのか、ホーネギョ?」

精霊は鋭い爪の指で、果てしなく広がる藍色の海を指差した。

「俺は水の精霊だ。周囲は海だらけだぜ。言いたいこと、わかるだろ?」

ツバサの丸い目が、閃きで輝いた。

「あぁ! そうか! 海流か……! お前の領域なら、どんな船よりも千倍速く移動できる!」

「アハハ、その通りだよ、親父!」ホーネギョの顔に大きく笑みが広がった。「先に行って突っ込んでいいか?」

ツバサは迷わなかった。その場で飛び跳ね、力強く頷く。

「あぁ、行け。お前を完全に信頼している。それに、俺の聖剣(聖なる武器)をお前が持っているなら、何があっても立ち向かえるはずだ」

水の精霊の胸に、誇りが満ち溢れた。

「期待に応えてみせるよ、親父!! じゃあな!」

流れるような動きで、ホーネギョは波間へと飛び込んだ。一瞬で彼はターコイズ色の影となり、猛烈な速さで波を切り裂き、背後に長い白い航跡を残した。

キックはその軌跡を見送り、小さな鶏に向き直った。

「本当に大丈夫か、ツバサ? 一人で行かせるのは危険すぎる」

「あぁ」ツバサは、息子が消えた水平線を見つめたまま答えた。「ルシアンと同じくらい信頼している。なんたって、俺の息子だからな」

II. 絶対零度の代償

戦場へ――。

緊張は極限に達していた。山をも砕く巨人を前にしても、ホーネギョの表情には帝王のような静寂が宿っていた。震え一つない。

「アハハ! たかだか『三つの大罪』程度で震えたりはしないぜ!」ホーネギョの声が荒野に響き渡る。「今日、仲間の一人も死なせないと親父に誓ったんだ。悪いけど、ルシアンたち、下がっててくれ!」

「しかし……一人でどうする気だ!?」ルシアンがその堂々たる態度に戸惑う。

「アハハ、気に入ったよ、そのガキ! 恐れ知らずだな!」テンコが剣の柄を握りしめながら笑う。

ホーネギョは一瞬だけ目を閉じ、ツバサの顔を思い浮かべた。

(親父……これはあんたのためにやるんだ。そして、フェニックス、あんたのためにも)

その神聖なる名を口にした瞬間、『傲慢』の罪が硬直した。重厚な鎧の下で、その巨体が張り詰める。

「なんだと!? フェニックスと言ったか!? 一介の精霊風情が、なぜその名を知っている!」

隣で『嫉妬』が血走った目で目を細める。

「待て……よく見ろ、『傲慢』。見覚えがないか?」

「あぁ!」『暴食』がサディスティックな光を宿して唸る。「昔、フェニックスの足元をうろついていた、あのちっぽけな精霊だ!」

重苦しい沈黙の後、『傲慢』の狂気的な笑い声が石を揺らした。

「ムムム……アハハハハハ!! そうか、お前か! なぜか知らんが運がいい! お前の首をへし折るのが楽しみで仕方がない!」

「アハハ、こっちはお前の魂を燃やし尽くして灰にするのが楽しみだよ!」ホーネギョは氷のような口調で言い返した。「来い、『正義の鞭』!」

ホーネギョの胸元から、耐え難いほどの黄金の光がほとばしった。あまりにも純粋で濃密な光が、周囲の闇を追い払う。その手の中に、聖なる炎を纏った一本の鞭が現れた。

「これが貴様らを葬る武器だ! フェニックスの聖なる遺物! この炎は肉を焼くのではなく、魂そのものを焼き尽くし、精霊を無へと還す!」

それでも大罪たちは怯まない。『嫉妬』が蔑むように笑う。

「ふん、綺麗なおもちゃだね。だが、本気で俺たち三人同時に相手ができると思っているのか?」

「さあな。ちょっと、温度を調整させてもらうよ。俺の水の体じゃ、この鞭の熱には耐えられないからな」

ホーネギョが深く息を吸い込む。周囲の大気が凍りつき、熱い砂の上に霜の結晶が形成される。彼の青い肌は色が薄れ、微かに赤銅色へと変貌し、毛穴からは蒸気が漏れ出していた。

「あぁ、これだ。これならいける。絶対零度まで体温を下げて、武器を安定させた。だが勘違いするな……この状態で無理をすれば、筋肉も皮膚も圧力に耐えきれず引き裂かれる。命を落とすだろう。制限時間は二十八秒。だが、安心しろ……十分すぎる時間だ!」

「待て、それは自殺行為だ――!」ルシアンが叫ぶが、ホーネギョは獲物から目を離さない。

「黙って見てろ、ルシアン! さあ、三人まとめて相手してやる!」

III. 二十八秒の猶予

ホーネギョは弾丸のように飛び出した。ありえない速度で腕を振るい、『正義の鞭』を放つ。黄金のエネルギーが三人を一気に捕らえようとうねる。

『傲慢』と『嫉妬』は超人的な反射神経で回避したが、『暴食』は巨体が仇となり、炎の鞭がその胴体に巻き付いた。

「アハハ! ジェットコースターの始まりだ!」ホーネギョが叫ぶ。

敵の重みをアンカーにして、精霊は独楽のように超高速回転を開始した。砂を掘り進むほどの遠心力。二人の大罪が助けに向かおうとするが、テツヤとテンコが金属音を響かせて行く手を阻む。

「おいホーネギョ、欲張りすぎるなよ!」テツヤがニヤリと笑う。

「ここは俺たちが抑えてやる、ガキ! 集中しろ!」テンコが援護する。

「うおおおお!」

最後の力を込め、ホーネギョが鞭のテンションを一気に解放した。凄まじい遠心力で、『暴食』の巨体は砲弾のように空へ打ち上げられた。音速を超えて雲を突き抜け、ステラ王国の境界線を遥か彼方へと消えていく。

「ふぅ……一人減った。あと二人!」鞭を握りながらホーネギョが荒い息を吐く。

間髪入れず、彼は『嫉妬』と戦うテンコの元へ飛んだ。

「アハハ、三人で遊ぼうぜ!」

ホーネギョはテンコの肩を飛び越え、鞭と打撃の嵐を浴びせた。冷たい拳で『嫉妬』の皮膚を絶対零度で凍らせ、聖なる鞭が魂を焼き刻む。

しかし、その体は激しく震え始めていた。赤銅色の肌が色を失っていく。

(くそ……時間が!)

「ちっ、二十八秒か!」

生存本能が働き、ホーネギョは三歩後ろへ跳んで距離を取った。肌は元の青色に戻り、長い白髪が優雅になびく。彼は膝から崩れ落ち、荒い息を吐きながら力尽きた。

「クソッ……まだだ……」筋肉が悲鳴を上げている。

「あとは任せろ、小僧。いい仕事だったぜ!」テンコが慰めるように言い、前に出た。「愛剣『イカリ』で交代だ!」

テンコは空を見上げた。

「さて、まだ午前九時三十四分か……。太陽光を十分に吸収できていないが、関係ない。俺自身のマナを直接ぶち込む!」

「あんた……何をする気だ?」ホーネギョが問いかける。

テンコは獰猛な笑みを浮かべた。

「よく見てろ。息を止める準備をな」

IV. 光の巨人の怒り

一瞬の跳躍で、テンコは朝日の映える空へと舞い上がった。

「ヴェラノヴァ!!」

ホーネギョと『嫉妬』が同時に見上げる。放たれる圧倒的な魔圧のせいで、テンコは神話の巨人のように巨大化して見えた。愛剣『イカリ』は太陽の欠片を打ち込んだかのように眩い輝きを放つ。ホーネギョの頬を、人生で初めての冷や汗が伝った。

「食らいやがれ、この『嫉妬』の罪が!」

破壊的な隕石のように、テンコが急降下する。ホーネギョは残った力を振り絞り、必死の回転で衝撃エリアから脱出した。

剣先が地面に触れた瞬間、暴力的な太陽フレアが平原を蹂躙した。純粋な炎と光のドームが『嫉妬』を飲み込む。その衝撃波だけで、離れていたホーネギョさえも砂の上を転がされた。

カタストロフの傍らで、『傲慢』とテツヤが髪をなびかせながらその光景を見守っていた。

「アハハハ! おお、素晴らしい! あっちと戦えばよかった!」『傲慢』が狂喜乱舞する。

「あぁ、俺を先に排除したいんじゃなかったのか?」テツヤが巨大な剣の柄に手をかけたまま挑発する。

「フン、その通りだ。だが、順番というものがある……まずはルシアンを砕く!」

ルシアンが一歩前に出た。その顔は硬く、瞳には冷徹な決意が宿っている。

「なら、二人同時に相手をしてもらう」

「アハハハ、その度胸がいい!」『傲慢』が百トンの刀に手をかける。「今度こそ、その大切な小さな精霊たちを呼び出せるんだろうな! そうでなきゃ、退屈で死んでしまうぞ!」

ルシアンは視線をそらさない。その体から、不可視だが重苦しいオーラが湧き上がる。

「……黙れ。一年間、彼らのことだけを考えてきた。だが、その空白の一年で、新しい魔術を習得した……『精神魔術メンタル・マジック』だ。まあ、傲慢で浅はかな貴様に、その繊細さは理解できまいがな」

侮辱に『傲慢』が激昂する。その殺気で空気が歪んだ。

「なんだと、この若造がァ!!」

怒り狂った『傲慢』が巨大な太刀を抜き放ち、山をも動かす勢いでルシアンへ襲いかかる。

火花と金属音が轟く。テツヤが間一髪でその一撃を受け止めた。その隙にルシアンが後退する。

『傲慢』がゆっくりと体勢を立て直す。純粋な悪意のオーラが彼を包んでいた。

「今度こそ……本気で楽しめそうだ」

「あぁ、そうだな」テツヤが不敵に笑う。

ルシアンは拳を握りしめ、体内魔力を魔力回路へと循環させる。精神の集中は極限。

「復讐の時だ。俺の精霊たちを取り戻す。何者も、俺を止められない」

三人の戦士が、嵐の前の静けさの中で対峙する。

『傲慢』との真の決闘が、今、始まった。


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