亜人の村
凍りついた空気、肌を刺す視線に晒される。
目の前にいる者だけではない、いつの間にか周囲を囲うようにそれらがいた。
「…テル、これはいったい…」
「こいつらは亜人。ここは亜人達の住む村だ。」
聞きたいことは山程あったがそれ以外の言葉が出てこなかった。
平穏とはとても程遠い空気に怖気づくことしかできない。
篝火が灯されそれらの姿が露わになる。
獣の面相はとても作り物には見えない。
灯りに照らされ牙が輝き、瞳には生気が宿る。
今にも襲いかかってきそうな睨む眼光が向いていた。
「テルてめぇどういうつもりだ!?」
「見ての通りだ。客人を連れてきた。」
亜人と呼ばれる彼が怒りをテルにぶつけるのも無理はない。
よくも平然とそんなことを言えるものだと肝が冷える。
周りを見てもこの場で異質なのは自分たちの方だ。
目の前にいる威勢のいい亜人は狼の面を持ち、周りを囲む各々もそれぞれに異なる部位を持つ。
蛇の体を持つ者、馬の下半身を持つ者もいる。背から翼が生えた者が木の上から見下ろしている。
それぞれが人間であり、人間でない。半人半獣の見た目を持つものそれら全部を亜人というのだろう。
道中のテルの言葉の意味が少しわかった気がする。
テルはここが亜人の村だと言った。
この村の住人ではないというテルの言葉からしても見えている通りここに人間はいないのだろう。
歓迎されるはずもない。実際、現状起こっていることを前にしたらなおのことだ。
そんなことはテルもわかっていたはずだ。
だからこそどうしてテルはこの村に自分を連れてこようとしたのかが気がかりだった。
周囲の亜人たちが動く様子もない。テルが信頼されているのか、それとも何かを待っているのか。
怒りを口にする亜人以外は行動を起こさない。問い詰められているテル自身も何事もないようにあしらうばかり。
膠着した場で奇妙な視線に晒され居心地を悪く押し黙っていた。
「ああ、ようやく来たか。」
何が?そう問うまでもなく何者かが近づいてくることはわかった。
大地を鳴らし影が近づく。眠りについていた獣は恐怖を抱え森の中へ逃げていく。
「もう……なんにでもなれだ……。」
枝葉の天幕が割れ満天の星空が大地を見下ろしていた。
圧倒され空を見上げたまま地面に座り込んだ。
覗く二つの大きな目玉に短い人生の終わりを予見する。
獣のような人間がいれば、森の木々より大きな人間もいる。
意外なほどに動揺はない。驚きはある、ただそれよりも諦めが強い。
「そんな顔すんなよナナシ、ようやく話ができるやつが来たってのによ。」
「名無し?それがぁお前さんの名前だってのかぁ?」
野太い声が周囲に響いた。
やはりこの名前は断っておくべきだったかもしれない。
頭上の巨人も周囲の亜人も驚いたような顔をしている。
後悔をしている場合ではないし文句を言っている暇もない。
近くにいるテルが目で訴えてきている。場は作ったぞとでも言いたげな満足げな顔をしている。
「――――これが済んだらいろいろと説明してもらうからな。」
小声で呟きながら立ち上がった。
「ああ、そのつもりだ。」
……どうやらここが自分の分水嶺らしい。
状況がどうあれテルに救われるのを決めたのは自分だ。
限られた選択肢でこの道を決めたのは自分だ。
「自分の名前は…ナナシだ。記憶がない、だから行き場所もない。迷惑なのは重々承知しているが…一晩でもいい、どうかこの身を村に置かせてください。」
緊張で上手く言葉が出てこなかった。心臓の音もうるさいくらいになっている。
下げた頭が中々上げられなかった。
なぜ誰もしゃべらないんだ。なにか間違ってしまっただろうか。
そんなことが頭の中で駆け巡った。
「――――ナナシか。……そうかい、天はまた妙な客人を寄こしたもんだぁ。」
「――――えっ!?」
巨人の優しい声で思わず顔を上げた。
「なぁに驚いた顔してやがる。頼み込んだのはお前さんの方だろうよぉ。」
「だが…しかし――――」
恐る恐る周囲を見渡した。
なんとなく空気感で察しはついていたが巨人の快い返答とは違い周囲の反応は様々だった。
少なくとも納得のいっていない様子の亜人が目の前に一人いる。
「自分には…記憶が無い。いい、のか?こんな得体のしれない人間を村に入れて…信じても、いいのか?」
「信じるともさぁ!それによぉ、聞くのはこっちの方だぁ。いいのかぁ?俺らみたいなのと一緒にいることを選んでよぉ。」
「それは…まぁ…こちらから頼んでいるのだし……」
恐れもある。戸惑いもある。それでも覚悟だけは決まっている。
「その答えだけで十分だ。あぁ、本当に十分なんだ。お前さんが記憶が無いってこともよぉくわかったことだしよ。」
テルもだがこの巨人といえあまりにすんなりと記憶が無いことを信じる。
都合がよくはあるのだがどうにも落ち着かない。
「まずは……その恰好をどうにかしてやらなきゃなぁ。ラント、お前さんの服を貸してやれ、丁度大きさもあうだろぉよ。」
巨人が誰かに向けて指示を出した。
それと同時にざわついたその場は一瞬で静寂に包まれた。
無神経だというわけではないのだろう。得体の知れない人間を快く迎え入れてくれたほどだ、無神経であるということはないはずだ。
目の前にいる亜人の殺気ともいえる怒りを見た。
ラントと呼ばれるその名が誰を指したものかはすぐに分かった。
「おい、テムズ。俺はまだこいつが村に入ることを認めてねぇぞ!」
「おぉ?そうなのか?おれぁとっくに話は済んでるもんだと思っとったがなぁ。でもよぉ、ラント。認めねぇって言ってこのナナシをそのまま村の外に追いやると?いやぁ、それをできねぇのはお前さんがよぉくわかってることだろぉよぉ。」
「だからってこいつを――――」
「お前さんがそこまで頑なにナナシを村に入れたがらねぇのもわかってるつもりよぉ。でもよぉ、ラント。認めてねぇのはおれぇも同じだ、おれぁお前さんのやり方をまだ認めてねぇよぉ。いいじゃぁねぇか、この村始まって以来の客人だぁ。それが人間だってんならぁ、おれぁそういう運命だって思いてぇ。」
静まり返ったその場の光景を前に本当に自分が村に滞在していいのかと疑問に思う。
向けられる怒りも、向けられる視線も、流れる涙の意味も何もわからない。
「許可が出たってことで、行くぞナナシ。」
テルに手を引かれ群衆の中を進んだ。
「テルちょっ!?い、いいのか…彼は……」
「いいっていいって。どうせいくら言ったって聞きやしねぇよ。」
木柵に囲まれた村に入り口はなく、木柵の間から体をねじ込ませ入るしかなかった。
中に入ると意外な広さに驚かされる。それと同時に隠せない違和感も感じていた。
木造りの質素な作りの家々が柵に添うように立ち並び、中央は何もなく開けている。
入り口もなく空は森の木々の枝葉も使い天幕のように囲まれていた。
人間、というより来訪者など想定していない作り、何もない村それが受けた印象だった。
その中の一つの家に導かれるまま入った。
「お、あったあった。予備があって助かったぜ。」
「あんなに毛嫌いされていたのに自分が着てもいいのだろうか?」
「ラントのことか?別に嫌われてるってわけでもないだろ?」
「どうだか……」
服を着ている合間に思い出す。
ラントと呼ばれるあの亜人の刺すような瞳が忘れられない。
暗闇の中で一際輝いたあの瞳が脳裏に焼き付いた。
「へぇ、案外にあってるじゃねぇか。」
「そりゃどうも。で、そろそろ教えてくれるんだよな?この村に連れてこられた意味を。」
「連れてこられた、とは随分な言いようだな。」
「とぼけないでくれ。自分にもそれくらいはもうわかる。」
右も左もわからずに村に滞在することを決めたのは自分だ。
だがその提案をしてきたのはテルだ。
村の存在も亜人のことも、そして亜人たちの反応を見るに人間が受け入れがたいものだということをテルは知っていたはずだ。
「まぁ約束だしな、話してやるよ。でも少し待て、役者が足りない。」
そう言って歩き出したテルの後ろについて歩いた。
「誰かに会いに行くのか?」
「テムズのところだ。さっきもいただろ?あのでけぇ奴。」
「ああ。彼も…亜人なのか?」
「そ、人間みたいな見た目だがあれでも亜人、巨人族って種族だ。あのでかい図体だから村じゃなくてあの大樹の根元を住処にしている。」
人間みたいだと言われても夜の暗さのせいで姿なんてまともに見えはしていない。
ただとてつもなく大きいことくらいしかわからなかった。
「これくらいは答えてくれよ、テル。さっき言ってたエンドコンテンツ、なぜ自分にそのことを聞いたんだ?わかる可能性があったって言われても自分には何もわからない。」
「そうだな。……テムズに会う前に少しくらい話しておくべきか。お前は魔法使いと言われて何を想像する?」
「魔法、使い?」
「てんでわからねぇって顔してんな。だったら魔法ってもんの説明をした方がよさそうだな。
かつてこの世界には魔法使いがいた。掌から炎を生み出し腕を振るえば水が生まれた、歩いた後には草花が芽吹く。曰く、その者の操る言の葉には奇跡が宿っていた。
そんな逸話がこの世界に残っている。」
「かつて、ということは今はいないのか?」
「そうなるな、少なくともこの千年は魔法使いがいたって歴史はない。まぁそれもお前がそうじゃなけりゃ、だけどな。」
「…………はっ?」
何を言われたのか耳を疑った。
どうしてテルが魔法使いと呼ばれる存在の話を始めたのか、わからないままに唐突に話をされ反応が追いつかない。
「あ…………えっと……それは、自分が魔法使いかもしれない……という話か?」
「ああ、そういう話だ。」
平然と答えるテルに何を言えばいいのかわからなかった。
魔法使いだと言われても何も思い当たるふしはない。
炎なんか出せやしないし水も生み出せもしない。ただの記憶を失っただけの人間だ。
テルが自分の何を見てそう判断したのかもわからずあの大男の元までたどり着いてしまった。
大樹の根元で待ちかねた様子の大男が座っていた。
「よぉ、やっと来たか。」
松明で辺りは照らされ今度ははっきりと大男の姿が見える。
そこに先ほどの優しい雰囲気の巨人はいなく、その居座る姿にどこか威圧感を感じた。
姿形だけではない、声色からもはっきりとその違いを感じ取れた。
「お前さんが珍しく朝から村にいるからよぉ、何かあるんじゃぁねぇかと思っとたらよぉ。……よくもやってくれたなぁ、テル。」
手で顔を覆い深くため息をこぼす巨人は恨み言を吐くように話を切り出した。
「そう言われてもな。この結果は俺にも予想がだったんだよ。」
「とぼけるなよぉ、テル。人間をこの村に連れてきたらどうなるかくらいお前さんがわからんはずもあるめぇよぉ。それも――――」
手の隙間から覗かせるように巨人はナナシを見つめた。
歓迎されていないことはわかっていたがこの村ではよほど人間という存在が厄介なのだろう。
鋭く見つめる瞳にたじろぎ思わず足を引いた。
「すまんすまん。そんなに怯えんでくれぇ、お前さんに何があるってわけでもねぇんだ。ただ……燻る火種に油をぶっかけられたもんでよぉ。」
巨人は大きな手をのばし指でテルの頭を押さえつけた。
「油、とは自分のことを指すんだろうな。……一つ、聞いてもいいだろうか?」
「そういや記憶が無いんだったな。おうとも、何でも聞くとええ。」
「亜人……あなたたちにとって人間は何なんだ?……魔法使いとは何なのだ?」
「あぁ?魔法使い?」
巨人はきょとんとした顔でナナシを見つめた。
それと同時に自分の右側でずしりと音をたて巨人の指が地面にめり込んだ。
その指の下にはテルがいたはずだった。
「えっ…はっ!?テル!?」
「おっと。」
巨人が指を引き抜くとそこにテルの姿は無かった。
潰れてしまったのか。そういうわけでもなさそうだ。
地面には血の一滴だって溢れていない。
「そんな驚くこともねぇだろ。」
どこからともなくテルの声が聞こえてきた。
辺りを見回しても姿は見えない。
「相変わらずお前さんはすばしっこいな。」
巨人の視線に合わせて木に目をやると枝にぶら下がるテルの姿があった。
「お前がのろまなんだよ、テムズ。そんなんだからお前ら巨人族は滅んだりするだよ。」
「だぁっはっはっぁ!その通りだぁ!……って、まだ滅んどらんわぁ!!!ここにおるだろぉよ生き残りがぁ。」
「だったら唯一の生き残り、その先達としてナナシになにか助言をしてやれよ。」
「……生き残り、か。わしらのそれと魔法使いのそれとはおんなじとは思えんがぁ……冗談ってわけでもなさそうだなぁ。お前さんがなんの考えもなしに人間をここに連れてくるとは思ってはいなかったがぁ……それでも正気を疑うぜぇ、テルよぉ。」
巨人は同情したような顔でナナシを見つめた。
記憶もなく行き場もない男に向ける視線としては概ね正しい反応だろう。
だが今は違う。その視線の向けられる先は男をナナシとしてではなく魔法使いとしての存在に対する同情のように思えた。
「……これも運命、ってやつなのかもしれねぇなぁ。」
「俺はその言葉は嫌いだね。」
「知っておるわ。だが……わしら亜人の前に再び魔法使いが現れたってんならよぉ、そうと言うしかねぇだろよぉ。」
「魔法使いというのはあなたたちにとってそれほど重要なものなのか?」
「おうともさ。魔法使い、それは亜人の歴史に…いいや、亜人という種族そのものに深く関係しておる。千年前にいたと言われておる魔法使い、わしも三、四百年近く生きておるが見たことねぇ。」
「四百!?……いいや、待ってくれ!テルも、貴方も見たことが無いというのならなぜ自分のことを魔法使いかもしれないと言うんだ!?」
「なんだぁ、テルから聞いてねぇのかぁ?今のお前さんのおかしさに。」
「自分、の?」
テルは巨人の肩に降りると耳打ちをして―――
「―――お前さんそりゃぁ……手っ取り早いけどよぉ……上手くいくのか?」
「それを今から試すんだよ。ナナシ、今から俺とテムズで同じことを話す。どっちの言葉が聞こえたか俺たちに伝えろ。」
「了解したが……いったい何を……」
「ずぐにわかるよ。」
テルと巨人は同時に口を開け言葉を発した。
「お前は魔法使いだ。」『オマエハマホウツカイダ』
テルの言葉に重なって雑音が混じった。
「―――はっ?」
頭がおかしくなったのかと思った。
言葉の意味を理解できるのに言葉に言い表せない気味の悪さがある。
テルの言葉を聞き、巨人の言葉を頭に直接叩き込まれた。
馴染みのない明確な言葉と馴染みある音声発音。
どちらも理解できる。だからこそテル達が言うようにおかしいのだろう。
試す。そう言ったテルの言葉の意味を理解して自身の異様さに気がついた。
「―――っ。」
言葉を発するのさえ恐ろしく思えた。
何気なくしていた会話になんの疑問も抱かなかった。
…抱くはずもない。目が覚めてから聞いて、話していた言葉がただの音声になれ果てていた。
「ナナシ、大丈夫か?」
「テル……今のは……」
「自分に起こってる変化に気付いてるか?」
「……嫌というほどに。」
「そうか。ちなみにだが今、俺が話しているのが人間の言葉だ。」
意識したわけでもない。ただただ自然に、テルの言葉に呼応するように言葉が出た。
気味の悪い感覚だけが続く。思考を置いてけぼりに感覚だけが切り替わった違和感に飲まれていた。
「つまり……今まで自分が話していたのは……」
「そう、亜人の言葉だ。人間と亜人で扱う言語は異なる。お前が目が覚めてからここに来るまで俺は一度も人間の言葉を話していなかった。」
「それが、自分を魔法使いだと疑う理由なのか?」
「そうなるな。お前は知らないだろうが亜人の言葉を話せる人間ってのはかなり少ない。その中でもお前のそれは異常だな。なんせ、自分が亜人の言葉を話せるってことを知らないままにソノコトバヲツカッテルンダカラヨ。』
テルの声が最後乱れて聴こえた。
未だに違和感を感じるが少しずつ鮮明に聞こえてくるようになっている。
「だが……亜人の言葉を話せるのは者は他にもいるんだろ?それに……」
現に目の前にいるテルがそうだ。
見た目はどこからどう見ても自分と同じ人間だ。
それに亜人の言葉をつかえるだけで魔法使いになれるというのなら亜人は全員魔法使いだということになる。
「魔法使いも今のお前さんと同じようなことができたらしい。」
巨人がぽつりとつぶやいた。
「本当にわかるらしいなぁ、今でも信じらんねぇぜぇ。亜人にとっての人間、そして魔法使いが何者か、だったなぁ。わしも魔法使いってのは見たことがねぇ。伝え聞く話、記録、歴史だけのものになるがぁ、それが今のお前さんの道標になるってんならぁ……少しばかり長くなるが、ここからはこの老骨の昔話に付き合ってもらおうかのぉ。」
テムズと呼ばれる巨人、その口から語られるのは長い歳月を見てきた生き証人の歴史そのものだった。




