第17.5話 戦いの狼煙
──クミラとミザリカが愁と対峙する数時間前、アルバートは王城の巨大な門前に立っていた。空はまだ薄明るく、早朝の冷たい風が鎧の隙間をすり抜けるように吹いている。
王城の門前に立つアルバートの正面には、王国最強の騎士である十一名の正規勇者たちが一列に並び、その後ろには次代の勇者候補、準勇者の精鋭たちが、一番隊から三番隊まで総勢150名、整然とした隊列を形成していた。鋼鉄の鎧が朝日を受けてわずかに輝き、兵たちの鋭い眼差しがまっすぐにアルバートを見つめている。
普段ならこの大軍を率いるのは第一階位勇者であるハルア・アルニトスだが、彼は現在、単独任務のため不在。そのため、次に階位の高いアルバートが代わりに指揮を執っているのだった。今朝の集まりは形式的なものとはいえ、正規勇者や準勇者たちの間には、緊張と期待が漂っている。
「クミラ、ミザリカ、引き続き帝国方面を捜索せよ。準勇者二番隊、三番隊も随行しろ。残りの正規勇者と準勇者一番隊は、王国領内の捜索を継続する。何か質問はあるか?」
冷静に指示を出すアルバートに対し、正規勇者たちも準勇者たちも一斉に沈黙を保ち、無言で従う意志を示した。全員がすでに任務を把握していることを証明するかのように。だが、そんな厳かな空気の中、ひとりだけ声を上げた男がいた。
その男、第三階位勇者ニスレア・エデルストンは、金色の髪に赤いメッシュが入った派手な頭をぼさぼさにさせ、制服を乱れたまま着ていた。彼の不遜な態度が周囲から視線を集めたが、ニスレアは気にする様子もなく、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「質問っつーか、伝言だ。朝、ハルアが出ていく前に、アルバートに伝えてくれってよ」
「ハルアが?」
アルバートは眉をひそめた。
「それは任務に関することか?」
「ああ、そうだ。どうやら拠点の目星がついたらしいんだが、二ヶ所あるんだとさ。そのうちの一つをお前が見てきてくれってさ。ハルアの指示だ」
「私が、一人でか?」
「そうだよ。お前の気配探知能力がないと見つけられないって話だ。まあ、一人で突っ込めってんじゃない。偵察して、本命だとわかったら俺たちを呼んで、みんなで突撃すりゃいい。俺たちはその間にもう一ヶ所を攻めてるからさ」
ニスレアの軽い口調に、アルバートは一瞬眉をひそめた。確かにニスレアとハルアは仲が良く、彼からの伝言を受けるのは不思議ではない。しかし、任務に関する重要な指示を人づてに伝えるのは、いつものハルアらしくない。彼は通常、どんな細かなことでも自ら伝え、直接指示を出すほどの厳格さと誠実さを持っていた。
(少し腑に落ちないが……偵察任務なら、問題はないだろう)
内心の疑念を抑えつつ、アルバートは了承する。普段からいい加減なニスレアの話であれば疑うのは当然だが、今回はハルアの名が出ている以上、任務として信じるべきだった。
「わかった。ニスレア、ハルアからの伝言の場所の正確な位置を道すがら共有してくれ」
「了解だ、隊長殿」
ニスレアは軽く敬礼し、相変わらずの嫌味な笑みを浮かべた。
アルバートは内心でその軽薄さに苛立ちを覚えつつも、任務中は感情を表に出さない主義だ。自分は冷静でなければならない――今朝、クミラにも忠告したばかりの言葉が頭に浮かんだ。深呼吸し、気を引き締めると、彼は全体に向けて声を張った。
「それでは、各自持ち場へ急行せよ!基本は捕縛だ。敵の情報を聞き出すため、可能な限り殺すな。生け捕りにして、必要な情報を吐かせろ。以上だ、解散!健闘を祈る!」
鋼のような緊張感が隊員たちの間に走る。勇者たちは整然と動き出し、それぞれの任務へと向かって行った。アルバートは彼らを見送りながら、静かに背を正し、自らの信念と王国の未来を守るための覚悟を再び胸に刻み込んだ。
風がざわめき、空はゆっくりと明るくなり始めていたが、アルバートの心には一抹の不安が残っていた。それでも彼は、疑念を振り払うように足を踏み出し、自らの任務へと向かうのだった。
◆◇◆◇◆◇
大森林に向かう途中、ニスレアから伝えられた二つの場所がアルバートの脳裏をよぎる。一つ目は、かつて八乙女 愁が目撃されたアールクトスの町から徒歩で四時間ほど進んだ先にある、かつて村が存在していたとされる場所。もう一つは、その村跡からさらに四時間ほど進んだ地点にあるという洞窟だ。
どちらもこれまで捜索されていない未開の地であり、ハルアの伝言とされるこの情報は確かに信頼に値するもののように思える。しかし、アルバートは心にわずかな引っかかりを感じていた。確かにハルアは正規勇者のトップとして膨大な情報を管理しており、その情報の正確さも折り紙付きだ。だが、これほどに的確な情報があったにもかかわらず、今まで一言も触れられていなかった点がどうしても解せない。アルバートとハルアは日々の任務が終わる度に情報の照らし合わせを行っているのに、この話だけが今朝、ニスレアの口から初めて聞かされた内容だった。
(しかし、どこでそんな情報を……)
アルバートの眉間に皺が寄る。忘れていた、などという話ではない。それほどにこの情報は重大なもので、気を抜けば命取りになりかねない内容だ。それでもアルバートは慎重な判断を下し、ニスレアや他の勇者たちと別れた後、数時間かけて一人偵察を行いながら洞窟へと向かっていた。
到達までの道のりは平坦ではなかった。途中、気配を遮断する複雑な隠蔽魔術が張り巡らされており、アルバートは自身の〈気配探知〉や〈空間支配〉の能力を最大限に活用してそれを突破する。また、いつ襲撃されるとも知れぬ不安定な状況の中、常に周囲の警戒を怠ることなく進む必要があった。結果、洞窟に辿り着くまでにかなりの時間を費やしてしまったが、やっとのことで目的地へ到着した。
だが、そこに待っていたのは――虚無だった。人間や魔物の気配は一切感じられず、洞窟の周囲には人が通った形跡すら見当たらない。洞窟そのものは暗く湿っており、不気味な静けさに包まれているが、アルバートが探していた八乙女 愁の存在感は感じられない。せいぜい、辺りにいるのは小動物や虫くらいのものだ。
「外れか……いや、外れにしては念入りな隠蔽工作が施されているが……」
アルバートは眉をひそめた。ここまで複雑な魔術で隠されている場所であれば、何かしらの痕跡があるはずだ。そう考え、念には念を入れて洞窟内部の捜索を始めたが、洞窟内は薄暗く、湿り気を帯びた不快な空気が充満しているだけで、どれほど奥へ進んでも何も見つからない。道が長いだけで、洞窟の最奥に到達しても特に目立ったものはなく、探索は無駄足に終わった。
洞窟を出ると、すでに日は傾き始め、空は夕焼けに染まろうとしていた。まだ多少の明るさは残っているものの、刻一刻と夜の訪れを告げる空模様に変わりつつある。
(時間をかけすぎたな……急いで次の場所へ向かわなければ)
もう一つの目的地――かつて村があったとされる場所へ向かおうとしたその時、遠くで地面を揺らすほどの大きな爆発音が響いた。爆風こそ届かないものの、周囲の木々がざわめき、風が一瞬激しく吹き抜けた。それは一度きりではなく、何度も爆発が繰り返され、その度に地面が軽く震える。
「何だ!?戦闘が始まったのか?」
アルバートはすぐにその音の意味を察知した。爆発音はまさに戦闘の狼煙。幾度も耳にしたことのある音――戦場で響く、命のやり取りを告げる音だ。絶対に慣れることのない、忌まわしい音。
次々と響く爆発音は、戦闘が激化していることを物語っていた。音の方向を瞬時に判断したアルバートは、その発生源が村跡地とされる場所であることを悟る。
「方角は……村か……ということは、あちらが本命だったということか」
急に沸き上がる焦燥感を抑えながら、アルバートは自らの推測を固めた。ニスレアから伝えられたもう一つの場所。アールクトスの町に近い大森林の中にあるその場所こそが、敵の本拠地であり、現在激しい戦闘が行われているのだろう。与えられた情報は不完全で、ニスレアから聞いたのは大体の位置だけだが、これほど派手に爆発が響いていれば、場所の特定は容易だ。
アルバートの胸に、どこか嫌な予感が込み上げてくる。しかし今は一刻も早く現場へ向かわねばならない。考える間もなく、彼は足元に力を込め、洞窟に来た時とは打って変わって全力で駆け出した。空間を切り裂くように、風を味方につけて、戦場へと――
「今、行くぞ!」




