第21-2話 思い出はいつまでも
ぼやける視界の中、背中に衝撃が走る。しかしその感触は、冷たい石壁ではなかった。
驚くべきことに、それは『柔らかなぬくもり』だった。その後、多少の揺れや衝撃が届くが、いづれも大きなダメージを伴うものではなかった。
「主様っ!大丈夫か!? おい!返事してくれ!」
衝撃が落ち着くと、すぐ近くで聞こえた切迫した声が響く──スフィアの声だ。
愁は微かに開いた目で彼女を認識する。
(スフィアが受け止めてくれたのか……)
スフィアが受け止めたとなると、あの威力の衝撃をまともに受けたはずだ。それでも愁を救うために飛び込んだスフィアの行動に、彼の胸には『熱い感謝と怒り』が同時に湧き上がる。
スフィアの事までもここまで傷つけた敵──ブレストの存在が、愁の意識を覚醒させた。
ゆっくりと意識を取り戻し、目を開けると、愁はスフィアの腕の中にいた。彼女の服は砂まみれでところどころが裂け、皮膚の至る所に怪我が見える。鮮血がその白い肌を汚していた。それでもスフィアは、大切なものを守るように愁を優しく抱き締めている。
「スフィア……助けてくれたんだな。ありがとう。本当に、感謝してる」
愁が弱々しく言葉を紡ぐと、スフィアの目が涙に潤み、愁を見つめ返す。
「主様っ!よかった!意識が戻ったんだな!……でも、主様こそボロボロじゃないか!本当に、大丈夫なのか?」
その声は震えていたが、どこか安堵の色も含んでいた。
「ああ……なんとか、な。スフィア、それにしても……どのくらい気を失っていた?」
「ほんの数秒だぞ!」
スフィアの答えに愁は一瞬安堵した。遠くを見ると、まだブレストは動きを見せていない。
あの恐るべき力を持つ敵が、わずかな隙を見せる理由は何か。
(推測の域を出ないが、スキル『戦闘狂』を使用した攻撃の後は、少しリキャストタイムがあるのかもしれないな。じゃなきゃ今頃追撃されるか、リリーニャが襲われるはずだしな……)
愁は頭の片隅で推測を巡らせつつも、目の前のスフィアに視線を戻した。
「ありがとう、スフィア。正直なところ、柔らかくて居心地がいいから、このままでもいいくらいだけど……そうもいかないな」
愁がわざと軽い口調で言うと、スフィアの顔が一瞬で赤く染まった。
「なっ……や、柔らかいって、何言ってるんだ主様は!まったく、こんな時に……!」
彼女の狼の耳が怒ったようにぴくぴく動いているが、わずかに頬を赤らめる姿は何とも愛らしい。
それを見て、愁は薄く笑ったが、次の瞬間、顔を引き締める。
「あはは。ごめん、冗談だよ……半分はね」
スフィアの心配を軽くするための冗談──と言いつつ、スフィアに抱きしめられていた際の後頭部に感じた柔らかな胸の感触が名残惜しいことは秘密である。
とはいえ、事実、悠長にしている場合ではない。愁はポケットから回復ポーションを取り出し、蓋を外して一気に飲み干した。
丁度その時、仲間たち──ライト、リリーニャ、そしてリルアが合流するが、その瞬間、ブレストも動き出した。
数百メートルの距離を一瞬で詰める突進。その足音は大地を震わせ、まるで地鳴りのように迫る。空気が歪み、砂煙が巻き上がり、周囲の緊張が一気に高まった。
「みんな、下がって!俺が食い止める!」
愁の力強い声が響く。
スフィア、ライト、リリーニャ、そしてリルアは即座に行動し、それぞれ安全な距離を確保する。
愁は息を整える間もなく、素早く〈守護者の聖域〉を込めた魔石をクラフトし始めた。その数は数えるのも億劫になるほどに大量だ。それらを、ブレストの進行路上に次々と展開していく。
しかし、胸に燻る疑念が愁の手を止める。
(……なぜだ。なぜ、ブレストはリリーではなく俺を狙っている?)
ブレストは戦闘に悦びを見いだす狂戦士。だが、リリーニャを見た瞬間の激昂を思えば、標的を変える理由があるとは思えない。
しかし、考え込む間もなく、広範囲に展開した〈守護者の聖域〉が次々と破壊されていく。二十、三十──最初の〈守護者の聖域〉はほぼ破壊され、ついにブレストが目前まで迫った。
最後の〈守護者の聖域〉が破られようとしたその瞬間、突如として目の前からブレストの姿が消える。
「なんだ!?いったいどこに──」
愁の声が途切れる。それと同時に背筋を這うような寒気と、胸を鷲掴みにされるような嫌悪感が押し寄せた。
その理由を察し、愁は振り返る。遥か遠く、リリーニャとライトが退却した先──その地点に、既にブレストの姿があった。
(まさか……!)
愁の心は急速に凍り付いた。驚異的な速度。瞬間移動かとも思ったが、〈鑑定の魔眼〉ではそのようなスキルは見られなかった。
ならば考えられる可能性はただ一つ。ブレストは最初から『全力の速度』を偽っていた。敵の判断を誤らせるために。ここぞという時に自らが有利になるように。
「リリーっ!!」
愁は叫び、宵闇を放り投げて〈縮地〉で追撃を開始した。
しかし、気付くのが遅すぎた。ブレストとの距離は開きすぎている。
焦燥の中で目に映るのは、青紫の光剣を右手に構え、確実にリリーニャを貫こうとするブレストの姿だ。その刃は、彼女の心臓を目がけて振り下ろされていた。
時間が引き伸ばされたような一瞬。リリーニャが振り返り、目の前に迫る剣を認識する。しかし、避けられるはずもない。愁の手も、声も、何一つ届かない。
──だが、その刃はリリーニャを貫かなかった。
リリーニャの体の直前、剣は全く別の人物の体を貫いて止まっていた。小柄な体が、ブレストの剣を掴むようにしてリリーニャを庇っている。彼女の髪は漆黒に輝き、衝撃で揺れていた。その姿は半透明で、実体が曖昧だった。まるでこの世の存在ではないと示すように。
そんな少女の姿を見て、愁の心がざわめき、記憶が一瞬で過去に引き戻される。
笑顔、声、幼い日々──歌声が響き渡る病室、無邪気に笑いかけてくれた彼女の姿。初めて出来た本当の友達。初めて知った『喪失』。心の奥深くにしまい込んでいた思い出が、鮮明に蘇る。
「……どうして君がここにいるんだ?璃里……?」
震える声で問いかける愁。その視線の先にいるのは、幼い頃に失った、かけがえのない存在だった。
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