第9話 ある旅人の話
「はい、どうぞ。旅人さん、団子だよ」
しわくちゃの顔で優しい笑顔を見せる老婆が、ふっくらとした餅が乗った皿を旅人に差し出す。店の店主の妻である彼女の姿には、長年旅人を見守ってきた温もりがにじんでいた。
その団子を受け取ったのは、一人の若い旅人だ。彼女は盲目であることを示す刺繍が施された布で目元を覆い、柔らかな灰色のショートパンツに黒いタイツ、アンバーカラーのワークブーツを身に着けている。その上には黒いマントがひらりと揺れ、風が彼女の美しくも幻想的な薄緑色の髪をさらりと撫でた。
「ありがとうございます。わっ、すごく美味しそう……いただきますっ!」
艶やかに光る白餅が皿の上で輝き、旅人は興奮を抑えきれない様子で楊枝を手に取る。刺した団子を口に運ぶと、ほのかな甘みが口いっぱいに広がり、思わず頬が緩んだ。
「んーっ!あっまーい!お婆さん、これ、凄く美味しいです!」
老婆は嬉しそうに笑いながら、「それはよかった。うちの自慢の団子だからね」と、あたたかいお茶をサービスで差し出す。
「わぁ、ありがとうございます!……お茶も美味しい!」
彼女が口に含んだ茶の香りと渋みが、団子の甘さをさらに引き立てた。ここは町外れの街道沿いに立つ、一軒の静かな甘味処。甘くて柔らかな餅の団子と、それにぴったり合うお茶が、一部の旅人の間で評判になっている店だった。
二つ目、三つ目と次々に餅を口に運びながら、旅人は風に吹かれる髪をそっと手で払う。さらさらと風に靡く髪は、光りをおびると、わずかに色を変え、まるで虹のような色彩をのぞかせていた。彼女のその仕草と美しい髪の色に、老婆は目を細めて感心したように呟いた。
「なんともまあ。綺麗な色の髪だこと!さらさらで、羨ましいねぇ」
「えへへ、ありがとうございます」
旅人は照れたように微笑み、いつの間にか隣に座った老婆の昔話に相槌を打ちながら、楽しげに耳を傾けた。
やがて最後の団子を食べ終わり、お茶も飲み終わると、旅人はポケットから布袋を取り出し、小さな硬貨を老婆に手渡した。
「お婆さん、お代です!団子、本当に美味しかったです。また近くに来たときは、絶対に寄りますね!」
「なんだい、もう行っちゃうのかい?もう少し話していたかったのに……」
老婆は少し寂しそうに肩を落とし、硬貨を受け取る。おしゃべりが好きな彼女にとって、この旅人との別れが名残惜しいのだ。
「ぼくもお話、楽しかったです。でも、そろそろ行かないと、帝都に着く前に日が暮れちゃうので……」
外を見ると、山の向こうに太陽がゆっくりと沈んでいくのが見える。もう少しで辺りは闇に包まれるだろう。
「あら、もうこんな時間かい。早いもんだねぇ。それじゃあ、気をつけて行くんだよ?あんた、目が見えないんだろう。それに体も華奢に見えるし、無理しちゃ駄目だよ?危なくなったら、いつでも戻っておいで。この辺りは例の盗賊の残党が出るなんて話もあるからね」
老婆の心配に、旅人は軽く頷き、「はい!わかりました。さようなら、お婆さん!ご馳走さまでした!」と、明るい声で答えた。
店を出て、旅人は夕暮れの街道を静かに歩き出す。彼女の手には、剣の柄に刃の部分が木製の杖になっている不思議な形状の杖が握られており、コツコツと響く乾いた音が足元から聞こえる。盲目の彼女だが、その歩みは迷いなく、道の端を器用に避けながら進んでいく。
しばらくして、旅人はふと足を止めた。背後から聞こえる足音が、急に気にかかり始めたのだ。足音は粗暴で、こちらに向かってくるのが明らかだった。
(や、やっぱり……これ、盗賊じゃないよね?)
老婆の忠告が脳裏をよぎり、旅人は胸の奥に不安を抱えながら、慎重に道の端へ寄った。しかし、近づいてくる足音は容赦なく彼女の元へと迫り、ついにすぐそばで止まる。暗がりの中、静寂を破るように男の冷たく粗野な声が響いた。
「よぉ、旅人さん。俺は陸傑死団のバブルスってんだが……ここが俺らの縄張りだってこと、知らなかったわけじゃないよなぁ?」
がさつで品のない声は、まるで獲物をからかうように旅人に投げかけられ、その一言一言が冷たく鋭く、彼女の肌に突き刺さるようだった。
バブルスと名乗った男と、その他の三人が旅人を囲むようにして一歩ずつ距離を詰める。旅人がほんの少し後ずさりすると、すぐに背中が別の盗賊にぶつかった。彼女は完全に取り囲まれていた。
「こ、こんばんは……ぼくはレイネスです。あの、すみません。縄張りというのは知らなかったのですが……」
「名前なんて聞いてねぇんだよ!知らないだとぉ?知ってるか知らないかなんて関係ねぇ!勝手に入ったら駄目なことくらい、わかるだろ?金だ、金を出せ。全部だ」
「え……お、お金ですか?ぼく、あまり持ってないんですが……それに、お金が無くなると旅ができなくなってしまいますし、どうか見逃してもらえないでしょうか……?」
「見逃せるわけねぇだろ!さっさと金を出せよ!おい、お前ら!こいつを押さえつけろ。身ぐるみ剥いで、金目のもん探すぞ」
「あっ!だ、駄目ですよ!乱暴はやめてください!」
レイネスが抵抗しようとするも、彼女の華奢な両手は簡単に盗賊たちに掴まれてしまう。バブルスは彼女が羽織っていた黒いローブを無理やり剥ぎ取り、その中に隠された姿を見た瞬間、他の盗賊たちと顔を見合わせ、下卑た笑みを浮かべる。
「なんだよ、お前、女だったのか?今日は当たりだなぁ!」
辺りが薄暗い事と、話し方や目を布で覆っていることから、レイネスを少年だと思い込んでいたバブルスが見たローブを失った彼女の姿は、慎ましくも女性らしく膨らんだ胸や、細い腰のラインのわかる、軽装であったのだ。
「や、やめてくださいっ!」
「あっ!おい!」
レイネスは必死に盗賊たちのいやらしい手つきから逃れようとし、強引に手を振りほどいた。瞬間、彼女の身は森の中へと駆け出していった。木々に何度もぶつかりながらも、彼女は遠くへ、さらに遠くへと走った。
「おい!待ちやがれ!逃がすかよ!くそっ!盲目だからって油断してたぜ。行くぞ!捕まえろ!」
バブルスの怒声と共に、盗賊たちは一斉に駆け出す。ここは彼らの縄張り、慣れ親しんだ森の中だ。レイネスが逃げたとしても、追いつかれるのは時間の問題だった。
「おらっ、捕まえたぞ!くそっ、暴れんな!」
「は、離してください!お願いですから!」
いつの間にか回り込まれ、両腕を掴まれてしまう。レイネスは必死に抵抗するが、バブルスの力は思ったよりも強く、振りほどくことはできなかった。しかし、ふと心に力がみなぎり、彼女は強く手を振り払う。
「……っ!」
突然の強い力に驚いたバブルスは、もう片方の手も思わず離してしまった。その反動でバランスを失ったレイネスは、勢い余って数歩後ずさり、足元に違和感を覚える。
「あっ……!」
レイネスはすぐに悟った。ここは崖、あるいは山の斜面だ。しかし、気づいた時にはもう遅い。足場を失った彼女の体は、無防備なまま斜面を転がり落ち、岩や突起に何度もぶつかりながら、やがて崖下へと叩きつけられた。
「……!」
落下の衝撃と共に、レイネスの意識は、冷たい闇に呑み込まれていった。
「あーあ、落ちちまったよ……だから暴れんなって言ったのによ。もったいないことしたなぁ」
その姿を崖上から確認したバブルスは、舌打ちしながら残念そうに言う。
「やっぱり……死んだんすかね?」
「そりゃそうだろ?この高さだぞ?もういい、今日は戻るぞ」
去り際、バブルスはレイネスの落とした杖を腹いせに蹴り飛ばし、崖下へと突き落とした。蹴とばされた杖は闇の中へと吸い込まれ、偶然か、それとも運命か――主人の元に寄り添うようにして、月明かりの下でそっと輝いていた。




