第6話 再会と悪意
キアナ王国、首都マリネア──
その城壁に囲まれた都市に辿り着いた愁とメラリカは、彼女が持っていた手紙に記された待ち合わせ場所を目指していた。昨日の野宿を経て、メラリカの表情には少しだけだが以前の明るさが戻っており、それを見て愁はひとまず安堵していた。
しかし、街の様子は想像をはるかに下回るものだった。首都と呼ばれるべきこの地には、活気の欠片すら見当たらない。兵士たちは慌ただしく駆け回り、住民の姿はほとんど見えない。普段ならば軒を連ねて賑わうであろう露店街も閑散としており、窓や扉を閉ざした建物が目立つ。『首都』と名乗らなければ、ただの廃れた街と見間違えてしまいそうな有様だった。
「人がいないですね」
愁がぽつりと呟く。その声音には、愁自身も違和感を覚えている様子が滲んでいた。
「ええ、いつもはこんなではないのですが」
メラリカが答えながら街の景色に目を走らせる。首都マリネアから国境の町ラストアまでは町二つ分程度の距離しか離れていない。やはり国境に近付くにつれ、戦争の気配が人々の生活を蝕んでいるのだろう。
『戦争』──愁にとってそれは、教科書や映画でしか知らない、遠い物語のような存在だった。しかし実際にその影響を目の当たりにすると、その空気は酷く寂しく、荒んでいると言わざるを得ない。
(これが戦争の現実か……)
愁は胸の奥に冷たい重みを感じた。この先、自分が歩む道にも必ず訪れるはずの現実。それは乗り越えなければならない運命だとわかっていても、今目の前で感じるだけで、まだまだ自分の覚悟が足りていないことを痛感させられる。
(皆、自分の正義を信じて戦う。その正義のために、他者の正義を踏みにじる。それが戦争なんだよな……)
その思いの中で、ふと愁は己を見つめ直す。自分もまた、大切な仲間を守るため、力を振るうと決めた。だが、ゲームとは違い、ここではやり直しがきかない。決意は固めたつもりでも、現実が突き付けるのは、ただの少年である自分の無力さだった。
「愁さん?どうかしましたか?」
メラリカの声に、愁は我に返る。考えすぎるのは自分の悪い癖だ。今は目の前の状況に集中しなくてはならない。気を取り直して、足を進める。
「いえ、大丈夫です」
目的地は首都マリネアにある大きな墓地。待ち合わせ場所が墓地というのは少々異様だったが、指定された時間より早く着きそうな距離だった。
「そういえば、誰が待ち合わせの場所に来るんですか?」
愁が問いかけると、メラリカは再会への期待からか、少しそわそわとしながら答えた。
「待ち合わせ場所には私の兄が来るはずです」
その言葉に、愁の記憶に過去の一幕が蘇る。以前、酔いつぶれたメラリカが呟いた「お兄様……」という寂しげな言葉──彼女が兄をどれほど想っているのか、今回の態度からも窺い知ることができた。
やがて墓地が遠くに見え始める。愁は自然と身構えた。何が起きてもいいように、〈気配探知〉の範囲を広げ、小動物程度の反応も見逃さないよう警戒を強める。
「愁さん、もうすぐ目的の場所には着きますね。……あっ!お兄様っ!」
メラリカの声が弾ける。そこには、彼女と同じく金色の美しい髪を持ち、顔立ちもどこか似たエルフの青年が立っていた。流石は兄妹、美しい容姿をしている。その青年を目にしたメラリカは、駆け寄ると涙を流しながら兄を抱き締めた。
「お兄様!無事で何よりです。いつもと違った手紙でしたので、何かあったのかと思って心配していたんですよ?」
「メラリカ……」
「お兄様?どうかしましたか?あの!ご紹介したい人がいまして。その……お兄様?」
しかし、メラリカの兄はどこか様子がおかしかった。虚ろな瞳、浮ついた立ち振る舞い。愁はその違和感に気付き、距離を取っていたが、何故か胸騒ぎが止まらない。
(何かが、何かが違う……!)
愁の本能が警鐘を鳴らす。そして──
「メラリカさん!その人から離れてください!」
咄嗟に叫んだ愁の声に、メラリカは一瞬驚いたが、兄の異様な様子に気付き後ずさろうとする。しかし、その体はがっしりと兄に掴まれ、動けなくなっていた。
「あの、お兄様?少し力が強くて体が痛いです。離していただけませんか?」
「メラリカ……何故。何故来てしまったんだ……」
「え?お兄様?それはどういう意味で──」
突如、ゴウッと風が巻き起こる。木々がざわめき、空気が震える。そして次の瞬間、メラリカの体から力が抜け、兄にもたれ掛かるように意識を失った。
「メラリカさんっ!おい!お前、何をした!」
愁の目の前には、兄と呼ばれたエルフの男が立ち尽くしている。しかし、彼から放たれるのは普通の魔力とは異なる、得体の知れない力の波動──それは危険そのものだった。
メラリカを抱える男は、涙を零しながらも自らを覆う波動をさらに強めていく。その力はただ放たれるだけで『空気を震わせる刃』のように愁を圧倒し、彼の体の自由を奪い去った。
「くっ!メラリカさんを離せ!」
〈縮地〉のスキルを発動し、一気に間合いを詰めようとする愁。しかし、男の周囲を取り巻く濃密な力の壁が愁を弾き飛ばす。その衝撃で地面に叩きつけられた愁は、鈍い痛みに顔を歪めながらも体勢を整え、再び立ち向かう。だが、波動の圧力は次第に広がり、距離を詰めることすら許されない。
「メラリカを……妹を救ってくれ……私は……逆らうことが……ぐあっ、くっ……!」
男は片手で頭を押さえながら苦悶の表情を浮かべている。その言葉に含まれた悲痛な響きが、愁の胸に深く突き刺さる。
(操られているのか……?それとも、自分の意思で抗っているのか……?)
迷いながらも愁は、その矛盾した言動の中に『真意』があることを確信する。
しかし、男の言葉が続く前に、彼の表情はさらに歪み、崩れかけた声が荒々しく響いた。
「城だっ!城に来るんだっ!このままでは……メラリカは……国王に利用される……っ!ぐあああああ!」
男は最後の力を振り絞るように叫ぶと、地面を力強く蹴り、高く跳躍した。その瞬間、メラリカを抱えた彼の姿が宙に舞い、あっという間に霧散するように消え去る。
地面には抉れた跡が生々しく残り、周囲の墓石や木々は吹き荒れる衝撃で倒れていた。愁は全身を襲った波動の余韻で膝をつき、荒い息を吐きながらその場に項垂れた。
「くそっ……俺の力不足だ……!」
愁は拳を地面に叩きつけた。自分の無力さが悔しく、苛立ちが胸の中で燻る。と同時に、〈気配探知〉を使いながらも、あの男の存在を事前に察知できなかったことへの後悔が押し寄せてくる。
(俺が、もっと早く異変に気づいていれば……!)
頭を抱えたい衝動に駆られながらも、愁は立ち上がる。その目には未だ炎が宿っていた。
「城だ……城に行くしかない!」
愁は男の最後の言葉を頼りに行動を決意する。首都マリネアの中心にそびえる城までは、それほど遠くはない。しかし、どうやって城内に侵入するかは別の問題だ。
「考えろ……武力行使は簡単だが、後々厄介なことになる……」
愁は焦る心を抑えつつ策を練ろうとするが、考えがまとまらない。そんな時、ふと足元を一匹の三毛猫が横切った。その気まぐれな様子に思わず苦笑する。
「お前はいいよな、自由で……何も考えずに生きていけて……」
そう呟いた瞬間、愁の耳に低く落ち着いた声が響いた。
「八乙女 愁。力を貸そうか?」
その声に愁の体が硬直する。周囲を見渡しても誰もいない。〈気配探知〉にも反応はない。
「誰だ!どこにいる!」
声を発した存在を探し目を凝らすが、見つけられるのは先ほどの三毛猫だけ。
「まさか……お前じゃないよな?」
半ば冗談めいた言葉を漏らした瞬間、三毛猫は悠然と顔を上げ、愁をじっと見つめた。
「正解だ、八乙女 愁。私が声をかけた」
その言葉と共に、愁の目の前の三毛猫が『話した』のだ。その声は小さな体からは想像もつかない、深く渋い響きを持っていた。
「なっ……嘘だろ……?」
愁はすぐさま〈鑑定の魔眼〉を発動し、猫のステータスを確認する。そして、目に飛び込んできたのは驚愕の事実だった。
**
ネーム:オベロルスト
レベル:100
種族:猫(三毛猫)
ジョブ:猫
スキル:聖魔一体化、全強化、全耐性、血界肆陣六連星、意志疎通、不老、世界視の魔眼、気配遮断、完全記憶
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「……は?ほ、本当に猫か?い、いや、猫ではあるようだけど……なんだこのステータスは!」
愁の声は震え、目を見張った。足元にいるのはどう見ても、どこにでもいるような三毛猫──だが、その『あり得ない』ステータスは、まるで天地をひっくり返されたような衝撃だった。
三毛猫は、愁の動揺を楽しむように、優雅にしっぽを揺らす。そして、まるで当たり前のように口を開いた。
「ほう、私の力を読み解くか。八乙女 愁、お主も魔眼所持者か」
「いや、そうじゃなくておま……いや、あなたは何者ですか?」
愁は慌てて言葉を飲み込み、失礼な物言いになったことを内心で悔いた。目の前の相手が、自分を『超える』存在であることは、鑑定の結果を見ただけで明白だった。
三毛猫──オベロルストは、愁の警戒を嘲笑うでもなく、ただ緩やかに瞬きをしながら答えた。
「私はただの三毛猫だ。それ以上でもそれ以下でもない。だが今はそんなことより、八乙女 愁、お主も困っているのだろう?力を貸そうか」
「ただの猫って……まあいいです。それより協力とは?」
愁は額に手をやり、ため息をついた。そのステータスで『ただの猫』と言われても信じられるわけがない。しかし、今は相手の意図を汲むべきだと判断し、話を促す。
オベロルストはのんびりと座り込み、その毛並みを整える仕草を見せた。深刻な話をするには、あまりにも緊張感がなさすぎる様子だった。
「私の飼い主がな、城に連れていかれてしまったのだ。まだ十になったばかりのエルフの娘でな。国が、ある実験の材料にと、多くの身寄りのない者を集めているらしい。それに巻き込まれたようだ」
オベロルストの話は突拍子もないものだったが、その淡々とした口調はかえって真実味を帯びていた。愁は耳を傾けながら眉をひそめた。
「はぁ、飼い主さんを助けるのに協力するのはいいですけど、正直、あなたの力なら一人でできるんじゃないですか?」
オベロルストの桁外れのステータスを思えば、そう考えるのは自然だった。だが、返ってきた答えは意外なものだった。
「そうもいかなくてな。私は忌まわしき神々の制約を受けていて、ほとんどの力が使えない。だが、私の飼い主であるエリル──彼女が側にいれば、その制約を無効にできるのだ。だから共に行く者を探していた」
「……そういうことですか。分かりました。あなたが力を貸してくれるなら、俺も協力します。俺の目的も同じようなものです。連れ去られた仲間を助けたいんです」
愁は一瞬の迷いを振り払った。状況は不確かだが、今は少しでも戦力が必要だ。そして、オベロルストの力が、ただの口約束ではないことを確信できるほどの迫力がそこにはあった。
「そうか。では私のことはオベロと呼ぶといい。制約はあれど、多少の力は使える。決して足手まといにはならぬゆえ、よろしく頼むぞ」
猫らしい気まぐれさと、それを覆す威厳を併せ持つ存在──愁はこの奇妙な新たなパートナーを受け入れる決意を固めた。
愁とオベロルストの目指す場所は、首都マリネアの中心にそびえる王城。そこには、愁の仲間メラリカと、オベロルストの飼い主エリルが捕らわれている。
二人──いや、一人と一匹は、覚悟を胸にその方向へと歩みを進めた。
(それにしても……なんで名前の呼ばせ方が『オベロ』なんだ……?)
愁の胸に浮かぶ小さな疑問は、やがて訪れる数奇な運命の序章にすぎなかった。




