Girl's Story チョコレート
キアナ王国の首都マリネアへ向かう旅路の途中、一行が立ち寄ったのは小さな町ミラシノだった。港町フスカと首都マリネアのちょうど中間に位置するこの町は、地図で見れば目立たない小さな町だが、その中には旅人の疲れを癒す優しさが満ちていた。石畳の道を行き交う人々はどこか穏やかで、路地から漂う焼きたてパンの香りや、笑い声の響く酒場の気配が旅人を歓迎しているようだった。
御者の知人が営む宿屋に泊まることになり、馬車を降りた一行は、夕陽に染まる町並みの中を歩いて宿屋へと向かう。夕暮れの柔らかなオレンジ色の光が屋根を温かく照らし、木造の建物が作り出す影が道に不規則な模様を描いている。その景色を眺めながら、ユアは軽やかな足取りで先を歩き、クミラとアルバートがそれを穏やかに見守っていた。
宿屋の扉をくぐると、木の温もりを感じる広々としたロビーが広がっていた。奥から漂うスープの香りが旅の疲れをほっと和らげる。「いらっしゃい!」と明るい声で迎える店主の笑顔に、一行の気持ちは自然と緩む。
用意された部屋は二間続きで、広々としていた。奥の部屋は護衛対象である研究員の三人が使い、手前の部屋は護衛役のアルバートたち三人が使うことになった。部屋の真ん中には大きなテーブルとふかふかのソファが置かれ、窓からは町の灯りが小さく瞬いて見えた。
到着早々に研究員たちは部屋に籠り、無言のまま忙しそうに資料を広げ始めたため、アルバートたちは手前の部屋でしばし体を休めることにした。
アルバートが剣を手入れしながらソファに座り、ユアは部屋の隅で何やら考え事をしていたが、ふと立ち上がり、彼に声をかけた。
「あの、お師匠さま?ちょっと買い物に行きたいんですけど、大丈夫ですか?」
その声にアルバートは手を止め、ユアの顔を見た。
「ん?買い物か?そうだな……私は護衛があるからクミラと行ってくるといい。もちろん、クミラが良いと言うのならだがな」
自然と二人の視線がクミラに向く。彼女は少し驚いたものの、すぐに笑顔で頷いた。
「あ、私は大丈夫ですよ!」
「本当に?よかったぁ!ありがとうクミラさんっ!」
ユアはぱっと嬉しそうに笑い、差し出した手を軽く握りしめた。その無邪気な喜びに、クミラもつられて微笑む。
「ユア、気を付けてな。クミラ、ユアを頼むぞ」
「任せてください!」
クミラは頼もしく返事をし、二人は宿屋を後にした。
外に出ると、町は夕暮れの美しい彩りに包まれていた。石畳の道を染めるオレンジの光と、それを反射する窓ガラスの輝きがどこか幻想的だ。クミラは隣を歩くユアに問いかける。
「そういえば、ユアちゃんは何を買いに行きたいの?」
ユアは少し恥ずかしそうに笑いながら答えた。
「お師匠さまに、チョコレートをプレゼントしたいの!」
「チョコレート?」
「うん!お師匠さま、甘いもの好きなんだ。それでね、手作りのチョコレートで何か作って渡したいなって思って!」
その言葉に、クミラの中に懐かしい記憶が蘇る。任務の合間、アルバートがそっと差し出してくれた小さな包み。汗で乱れた髪を気にしながら「甘いものが好きだなんて、女々しいかもしれないが……」と照れくさそうに渡してくれた光景が頭をよぎった。
「そういえば……うん!そうだったね。じゃあ、私にも手伝わせてくれる?」
「もちろん!一緒に作ろっ!」
市場に着くと、チョコレートを扱う小さなお店を見つけた。店内には甘い香りが漂い、並べられたカカオ豆の袋や、小さな試食用のチョコが目を引く。ユアは目を輝かせながら必要な材料を選び、クミラの提案で果物やケーキ用の材料も追加で購入した。
「どんなチョコレートにしようか?」
「んー、お師匠さまが驚くような、でも喜んでくれるやつ!」
そんなやり取りをしながら町を歩く二人は、仲の良い友達か姉妹のようだった。
宿に戻り、二人が厨房の使用許可を店主の奥さんに頼むと、「あら、若いっていいわねぇ!」と笑顔で快諾してくれる。その後、うきうきした気分のまま二人が部屋に戻ると、アルバートは剣の手入れを終えたところだった。
「おかえり。目当ての物は見つかったか?」
「はい!ばっちりです!」
「そうか、それはよかった。そうそう、この宿には風呂があるらしいぞ。主人が魔法で作った自慢の浴場だそうだ。よかったら行ってくるといい」
「お風呂!やったー!クミラさん行こうっ!」
「うん、行こうか!」
嬉しそうに浴場へ向かう二人の背中を見送りながら、アルバートは静かに微笑んだ。
(こうして安心して遊べる相手がいてくれて、何よりだな……)
外では澄んだ夜空が広がり、星が瞬き始めていた頃、旅路の疲れを癒すように、町全体が穏やかな静けさに包まれている。
宿屋の浴場へ向かう二人の足取りは軽やかだった。長旅の間、湯浴みの機会は限られていた。いくら冷える季節でも、汗や埃をそのままにしておくのは、特に乙女にとっては辛いものだ。浴場に入ると、ほんのりと漂う湯気が頬を撫でるように包み、体の芯から温まる感覚が広がった。
浴場は五人ほどが同時に入れるほどの広さがあり、湯船は美しい木枠で囲まれている。石鹸や桶が整然と並べられており、すみずみまで行き届いた配慮が感じられた。湯気の向こうには、温かな光を放つ魔法石の灯が柔らかく揺らめいている。
「すごい……このお湯、自動制御の魔法で温度が保たれているんだ。なるほど、こういう術式で……」
感嘆の声を漏らしたクミラの目は、浴場の端に施された魔法陣に向けられていた。
「クミラさん?」
ユアが小首をかしげながら声をかけると、クミラははっとして顔を上げた。
「あっ、ごめんね!つい珍しい術式だったから……」
「いいよいいよ!でもすごいね!クミラさん、見ただけでどんな魔法かわかっちゃうなんて!」
無邪気に笑うユアに、クミラは少し頬を染めた。
「そ、そうかな?なんだか面と向かって言われると、照れちゃうな……」
「ふふ、クミラさん顔真っ赤!可愛い~」
「もーっ!からかわないでよー!ほら、お風呂入ろう!」
用意された籠に衣服を入れ、二人は湯気の立ちこめるお風呂場へと足を踏み入れた。ちょうどいい温度のお湯を桶で体にかけると、冷えた体がじんわりと温まる。
「あったかーい!気持ちいいねっ!」
「うん!そうだね。……あ、ユアちゃん、こっちおいで。髪、洗ってあげる」
「いいの?ありがとう!」
湯気に包まれる中、クミラはユアの髪を丁寧に洗い始めた。優しく頭皮をマッサージするような手つきに、ユアの表情が自然と緩む。
「あれ?どうしたの、ユアちゃん?なんだかすごく嬉しそうだね?」
クミラが尋ねると、ユアは少しだけ視線をそらした後、小さな声で答えた。
「あ、あのね……なんか、お姉ちゃんみたいだなって思って。それに……私ね、家族みんな、いなくなっちゃったから……」
ユアの言葉に、クミラの動きが一瞬止まる。
「そっか……」
ぽつりと漏れたその言葉は、驚きや哀しみを隠しきれない色を帯びていた。しかし、クミラはすぐに微笑みを浮かべ、ユアの頭にそっと手を置いた。
「じゃあ、私がお姉ちゃんになってあげる。これからはいっぱい甘えていいんだからね!」
その言葉に、ユアの顔がぱっと明るくなった。
「本当?それじゃあ……えいっ!」
ユアはクミラに勢いよく抱きついた。その小さな体からは、安心したような温もりが伝わってくる。
「もーっ!ユアちゃん、急に甘えん坊なんだから」
「えへへ、だってクミラさん、すっごく嬉しいこと言うから」
二人の笑い声が湯気の中で柔らかく響き、浴場の静けさに溶け込んでいく。湯船に浸かると、ユアは再びクミラに寄り添い、小さく囁いた。
「クミラさん……本当に、ありがとう。優しくしてくれて、うれしい……」
その言葉に、クミラの胸の奥がじんと熱くなった。家族を失い、孤独を抱えるユアにとって、こうした何気ない触れ合いがどれほど大切なものかを感じ取ったからだ。
「こちらこそ、ありがとうね。私もユアちゃんにたくさん癒されてるよ」
クミラの言葉は優しく、湯気の中に溶けて消えていく。
二人を包む温かなお湯と優しい時間が、疲れた心を少しずつ癒していくのを、夜空の星々が静かに見守っていた。
◆◇◆◇◆◇
翌朝、陽の光がまだ柔らかく差し込む中、クミラとユアの姿は宿屋の厨房にあった。
テーブルに並ぶ新鮮な果物やチョコレート、そしてささやかな道具たち。それらを前にして、二人は楽しそうに会話を交わしながらケーキ作りに励んでいた。
ユアが丁寧に混ぜ合わせた生地を、クミラが魔法で焼き上げる。『魔力の炎』を操る技術は、彼女の誇るべき特技のひとつだ。その魔法でちょうど良い温度を保ちながら、生地はふっくらと香ばしく仕上がっていく。
「ユアちゃん、生地がこんなにきれいに膨らんでる!本当に上手だね」
「ありがとう!クミラさんが教えてくれたおかげだよ!ねぇ、このケーキ、お師匠さま喜んでくれるかな?」
ユアの頬は、ほんのり期待で赤く染まっている。その姿にクミラは微笑みながら言葉を返した。
「もちろん!アルバートさんなら絶対に喜んでくれるよ」
「よーし、もっと頑張っちゃう!」
ケーキの焼き上がりを待つ間、ユアはチョコレートの彫刻に取り掛かった。湯煎で溶かして固めたチョコを、魔法で冷やして保存しておいたものだ。彼女は小型の光剣を手元で繊細に操り、一口サイズのチョコを削っていく。その小さな手が描き出すのは、猫や犬の愛らしい動物たち、細部まで彫り込まれた剣や聖杯、どれも見事な出来栄えだった。
木彫り細工が趣味という彼女らしい細かい作業に、クミラも思わず感嘆の声を漏らす。
「わあ、すごい!本当に彫刻みたい……ユアちゃん、こんな才能があったなんて!」
「えへへ、嬉しいなぁ。でもケーキはクミラさんがいなかったら作れなかったし、お師匠さまが喜んでくれたら、それだけで十分だよ!」
昼近くなり、ケーキはついに完成を迎えた。トッピングで彩られたケーキには、ユアが彫り上げた小さなチョコレートたちが飾られている。見ているだけで、心が温かくなる仕上がりだ。それに加えて、アルバートが普段持ち歩くようなチョコレートも袋に詰め、可愛らしいリボンで結んで完成させた。
「ふぅ……間に合ってよかった!」
「ね、完璧だよ。さっそく届けに行こう!」
二人は完成したケーキと包みを手に部屋へ戻る。そこでは、ソファに腰掛け本を読んでいるアルバートの姿があった。彼の読書中の集中力は並外れており、二人が近づいてもまるで気づかない。
「お師匠さまっ!」
ユアの元気な声に、ようやくアルバートが顔を上げる。
「どうした?出発までまだ時間があるが……」
アルバートが目を向けると、二人は満面の笑みを浮かべながらケーキと包みを差し出した。
「「いつもありがとうございます!」」
思いがけない言葉に、アルバートはしばし目を瞬かせる。だが、ユアの続く言葉がその戸惑いを消し去った。
「これ、二人で作ったんです!お師匠さまへの感謝の気持ちを込めて!」
その笑顔は、朝の陽光のように眩しかった。隣のクミラも少し照れくさそうに微笑んでいる。
「わざわざ私のためにか?……ありがたくいただくよ」
アルバートは静かにケーキを受け取り、一口頬張った。
ほろ苦いチョコレートの味わいに、果物の甘さと酸味が重なり合う。それは心をほどくような優しい味だった。ふわふわとした生地のしっとり感も絶妙だ。
「……うん、とても美味しいな。こんなケーキは初めてだ」
アルバートの言葉に、ユアは嬉しそうに飛び跳ねた。
「やったー!成功だね、クミラさん!」
「ほんと、ほっとした……お口に合わなかったらどうしようかと思ったよ」
甘い時間を分かち合う三人。その間に交わされる言葉もまた、心を通わせるものばかりだ。そして、包みを手渡すユアの言葉が、その温かさを締めくくる。
「お師匠さま、これも!道中のお供にどうぞ。彫刻したチョコレートもたくさん入ってますよ!」
包みを受け取ったアルバートは、中に整然と収められた美しいチョコレートたちを眺め、感慨深げに微笑んだ。
「ありがとう、ユア。そしてクミラも。本当に嬉しいよ」
互いの思いやりが紡いだ甘やかなひととき。ケーキとチョコに込められた二人の心が、三人の絆をさらに深めていく。その味わいと温もりを胸に、彼らは新たな道へ歩みを進めるのだった。




